19 二人きりの用具室で……③
問題点その1。
白鷺紡莉。
この厄介な幼馴染にまず釘を刺さなければならない。
黒宮の更正を邪魔させないように。余計な茶々は入れさせないように。
そのためには接触しなければならないという、個人的には大問題を抱えているわけだが、それは致し方ない。
致し方ないの一言で片付けるには些か無理がある気もするが、如何ともしがたい。
問題点その2。
黒宮の更正。
これはその1のほうを解消しなければただの杞憂で終わってしまう。
つまり目下の問題はその1に絞られる。
つまりはこうだ。
打倒、白鷺紡莉!
「打倒とは気前が良いわね。なに? あたしと勝負でもするの?」
突然の声に俺は我に返った。
ここは木工用具室前。
俺は書類を提出した翌日。黒宮を誘う前に白鷺と接触するためにここへ足を運んだのだ。
まずは講師から所在でも伺おうかと思ったのだが、予想以上に早い段階で彼女と遭遇した。
遭遇して、しまった。
相も変わらず空気が読めないというか、空気を察してもらえないというか……。
「どうしてそんなに筆舌に尽くしがたい珍妙な面持ちなのかは置いておくとして」
白鷺はそんなふうに前置いた。捨て置いてもらうならいっそ放置してもらえませんでしょうか。そうですか無理ですね分かってました。
「……なにか言いたいことがあるなら話くらい聞くよ? ほら、あたしと白里くんの仲だし♪」
そんな友好的な言い回しで、まるで往年の友達みたいな表情で近づく白鷺。
俺は思わずたじろいだ。
俺にはできない考え方だ。俺には彼女を往年の友達のように、フレンドリーに対話するなんてことはできない。
どうしても嫌悪感が先につく。
彼女の何が気に入らないというわけでもない。
ただ、そこにいるというだけで、俺の皮膚はざわつくのだ。……まぁ、言っといて人としてだいぶ不味い発言なのは理解しているが……。
「……ひっどいなぁ~。あたし、なんか嫌われるようなことしたっけ? そんな剣呑な顔しないでよ、傷つくでしょ? ……あたしたち、」
白鷺がにゅっと顔を近づける。その細い首筋が眼前に迫る。
女子の匂いがそこはかとなく漂う。
その存在の全てが、俺の胸を締め付ける。
俺の顔を苦痛に歪める。
どうして? どうしてこの女は平然としている?
何も知らない。そうであったならいいのに。
だが、彼女は知っている。知らないわけがない。
だから彼女はこう、続ける。
「……半分は同じ血が流れてるのにさ」
にんまりと、笑みをこぼす。
さらりと、ポニーテイルが揺れている。
同い年の異母姉は恐怖に竦んだ俺を見上げる。
その顔を堪能するように俺を凝視すると、彼女は後ろ手に手を組んで距離を取る。
ダンスのような軽やかさで、ボクシングのようなヒットアンドアウェイ。
「前みたいに仲良くしよ? あたしのこと、好きって言ってくれたじゃん?」
それは小学生の頃の話だ。
何も知らなかったあの頃。自分に姉弟がいるなんて知らなかったあの頃。
息が詰まった。
あの頃に戻れるなら、全てをやり直せただろうか。
何も知らないまま、赤の他人でいられただろうか。
「も~~~う、あたしばっかり喋ってるよっ。 ね、し・ろ・さ・と……くんっ!」
そう言って肩を叩かれた。
びくんと身体が震えてしまう。
思わず顔を上げた先では、白鷺が残念そうに溜息を吐いていた。
期待以下だとでも言うように。
見限るように。諦めるように。
でも、俺は……。
声も出なかった。
「……そっか。もう、やり直せないんだ……」
先程までの楽しげな声とは打って変わって、呟かれたその言葉は空虚に響いた。
意味は分からない。意図するところも分からない。
ただ、何かの糸が切れたんだなということは、俺にもなんとなく分かった。
白鷺が何かを諦め、振り返ったところでもう一人のやってきた人物に目が合った。
意外そうな声で視線がぶつかる。
「……白里くん……?」
「……黒宮さん? ……どして?」
知り合い、……なんだろうか。
あの黒宮に知り合いがいるのは意外と言えば意外だ。
黒宮は俺に駆け寄ると、俺の顔色を窺っていた。
なんで心配そうな顔してるんだ?
どうして、俺の手を握る?
しかし、なんか温かいなこいつの手……。
「……おかしいわね。さっきまで捨てられた子犬みたいなオーラを放っていたはずなのに……」
「……まさかそんな朧気な気配を辿ってここまで来たわけじゃあるまいな……」
というか、こいつが来るだけで空気感がだいぶ変わるな。
さっきまで、俺すごいシリアスな空気作ってたはずなのに……。
おかしいな。声、出なくなってたはずなのに……。
「……ふぅ~ん、そういうこと……」
白鷺はそんな俺たちをひとりごちながら見つめている。
なんだよ、まだやる気か?
俺が敵愾心を抱いて見返すと、白鷺は悪戯を思いついたような小悪魔の顔をした。
やめろよ、なんか怖いぞ……。
「ねぇ、黒宮さん。一緒にバイトやらない?」
黒宮はキョトンと、首を傾げていた。
――
落ち着けるところに行こっか、という白鷺に連れられて俺たちは技術棟の食堂へ向かっていた。
勝手知ったるなんとやらということか、この辺りの設備に詳しい理系女子らしくすたすたと前を歩いて行く。
俺はというとそれについていくだけの金魚の糞状態だ。
歩いている生徒たちも私服よりは作業着っぽい人たちが多くてどことなく別世界感を抱いてしまう。
何でもできる多様化と言えば聞こえは良いが、手を広げすぎて収拾付かなくなってるんじゃあるまいな。
文系理系芸術の三分野揃ってる大学ってそうそうないような気もするんだけど……。
「……ねぇ、白里くん」
「どうした黒宮」
黒宮は何故か俺の手に触れたいらしくわちゃわちゃと手を動かしている。
恋人でもないのに何様なんだろうかこいつは……?
俺はフェイントを入れて黒宮の手を躱しながら何とはなしに黒宮の顔を窺う。
……なんだかむすっとしていらっしゃる。
「……あの女とはどういう関係?」
「恋人気取りか」
「……正直に答えて。人の生き死にが関わるわよ」
「殺すな殺すな」
どうどうと暴れ馬を制する俺。
しかし、黒宮はふいっと首を振った。
「安心して、死ぬ時は二人一緒よ」
「心中かよ。っていうか殺すのは俺かよ」
「勿論皆殺しよ。あの女は近代芸術のオブジェのようになって死んで貰うわ。幸い、その手の道具には事欠かない場所だし」
クーデレどころかヤンデレだった。
というか近代芸術家の皆様、うちの友人がなんだかごめんなさい。
俺はというと、ひとつ溜息を吐いてツッコミを諦めた。
「……ただの幼馴染みだよ。正直な話、あんまり逢いたくもなかった」
「…………そう。つまり、一度コクったことがあるということかしら?」
「……ノーコメント」
俺がそう返すと、黒宮はキッと俺の目を鋭く睨んだ。
「ミステリアスな女は男を引き寄せるけど、秘密の多い男に女はなびかないものよ」
「それは誰のセリフだ?」
「黒宮家家訓のひとつよ」
「……一体何を学べというのか……」
ホントかどうかは知らないが、もし本当にそんなものが残されているのなら、黒宮家は詩人の一族だな。
しかもわりと的を射ているのが少しムカつく。
とはいえ、洗いざらい話す必要はないし、話したくもない。よって、やっぱりノーコメントだ。
……なんて話していたら、目的地に着いたらしい。
白鷺がお~い、なんて言いながら手を振っている。しかもわりとあざとい仕草で。
こいつはこいつで俺の心を違う方向から抉りに来るな。
ひょっとしてこれは、針のむしろ? 四面楚歌?
……なんだか胃がきりきりと痛んできましたぞ……!
上手く書けなくて全部書き直そうかとも思ったんですが、たぶんそうしたら所謂エタる感じになりそうだったのでそのままにしました。
下ネタさんがログアウトしっぱなしでつらたん……。