二十四〜二十五 時忘れる景色 至忠たる不忠
――二十四周目――
前周の巴との邂逅の記憶は、源義経にとっては事の推移として残っているのみで、梶原景時にいたっては何も残っていない。
だが、一ノ谷にて同行する畠山重忠の、やや舌足らずな説明によって、どうにか二人に伝え直すことに成功する。そして、景時が、すでに記憶にはない、自らの書き置きを再度文字に起こす。
ともすればやや冷めた物の見方として、坂東武者には敬遠されがちなその特質が、このときは強い輝きを放つ。梶原景時を最もよく知るは、梶原景時自身。そのぶれない自己認識が、重忠の説明の不足部分を完璧な形で補完する。
「梶原殿、お見事なお手前です。かような力こそ、乱世が治りし後には、間違いなく頼りになるのでしょう」
「畠山殿こそ、かような実直さが讃えられぬ世では、いつまたこのような、忌まわしき呪いが生み出されるか、分かったものではありません」
このような性格のまったく異なる二人が、互いを理解し合える時が、再び訪れると良いのだが、と、九郎義経は切に願う。
そして、三人それぞれが見直して、その意図を些細に確認し終える。壇ノ浦までは、特に義経が事故で命を落とす危惧があったため、三人それぞれが記録を確保する。そして、一ノ谷から壇ノ浦にかけて、義経の殆うさに景時が何度も肝を冷やすが、無事勝ちを収める。
――――
京にもどり、重忠、景時は諸将と共に鎌倉へと帰還する。義経は京に残るが、後白河法皇の警戒を解くため、一つの策を試す。
「見事な腕であるの九郎義経。そなたには伊予守を授ける」
「ありがたき幸せ」
そう、史実と同じく、この官位は鎌倉において物議を醸す選択肢である。義経の現職であり、京の治安を守る位である検非違使の返上は、任地を得たものとして本来は必須である。その知識不足をほくそ笑む法皇、前回以上に舌が軽くなる。
兄や義姉の様子や、景時への失望を口にすると、さらに語りを重ねる。
「其方も気をつけるがよい。あの陣営、今や着実に点を伸ばし始めておるゆえの。置いていかれると、いつか切り捨てられるやもしれんぞ」
「ご忠告、痛み入ります」
「かの平家とて、一度見込みなしとみるや、随分早かったからの。かの『平家にあらずんば人にあらず』などと称し、要らぬ諍いを招いた者など、早々に切り捨てられておった」
「……」
話があちこちに飛ぶが、その全てが、義経にとって、源氏にとって有益なものであることに、義経は気づいている。そして本来なら気づくはずの後白河法皇、上機嫌ゆえになかなか気づかない。
「それに、声望高く、朕とも近しかった重盛が、父と朕との間で心を病みがちとみるや、少しずつ数を増やしつつあった源氏や地方武士たちを警戒し、弟たちに特典を移譲するかのような動きをしておったわ」
「平氏とは、それほどまでに業の深き一族でしたか……重盛という方のお人柄は、この若輩たる九郎とて聞き及んでおり申す」
「くくくっ。左様か。源氏も、頭領の頼朝を軸に粘っておったが、手駒不足は否めなかったの。我が薫陶を受けて、日和見を続けていた秀衡により、大打撃は受けることなく保つことができてあったようじゃが」
「っ! ……」
頼朝が呪いに囚われたのが早かったこと。そして、父がわりとして慕っていた藤原秀衡が、後白河法皇の手が回っていること。二つ同時に聞かされることとなった、衝撃の事実。義経は顔を下げていたことが幸いし、御簾の向こうの法皇に、悟られずに済んだことに安堵する。
「ほ、法皇様、この九郎、いささか戦帰りで疲れが溜まってきておるようで、お話が入ってき難くなってまいりました。そろそろ、ご辞去いたしとう存じます」
「左様か。そなたとの話は心躍るゆえ、いつでもまた参るがよい」
焦りを見せぬよう去る義経。しかし、その姿を見た法皇は、もしかしたら話しすぎたかも知れないと、人狼として先手をうつ。だが今回は、義経、そして梶原景時も人狼であったため、直接手を下すのは叶わない。
そこでまず、宗盛と義経の接触を避けるため、宗盛の刑を早めさせる。そして、どこで接触するかわからない巴の命を奪う。同時に、秀衡が共者として命を落とす。
――刑者 平宗盛――
――死者 巴――
――死者 藤原秀衡――
その間、密かに京を抜けた義経は、宗盛や巴との対話がならなかったことで、法皇が何らかの手を打っていることに勘づく。そして、鎌倉に戻れば法皇の警戒が強まると考え、あえて戻らずに奥州平泉に落ち延びる。自らの鎧と刀を、目立つように中尊寺金色堂に納めると、法皇の息のかかった泰衡に討たれる。
――刑者 源義経――
そして、今一人の人狼として自ら平泉に攻め上り、泰衡を討ち果たす梶原景時。
――死者 藤原泰衡――
「むっ、この鎧兜と刀は、九郎様のだな。
なにゆえこのような目立つところに。なにかありそうであるから、鎌倉に持ち帰り、御台様の許しを得てあらためると致そう」
そして程なくして法皇がその定命を終える。
――死者 平宗盛――
――刑者 後白河法皇――
ここで、鎧の違和感に気づいていた景時と、詳細を共有する畠山重忠。何かしら義経が残していたことに思い至っていた。しかしすで主君の頼朝が、呪いに深く取り込まれていることを危惧すると、景時は武士らしからぬ暴挙に出る。
「畠山殿、これより私がなす大逆、許せとは申さぬ。なれどご理解なされることを願う」
「九郎様が残された置き書きかなにか。その中身をいまの鎌倉殿に知られると、のちのちの回まで厄介なこととなるかもしれぬ。そう思いなのだな。
……よもや、大逆とは、そのために主を討つとおおせか?」
「……」
「……それは紛れもなき大逆。なれど、この呪いの輪廻を抜け出さんため、そして先々の源氏の世への礎を築くため。それは承知せざるを得ぬ。しかし……」
「それにおそらく、この回、もしくはこの次の回が、我が輪廻の終いではないかと考えておるのだ」
「!!」
「無論、次回も覚えなきゆえ、何を為すかもわからぬ。なによりも、われらが今回の周回のごとき怪しげな動きをなしておれば、かの者が遠からず勘づくのではないか、と危惧しておるのよ」
「た、確かにそうだが……」
「ゆえに次の周は、そなたから私への伝達は無用。今回のうちに、御台様、そして北条義時殿。このお二人に、我らの知り得たこと、そしてその九郎様の残されたこと。その二つをしかと伝えるのだ」
景時は、記憶なきにも関わらず、おおよそ今の源氏の状況を把握している。深く呪いに囚われて慎重に慎重をかさねる頼朝に対し、政子はやや柔軟な考えを持っているように見えた。そして、さほど点の高くない義時は、生来の冷静さで、政子の行き過ぎを確実に抑えられると考えている。
ちなみに和田義盛は変わらずの坂東武者ぶり、三浦義村はやや頼朝寄りの囚われ方であるため、ともに頼れる状況ではなかった。
「あいわかった。しかし梶原殿、そなたは……」
「いや何、たとえ呪いに囚われ、抜けること能わずとも、そなたらがこの世を先に進め、どうにかして解き放つことができれば、我が名とてそれなりのものとして残し得よう。心配はいらぬ」
「……」
「ではな。しかと伝えるのだぞ!」
そして、景時は、もっとも敬う主を、落馬に見せかけて弑するという大逆をなしたのち、誰とも会うことなく待ち続ける。
政子や義時は、重忠から二つの文を受け取ると、その事実の大きさにしばし衝撃を受ける。だが、それが間違いなく事実であると確信できるような、義経の鋭敏さ、木曽義仲の経験とそれを受け継ぐ巴、重忠の純粋さ。そしてなにより、梶原景時の機知と、真の忠義。
それを知った二人は直ちに、頼朝への対応と、対法皇の施策を練り始める。しかし当然のことながら、景時が呪いから抜け出ること叶わなくなる未来を、決して許さぬ決意も秘めていた。
――刑者 梶原景時――
勝者 北条政子 北条義時 畠山重忠 和田義盛 三浦義村
――二十五回――
梶原景時、再び前回の記憶を持たぬまま挑む。義経も今回は、最低限の事実しか持っていなかった。そして畠山重忠、そして北条義時は、周囲さまざまなところで後白河法皇の手の者の動きを感じ取り、彼ら二人に何かを伝えることが出来ずにいた。
一の谷の後。
「九郎様、かような危険な策を、大将自ら行うとは何事か! 鎌倉殿に万が一があったときは、あなた様が源氏を率いることになるのですぞ!」
「やかましいわ景時! こうでもせねば、将兵に要らぬ犠牲が出るのがわからんのか!」
屋島の前。
「逆櫓が要らぬと? 何を仰せか!」
「そんなものはいらぬ! 兵に引く気をもたせば勝てるものも勝てぬわ!」
壇ノ浦の開戦直後。
「漕ぎ手を射よ!」
「何をなさる! 武士の風上にもおけませぬ! 部門の頭領としての節度をお持ちくだされ!」
「節度で戦に勝てるか! 敵はかの平家ぞ! 一片の油断もならぬのだ!」
この二人。ともに記憶がなかったらこうもぶつかり合うのか、と、重忠や義時ら諸将は、見守るしかない状況を嘆きながら、時がいたずらに過ぎゆく。
そして、最大の無茶となる八艘飛びののち、勝利を収めたものの、景時はある決意をする。この様な無謀と無節操に、源氏宗家を任せてはおけぬと。そして景時は、その賢さを持って、義経を罠に嵌めてしまう。
重忠と義時が鎌倉へと帰った後、義経にこう唆す。
「此度、院宣により任官がありましょうが、京に残るのであれば、検非違使を返上する必要はございません。お受けしたのち、院を煩わせることなく、直ちにご辞去なされませ」
「そうなのか。政のならいに詳しい、そなたの申すことなら間違いはあるまい」
そしてその通りにした結果、鎌倉にいる頼朝の不興と、後白河法皇の不満の両方を受けることとなり、義経は京を去らざるを得なくなる。そして宗盛を護送しつつ鎌倉に戻ろうとするも、宗盛の処断を命ぜられた上、鎌倉に立ち入ることは叶わなかった。
――刑者 平宗盛――
――死者 藤原秀衡――
そして義経追討の院宣が下される。
平泉に逃れるも、頼りの秀衡はすでになく、子の泰衡は、人狼の義経を討つべく動き、多勢に無勢のまま命を落とす。そして同じく人狼の頼朝、みずから泰衡を打ち滅ぼす。
――刑者 源義経――
――死者 藤原泰衡――
そして程なくして後白河法皇が病に倒れると、ここで人狼の頼朝までも、此度はまことの落馬事故により、命を落とす。
――刑者 後白河法皇――
――死者 源頼朝――
ほどなくして梶原景時は、政子、義時、重忠に呼び出され、自らと、義経の残した書を見せられる。
「なんと、かようなことが……九郎様、誠になんと詫びたら良いものか……」
「それには及びません。九郎殿とて、まだ命数は尽きておられぬはず。次の周回でまた共にあればよろしいのです」
「否。御台様。これ以上、私や九郎様が院の予想を超えたことを致すのは、あまりに殆うきことにございます。もはや、事ここに至っては、私はこの呪いと共に名数を捨てるしかございますまい」
「何を言いますか! 院など放っておいてもいずれ定命が尽きるのみ。恐れるにはたりません」
「さにあらず。そうして平氏は、かの毒牙にかかり、少しずつ少しずつ、その力を削られて行ったのです。院と雌雄を決するのは、ただ一度の機のみと存じます。それまでは一度たりとも、かの者に余計な勘ぐりを与えてはなりません」
「なれど……」
「左様ですね。院のおおせが正しければ、私とてこの呪いにおいては異物。さすれば下手に繕った名誉すらも、かの怪人にとっては憂慮の対象」
ここで、たまらず畠山重忠が遮る。
「な、なにを……命ばかりか名までも捨てるか梶原殿! 武士として、それだけは許せませぬぞ!」
「否! ここで無様に散れば散るほど、かの怪人の油断を誘い、最後には皆々様が、この呪いから逃れ出ることが叶うのです。願わくは、皆様が少しでも早く、この輪廻の呪いを断ち切らんことを」
「ま、待て梶原殿!!」
「待ちなさい!!」
そして梶原景時、さきの鎌倉殿たる頼朝の信を盾に、その権勢を確かなものにせんと、畠山重忠、和田義盛、三浦義村らを鎌倉から遠ざけんと、跡取りの頼家に対してあることないこと様々な誹謗中傷を繰り返す。そして言い返されれば支離滅裂な暴論で返すなど、もとの理知がどこへ行ったと噂されるようになる。
最後は鎌倉武士六十六人の連判を受け、重忠らも苦渋の決断により、まさに鎌倉武士らしからぬ、誰よりも無様な散り方をする。
――刑者 梶原景時――
勝者 北条政子 北条義時 畠山重忠 和田義盛 巴(三浦義村は狂人)
そして次の周回以降、後白河法皇が、その名を目に留めることはなかった。
お読みいただきありがとうございます。
忠義と未来のために、命ばかりか名誉すらも捨てる景時、誰も止めることは出来ませんでした。