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16 テーブルに隠れて……③

 父親。

 その言葉から、普通はどういうイメージが連想されるだろうか。

 頼れる大人? 頼りない大人?

 いずれにせよ、もっとも身近な大人であることは間違いないだろう。


 だけど、俺にとってはどうだろう?

 毎日寝食を共にするわけでもなく、数日おきにときたま帰ってくるような、家族と呼ぶには空虚で曖昧な存在をどうやって呼称すればいいのだろうか。


 最初から燻っていたわだかまりは、母親の病気と一緒にある程度は消えた。……より明確に表現するなら見えなくなった、といったところだろうか。

 なくなったわけではなく、気にしなくなった。……もしくは気にしないように心がけるようになった、というべきだろうか。

 それでもどこかもやもやとした何かが、燻っている。パソコンに溜まった削除しきれないキャッシュファイルみたいに少しずつ堆積している。

 けれども、それは特別気にならない。気にしなくても良い。

 だから、表面化することもない。表立って出てくることもない。

 ただ、黙殺されるだけだ。それだけのささやかな感情。


 だけど、次第に分かってくることがある。知ってしまうことがある。

 大人になるにつれて、家族の実体が明らかになってくる。

 不明瞭だった何かが、突然明確に見えてしまうときがある。

 ともすれば、モザイク処理がズレてしまったときのような。

 ベールがズレて中身が垣間見えてしまうような。


 そういうのが積もり積もって、わずかな一歩を踏み出せなくなる。

 近くにあるって思っていたものが、突然遠くにあるような気になる。

 僅か1メートルの距離感が、まるで強力な隔壁にでも閉ざされているような錯覚に陥る。


 いつからだろう。こんな距離感を感じるようになったのは。

 いつからだろう。愛想笑いでごまかすようになったのは。


「……だいじょうぶか?」


 気づけばナイスミドルがこちらを窺っていた。

 俺は笑って、靄を呑み込んでいつもの対応をする。


「いや、なんでもないんだ……」


 そんなふうに、当たり前の回答を選ぶ。

 そして、そんな選択を選んだ自分に何故か苛ついていた。


 ピコン。

 再度スマホが鳴る。


『はよせな』


 うるせえな。いらんお世話だ。

 俺は頭をガリガリと掻いて、気を紛らわす。


 ここには、謝罪するために来ている。

 母さんとの婚約指輪を捨てたことを謝るために。


 金額的な弁償はかなりキツイ。

 けど、それだけならバイト代でなんとか払えるかもしれない。金額次第だが、不可能ではないだろう。

 だが、母さんの体調だけはどうにもならない。今更何をしたところで、個人の力では何もできない。


 償いなど、できようはずもないんだ。


 だから、俺は二の足を踏む。

 いや。

 そういう理由を言い訳にして、謝らない理由を求めているだけだ。

 俺は、恐れているだけだ。父親に拒絶されることを。……それはきっと、拙い繋がりでも家族だから、その縁を切りたくないのだろう。


 じゃあ、俺はこの人に好かれたかったのか?

 どうなんだ? 分からない。

 分かるのはふたつ。

 謝りたい俺がいて、付き添ってくれる変態がいる。

 それだけだ。


 ぎゅっ。

 膝に置いた手を、黒宮が握っていた。

 あったかい。

 ……震えが、引いた。


「あの……さ……。……あんたに、謝りたいことがあるんだ……」


 声が、上手く出ない。

 言葉の発し方を忘れたみたいに、喉が重たい。

 正しいニホン語も分からん。でも、ここまで来たら止まる訳にもいかない。


 父親のほうは真摯な様子で、聞いてくれているようだった。

 とはいえ、自分のことで精一杯で様子はあまり窺えないが……。


「俺なんだ」


 何故か急に涙がこぼれた。

 情けない。弱々しい。恥ずかしい。愚かしい。

 同情でも誘ってんのかよ、俺は。

 けど、声を出そうとすると、嗚咽が漏れそうになる。

 呼吸を整えないと、見苦しいことになりそうだった。……まぁ既に相当見苦しい気もするが。


「……母さんの指輪、捨てたんだ……」


 文脈とかもうどうでも良い。

 とにかく思いつくままに、俺は口にした。


「俺は……あんたを……ッ」


 ボロボロと、涙がこぼれた。

 昔から変わっちゃいないな。

 泣きやすくて、惨めだ。

 俺は、情けない男だった。

 女の子に付き添って貰わないと、謝罪ひとつ出来もしない。

 これはそんな恥ずかしい男のお話だった。


――


 父親は最後に「母さんにはまだ何も言わないでおくよ。……それと、メールの子にはよろしく言っておいてくれ」とだけ残して、伝票を持っていってしまった。

 感想らしい感想もなく、返事らしい返事もない。

 要は直接母さんに謝れよ、という意味らしい。

 最後の最後まで女の子に気を払うのはさすがイケメンと言うべきか。


 テーブルの下から出てきた黒宮が向かいの席からおしぼりを差し出す。

 俺は一通り顔を拭いてから、紙ナプキンを取った。

 鼻をかもうと息を吸い込んだところで、タイミング良くポケットティッシュを差し出してきた黒宮。

 俺は奪い取るようにして鼻をかんで、そのままうずもれた。


「……どう? スッキリした?」


 それはおしぼりとティッシュのことだろうか。

 それとも謝ったことにだろうか。

 良く分からんが、瞬間妙なテンションになったのは確かだった。

 俺はそこでしこたま料理を注文し、黒宮の分も全て奢ってやった。

 感想といえば、そうだな……。デミグラスソースドリアが最高に美味かったということと、カニクリームコロッケをちまちま食べる黒宮が、妙に可愛らしかったといったところか。

 まぁ、可愛い云々は言うと後がメンドクサイので、コイツには内緒だが。


 以来、俺はスマホで時折黒宮とメッセージの遣り取りをするようになった。

 普段持て余してたスマホの用途が、ようやくひとつ増えたというわけだな。


 そうして――

 日付は大学の学園祭が行われる10月まで駆け抜けるように進んでいった。

どうにか起承転結のうち承までが終わりました。

文字数は大したことないけど執筆期間はエライことになってきてます。

作中の季節も、初夏頃から始まった物語も次回から初秋です。

恋の果実も実るんでしょうか。……こればっかりは作者的にも謎ですね。

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