竜騎士の後輩・その2
ファミアがこれまでに出席した夜会は結婚披露の場と王族主催の格式あるものだけであったが、今夜の夜会は伯爵家主催のため、身分の高い人が呼ばれる予定はさほどないと聞いている。貴族ではない裕福な商家や、知名度のある市民も呼ばれていると聞いて、立ちはだかる壁が一気に低くなった気がした。
本来の色や形を偽っているおかげで、ファミアの特殊な見かけが取りだたされることもない。すぐ隣には緊張したリトがいて、ファミアは自分の方が年上だからと思い、気持ちを大きく持つことにした。
注目はされても的にはならない。
ファミアが気を遣わなければいけない相手もなく、ゆっくりとくつろげる類の夜会であることにほっと胸をなでおろす。
竜守りの妻で特殊な姿形や色のせいで常に目立ってしまうファミアだったが、アーリアのお陰で誰一人ファミアが竜守りの妻だと気付くものはいない。
寄ってくる人たちもファミアを目的とした男性はいるにはいるが主に女性であった。
彼女たちは竜騎士であるリトに声をかけ、ダンスをねだる。同時に男装の麗人風なアーリアは大人気で、リトによってたかる女性陣もアーリアが声をかけると頬を染め、手を取られてダンスの輪に加わっていた。
「アーリアさんってすごい社交力ですね。見習わないと……」
場慣れしないリトは感嘆の声を上げ、ファミアも深く同意した。
アーリアは心が女性だからなのか、女性の心を掴むのがうまい。そして細やかな気遣いもできる。ファミアを守るためにリトと常にいられるよう取り計らうが、相手の女性を悪い気分にさせずに誘っていた。
「ファミアさん、俺と踊ってくれませんか?」
「ええ、もちろんです」
ここまできて逃げるつもりはない。ファミアは気後れせずリト差し出した手に手を重ねる。
「だけどわたし、本当に上手くは踊れないんですよ。リトさんに恥をかかせてしまわないか心配で……」
ダンスは習っているが、何分唐突だったので復習できていない。するとリトは自信満々に胸をたたいた。
「姉が練習を嫌がって逃げるから、俺は人形相手に練習してるんです。だからたとえファミアさんが立ったままでもなんとかなりますよ!」
リトの姉は貴族社会がよほど嫌なようだ。そしてリトは真面目なのだろう。姉の協力が得られなくてもきちんと練習をしている。
「ダンスを練習するための人形ってあるんですね」
「いいえ。姉が腹を立てたときに殴りつけている、これくらいの大きさのクマのぬいぐるみです」
リトは笑顔で両手を広げた。
彼が両手を広げた大きさなのでかなりの物のようだ。
「ぬいぐるみですか……」
一抹の不安を覚える。頑張らねばと気合を入れたお蔭だろうか。リトに手を引かれると同時に、義母に言われたことや、これまでの練習してきたことが思い出され、頭の中で復習しながら広場に向かう。
「緊張しますね」
「はい。手袋の下は汗でびっしょりです」
そう言いながらもリトは人懐っこい笑顔を向けている。彼はナウザーの導いた竜に乗ってくれている人だ。ナウザーの妻として、ファミアも嘘のない笑顔で挑もうと気持ちを入れ替えた。
本来とはかけ離れた見た目に変身しているおかけで、人目にさらされても居心地の悪さがない。それにファルムント家や王家とは無縁かつ異質と見られないことで、久し振りのダンスも失敗を恐れずに楽しめた。それは目の前で時々ステップを間違えながらも、うまく補正し、楽しそうに導いてくれるリトのお陰でもある。
一曲終わるとファミアの足は浮いていた。リトは「あっ…」と小さく声を漏らして、そっとファミアを地につける。なんだかおかしくてファミアが笑えば、リトは照れたのか顔を赤くして一度視線を逸らして再びファミアを見下ろしてにっと笑う。
「楽しかったです」
「わたしもです。途中からつま先で踊ることになって、そのうち足が浮いて」
「姉が逃げるから練習のほとんどがぬいぐるみで、いつの間にか持ち上げちゃってましたね。ファミアさん、軽いし。あの……もし嫌じゃなければもう一曲……あ、いや。一曲だけって約束なのにこんな聞き方ずるいですね」
「では、わたしからお願いします。リト様、お付き合いいただけますか?」
「えっ……はっ、はい。喜んで!!」
次のダンスでファミアの足が浮くことはなく、互いに小さな失敗をしながらも、笑い合って楽しい時間を過ごすことができた。
これほど気負わず楽しめた夜会は初めてだ。また夫の後輩である竜騎士の役に立てたことが誇らしくすら感じる。これまで出席した夜会は格式あるものばかりで始終緊張していたが、本来はこうして楽しむものだと気付けたし、招待した側も客人が楽しめることを何よりとしているはずだ。これまでは生まれや見た目を気にし過ぎていたかもしれないと思い至った。
「とても楽しかったです。リトさん、今日は誘ってくださってありがとうございました」
「俺の方こそ。無茶な相談にのってくれて本当に感謝しています。こんなこと言っちゃ駄目なんですけど、俺本当は――」
言いかけたリトがファミアから視線を外したので、どうしたのだろうかとファミアも彼に釣られて視線を上げる。するとすぐ側に立つ男を認めて驚きに目を見張った。
「リト、こちらの女性をお誘いしても?」
優しく穏やかな低い声は聞き慣れているはずなのに、いつもと身形が異なるせいか見知らぬ声に聞こえてしまう。
「もっ……もちろんです!」
急に背筋を伸ばして棒のようになったリトは、繋いでいたファミアの手を素早く男に差し出した。
リトの行動に男は苦笑いを浮かべたが、ファミアを譲り受けると、腰を落として手袋に包まれたファミアの指先にそっと唇を押し付ける。
「よろしければ私とも一曲踊っていただけますか?」
鋭いが、優しく安心できる黒い瞳がファミアを見つめていた。
堂々としたその姿は一身に周囲の注目を集めている。本来ならこのような場所は苦手でめったに姿を見せないが、どういう訳かファミアの目の前にいた。
リトという竜騎士が招かれた宴では、隻腕から男が誰なのか察する者も多い。
それでもここ数年の彼は熊男として有名であったために、顔を覆い隠す髭を剃り、黒髪を丁寧に撫でつけ額を晒した所作も美しい竜守りの姿に、「もしかしてあれは」「伯爵はファルムント家と繋がりがあったとは知らなかった」「粗暴だと聞いていたけれど……」などなど、不確かながらナウザーであると確信をもった驚きの声がファミアの耳にも届く。
まぁファミアにしたら、夫がどのような姿であっても見間違うはずがなく。そしてまた夫も、見た目の全てが別人となった妻でも迷いなく確信を持って手をとってくれたようだ。
「喜んで」
挨拶のために腰を落とし、奏でられる曲に合わせて足を踏み出す。
リトとは違い右腕しかない夫だが、腰に添えてくれたその手で危なげなくファミアを導いてくれた。
「うまく化けたな」
「アーリアさんのお陰です」
「そうだな。お陰で楽しめているようだ。アーリアには俺からも礼を言うよ」
ナウザーが踊りながら身をかがめてファミアの耳元で囁く。
「とても綺麗だ」
粗暴で妻を褒めるのが苦手な夫の言葉に、ファミアの背にゾクッとしたものが走った。
誰に容姿を褒められても複雑なのだが、今のファミアは憧れの姿を手に入れている。それが偽物で脱ぎ捨てたらもとに戻ってしまうとしても、ファミア自身が今夜の姿は素晴らしいと思っていたので、この賛辞はなんの劣等感も抵抗もなく受け入れられた。
「あなたも素敵です。誰かに取られたら嫌だから、側から離れられないわ」
「ならばこのまま攫ってしまおう」
「それだとリトさんに迷惑がかかってしまうわ」
今夜のファミアはあくまでもリトのパートナーなのだ。
「リトさんの側にいなかったら、わたしだと気付かなかったのでは?」
「確かに何も知らされていなければ戸惑っただろう。何しろ動きや雰囲気はそのままに、見た目だけ異なる妻が男の手をとっているんだからな」
「動きや雰囲気?」
「詰め物や色を変えても、俺にとってファミアは唯一だ。不思議に思っても目をとめる。そのまま観察すれば、お前だと気付かないなんて有り得ないな」
「あなたはわたしがどんな変装をしても分かってしまうの?」
今宵の姿はファミア自身別人にしか見えない作りをしている。だからこそ煌びやかな世界に臆せず大胆になれたし存分に楽しめた。ナウザーがファミアに気づいたのもリトと一緒にいたからだと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
「まぁ……詰め物に関しては苦い思い出があるからな」
だから本物か偽物かが動きで分かるようになったと苦笑いをした様子から、過去にナウザーがアーリアを身も心も女性であると信じて付き合ったことを思い出した。
「わたしには本物にしか見えないのだけど……」
寄せて上げて見事にできた谷間。ドレスに隠れた臀部も存在を主張して肉欲的だ。男に媚を売りたいわけではないし口説かれたいとも思わないが、辛い過去から現在に至るまで、嫉妬し憧れもした肉体美である。
「楽しそうだな」
「ええ、とても」
「お前をこれほど楽しませたのが俺ではなくリトとアーリアだってのは悔しいが、活き活きしているお前を見せてもらえたんだから、夫として感謝していると礼を言うべきだな」
「もしまたこんな機会があれば受けてもいい?」
「もちろんだ」
即答したナウザーの様にファミアは驚いた。若い男にうつつを抜かしていると心配して、許可はしてもあまりいい顔をしないと思っていたのだ。ファミアは立場が逆だったら、こうも容易く了承できる自信がない。
ダンスを終えた二人のもとにアーリアとリトが歩み寄る。
「いったいどうしたのよ、いつもの粗暴さが抜けていてびっくりしちゃった。子供が生まれて重たい愛にも余裕ができたってことかしら。出会った頃のナウザーに戻ったみたいね」
男装の麗人がナウザーの肩を気安く叩き、リトが「出会った頃?」と何気に呟く。
「リトは知らないわよね。貴族のおぼっちゃま上がりのナウザーよ。根本的には変わってないんだろうけど、あの頃はどこからどう見ても躾けの行き届いた紳士だったの。わたしなんて君って呼ばれていたのよ。それがいつの間にかつるんでたソウドと同じような口調になっちゃって、態度も粗暴一直線になっちゃったし。熊男に君呼ばわりされたら蕁麻疹出ちゃうだろうから、わたしは今のナウザーが大好き。ファミアもそうでしょ?」
笑顔で問われたファミアは迷いなく頷いた。
「初めて会った時は本当にびっくりしてしまいましたけど。見た目はどちらでも大丈夫です」
髭を剃って身奇麗なナウザーは鍛えた肉体と相まって素敵な男性だ。誰かに取られてしまうと怯えたこともあったけれど、今は彼から受ける愛情を疑ったりすることはなくなった。普段の彼も、身嗜みを整えた彼もファミアにとっては同じ大好きで大切な頼りになる夫だ。
「え? ファミアさんは粗暴な男性が好みなんじゃないんですか?」
リトが意外そうに聞くので、何故そう思われたのだろうかとファミアは首を傾げる。
「粗暴な男性が好みというわけではありませんよ。世間一般的に、粗暴といわれる男性と自分から関わろうとする女性は少ないですよね?」
「え? だって、ファミアさんはナウザーさんのこと大好きですよね?」
だからてっきり恐ろしい見た目の粗暴な男がタイプなのだと――と、リトの顔に分かりやすくでていた。
「でも、彼を知ると決してそうではないと分かるでしょう? だからリトさんも彼を大好きなのでは?」
首を傾げて問えば、リトは頬を染めて頭をかき「確かにそうです」と恥ずかしそうに俯く。
「やだファミアったら。リトはナウザーもだけど、あなたのことも大好きなのよ」
「えっ、ちょっ……アーリアさん!?」
アーリアは勝手にリトの本心を暴露したが、ファミアは『憧れるナウザーの妻だから』と受け取り、「ありがとうございます」とリトに愛らしい笑顔を披露した。




