グミとカトブレパスから見える世界
人間は常に我々を狙っている。そう教えられたのは生まれてすぐだった。なんでもカトブレパスのミルクは人間にとっては価値のあるものらしい。掻き混ぜてクリームにして食するのだと。
そのせいだろう、同胞が人間に襲われる所を何度も見た。邪視を持つ目を狙い、視界を封じられた個体は生け捕りにされる。しかし、それも極わずか。
中には人間の好きにされるくらいならと自害を選ぶ者もいた。魔法で自身の身を焦がす者、舌を噛み切る者、それこそ色々だ。
私は生まれながらにして他の個体とは違い、力も邪視の能力も高かったのでどんな人間も蹴散らした。
何度追い払ってもすぐにまた次がやって来る。いつしか我々は個々で行動し、それぞれ安息を求め別の地へ向かった。それが今から数十年前のこと。
あちこち転々とする日々の中、オルールの森という地に足を踏み入れた。
昼間でも木々の葉に覆われて薄暗いが、たまに入る木漏れ日によりそこそこ美しい景色が堪能出来る。
とはいえ、人の足跡があるのを見ると人の出入りがよくされているのでこの森も安息の地とは呼べないだろう。留まっても恐らくひと月、長くてふた月といったところか。
森を拠点とし、ひと月が経った頃、森に住み着いてから初めて人間を目撃した。
装備すらもままならない姿。軽装備と思いきや防御力も皆無だ。
森の奥には私には及ばないが、それなりの魔物がいる。それこそあの人間なんかすぐに食われるだろう。
迷子か死にたがりか、どちらにせよ邪魔な奴に変わりない。少し脅せばすぐに逃げ出すはずだ。
殺気を向けて精神的な負荷を相手にかけてやればそいつはすぐに私の存在に気づいた。しかし、逃げ出すどころかその人間は腰を抜かして座り込んでしまう。
『好奇心で森に入った愚か者め。腰を抜かす暇があるなら早く失せろ』
思わず口にした。どうせ通じないとはわかっているが、それでも雰囲気は伝わるだろう。
少しずつ娘に近づき、早く帰れと無言で訴えるが、思いもよらぬ言葉が返ってくる。
「あ、あのっ……好奇心とかではなく、お願いがあって、あなたを探しに来ましたっ」
一瞬言葉を失った。どうやら私の言葉が通じるらしい。話によると私と同じ言語理解のスキルを持っているのだと言う。
言語理解とはどんな種族の言葉でも理解することが可能ではあるが、対話するとなると別だ。相手は基本的にこちらの言葉は通じないので、会話系統に特化したスキル持ちか、または言語理解スキルを持つ同士がいて初めて会話が可能となる。
その人間の話を聞けばミルクが欲しいとのことだった。最初から攻撃を仕掛けるばかりだった人間の頼みごとなんぞ聞く義理はないと思ってはいたが、幾度も欲する人間を見てきた立場として味が気になるところでもあるので私にも差し出すならと、娘にミルクを提供した。
翌日、約束通り生クリームに仕上げてきたので味見をすると想像以上に美味いことがわかった。それと生クリームを使ったスイーツも馳走になるがこれもなかなか。
これは人間が欲するのもよくわかる。自分のミルクからひと手間加えただけだというのにこんなにも違うものなのか。
気分がいいので二度目のミルク提供も許してやった。もうこれきりだろうと思ったが……奴はまたお礼としてクリームを持って来ると言い出す。そのせいだろうか、人間の娘がちょくちょく森に訪れるようになった。
いつしか心のほんの少しだけ待ち遠しく思う自分に気づいたときには自嘲したが、それは認めるしかない。
極上のクリームを口に出来るからなのか、誰かと会話をする貴重な時間だからなのか、理由はいくつかある。
次第に私への恐怖心がなくなる娘の様子は魔物としてのプライドがあるのでたまに脅してやらねばいけないが、まぁそれも悪くはなかった。
互いに与え受け取る。そんな関係がいつまでも続くとは思わなかった。私は常に人間に狙われる存在。いつか大事になるのはわかりきっていた。
ある日、生意気にも男一人に狙われたが、軽度の邪視を発動し無力化にした。それから数日後だろうか、沢山の人間が森に足を踏み入れた瞬間、あの男をさっさと始末すれば良かったなと少し悔やまれる。
本当ならば次の安息の地へと向かうべきなのだが、娘がまた来るだろうと思うとなかなか実行出来ずにいた。
仕方ない、蹴散らすしかない。煩わしいだろうが、留まるなら何人だろうと応戦してやろう。
「カトブレパス! 大丈夫っ!?」
そこへ、どこから聞きつけたのかあの人間が私の前へやって来た。私に向けて放たれたナイフを水魔法で軌道を変えたようだ。
少し前から匂いを感じていたが、まさか本当に戦地になるであろうこの場にやって来るとは。今の状況が危険だということは幼子でもわかるというのに、なんと愚かな。
足手まといだと伝えても女は私に背を向けるように前へ立ち、あろうことか私を捕らえようとする連中に友達だと言い張る。
乳を分け与えただけでなんと浅薄な人間だ。それだけでなく先に手を出して来たのはあちらだというのに手を出すなと禁じるのだから笑わせる。
挙句の果てには従魔になれば互いに傷つかずにすむとか言い出す。この私が人間に忠誠を誓うと? 馬鹿馬鹿しい。
その案に頷かないということを奴はわかっていたのだろう。今度は違う住処を探そうと口にする。
……そんなもの、探そうと思えばとっくの昔にやっていた。なぜ、私がここに留まっているのかわからないとは察しの悪い人間だ。脳みそはちゃんと詰まっているのか?
どこまでも理解力のない愚かな人間に私と奴の立場をしっかりとわからせるため、正式な契約をした。
人はこれを従魔契約と呼ぶそうだが、私が従うのではない。あの娘、イルが私に従うための契約だ。
こうすればもう人間の相手をいちいちしなくていいのだろう。この契約はその煩わしさからの解放でもある。
私の求めていた安息の地への旅は諦めることになるが、契約したからにはどこか甘ったれた従者の面倒を見なくてはならない。
こうして私はイルの世話をすることになった。まぁ、生クリームがいつでも食せるくらいしか良いことはないが、今はそれで甘んじてやろう。
今ではイルの住居横の大木の下が我が住処となっている。断然オルールの森の方が心地はいい。ここは吹きさらしだし、身を隠す場所もない。
それを気にしてか、イルは私の家を用意すると張り切っていた。いらんと言っても聞く耳を持たん。これでは私が養われている形ではないか。人間にそこまでされるとは言語道断。
そう思っていた矢先に私の乳を欲する奴との契約話をされたというのを聞いて、すぐに許可をしてやった。私が主なのだから養う立場はどちらなのかをはっきりとさせてやる。
イルと共に生活をするようになってからというもの毎日が騒々しくて敵わない。しかし、苦ならばすでにこの生活を捨てている。それをしないということは少なからず嫌ではないということなのだろう。我ながらどうかしている。
「と、いうわけでお世話になっている旦那様との契約を終えて、商業ギルドにもちゃんと承認してもらったのでレスペクトのミルクが正式に売買可能となりました!」
目まぐるしく動き回る従者は頼んでもいないその日の報告として契約の書類らしき紙を見せつけながら嬉しそうに語っていた。
人の世の規則はよくわからんが、どうやら商業ギルドとやらの許可が出たのでいつでも取引の準備は出来ているとのことだ。
『そうか』
「旦那様もクリームを味見をしたんだよ。その美味しさに感動していたから、当初の約束通り品質を評価してそれに合わせた価格で買ってくれるって!」
『そうか』
「早速買い取ってくれたからお金があるんだけどレスペクトは何か欲しいものはある?」
『お前の養育費だからいらん。生クリームだけを寄越せ』
「よ、養育費……じゃ、じゃあ、クリームを用意してくるね」
そう伝えると自分の巣に入るイルを見送る。時間があるとき奴は生クリームだけでなく甘味もこさえてくるから、しばし時間がかかるだろう。その間、一狩りに出ようとその場を離れた。
食料は自分で狩るのが魔物としての当然の在り方。オルールの森へと向かえば獲物を探し、目に入ったアックスビークを狩ることに決める。
斧のような大きな嘴を持つ獰猛な肉食鳥。その見た目の割に飛べない鳥肉だ。その代わりすばしっこいが私にとっては造作もない。
私を前にした途端、アックスビークは私との格の違いに気がついたのだろう、背を向けて逃げ出そうとした。それを許すわけもない私は奴の姿を自身の体毛の隙間から捉え睨みつける。
どさりと力の入らなくなった鳥類の足はその地に伏せることしか出来ない。邪視を使わずともプレッシャーを放っただけで人も魔物も等しくその身を強ばらせ、ある者は腰をも抜かす。
ゆっくり歩み寄り、自身に何が起こっているのか理解出来ないままぴくぴくと痙攣するだけの鳥肉の皮を剥ぎ、新鮮な肉を貪る。生きたまま食らう肉は美味い。
食事を終えると血で汚れた己の身体を清めるため、水浴びをしてからイルの住処へ戻る。
「レスペクトー! ご飯食べに行ってたの? 生クリーム出来てるよー」
戻るとすでにイルがボウルを抱えながら待ち構えていた。甘い匂いが鼻をかすめたので言葉通り私の望むものを用意出来ているのだろう。
「あ、また水浴びして来たんだ。レスペクトって綺麗好きだよね。でも風邪引かないように乾かしておくね」
私の前にボウルを置くと、イルは初級風魔法であるウィンドと初級火魔法であるヒートを合わせて熱風を起こし、水で濡れた私の毛を乾かし始める。
水浴びをする度にいつもこうだ。血に塗れた姿など見たくないと思ってわざわざ水浴びをしただけなのに、あれは頼んでもいないことをやろうとする。
『いらんといつも言っているだろ。それに乾かすなら吸水魔法にしろ。一瞬で終わる』
「ダメだよ。髪の毛の水分まで失うからパサついちゃうし、吸水魔法は禁止」
『……』
主は私だというのにこの従者は私の言うことを聞くときもあればこのように聞かないときもある。まぁ、不快ではないのでイルの好きなようにさせて私は生クリームを平らげた。
「そうだ。新しいスイーツも作ったの。グミなんだけどレスペクトも良かったら食べてみて!」
乾かしてる途中で思い出したのか、一旦魔法を止めてイルはアイテムバッグから橙色の一口サイズの長方形の物を取り出した。……なんだこれは? 柑橘系の匂いがするがよくわからん。
「オレンジジュースとスライム液と砂糖に熱を加えて、冷やして切っただけなんだよ。ゼリーみたいと思ったけど食べたら弾力があって美味しかったの。それで今回は光魔法のフラッシュを覚えたんだよ。一回使ってみたら眩しすぎて大変だったんだけど」
話には聞いていたがこの娘、女神の加護持ちらしい。運が酷く悪いそうでそれを補うために魔法のレシピブックを受け取ったとかなんとかで、スイーツを作って食べると能力値が上がり、魔法やスキルを覚えるのだと。
……ただの同情ではないか。奴はそれでも有難みを感じているらしいが。
まぁ、確かに最初に会った頃より少しずつ能力値は上がっているようだ。しかし、攻撃魔法も覚えているとはいえ、実戦経験も少ないイルには使いこなせているとは到底思えない。
戦場に向かうようなタイプでもないので別に構わんが、なぜそんな戦闘レベルで人間に囲まれる私の元へ来たのか。つくづく後先考えない人間だ。
『生クリームが使われてないのならいらん』
「えー? 美味しいのに」
『いいから乾かすのならさっさとしろ』
「はーい」
少し不服そうに唇を尖らせるが、黙って私の言うことを聞けばいいのに……。この娘は私の従者というのを時々忘れているようだ。
『……イル。お前は私のことをなんだと思ってる?』
「え? お父さん、かな?」
照れくさそうに答えるイルを見て思わず鳥肌が立つ。この娘、全くわかっていないな?
『勝手に家族にするな』
「だってレスペクトは私の面倒を見てくれてるからなんとなく……」
『私は主でお前はそれに付き従う者だ。面倒を見てるのは私が上の立場なだけなのを忘れるな』
「はーい」
……呑気なものだ。本当に理解してるのかさえも疑う。まぁ、いい。従者としての最低限の役割は果たしているのだから親のいなくなったイルの父代わりくらいにはなってやろう。
そう思いながらしばらくイルの好きになように身体を乾かせてやった。




