【89】葬送
ダカール市内の港湾施設に入港し、十数時間ぶりに戦闘態勢を解かれたアドミラル・エイトケンの艦内は穏やかな雰囲気を取り戻していた。
軍艦らしく機能的なインテリアでまとめられた食堂には休憩中や非番の乗組員たちが集まり、談笑や食事を楽しんでいる。
「――ったく、艦を降りて羽を伸ばせると思ったらツイてねえな」
「仕方が無いでしょう。あなたたちはもちろん、この艦や僚艦の乗組員を危険に晒すことはできないわ」
右足に包帯を巻いているアヤネルが地上で休息できないことを愚痴っていると、彼女の肩をたまたま通りかかった短距離戦術打撃群参謀カリーヌ少将がポンっと叩く。
じつは戦闘終了後ダカール市内に進駐したNATO軍と現地住民の間で衝突が発生し、安全のため短距離戦術打撃群艦隊は全乗組員に対し船外へ出ることを禁じていたのだ。
事実、外出禁止令が出される直前には甲板上で作業していた乗組員が狙撃されるというトラブルが起きていた。
「あ……カリーヌ姉さま!」
「楽にしてもらっていいわよ。私も本国との打ち合わせが終わって休憩するところだったから」
慌て気味に立ち上がり敬礼する妹分のローゼルをジェスチャーで制止しつつ、機密資料が収められているであろうブリーフケースをテーブルに置いてから自らも席に着く。
「飲み物を取ってくる。コーヒーでいいか?」
「ん、クリーマー入りでお願い」
一方、着席せず二人分の飲み物を取りに行くと言い出した実妹セシルに対しては、気兼ね無くコーヒーとそれに加えるためのミルクを所望するのだった。
◆
「少将……今後の作戦行動の予定などは決まったのですか?」
軍事機密ということで適当に往なされるのは承知の上でリリスは尋ねる。
「ええ、メルト艦長とはこれから協議するのだけど……おそらく、中東に向かうことになるでしょう」
ところが、意外にもカリーヌはブリーフケースこそ開けなかったが大まかな方針については答えてくれた。
短距離戦術打撃群艦隊は中東諸国に向けて針路を取るようだ。
「中東――場所にもよりますが、それなりの長旅になりますね」
「領空を直接抜けることはできないわよ。あの辺りの国とオリエント連邦は色々と……ねえ」
それを聞いたヴァイルとスレイは少しだけ険しい表情を浮かべる。
後者が指摘している通り、彼女らの母国オリエント連邦と中東諸国――例えばサウジアラビアは正式な国交を結んでおらず、それどころかオリエント連邦側からは中東諸国の国々を国家承認さえしていない。
その理由はかなりセンシティブでデリケートな話題になるのだが……結局のところ、両国の主要産業である石油開発の競争や"文化や価値観の不一致"に起因する嫌悪感が大きいと云われている。
「ありがと。まあ、詳しい内容は作戦計画が固まり次第伝えるわ」
戻ってきた妹からコーヒーが入った紙コップを受け取ったカリーヌは、ミルクを加えながらこれ以上話せることは無いと伝える。
「その辺りを考えるのは上層部の背広組の仕事だ。現場の我々は最前線で最高のパフォーマンスを発揮することを考えればいい」
また、姉の隣の席に腰を下ろしたセシルも戦略決定は然るべき役職の者に任せるべきだと述べる。
「……だから、不確定要素のことはあまり詮索するな」
ホットコーヒーを啜ったセシルの視線はヴァイルに向けて忠告しているようであった。
◆
降伏勧告を受け入れたアフリカ・ルナサリアンはその日のうちに武装解除され、総司令部として利用されていたレオポール・セダール・サンゴール国際空港もNATO軍の管理下へ移行。
施設内では処分し切れなかった機密資料や機材の調査、そして高級将校に対する尋問などが行われていた。
「――ですから、私はダカール市内で発生中の暴動に関しては何ら関与しておりません」
戦闘中に乗機を撃破され辛くも脱出したフタバもまたNATO軍に身柄を引き渡され、手錠を掛けられた状態で取り調べを受けている。
彼女は現在ダカール市内で発生している暴動について追及されていたが、自分自身でも何が起こっているのか全く把握できていなかった。
「そして、戦死したサクヅキ司令より生前に指揮権の委譲を伴う命令を受けたという事実もございません」
NATO軍の調査官は高級将校の一人たる自分のことを明らかに疑っているようなので、フタバは指揮権の委譲に関する指示は一切無かったと答える。
「我々が受けた最後の命令は『自分が戦死したら速やかに将兵たちを投降させるように』――それだけです」
彼女の隣に座っている副司令官もそれに追従するように生存者の保身を考えた受け答えに終始する。
唐突に発生した市内の暴動――一般市民の安全も気になるが、今アフリカ・ルナサリアンの高級将校たちが優先すべきは末端の将兵たちを人道的に扱わせることだった。
おそらく、サクヅキ司令はそのために自身亡き後の徹底抗戦を禁じたのだから……。
◆
元々はブリーフィングルームとして使われていた取調室の沈黙を破ったのはドアをノックする音だった。
「……入れ」
「ハッ! 失礼いたします!」
調査官が入室許可を出すと、ドアが開かれ小銃を肩に掛けた若い兵士が部屋に入ってくる。
「大佐――」
彼はルナサリア人に聞かれると不都合な情報を伝えに来たのか、調査官のすぐ近くに歩み寄ると内容が漏れないよう耳打ちで報告を行う。
その途中で何度かフタバの方をチラチラ見るのがやけに気になるが……。
「――そうか。その事実は伝えなければなるまい」
話を聞く中で何度も頷きながら沈痛な面持ちを浮かべる調査官。
「ミズ・ミヅキ、貴官には妹さんがいると聞いている」
兵士を下がらせた調査官はフタバに声を掛けると、突然彼女の妹――ミヅキ・ヨツバの存在に触れる。
「ッ……! そうですか……」
その瞬間、フタバは全てを察した。
「人道的観点に基づき最善は尽くさせたが……本当に残念だ」
そして、同情するように首を横に振っている調査官の姿はおそらく本心からの"お悔やみ"だろう。
「おい、尋問は一時中断だ。ミズ・ミヅキを妹さんに会わせてやってくれ」
「り、了解であります!」
調査官は先程下がらせた兵士を呼び戻すと、彼に対しフタバが妹と面会できるよう手配を促す。
「(ヨツバ……)」
戦闘で重傷を負った妹が集中治療室に収容された時点で覚悟はしていたが、それでもフタバは自分の予感が外れる可能性に少しでも縋り付きたい思いであった。
◆
元々は民間空港であったサンゴール空港に大量の傷病兵を収容できる病棟は存在しない。
そのため、アフリカ・ルナサリアンは医務室から近い多目的室を改装し大規模戦闘に対応可能な野戦病院としていた。
「……!」
数人の兵士たちによる監視の下、俗に"一号病棟"と呼ばれている多目的室に入ったフタバは室内の光景に驚く。
部屋の約半分がNATO軍兵士用の病床に変更され、そちら側には包帯を巻いた地球人たちが多数横たわっていたからだ。
「(そういう忌々しげな目で見られても困るのよ……)」
意識がハッキリとしている地球人兵士の何人かに度々突き刺さるような視線を向けられ、思わず目を逸らすフタバ。
反対側の病床を与えられている同胞のルナサリア人傷病兵たちを見ていた方がまだ平静を保てる。
「あ……フタバさん……」
部屋の奥側に置かれている目的のベッドの周りにはルナサリア人と地球人の軍医及び衛生兵たちが集まっていた。
顔馴染みの衛生兵の一人はフタバの姿に気付いて名前を呼ぶが、その声には全く元気が無い。
「戦闘による負傷者の増加に伴い、検傷分類(トリアージ)に基づき――いえ、すみません」
「いいのよ……あなたたち衛生兵が最善を尽くしたことは知っているから」
申し訳無さそうに項垂れる軍医を庇うようにフタバは肩に手を添える。
戦場という極限状況下で施せる医療処置には限界がある。
キャパシティを超える負傷者が発生する可能性がある戦闘中ならば尚更だ。
最前線での処置が困難な重傷や致命傷を負った場合、生存確率が高い者を優先するためにあえて切り捨てられる――その覚悟を妹は持っていたと信じたい。
「……顔だけでも見せてくれない?」
しかし、フタバ自身は顔に掛けられた白い布を捲るまで妹の死を受け入れることができなかった。
◆
「はい、顔だけであれば……」
「……」
おそらく、胸より下は損壊が酷く遺族には見せられないと判断されたのだろう。
軍医に促されたフタバは白い布をゆっくりと取り上げ、死んだように眠るヨツバの顔を見つめる。
「痛かったわね……苦しかったわね……だけど、そういう思いをもうしなくて済むのなら……」
妹が戦闘中に致命傷を負っていたこと――その時点でトリアージの判断基準では"生存の見込み無し"とされることをフタバは知っており、短い人生を労いながらも苦痛に満ちていたかもしれない最期を悔やむ。
「……私は死ぬはずだった。でも、死ねなかった」
その妹を因果地平の彼方で寂しがらせないため、フタバは自らの命を投げ捨てるつもりで最後の戦いに臨んでいた。
……だが、結果はご覧の有り様だ。
「ヨツバとサクヅキ司令は死んだ。ミツバは彼女たちや私の分まで生きてもらうために送り出した」
彼女は死んでなくてはいけなかった。
そのために次女ミツバだけでもダカールから脱出させ、後事を託したというのに……。
「……じゃあ、私はなぜここにいるの……?」
フタバの青い瞳からは無意識のうちに大粒の涙が零れ落ちていた。
【因果地平の彼方】
ルナサリア人の死生観を表しているとされる言葉。
因果地平とは"宇宙の果て"――つまり光が届かず時が進んでいるのかさえ分からない、無限に広がる虚無空間と意訳される。
ルナサリア人にとって死は始まりに繋がることの無い終わりなのだ。




