【90】ポイント・テネレ
ポイント・テネレ――。
旧ニジェール共和国の中央部の砂漠地帯に位置する、北緯17度・東経10度の場所に対する俗称。
ここにはかつて"テネレの木"と呼ばれる世界で最も孤立したアカシアの木が生えており、サハラ砂漠を通過するキャラバン隊が道標にしていたという伝説が残されている。
現代では失われた木の代わりにモニュメントが建てられ、キャラバン自体も先進国から輸入した中古トラックに取って代わられてしまったが、逆に言えば世界から取り残されたこの地は密会に最適な場所でもあった。
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「ようこそ、オリエント国防海軍第13独立艦隊旗艦アドミラル・エイトケンへ。艦長のメルト・ベックスです」
ポイント・テネレの砂漠の海に投錨したアドミラル・エイトケンのブリッジでメルトは一人の来訪者を歓迎する。
「スターライガ非公開株式民間軍事会社の母艦スカーレット・ワルキューレの艦長を務めるミッコ・サロよ」
彼女から差し出された右手を握り返し、握手を交わしているのはミッコだった。
「本日は最高経営責任者代行ライガ・ダーステイの代理として参りました」
この仕事は本来ならば最高経営責任者代行――すなわち組織の"リーダー"たるライガがやるべきことだが、多忙な彼は自分の代わりにミッコ艦長を寄越していた。
これは単純に母艦の最高責任者だからという理由の他、オリエント国防海軍出身のミッコが有益な情報を引き出してくれることに期待していたからだ。
「あの……ダーステイ代表は別の御用件が?」
「ええ、彼は次の作戦に向けた準備に取り組んでいるわ。我々スターライガチームにとっては最も重要な戦いになるはずよ」
ライガが来れない理由をメルトに尋ねられると、ミッコは一番肝心な部分を意図的に伏せるような答えを返す。
「前の戦争で大破着底した後、サルベージされて戦線復帰したという噂は聞いていたけど……また良い艦になったみたいね」
この話題に深入りされることを避けるべく、わざとらしくブリッジのコンソールパネルに視線を移すミッコ。
「ありがとうございます。貴女方のスカーレット・ワルキューレも……艦首の形状が変更されたようで」
一方、それを察知したメルトはコンソールパネルを遮るように動きつつ、窓の外に見えている超弩級航空戦艦を観察する。
先の戦闘の時は気付かなかったが、スカーレット・ワルキューレはルナサリアン戦争終結後に更なる近代化改修を受けていたらしい。
「今は実運用を通して従来型との比較テストを続けているの。結果次第ではあのタイプがスタンダードになるかもしれないわね」
上側よりも下側が前方に突き出る、所謂"ズムウォルト式"の独特な新型艦首は隠しようが無いと判断したのか、その点についてミッコはカモフラージュすること無く事実を伝える。
「はい、これが今回搬入予定の補給物資のリストよ。後で確認して頂けると助かるわ」
ともかく、アドミラル・エイトケンの現状についてはそれなりに情報を得ることができた。
自分たちの母艦に向けられている注目を逸らすため、ミッコはメルトに声を掛けながら必要書類が収められた封筒を半ば強引に押し付けるのだった。
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アドミラル・エイトケンへの物資搬入が進められていたのと同じ頃、スカーレット・ワルキューレもまた先の戦闘で使用された兵装や艦内設備のメンテナンス作業に追われていた。
当然、艦載機であるMFも一度戦闘に参加したら最低限の整備は必要だ。
「――前の戦闘での消耗は想定を僅かに超えていたので、念のため重整備を行います」
「ええ、任せるわ。何か変更点があったらまた伝えてちょうだい」
分解整備中のクリムゾンとビリジアンの可変型MF――トリアキスFの前でヒナは担当チーフエンジニアと話し込んでいた。
どうやら、具体的な整備内容についてすり合わせを行っているらしい。
「おい、ヒナ!」
「サニーズさん? 後ろの方々はもしかして……?」
そこを通り掛かったサニーズから珍しく声を掛けられたヒナは、彼女がオリエント国防空軍の夏制服を着た6人の客人に連れていることに気付く。
「貴様に会いたい奴がいるんだとさ」
「あの……先日の戦闘で貴女に援護して頂いた者ですわ」
サニーズに促され前に出てきたのはブロンドヘアとマゼンタ色の瞳の組み合わせが高貴さを感じさせる、如何にも育ちの良いお嬢様といった感じの女性士官。
筆頭貴族かそれに近い分家の一族の出と見て間違い無い。
「! メカニカルトラブルか何かで不調だったあの娘? こうして顔を合わせるのは初めてね、ローゼル・デュランさん」
この人物――ローゼルのことをヒナは普通に知っていた。
所属部隊のブフェーラ隊がオリエント国防空軍で最も有名なエース部隊の一つというのもあるが、そもそもローゼル自身が筆頭貴族アリアンロッド家に近しい人間ということで、オリエント連邦ではその時点で既に有名人みたいなものだからだ。
「有名人じゃないか。スターライガチームのドライバーに名前を知られているとは」
頭の上に!マークを浮かべている妹分の肩を叩きながら笑うセシル。
ちなみに、ローゼルの一族の本家にあたるアリアンロッド家はセシルの実家である。
「(ヒナ・リントヴルム――かつてアグレッサー部隊に所属していた実力者だ。カリーヌ姉さんはこの人の知り合いだったらしいが……)」
一方、セシルもまた上官にして次期当主候補の実姉カリーヌからヒナという人物のことは聞かされていた。
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「それにしても部下の教育がよく行き届いている。エースに必要なモノが操縦技術ばかりではないことを理解しているようだな」
ヒナとブフェーラ隊の面々による会話が弾む中、手持ち無沙汰になったサニーズは2個MF部隊を日頃から統率できているセシルに対し称賛の言葉を送る。
部隊全体の戦闘能力の高さは当然として、部外者から見ても分かる勤務態度の良さこそ単なるエース部隊を超えた国民的英雄とされる理由の一つだろう。
無論、筆頭貴族出身の令嬢が率いている点がプロパガンダ的に非常に便利という事実も否めないが……。
「いえ、まだまだであります……私は貴女を尊敬し、少しでも近付けるように努力している最中でありますから」
セシルにとってサニーズは歴史上の人物と呼べるほど年齢が遠く離れた存在だが、彼女はオリエント国防空軍では珍しく"妖精騎士"を目標にしていること公言していた。
操縦技術、軍務に対する勤勉さ、立ち振る舞い――そして人間性。
その憧れの感情はMF搭乗時に着用しているヘルメットのデザインパターンにも表れている。
「ようこそ! ウチは秘密主義なんで見せられる物は多くないが、楽しめているかい?」
しかし、オリエント国防空軍軍人の大半が尊敬する人物として挙げるのはライガの方であった。
多忙なスケジュールの合間を縫って格納庫を訪れた彼はセシルたちを見つけるなり歩み寄ると、穏やかな表情を浮かべながら色白な右手を差し出す。
「ええ、貴重な経験をさせて頂きありがとうございます」
個人的に目標としているのはサニーズとはいえ、オリエント国防空軍初の男性エースドライバーたるライガもまた敬意を示すべき人物の一人だ。
差し出された右手を力強く握り返すセシル。
「……あのティルトローター機は?」
握手を終えたセシルは格納庫内で整備中のティルトローター機――少なくともアメリカ製のV-22ではない機種について尋ねる。
「大気圏内での連絡機だ。近々使う予定ができたんで、それに向けて整備を進めさせている」
彼女の質問に対しライガは本質的な部分を濁した答えを返す。
本来は友軍と呼ぶべきオリエント国防軍関係者にも知られたくない事情があるのだろう。
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「本当は俺が君たちを案内するべきなんだろうが……こっちもスケジュールが立て込んでいて難しいのさ」
おそらく自身が乗るであろうティルトローター機の整備を見守りながら肩を竦めるライガ。
「……金髪ボブカットのお嬢さん!」
ふと彼は格納庫内の日常風景――分解整備中のMFの内部など細かい所を覗こうとしているブフェーラ隊の隊員に気付き、そのスパイ的な行為を窘めるようにわざとらしく声を掛ける。
「ッ、私ですか?」
「好奇心旺盛なのは良いことだが……ちょっと困るんだよね、そうやってジロジロと見られたら」
急に呼び止められ驚き気味のヴァイルをライガは直接咎めるつもりは無い。
ただ……少しばかり気になっただけであった。
【ティルトローター機】
ローター(プロペラ)を垂直-水平間で傾ける機構を持つ航空機のこと。
アメリカ製の"V-22 オスプレイ"が代表的な機体であり、ヘリコプターよりも優れた飛行速度と垂直離着陸能力を両立していることが特徴。
ちなみに、航空法ではMFと同じく"パワード・リフト"と呼ばれる分類の一種とされており、普通の飛行機やヘリコプターとは操縦資格などが異なっている。




