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「……まったく、こんなところで遊んでいる暇などないというのに」
道を埋め尽くさんばかりの人だかりの中、金髪の少女が重く息を吐く。
「息抜きも大事な仕事、らしいですよ。月並みですが、団長を見ていると本当にそう思わされます」
だが、そんな少女、ティアの横に並ぶ藍色の髪の青年は、吐き出された溜息の重さを気にもかけずに涼やかに笑って見せた。
「休息が重要なのは理解できるが、こうも動きの取り辛い場所を歩くのはむしろ体力を消耗する。それに、副団長であるお前まで同時に休みを取る必要はないだろう、ロシ」
「休みっていうのは体の事だけじゃないですから。あと、仕事の事も心配しなくても大丈夫ですよ。今はどこの戦線も安定してますし、いざとなればニグルさん一人で僕と団長を合わせたくらいは働いてくれます」
逆に言えば、とロシが口元を歪める。
「ニグルさんが休んでいる時は、僕と団長のどちらも休めない事になります。というわけで、残念ながら今回はあの人の代わりに僕で我慢してもらうという事でどうか」
「何か邪推しているようだが、別にあいつと祭りを回りたかったわけではない」
「そうですか、それは良かった」
否定は、欠片も崩れない笑顔に軽く流された。
「とりあえず、こうしていても仕方ないですし、何か食べるものでも買いましょう」
「……まぁ、そうだな。せっかくだから気分を切り替えて楽しむとしようか」
自分のペースを譲る気配のないロシに、ティアも肩の力を抜いて歩き出す。
「それにしても、改めてこうして見るとこの街がいかに繁栄しているかわかりますね。移民の多さは問題視される事もありますが、少なくともこうして色々な民族の屋台を見て回れるのは嬉しい限りです」
「移民問題で切実なのは、流入よりも流出の方だ。大陸でその名を轟かせるディトゥやオルレクト、グナトスらの高位魔術師の内、一人でもこの国に留まってくれていれば今の戦争ももっと楽に……いや、そもそも宣戦などされる事もなかっただろうに」
皺の寄った眉間に、木の串が突き立てられる。
「痛っ! なんだ、何のつもりだ?」
「ほら、仕事の事は忘れて忘れて。シュ……なんとかっていう料理みたいですけど、よかったら一本どうです?」
鋭い眼光は、しかし串に刺さった分厚い肉に阻まれて目標まで届かない。
「それをくれるというのはありがたいが、私に串を刺す必要はないだろう」
「あれ、もしかして怒ってます? おかしいなぁ、こんな感じだったと思ったのに」
一本の肉串を手渡しつつ、ロシはもう片方の手に持っていた串にかぶりつく。
「あ、おいしいですよ。いい意味で肉そのままって感じで」
「だろうな。串に付いた肉汁だけで額がべたついている」
ハンカチで眉間を拭いながらかけられた皮肉にも、一切食事を止める様子はなく。
「たまにはこういうのも悪くないですね。さて、次は何を食べようかな」
「一応言っておくが、次は私の分まで買う必要はないからな」
相当量のある肉串を片付けるのにてこずりながら、ティアはそれを一呼吸で食べきったロシへの呆れと微量の感嘆を声に込める。
「あっ、あれ見てください! あの仮面、ユニメクトルスの魔道仮面ですかね? 多分レプリカだと思うけど、こういうとこって案外本物があったりするからなぁ……」
いつの間にか手に持っていた半球状の容器からたれの付いた肉を口に運びつつ、同時に一切口から滓を吹き出す事もなく、ロシが驚愕の声をあげた。
「残念ながら、お前のそのオカルト染みた趣味については欠片もわからないんだが」
「オカルトじゃないですってば。ユニメクトルスの魔道仮面は、邪神の呪いで死ぬまで外れないという仮面の性質を逆手にとって、それを無理矢理外す事で鼻を引っ張って高くする美容魔術で、かのオルゴン・ケットシーの美貌を作ったという噂もあってですね――」
「どこから指摘していいのかわからないが、最終的に噂で締める話に信憑性も何もあったものじゃないな」
なんとか肉串を完食したティアは、ちょうど傍にあった屑かごに串を放り、口の中の油を流そうと露店でドリンクを購入する。
「あっ、あれは……」
「また妙な仮面でも見つけたか?」
先程のそれより若干控え目な声を聞き、やれやれといった表情で、しかしティアは律義に顔を上げてロシの視線を追う。
「あれは、アンナか? 奴の護衛をしているはずが、なんでこんなところに……」
人混みの中、ここにいるはずのない顔を発見するのに時間はかからなかった。
女性にしては長身の部類に入る整った体型、そして頭の後ろで一本にまとめられた艶やかで明度の高い赤髪。人混みの中でも人目を引くアンナの外見は、見慣れた者にとっては余計に目に付く。
「どうやら、今もその護衛の真っ最中みたいですよ」
ゆえに、アンナの隣に並んで歩く黒髪の少年の存在に気付くまでには、少し遅れた。ましてや、その少年が転生の儀で目にした白髪の魔術師と同一人物であるなんて事は、ロシの言葉を耳にするまで考えもしなかったわけで。
「おい、アンナ――」
呼びかけの声と、小走りで駆け寄ろうとしていた足を止めようと思った時には、すでにその先にいたアンナと目が合ってしまっていた。




