オレンジのアップサイドダウンケーキと生気の水
とある街から離れた人の気配が少ない林道に紛れるかのようにその教会は建っていた。
人々の信仰の対象は世界の創造神であるイストワールがほとんどなのだが、そこの教会は違った。
イストワールを崇める女神教でなく、魔族の王を信仰する魔王教の活動拠点である。
教会の外観は他と何ら変わりない建物ではあるが、中に入れば普通の教会とは全く違っていた。
中は薄暗く厚手の黒いカーテンで窓を締め切り、中を照らす明かりはロウソクのみ。まるで呪いの儀式と言わんばかりに床にはあちこち赤い血のようなもので描かれた魔法陣が数多くある。
信者達はその魔法陣の上で座り込み、会ったことも話したこともない魔王のために祈りを捧げる日々だった。
魔法陣の上で祈れば自分達の生命力や魔力を魔王アイントラハトに捧げることが出来て、その量が多ければ多いほど魔王が復活した暁には捧げた力に値する強さを得た魔族になれるのだと。例え寿命で亡くなったとしても蘇ることも可能である。だから彼らは死など恐れていなかった。
しかし、信者達は知らない。それは全て魔族落ちした元人間の戯言だということに。
人間を捨てて魔族になったフェーデ。彼女は魔王を引退したアイントラハトが再び人間を支配すると信じていた。その日のために人間の生気の水を何年も何十年も集めて。
生気の水、またはエリクシアとも呼ばれるそれは生きる者の生命力や魔力が液体化したもの。
大さじ一杯でどんな怪我や病もすぐに治り、それ以上口にすれば不老不死や魔力増幅効果の可能性もあるとも言われる霊薬ではあるが、一人の人間から搾り取れる生気の水はたかが知れている。
多くてもたったの一滴なのだ。その一滴を絞り出すために何も知らない信者は魔法陣の上で祈りながら命を削る。
そんな祈り部屋の中央には大きなクリスタルが台座に埋め込まれるように置かれていた。
魔法陣で信者の生命力と魔力を奪い、クリスタルがそれらを吸い取って液体化することによって生気の水が生み出される。
それを隠すように台座の下には空洞となっており、クリスタルから滴り落ちる生気の水を水瓶に四十年以上かけて溜めていた。
だが、それでも水瓶の半分にも満たない量しか取れないのが現実だ。とはいえ生気の水の価値としては相当な量とも言える。
なぜなら大さじ一杯以上の生気の水を溜めるだけでも多くの犠牲が必要となるため、それ以上は困難とされているからだ。
そのため、大さじ一杯以上の生気の水を摂取した場合の不老不死や魔力増幅などの効果は憶測に過ぎなかった。
だが、それでも奇跡のような力を手にすることが可能ならばとフェーデは敬愛するアイントラハトのために多くの生気の水を集めることに力を入れた。
魔王教を創り上げ、生気の水の材料となる信者を増やす。必要があれば信者を利用して新たな信者を呼び込んだり、寄付を募ったりする。
フェーデは各地を転々としながら信者となる者を探しては魔王教会へと連れて行った。
その途中で彼女はイルが放ったインフェルノを目撃する。それは人魔族大戦中、初めてアイントラハトが人間に撃ち込んだものと酷似していたため、アイントラハトの侵略行為が再開したものだと信じたフェーデは魔力探知魔法を使い彼を探し続けていた。
しかし、その結果は別人だった上にアイントラハトから直々に戦を起こすつもりはないと明言までされ、フェーデは絶望感を抱く。
そんな彼の言葉を信じたくないフェーデは一度は捕らえられたが己の力で逃げ出した。活動拠点であり、フェーデにとってのアジトであるこの教会に。
「どうしてなのよ……アイントラハト様……私はずっとあなた様のために……もっと強く、長生きしてもらうための生気の水だって集め回ってるのに……っ」
人払いした教会の中でフェーデは生気の水が溜まる水瓶の前で座り込み、一人嘆いていた。
そんな彼女の言葉に答えるように何も衝撃を与えていない水瓶の中の生気の水が勝手に波紋を描く。
『あぁ、可哀想なフェーデ。お前は一人で何十年も時間をかけてエリクシアを溜めているというのに偉大な魔王様にも褒めていただけないとは……』
男の声が水瓶から聞こえた。フェーデは水瓶の中に目を向けるが、水面に浮かぶのは彼女の顔だけである。
「別に、褒めてもらえなくてもいいのよ。私はあの方が支配する世界を見たいだけなの……それなのに、人間と対立することをやめただけでなく、助けようとするなんて……それもこれも私を騙そうとしたあの女のせいで!」
イルにとっては完全に勘違いされた被害者ではあるがフェーデにとっては自分が騙された上に非がないと信じている。
「絶対、絶対にあいつだけは許さない……人間のくせにアイントラハト様と近しいだけでも極刑ものよ」
『フェーデ。強く美しく可哀想なフェーデよ。お前の目的はエリクシアを集めてアイントラハトに捧げることだろう? そんな人間にかまけている場合ではない。今はぐっと堪えて彼への忠義を示さなければ』
「えぇ、わかってる……わかってるわ。まだ時期尚早だったのよ。アイントラハト様はまだそのときじゃないとお考えのはず」
『さすが聡明なフェーデだ。きっとお前の言う通りだろう。今は耐えるとき。いずれ報われるときが来るさ。そうなればお前が憎むその人間も簡単に消すことが出来る』
「えぇ、ありがとう。私のことをわかってくれるのはあなただけよ。ジャグ」
『そうともフェーデ。俺はいつだってお前の味方だ。だから嘆くことはないさ。それに俯く姿はお前には似合わない。ただ真っ直ぐと前を向いておくれ。それが一番気高く美しいのだフェーデよ』
ひとりでに現れる波紋と共に聞こえる姿なき男の声。ジャグと呼ばれる水瓶に励まされたフェーデはこくりと頷いた。
それとフェーデが出会ったのは今から約四十年以上前のこと。生気の水がコップ一杯分ほど溜まった頃だ。とはいえ、水瓶で溜めているためその実感は全くなかった。
ただひたすら生気の水を溜めては、時には人間への恨みを言葉にし、時にはアイントラハトへ心酔する言葉を口にする日々だったが、突如水瓶に入っている生気の水が話しかけたのだ。
『やぁ、こんにちはお嬢さん。俺も君の夢に協力させてはもらえないだろうか?』
最初はフェーデも驚いた。生気の水が喋るなんて聞いたこともなかったから当然である。
彼の話によれば毎日一人で話していたフェーデの言葉が生気の水に自我を与えたのだという。
そんなことが可能なのかと問えば、相手は間を置くことなく「可能だ」と答えた。
自我が芽生えるのはコップ一杯ほどの生気の水と言葉である。
フェーデのように語りかける、または人の多い場所などで会話を聞かせるなどをすると、生命力と魔力が合わさった生気の水が反応し、自我が芽生えるのだそうだ。
とはいえ、フェーデも初めは信用出来なかった。そんな話聞いたこともないのだから。
『それはそうさ。だって大さじ一杯のエリクシアを集めるだけでも大変なんだ。まずそこまで溜める者がほとんどいないのだからいくら事実とはいえ伝わるわけがない』
それもそうかもしれない。芽生えた自我の話に耳を傾けると彼女は疑問を抱いた。
「生気の水に自我が芽生えたとしたら生気の水としての効能はなくなってしまうの?」
『そんなことはない。ただの自我が芽生えて話せるようになっただけで霊薬としての力は健在さ。飲んでも問題は無いから安心しておくれ。ただ話し相手が出来たと思ってくれたらいい。俺は魔王のためにも健気にエリクシアを集めるお前の力になりたいだけだよ』
優しく語りかける生気の水の言葉に胡散臭さを抱いたが、数十年も共にするとそんな感情は消えてなくなった。
魔族抜けをしてからというもの、心を許せる相手が近くにいなくなったこともあり、例え姿のない液体相手だろうとフェーデにとっては良き理解者となったのだ。
そして名前のない彼のためにフェーデはジャグという名を与える。
ジャグは生気の水の活用法を色々と知っているようでそれをフェーデにも伝授した。
例えばコップ一杯の生気の水を飲めばレベルが飛躍的に上がる効果があるとか、アクセサリーや小物などを生気の水に浸して呪いの言葉を発し続ければ呪い効果を付与することが出来るなど様々。
その活用法を知ったこともあり、フェーデがジャグを信用するのはそんなに時間はかからなかった。今ではいい相談相手である。
そんな彼が前に進めと押してくれるのだからフェーデも嘆くことをやめ、諦めることもせず、いつか復活すると信じてるアイントラハトの侵略行為のためにも生気の水を集めることにひたすら力を入れることにした。
「……また変なことに巻き込まれるなんて。少しは大人しくしたらどうなの?」
「いや、私としては大人しくしてるつもりだったけど運の悪さが発揮してしまったというか……」
フェーデのひと騒動があった翌日。ベーカリー・リーベが定休日なのでリリーフのお家でお茶会が開かれる。
……いや、お茶会というより報告会のような気もしなくはない。いつもこうやってリリーフとお茶会する度に最近何があったのか報告するのが義務となったからだ。
リリーフ曰く「あんたは問題ばっか起こすし、巻き込まれるんだから! ちゃんと包み隠さず全部話しなさい!」とのことである。
ほんとリリーフは心配性だな~なんて言った日には「あんたが原因でしょうがっ!」と怒られてしまう。
「本当に運なのかしらね?」
「そりゃあ、マイナス数値なので……」
「あんたも首を突っ込むんだから運だけのせいじゃないでしょ」
「うっ……それはそうとも言えるような……」
心当たりがないわけではないので否定出来ずにいると、リリーフは私が手土産に持ってきたオレンジのアップサイドダウンケーキをフォークで刺す。
軟質小麦粉、膨らまし粉、オレンジ、卵、砂糖、バターの材料で作ったパウンド型のケーキ。
カラメルをパウンド型の底に流し、輪切りに切ったものやさらに半分に切ったオレンジを並べて、生地の元となる材料とすりおろしたオレンジの皮を混ぜて型に流して焼くだけ。
焼き上がったら上部の膨らんでる生地を平らになるように切り落とし、出来上がったケーキをひっくり返せば完成である。
このケーキは二本作っていて、一本は今目の前にあるリリーフと私のお茶会用。もちろん、クラフトさんの分も残してある。
もう一本はレイヤとプニー用。すでにそこから味見として私も一切れいただいてるので新しい光魔法であるリフレクションを使えるようになった。
反射する魔法なので上手くいけば攻撃魔法を跳ね返すことも可能ということだ。防御代わりにもなりそうなのでいいものである。
「そもそも運がマイナスって言うのがいまだに理解出来ないのよね。0ならまだわかるわよ? マイナスだとそんなに違うわけ?」
「いつから運の数値が-100までいったのかはわからないから比較しようがないけど、とにかく毎日何かしら良くないことが起こる感じかな? どこか怪我をするとか、お金を落とすとか、ジャンケンは全然勝てないとか……」
「……そう聞くとしょうもない感じがするわね」
「でも、普通は何事もなく平和に一日を終える日があったりするでしょ?」
「そうね」
「それが私にはないんだよ? せめて一日くらいは何事もなく終わりたいのに躓いたり、物をぶつけて怪我をしたりするから」
「ちなみに今日は?」
「さっきここに来る途中で二階建てのお家から植木鉢が落ちてきて一歩遅かったら頭上に直撃してた……」
「ぶつかってないなら運がいい方じゃない」
「割れた植木鉢で足を切ったの……」
「ああ……」
リリーフの目が同情するものに変わった。そんな可哀想な目で見るならクラフトさんとお付き合い出来るように協力してほしい。……言ったら怒られるから言わないけど。
……それにしても今思えば植木鉢が落ちてくるのはかなりびっくりした。命に関わる運の悪さは今までも何度かはあったけど、魔物関連が主だったし日常生活ではかなりレアなものかも。……嬉しくないなぁ。
「でもやっぱり変だと思うんだよね。レベルがいくら上がっても運の数値が変わらないの」
「運は生まれ持った性質みたいなものだから基本的にはレベルが上がろうとも大きな変動はないのが普通だけど、イルの場合は確か女神が『いつかは不運がなくなるはず』って言ってたのよね? それなら多少なりとも変化があると思ってのだけど全く変わらないのはあまりにもおかしいわ」
「だよね? 私、呪いでもかかってるんじゃないかって思ってきたから調べてもらおうかなって……」
「その方がいいわね。……でも、冒険者ギルドのギルド長はそのこと知らないわけ? あんたのおかしなステータスを把握してるんじゃないの?」
「ステータスって言っても一応個人情報に関わるからよほどのことがない限り閲覧禁止みたいなんだよね。多分、レベルくらいしか把握してないんだと思う」
まぁ、もし仮にステータスを覗いていたとしたらドルックさんのことだ、物凄く心配するだろうし、ありとあらゆる方法を探してきそうな気がする。きっと私が想像出来ないほどの勢いで。
「ギルド長を頼らないわけ? 胡散臭いけど、あんたには気にかけてるんだし」
「なんか色々と大変なことになりそうな気がするから……」
それこそ仕事を放り投げかねない。そうなるとフロワさんを初めとする職員の人が可哀想なことになるからそれは避けてあげなきゃ……。
「絶対何かしら手を貸してくれると思うのに」
「だからこそだよ。それに私もいい大人なんだから色んな人に心配をかけさせたくないんだよね。ひとまず呪いかどうか確認してからどうしても手詰まりになったら……頼ろうかな」
「そうしなさい。呪術が原因なら治癒士に解呪してもらえるし」
「うん。そうすれば平和な生活が送れるはずなんだよね」
「魔族や魔物と繋がりがある時点で難しい気もするけど」
優雅に紅茶を飲みながら認めたくないことを口にするリリーフは本当に容赦ない。まぁ、だからこそリリーフなんだけど。
「ひとまず私もあんたの言ってた魔王教ってのにこっちも注意するつもりだけど、その元人間の魔族? にはがっつり狙われてそうなんだからあんたは特に気をつけなさいよ」
「うん……何もなければいいんだけどね」
私がアイントラハト様だという誤解を解いたけど、また別の意味で誤解を受けてるみたいで私としてはもう関わりたくないのだけど、彼女は逃げたとはいえ私への恨みが強そうに思えた。お願いだからまた乗り込んで来ないでほしい。
「でも、家を知られてるのが厄介ね……引越しとか考えないわけ?」
「相手は魔力探知魔法が使えるし、魔紋が見えるくらいの力があるからどこに行っても追おうと思えば追えるみたいなんだよね。それに私としてはお父さんとお母さんとの思い出でもあるあの家を出たくないから……」
「そう……」
リリーフも同じく母親を亡くしてるから私の気持ちを理解してくれたのだろう。それ以上強くは言わなかった。
「……ところで話が変わるんだけど、イルにお願いがあるのよ」
「お願い? どんな?」
そんな改まった様子でお願いを口にするなんて珍しい。私に出来ることならなんでもするよと続けるとリリーフはお願いの内容を告げた。




