第2話 少年に力を授けたお姉さん賢者はモフモフが好きらしい
カシドスから北に位置する、鬱蒼とした森。
オレは今、そこに住まう賢者の家らしき建物の前にいる。素人目にはただの小さなレンガ造りの一軒家にしか見えない。本当にここに賢者がいるのだろうか?
「ごめんくださーい! 勇者ユリオロイダと賢者キルシュラ様の紹介で来ましたー!」
扉をトントン叩きながら大声で話しかける。すると、ガチャリと鍵を開けた音がした。
「うるさいねぇ……分かったからさっさとお入り」
けだるげな声がドアの向こうから聞こえた。お言葉に甘えて、オレは扉を開く。執事服を着た二足歩行の月見兎に導かれ、奥に進んだ。
「お邪魔しまーす……うわ」
思わず変な声が出てしまった。なぜかというと、部屋があまりにも汚いからだ。大量の書物が散乱しており、足の踏み場もない。
「失礼な坊やだねぇ。キルシュラの紹介じゃなきゃ、小間使い用の砂鼠にでも変身させてるところだよ」
何重にも重ねられた毛布の山から人が這い出てきた。オレよりも少し年上に見える、美しい女性だった。ゆたかな若草色の髪の彼女は、深緑色のネグリジェを身にまとっている。クマの濃い垂れ目は、超然とした雰囲気を感じさせた。周囲には先ほど見たのと同じ格好をした月見兎が数匹控えていた。賢者は従者として動物を従えているって話を聞いたことがあるけど、本当だったのか。
「す、すみません。つい……あ、オレはサーシャ――サーシャ・ローミラーといいます」
なにやら恐ろしいことを言っているが、ツッコミを入れたら本当に砂鼠に変えられかねないので、曖昧にヘラヘラしてやり過ごす。
「ローミラー……ね。あたしはカウォ。カシドスの賢者の館は今、キルシュラっていう賢者が取り仕切っているんだが……あたしはそいつの師匠さ。全く、こちとら引退してるんだから、変なことに巻き込まないでほしいねぇ」
「す……すみません、カウォ様」
「まあいいさ。で、なんの用だい」
「ユリオロイダが言うには、あなたがオレを認めたら何かしらの力を授けてくれる……とのことです」
「ふぅん、なるほど……」
部屋が雑然としすぎていて気がつかなかったが、毛布に埋もれたベッドの傍らに小さな一人用ソファがあった。カウォ様はソファに腰かけ、オレを見据える。
「それじゃぁひとつ、あたしの要求を聞いてもらおうか。その代わり、坊やにひとつ、『力』を授けよう」
「要求……?」
オレが首をかしげると、カウォ様はまるでいたずらを思いついた少女のような、小悪魔的な笑顔を浮かべた。
「あたし、魔術で外見を変えててね、見た目より長生きなのさ。色々見てきたつもりだけど、人に飼われている猫目石獣は初めて見たよ。もう二度と見られないかもしれないから、撫でさせてくれないかい?」
思いのほか簡単な要求に思わず肩の力が抜ける。
「えっ、そんなんでいいんですか?」
「あんまり難しいことを要求して、死なれても困るからね。ユリオロイダ達の事情はこれっぽっちも聞いちゃいないが、少なくとも殺しちゃまずそうだ」
一転、背筋に悪寒が走る。ユリオロイダ達の紹介と言わなかったら、一体何をさせるつもりだったのだろう。彼女に怯えつつも、足下にいるニコに話しかける。
「……ニコ、大丈夫そうか?」
ここは賢者の館から遠く離れているため、当然会話はできない。しかし、「了承した」と言うかのようにプスと鼻を鳴らし、カウォ様の元に歩いて行く。カウォ様はソファから立ち上がり、ニコに声をかけた。
「はぁ~~い、いい子でちゅね~~! あはぁ♡ まさか生きているうちに猫目石獣に触れるなんてぇ……♡」
カウォ様は胸の中にニコを迎え入れるつもりなのか、しゃがんで腕を広げた。だらしなく微笑んだ顔は赤く火照っていて、妖しいオーラを放っている。なんか、大丈夫なんだろうか。同じモフモフ好きとして気持ちだけは分かるが、彼女のあまりの豹変ぶりに心配になってきた。乱暴になで回したりしないといいけど……。
「おっふぉ♡ ほ~らニコちゃぁん……♡ お姉さんがなでなでしてあげまちゅね~~♡ ……、え」
近づいたニコを抱き上げると、カウォ様の顔つきが変わった。不審な笑顔はなりを潜め、驚きと沈痛さが混じったような表情をしている。
「……」
カウォ様は完全に黙りこくってしまった。オレはどうしたらよいか分からず、右往左往する。
「え、あの、何か……? ま、まさか、もしかしてニコ、ケガとかしてるんですか? それとも病気!?」
カウォ様はオレに顔を向け、ごく普通に笑った。
「……いいや。この子に問題はないよ」
彼女はそう言って、ニコを抱きかかえたままソファに座る。そして、壊れやすいガラス細工を使うように、ゆっくり、ゆっくり、慎重な手つきでニコを撫でるのだった。その間、ニコは無言で撫でられ続けた。しかし、すぐに「もういいだろう」と言わんばかりに肉球を彼女の頬に押し当てた。
「あふん。わかったわかった。もうおしまいな」
ゆるめられた腕から、ニコは器用にスタッと飛び降りた。そして、オレの足下まで一目散に戻ってきた。
「……嫌だったかな」
カウォ様は悲しげにつぶやくと、ぱんっと手を叩いて重くなった空気を切り換えた。
「さて、では坊やに『特殊能力』を与えよう。今から別の部屋で力を授ける薬を作るから、見学するといい」
彼女のニコに対する反応は気になったが、問いかけるタイミングを失ってしまった。仕方ないので、おとなしく彼女の案内についていく。案内された部屋には大きな鍋が部屋の中央に置かれていて、棚には得体の知れない薬瓶がたくさん保管されていた。
「鍋にこれとこれとこれを入れて……煮込みまーす! しばし待ってておくれ」
「は、はい!」
特殊能力って何だろう。ユリオロイダに授けられた「賢者の加護」のようなものだろうか? だとしたら、きっとすごいものに違いない。
賢者の加護とは、「勇者」に選ばれたユリオロイダを助けるため、賢者たちがユリオロイダに与えたものだ。
ひとつは、「頑強な肉体」。鍛錬の効果が常人より高くなる。また、自動的に癒しの魔術が発動し、ケガをしても一定時間経てば回復する。一晩安静にすればどんな大けがも全快するらしい。
ひとつは、「特殊会話(上位)」。人間以外の動物とも会話することができる。「特殊会話」は全ての賢者が持つ能力だが、ユリオロイダの「特殊会話」は賢者のものより優れているらしい。
ひとつは、「鑑定眼」。この世の全てのものの特徴を瞬時に見極めることができる。
ひとつは、「使い魔物」。使い魔を生み出すことができる。しかし、大きな使い魔を作ると体に不調が起きるらしい。オレは彼の使い魔を見せてもらったことがある。ユリオロイダが呪文を唱えると、彼の手のひらにあっというまに小さなスライム系魔物が現れた。当時のオレはすごい! と思ったものだ。
いや、そんな思い出話はどうでもいいか。それよりも今はオレだ。「勇者」であるユリオロイダほどとは言わなくても、便利でかっこいいものだったらいい。そんなことをぼんやり考えていたら、カウォ様の使い魔である月見兎のうちの一匹に話しかけられた。
「退屈なら、ワタシの講義を聞くかイ?」
「え?」
「オマエ、『特殊能力』が何なのか知らなさそう。聞ク?」
カウォ様の方をちらっと見たが、薬はまだ完成しなさそうだ。お言葉に甘えて、講義を受けることにした。
「まず、『能力』とハ――」
月見兎の講義が終わったタイミングで、カウォ様が呼びかけた。
「そら、できたぞ」
差し出しされたのは、カップに入った薬だった。ほかほかと湯気をたてるそれは、泥のようによどんだ色をしている。
「これを飲むとどうなるんですか?」
「どんな『特殊能力』か、って? まあ、飲んでからのお楽しみってことで! 大丈夫さ、気に入るかどうかはともかく、損にはならないよ」
カウォ様はけらけら笑って、オレに飲むようにすすめる。正直、気は進まないが……せっかく作ってくれたのだから、飲むしかない! オレはぐっと薬をあおった。
「……う、ぐ、おぇぇ!?」
想像以上のまずさに思わずえずいてしまう。何だこれは? おばあちゃんが健康のために毎日飲んでいた薬草ジュースを興味本位で飲ませてもらった時のことを思い出した。吐き出してしまいそうになったが、それではあまりにも失礼なので、なんとか飲み干した。
「ぐ……っ、ぷはぁ……っ!」
「おおっ! いい飲みっぷりだねえ。もう一杯いくかい?」
「えええええ!?」
「はは、ウソだよ。一杯で十分さ」
冗談でも勘弁してほしい。それくらいまずかった。とにかく、これで「特殊能力」が身についたはずだ。しかし、感覚的には特段変化はない。
「……カウォ様。これはどういう『特殊能力』なんですか?」
「特殊能力名『悪食』。どんなものでも食べられるようになる能力だ」
オレは耳を疑った。「力が強くなる」とか、「もっと魔術が使えるようになる」といった、かっこいいものだと思ったのに! 思わずあからさまに落胆してしまう。
「その顔は……はは、言わずとも分かる。不満なんだろう? だが考えても見ろ。何でも食べられるのなら、少なくとも飢えて死ぬ心配はない。これから旅をする以上、食料の問題はついてまわる。それが一個解消されたのだから、いいことだろう?」
「それは、そうかもしれませんが……」
不平を隠しきれないオレに対し、カウォ様はあきれた口調で答えた。
「あのな。そもそも『特殊能力』なんてそうホイホイと与えていいものではないんだぞ? 坊やに与えたのは、他ならぬ勇者からの紹介があったからだ。強大な『特殊能力』は身体への負担も大きいし、そうそう渡せるわけないだろ。勇者じゃあるまいし」
「ここでも『勇者様』かぁ……」
ユリオロイダの名の広まりっぷりにげんなりする。エリートのキルシュラ様の師匠ということは、カウォ様はさらに偉くてすごいということになる。ユリオロイダの奴、勇者だからってこんなすごい人に信頼されているのか。改めて「勇者」という肩書きの強さを思い知らされる。
「で、坊やはこれからどうするんだい?」
「フォルトット王国の首都、ルワーノに行く予定です」
「そうかい。ま、のらりくらりと頑張んな」
「はい、ありがとうございます!」
何はともあれ、目的は達成したオレはカウォ様の家を後にした。
森の中を歩きながら、自然豊かな景色を見渡す。今のオレは、そのへんの草、木の実、キノコなどなど、食べたら体に害が起きるようなものも食べられるようになった、ということか。少し信じがたい。
「ニィ」
ニコがオレを呼ぶように鳴いた。
「どうした? ニコ」
「ニィ、ニィ……ニァー」
ニコが間延びした鳴き声を発し、両目をきらりと光らせた。すると、足下に咲いている黄色い花の周辺にぼんやりと文字が浮かび上がる。オレはしゃがんで文字を読んだ。
「えっ? 何だこれ? 何々? ポポの花……食べられるが、一般的には食用ではない……、取得できる能力……『記憶力』?」
どうやら、この黄色い花の特徴を表しているようだ、名前や毒はともかく、「取得できる能力」というのは何だろう。まさか、これを食べると記憶力が上がる、ということか?
「ニィー」
ニコがオレの膝に乗りかかる。すると、簡素な首輪がかけられていることに気がついた。長い毛並みをかき分けると、どうやら小さな袋がくくりつけてあるようだ。
「毛並みに隠れて気がつかなかったな……どれどれ?」
袋の中には、これまた簡素なデザインのブレスレットが入っていた。カウォ様が入れたのだろう。餞別の品、ということだろうか? ブレスレットを装着すると、突然手元に半透明の本が現れた。
「えっ!? 何だ何だ!?」
ページが自動でぺらぺらとめくられ、やがて「前書き」と書かれたページにたどり着いた。
【能力の書~まえがき~ 魔術師の卵の諸君! この本は世界に存在する全ての『能力』を網羅しているぞ! 名前を聞いてもどういう能力か分からない時に読むといい。また、付属のブレスレットを装着すればいつでも召喚できるぞ! 持ち歩きやすくて便利だろう? ブレスレットを装着している者の各能力の優劣を知ることもできるから、己の研磨におおいに役立ててほしい!】
くだけた文体で書かれたそれは、「執筆者カウォ」という記述で締めくくられていた。文章から察するに、これは魔術の勉強の参考書だ。終始マイペースで何を考えていたのかさっぱりわからない女性だったが、オレのことをちゃんと心配してくれたのか。
「ただでもらっちゃった……なんだか悪いなあ。言ってくれればちゃんと本代くらい払ったのに。なあ、ニコ」
「ニィー」
そうだな、とでも言うようにニコが返事をした。今はもう引き返すには少し遠いので、あとでまた寄ろうと思う。今は先に進もう。改めて「能力の書」を開き、「記憶力」の記述を探す。
「記憶力……『思い出す力。これを向上させると、それまでの経験を思い出しやすくなる』……ということは、今までした魔術師の勉強や、さっき聞いた能力についての話を思い出しやすくなるってことかな?」
足下の「ポポの花」を見る。これを食べれば「記憶力」が上がる、ということなのだろう。食用ではないらしいが、毒はないようだ。いくつか摘んで近くの川で洗い、食べてみた。
「……まあ、普通食べないっていうだけのことはあるな」
形容しがたいえぐみがあり、飲み込みづらい。知識なしに食べたらこの味を毒だと勘違いしそうだ。というか、なぜオレは何の手も加えず口にしたのだろう。そのへんの花の蜜を吸っていた子供の頃の感覚のまま口にしてしまった。とりあえず、試しにさきほどの月見兎の講義を思い出そうとする。
「……魔術学ニおいて『能力』とは、人間が持つ能力のことであル。誰でも生まれつき持っており、各人、優劣が存在すル。鍛錬によって研磨するほか、『取得できる能力』を持つ食物を摂取することで高められル。『特殊能力』とは、特殊な手順を踏むことによって後天的に得る能力を指ス……」
今まさに講義を受けているかのように鮮明に思い出せる。今回の場合、「記憶力」が「能力」で、「悪食」が「特殊能力」ということなのだろう。「能力の書」を見ると、確かに「記憶力」が向上しているのが分かった。
「へ~……。あ、ひょっとして、さっきニコがポポの花を調べてくれたのも、『特殊能力』なのか?」
「ニィ」
ニコは、オレの言葉を肯定するかのように一声鳴いた。
「なるほどなぁ。ユリオロイダの『鑑定眼』もこんな感じなのかなぁ」
この世にどれだけ「取得できる能力」を持つ食べ物があるのかは分からないが、鍛えづらいことや鍛えようのないことをこうして成長させられるのなら、オレでもユリオロイダに追いつけるかもしれない!
「一緒に頑張ろうな、ニコ!」
オレがニコに笑いかけると、ニコはそっけなくフンと鼻を鳴らしたのだった。