元奴隷と現罪人
フェーデには両親というものが存在しなかった。いや、記憶にないのだ。それもそのはず彼女は幼い頃に売られたから。物心がついたときにはすでに奴隷としてあちこち売られ続ける人生だった。
奴隷の証として鉄製の首輪が嵌められ、主人の理不尽な命令を聞くだけでしか生きられない最底辺の存在。見世物のようにいたぶられ、人権を踏みにじられるように辱められることもあった。成長すればするほどその行為は酷くなる。
顔もプロポーションも奴隷とは思えないほど良かったのがいけなかった。大したものを口にしていないのにその栄養が全て胸にいったのかと笑われたこともある。
成人を過ぎた辺りで飽きられて再び売られた先は見世物小屋だった。そこでフェーデは奴隷の踊り子として労働を続け、望んでもいないその芸を磨くことになる。奴隷としての扱いは相変わらずで踊っているときだけがまだマシと思えた。
それから数年後、見世物小屋は王都の騎士団により摘発された。奴隷制度は違法とされているため、フェーデはやっと奴隷から解放されるのだと希望を抱いたが、それもすぐに打ち砕かれる。
本来ならば保護されなければいけない奴隷達は一部の身勝手な騎士団により囚われた。保護対象であるフェーデ達は今度は騎士団の奴隷となってしまったのだ。人間に、世界に絶望した瞬間でもある。
そして秘密裏にその騎士団の魔法陣使いとして心身共に酷使された。
魔法陣は魔法が使えなくても魔法陣発動者の血と魔力があれば使用可能。しかしそれでも魔法よりは劣り、防御、回復、強化などの支援系のものしかなかった。
それだけじゃなく魔法よりも発動に手間がかかる。魔法陣を描く速さと正確さを常に求められ、描くのが遅かったら手を上げられることは日常茶飯事であり、奴隷としての扱いは変わることはなかった。
けれど魔法陣を描く者は速さよりも魔法円の正確さを大事にした。焦って少しでも間違えたりすると失敗するからだ。不発ならまだいい。けれど大半が暴発し、描いた魔法陣使いは命を落とすことも少なくはない。
特に酷かった魔法陣は『吸収の魔法陣』である。生気と魔力を吸い取ることが出来るもので魔法陣の中でも一番強力とも言われた。だからだろうか、魔法陣も複雑で失敗したときの被害が一番大きいとも言える。
しかし騎士団にとって奴隷なんて使い捨てでしかなかったので、奴隷達に無理やり使用させた。けれど上手くいかずに失敗して命を散らした者や巻き込まれて亡くなった奴隷をフェーデは何人も見てきたのだ。
彼女は必死に魔法陣の図を頭に叩き入れ、失敗しないため一度も間違うことなく描き続けた。自分が死なないために、生きるために。
本当は死んでしまいたい気持ちもあったけれど、不幸なまま死にたくなかった。幸せどころか良いことがひとつもないままなんて悔しすぎるから。
頑張れば頑張るほど、フェーデは騎士団に駆使されるばかり。とうとう人魔族大戦に駆り出された騎士団に連れて行かれてしまう。
それまでは魔物退治で騎士団の支援をしていたが、功績を上げたため魔族との戦争にまで使われることになった。騎士団としてはさらなる武勲を立てるために乗り気である。誰の力があってそこまで上り詰めたのかも理解しないで。
そして戦場にて騎士団と魔族との戦いが始まった。すでに荒れ果てている地でフェーデは騎士団の後衛に立ち、いくつもの魔法陣を描く。そう命令されているから。
数多く描くとなるとそれだけ魔法陣に使用する血液も多くなる。ちまちま指を噛んで血を垂らすなんてまどろっこしいことはしていられない。ただでさえスピードを求められているのでフェーデは何度もナイフで自身を傷つけ、血のインクを使い続ける。
回復の魔法陣が足りないと怒鳴られ、もっと早く魔法陣を作れゴミがと罵声を浴び、いつも以上に描く魔法陣が多く、集中力もいつ途切れるかわかったものではない。
このまま描き間違えて暴発して死ぬか、血が足りなくて死ぬか。生き残れる自信がなくなってくる。
それでも騎士団は魔界へと進軍するために動き出したそのときだった。フェーデの人生を変える出来事が起こる。
「うじゃうじゃと鬱陶しい奴らだ。我との格の違いを教えねばわからんようだな」
当時の魔王アイントラハト。彼は魔界へと進軍する兵達を一掃するため上空から現れた。そして宙に浮いたまま歴史に残る最悪の魔法を口にする。
その名はインフェルノ。黒い炎の柱が進行する兵達に直撃した。曇天を突き破るような黒炎の勢いは人間の存在がちっぽけだと思い知らされるほどの脅威を感じる。
インフェルノは触れる者全てを飲み込んだ。指先が火の粉に触れただけで蛇のように絡みつき大きな炎となって次々と炭のように焼き尽くし、最後は原型を留めない姿になる。
炎を消そうとして水魔法を使用するも効果はない。助けを求めようと仲間に手を伸ばしても、炎がその相手も巻き込む。あちこちに響く悲鳴も相まってまさに地獄絵図だった。
フェーデは後衛でその様子を見て身体が震えた。恐怖と歓喜が混ざったものである。
絶対的な力。人間なんかには敵わない力。恐怖を植え付けるような魔法はもはや美しいとさえ感じた。そしてその魔法はフェーデを捕らえた騎士団にも襲いかかる。
今度こそ開放される! もはや確信さえした。ようやく自由を与えられるのだと理解する。
「奴隷! ボーッとすんな! 回復の魔法陣を描け!」
アイントラハトに目が釘付けになる中、騎士団長がフェーデの元へ駆け寄り怒鳴りつける。まだ生きてたのか、と思わずにはいられなかった。この騎士団長こそが奴隷を保護せず使い回しにした元凶なのだから。
「何をしてる! 早くしろ! 防御の魔法陣もだ!」
すでに冷静さを欠いた騎士団長は背後からの仲間の助けを求める声を聞いて、さらに焦っているようだった。
フェーデはもうその男に恐怖を感じない。もっと上がいることを知ったから。そして彼女は思いきり力を込めて騎士団長を蹴り飛ばした。
「っ!?」
「あんたらのために使う魔法陣はないわよ。くたばれクソ野郎がっ!!」
「き、さまっ! 最底辺の存在のくせに生意気なっ!」
騎士団長が剣を構え、フェーデに斬りかかろうとした。しかし彼は背後から腕を掴まれる。黒炎を纏い、すでに顔の判別がつかないほど黒く焼け焦げた部下だった者に。
「だ……ん、ちょ……」
「っ! やめろ! 俺に触るな! さわ、ぁ、ああッ! うわあああぁぁぁぁ!!」
瞬く間に騎士団長も黒い炎に包まれる。インフェルノに飲まれた者は例外なく次々と事切れた。
「ふふっ、うふふふっ! あっはははは! ざまぁないわ!」
そんなおぞましいとも言える光景を見て、フェーデは生まれて初めて心の底から笑った。自由になっただけでなく、自分を酷使した騎士団が壊滅していく様を見届けることができて喜びを感じる。
ようやく自分にも良いことがあったのだと、必死に堪えて頑張って生き抜いただけのことはあったのだと、フェーデは神にではなく魔界の王に感謝した。
そしてフェーデは走り出した。黒焦げになって崩れゆく人だったモノにはもう見向きもしない。運良く炎を触れずに済んだ者達は急いで逃げていく中、フェーデだけは逃げることなく進んでいく。
「魔王様っ! アイントラハト様っ! 私の声は届きますかっ!?」
宙に浮かぶアイントラハトとの距離は遠い。声が届いているのかもわからないが、フェーデは話を続けた。
「私を苦しめる奴らを葬っていただきありがとうございます! どうか、どうかこのフェーデをお仲間に入れてください! あなた様に忠誠を誓いますっ!」
両膝をついて、手を組んで熱願する。どうにか彼に届いてほしいため何度も声を張り上げた。喉が潰れても構わないほどに。
そんな強い思いが届いたのか、アイントラハトはフェーデへと視線を向け、彼女の前に降り立つ。目の前に降りてくるとは思わなかったフェーデは慌てて頭を下げた。
「人の娘か。何のために我に忠誠を誓う?」
「あなた様は私の恩人だからです。私を飼い慣らした騎士団を潰していただきました」
「たったそれだけのことでか」
「はい。自由をお与えいただいたアイントラハト様に私はこの命尽きるまでついて行きたいと思います。このクズしかいない人間共の領土が蹂躙される様を私は見届けたいのです」
「……顔を上げろ」
「はい」
言われた通りにフェーデは顔を上げ、アイントラハトに真剣な眼差しを向けた。そして彼は気づいただろう。奴隷の証となる首輪の存在に。
「なるほど。同種族による強い憎しみの理由がよくわかった。その眼にも嘘はない」
「では……!」
フェーデの顔が明るくなる。アイントラハトの仲間になれるのかもしれないと期待をして。
「アド。あとは頼んだぞ」
「かしこまりました、アイントラハト様」
そんな中、魔族の一人がフェーデの前に立つ。当時魔王アイントラハトの幹部であり右腕として活躍をしていたアドラシオンである。
あとのことをアドラシオンに任せるとアイントラハトは転移魔法により、一瞬にして姿を消した。
「アイントラハト様っ!?」
「大丈夫です。あなたの声はアイントラハト様に届きました。彼はあなたを魔族として迎えるそうです」
「ほ、本当なの!?」
あまりにも早い魔王の決断にフェーデは驚きながらアドラシオンに確認をとった。彼はにっこりと微笑みながら「えぇ」と答える。
こうしてフェーデはアイントラハトによって魔族になり、長寿となった。それからというもの、魔界に移住した彼女はアイントラハトのために魔王軍に入り戦闘技術を磨いた。全ては地獄の苦しみから解き放ってくれたアイントラハトのために。
最初は魔王軍に遠く及ばない戦力に、フェーデはアイントラハトの駒になることさえも出来ないのかと悔しい思いをした。
それでも年数を重ね、それ相応の実力も手に入った頃、フェーデはアイントラハトの幹部になる目標が出来た。なぜかというと、仲間になりたいと懇願してから一度もアイントラハトと顔を合わせることがないからだ。
元より魔王として君臨する彼と簡単に謁見出来ることなんてありえない。魔王軍でもたまに激励をいただくか見かけるかしかないのだ。
もっと敬愛する彼に近づきたい。役に立ちたい。誰よりも。
そんな欲が芽生えるも、幹部の座すら当時のフェーデにとってはほど遠いもの。もっと簡単に近づけることはできないのか。そう悩んだ末にフェーデは思いついた。先に彼の妹に近づけばいいのだと。
アイントラハトの妹、シンシア。アイントラハトが現役の魔王として活躍していたのを妹である彼女はとても誇らしげにしていた。
けれどフェーデはアイントラハトの血縁というだけでも激しい嫉妬に襲われ、存在するだけで鼻について仕方なかった。
それだけじゃない。ただでさえ大事にされていて魔城から出ることもない箱入りのお姫様のような扱いがさらにフェーデを苛立たせた。自分とは違って幸せそうなのが気に食わない。
アイントラハトとは違い、何もしてないのに城でただただ暮らしているだけのお荷物。フェーデはシンシアのことをそう思っていた。
だからこそではあるが、シンシアに友人はいない様子だったのでフェーデはそれを利用してアイントラハトに近づくことを決心する。
仲良くなるのは早かった。同性ということもあり、相手の好むような発言を繰り返していけば自然と好感を持たれるのだから。
いつしか親友という間柄になったけれど、フェーデは内心反吐が出る思いだった。もちろん報われることもあったわけだが。
「フェーデ。いつも我が妹と仲良くしてくれて感謝する」
ある日、シンシアと共に城でお茶を飲んでいるとアイントラハトがやってきた。
唐突なことでお茶の入ったカップを落としてしまいそうになったし、頭の整理が出来ずに爆発してしまいそうだったが、すぐに「とんでもございません! こちらが仲良くしてもらってる立場ですので!」と声を上げた。
「ちょっと兄様! お茶会なんだから邪魔しないでよっ」
茶会を邪魔されたと思って不貞腐れるシンシアを見てフェーデは心の中で「アイントラハト様に向かってなんてこと言うのよこいつ!」と怒鳴りながらも必死に怒りを抑えていた。
「お前がいつもフェーデの話ばかりするから無理やり付き合わされていないか心配になっただけだ」
その話を聞いて想像以上にシンシアの信頼を得てるのだと確信したフェーデは胸の中でほくそ笑んだ。
「な、何よそれっ! いくら兄様と歳が離れてるからって子ども扱いしないでよ! フェーデは無理やり付き合ってるわけじゃないんだから!」
「本当か? シンシアは我儘な所もあるからな。振り回してるかもしれんな?」
からかうようにして笑うアイントラハトとムキになって怒るシンシア。年が離れてるとはいえ、どう見ても仲のいい兄妹。フェーデはとても羨ましく思った。
「私とフェーデは親友よ。彼女にはこれからもずっと私の傍にいてくれないと困るもの。だからそれなりの礼儀は果たしてるわよ」
「そうね。私もシンシアがいてくれないと困るわ」
アイントラハトという繋がりのために。そう思いながらフェーデはシンシアとの親友ごっこを長年続けてきた。
それなのに、だった。ずっと傍に、という言葉を発したにも関わらずシンシアが女神の力とやらで人族になったのだ。それだけではなく憎き人間と添い遂げた。それはフェーデの憎悪を膨らませる出来事となる。
バシャッ! 突然ぶっかけられた冷水にフェーデはゆっくり目を覚ます。薄暗い魔城の地下牢の中だと理解するにはそう遅くはなかった。
手足には頑丈な枷。首には魔力を封じる首輪。罪人らしいボロきれの地味なワンピース。座りながら眠っていたのだろう。
懐かしい夢を見たわ、と思いながら顔を上げると、鉄格子の外には仮面のように作られた笑みを向けるアドラシオンの姿があった。どうやら水魔法で起こされたらしい。
フェーデはキッと相手を睨むがアドラシオンには何も感じることはない。
「起きたようですね」
「起こしたのはそっちでしょ。何度来ても呪術を解く気はないわよ」
「あぁ、それはもう結構です。そんなことよりもお客様がいらっしゃいました」
思わず「はあ?」と返す。毎日のようにフェーデがかけた呪術の解呪を求められ、不死になったのをいいことに拷問だって受けたにも関わらずこの反応だ。
けれどアドラシオンが言うお客様の姿を見た途端、フェーデは下唇を噛み締める。その人物は憎い女の娘であるイルだった。




