05.揃い踏み
「クインス、ちょっと付き合え」
「うん?」
と、呼び出したのは修練所。
ガチリと両手に武器を構えたリンデンに顔を引き攣らせた色男が慌てて大剣を抜いたのを見届けて、渾身の力で大地を蹴り付ける。
「あんの──」
「待て!ちょっと待て、リンデン!」
「ファンタスティック筋肉ダルマがああああああぁああぁぁぁああああああああああああああああああッ!」
振り下ろしたカットラスが、耳障りな音を立てて分厚い剣に弾かれた。構わず鋼に沿って刃を滑らせ、流れのままに横に薙ぐ。寸でで回避。追撃。左手のソードブレイカーは肩当を軽く鳴らして過ぎた。戻した武器で更に一閃。頬の産毛を掠めて同じく過ぎる。
怒涛の剣戟に、クインスが情けない悲鳴を上げた。
「帰って早々、何の八つ当たりだ。俺はなんもしてないだろうが!」
「お前が何もしてないのならこの世はすべからく平和だった! 良いから悲鳴を上げて動かなくなるほど稽古に付き合え!」
「断末魔か、断末魔なのか!?」
「よし、期待に応えて」
「俺の魂の悲痛な叫びが、死の肯定に聞こえたのかお前にはッ!」
元気そうなのでより一層速度を乗せて足先を投げる。篭手に覆われた手首の腹に受け止められた。軸足の左を追って足払いに方向性を変えるが、少し浮かせた空間を過ぎて終わった。
眉を寄せて、なおも速度を上げる。
「よう」
「あんだよ!?」
クインスは、大剣に噛み合ったリンデンの対刃を全力で押し戻そうとする。一瞬だけ力を抜くと、彼はたたらを踏むこともなく体勢を整えた。再度全力で押し込んだ剣は、またしてもがっちりと大剣に阻まれる。
刃を挟んで30セランチ。据わったリンデンの目に、男の顔色が青みを帯びた。
「……良い度胸だ」
「ち、違うって、誤解だッ!」
左手の柄を離す。押される力に従い柄の位置がずれた。大きく均衡を崩され、大剣がリンデンへと身を寄せる。右手の柄の護拳に阻まれ剣の滑りが止まるより、目の前の刃が制止する方が早かった。
右手の武器も惜しみなく開放し、たたらを踏んだ男のこめかみに。
「破壊確率50%アターック!」
回転力を多分に乗せた、渾身の踵がめり込んだ。
ガラランッ、と抗議の鳴り音を響かせて、捨てた武器が地に落ちた。続いて、鍛えられたクインスの厚みのある身体が、僅かな浮遊を楽しんだだけの間を置いて大地に熱い抱擁を食らった。
鎧の金鳴りに顔を顰めて武器を拾う。
「おい、ここで死ぬなよ。日当たり良好過ぎて腐敗が酷そうだし。ちゃんと自分で穴掘って埋まってからなら許してやるから」
「クインスは基本的に運と顔は良いので、多分大丈夫だと思いますわ」
「それは良いことだな」
優雅にレースの日傘を差したアキレアが、器用に首で傘を支えつつ、パチパチと手を鳴らした。リンデンの戦闘スタイルがお気に召したらしい。
動かない従者を満足げに見下ろし、花も恥じらう笑顔でリンデンを見上げる。
「何を破壊する確率が50%ですの?」
「そうだなあ」
口走った、技名に似た何かを思い返す。別に具体的な事象を思って吼えた言葉ではない。
状況から考えるに。
「意識と、脳の稼働力。あとは命ってとこかな。あ、ちなみに破壊確率の高い順で、後順破壊の場合は、前順の破壊を前提とするものとする」
「なるほど、では完全破壊率が50%ですのね!」
「おまえら……」
アンデットの動きで首をもたげたクインスは、なるほど、確かに護衛騎士に相応しいだけの耐久力を備えているらしい。刈り取った意識が、まさかこんなにも早くに復帰するとは。もしかしたら刈り取り切れていなかっただけかもしれないが。
感心を視線に乗せて送るものの、目が合うところまでは起きあがれないようだった。
土から足を抜けないゾンビの体で横向きに力尽きたクインスを仰向けになるよう爪先で転がす。恨めしげな顔は土にまみれていた。折角の取り柄を台無しにしていては、もしかしたら宮中の女官に恨まれるかもしれない。袖で適当に拭ってやると、溜飲を下げたように目を閉じた。
「んで、いきなり何の八つ当たりだったんだ?」
「あー、いや……」
ふいに感じた殺意に剣を薙ぐ。軽いインパクトと共に響く高い音。
投擲された細い棒は、故郷の棒手裏剣という暗殺武器に似ていた。
「ちっ」
「こら、アクナイト!」
たたた、と見た目に反して軽い足取りで去っていく巨体に怒声を放つが、またも後ろ姿を見送るのみに終わる。
遠くの草陰に飛び込み、しばらく葉音を立てた後、気配がかき消える寸前まで薄くなった。視認されてるんだから、もっと見えないくらい遠く行ってから隠れろよ。
数秒観察したが動きがないようだったので、とりあえず見なかったことにして気を取り直す。
「マリーなんとかって侍女がな」
「ああ、会ったのか。どうだった?」
よろめきながらクインスが上半身を起こした。そのまま立とうとしたらしいが平衡感覚はまだ戻っていないようだった。尻餅をついて、仕方なしにそのまま座り込んだ。
アキレアを見ると、小さく首を振っている。回復魔術は使えないらしい。苛烈のアキルス王族が使えるのを期待したわけではないが。
「どうもこうもあるか、何だあの覇者の貫禄。事前知識もなしにあんなのに近付かれてみろ、一歩くらい後退して何がおかしい!」
「あ、事情理解したわ。お疲れさん」
思い出すだけでむかっ腹が立つ。奥歯を噛み締めると、クインスは苦笑して労りを投げた。意外と広い心に多少ながら気が紛れる。八つ当たりで命を取られようとして、よくも朗らかに許せるもんだ。
長く息を吐いて平静を取り戻すリンデンを、心なしか不安そうにアキレアが見ていた。そわそわと胸の前で組んだ両手は固く握られて白くなっている。
開いては戸惑いに閉じる桃色の唇に、リンデンは強く約束を告げた。
「胸張ってろ、負けないから」
勝手に虚仮にされて巻くような尻尾は、あいにく持ち合わせてはいないのだ。何をどう仕掛ければ良いのかはてんで検討も付かないが、ありとあらゆる手段を尽くして、いずれその巨体を地に沈めてやる。
大樹がどうした、覇者が何だ。対人戦において戦争屋をバカにしたこと、深く後悔すると良い。
まず確かめることは、その身に刃が僅かでも通用するかどうかである。通じればアクナイトではないが、毒を塗り込めて皮膚下に突き刺し、膝を折れれば儲けものだ。動きを鈍らせるだけでもおいしい。対オーガ用麻痺薬で効くだろうか。効かなかったら致死薬でも──いや無理だな。ボスってのは大体即死耐性持ちだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、ブツブツと対抗策を練っていた自分を、感激に潤ませた瞳でアキレアが見詰めているのに気が付いた。見ればクインスも成長した娘を見るような顔で見上げている。
「あのな……お前らのためじゃなくて、自分のプライドに偶々依頼目標が重なっただけだからな?」
「いやですわ、リンデンったら照れちゃって!」
「女のツンデレは良いよなあ。誰かさんと違って」
「人を即座にツンデレ枠に当てはめるのを止めろ」
鳥に見習われるほどの肌を晒しておののいた。相変わらず聞く耳持たない主従の中でキャッキャウフフと自分の知らない自分が出来上がっていくのを、指を咥えて見ているしかないのが悔しい。
殴れば止まるかも知れんけど、記憶が残らないほどのインパクトとなると、クインスはともかく女であるアキレアには後遺症が残ると困るしなあ。
いかにすれば障害を最小限に止めたまま記憶の削除を達成できるかを真剣に思案するリンデンのアンテナに、小さな足音が1つ届いて思考を止めた。顔を向けた先に、初めて正面から見た人物と、初対面ながら正体の知れた女性の儚げな姿が近付いてくるのが見えて、念のため武器の所在を確かめる。
先を歩く青色が、白磁の耳が見えるほど短い髪を揺らして口を開いた。
「……………。………」
閉じる。
「シビリカさまは、敵はマリーゴールドだけなの?といっているわ……」
「自分で言わないなら思わせぶりに口を開くなと伝えろ」
「……、……」
「別に通訳を通さなくても聞こえてるの、といっているわ……」
「お前通訳だったのか、アクナイト」
「侍女よ……」
侍女ってのは通訳の仕事も兼任するらしい。中々ハードな職場である。
死闘を繰り広げる仕事を考えればどうということはないレベルかもしれないが、唯一の仕事が戦闘であってもハードなのに、それ以上を課せられるのはオーバーワークではなかろうか。どうせ筋トレの時間とかが5時間くらいあるんだろうに。
嫌々やっているわけではなさそうなので同情するわけではないが、他の所の侍女があまり働いているとアキレアがリンデンにより一層の無茶を言ってきそうなので、できれば程々に手を抜いておいて貰えると助かる。
さて、記念すべき静止状態のアクナイトだが、今更彫像の見本のごとき肉体の完成度には口を出すまい。あえて言えば、彼女はジャスミンに比べて少しばかり細身であるかというくらいだ。それでも厚みは高級ステーキを凌ぐ逞しさであるが。
特筆すべきは霧の妖精もかくやという儚さ。滝のように真っ直ぐで長い青い髪に、開ききらない伏し目がちな青い目は、主より少し色素が薄い。かわりに、その青さを吸い取ったかのような青白い肌が不健康ながらも整った儚げな顔立ちを際立たせている──隆々たる筋肉を誇る体を視界に入れなければである。もうこの一文は侍女全員に付ける枕詞にしても良い。
侍女が主に似るのか、はたまた主が己に似たような侍女を選ぶのか。彼女の主たるシビリカも、同じく吹けば飛ぶような細面に、主従揃っての欠落した表情を保持していた。
こちらは侍女とは違い、足の先まで儚さに縁取られている。150セランチを越えないほどの小柄な肢体は、男であれば自分が護ってあげたい、という庇護欲にかられるのだろう。リンデンですら、白く細い足先を擽る固い草を切っておいてやろうか、と考えなくもないくらいだった。
彼女はマカダチ国のお隣、海岸沿いの小国の王族の末姫らしい。他国の人間だというのに立派な侍女を従えている理由はといえば、かの国が昔、マカダチ国の辺領であったことに起因する。つまりある程度文化が似ているわけだ。
そんな昔から他国の常識と一線を画している事実に、可哀相なのは交流せざるを得ない近隣諸国だなと思う。初めてコンタクトを取った際の情景を想像すると涙が出る。護衛とか称してメイド服着た公害が正面に立つことになるのだから、ポジティブな感情の発生が考えられない。茫然自失としたまま話し合いをせねばならなかった過去の誰かの不幸さを、リンデンは心から悼もうではないか。
ちなみにまだ顔を合わせたことのない側室の最後の一人であるトレニアは、ローテローザと同じく、この国の公爵令嬢だ。
なるほど、アキレアはどの角度から見ても不利であったのだ。対抗しようとする気概は褒めて然るべきだろう。
ただし世間一般ではその闘志を狂気と呼ぶわけで、当然巻き込まれたリンデンが褒める機会は未来永劫訪れないことをここに宣言しておこう。
「というかだな、アクナイト。お前、奇襲はかろうじて不問とするが、私を延々と付け回すのを止めろ」
「……業務時間外はお部屋でねているわ」
「いや、そういうことじゃなくて──業務時間決まってるのか?」
「あさ8の刻からよる8の刻……それいがいの時間は襲撃を禁止されているの」
「そういうところだけまともっぽくされても……いや、何でもない。そうか。ありがとう」
予想を遙かに越えて、おかしな規則が確立されているらしい。今度時間外を狙って、ジャスミン辺りに詳しく聞いてみようと思う。アクナイトは何というか、ちょっとばかりずれているような気がするので。
こめかみの古傷を押さえて数秒モヤモヤする心を落ち着け、再び視線を上げる。
じっとこちらを見詰めていたらしいシビリカと目が合った。素早く動かされていた手元がピタリと止まる。
「…………」
「……何描いてるんだ?」
「シビリカさまは肖像画がすきなの……」
くるりと向けられた携帯キャンバスには、伏し目のリンデンがそのままそっくりに複写されていた。木炭で引かれた線には見事なまでに迷いがない。
へえ、と目を丸くして、遠目ながらまじまじと紙の上の自分を見る。
「上手いもんだ」
「………」
「ありがとう、とシビリカさまはわらっているわ」
「表情すら通訳なのか」
言われて見れば、死んだ魚の目は僅かながら水を得たように瞬いているような気がする。それだけでも通夜のような空気が和らいでいた。しかし。
「二人とも、笑ったらもっと可愛いんだろうに……」
「あ!」
「あー」
「ん?」
思わずぽつりと漏れた言葉に、対面を伺っていたアキルス主従が声を上げる。
あちゃー、とでも言いたげな顔に迎えられて眉を寄せた。
「何だよ」
「いや、セーフらしいわ。あっぶないなー、気を付けろよリンデン」
青の陣営に視線を移動させたクインスに、親切面で忠告を促された。
あまりに意味がわからなくて倣って目を移したが、変わった様子はなかった。少し青白さが薄れた様子のアクナイトは気になったが、言及するほどのことではない。
首を傾げて忠告の意味を問うても、いまいち要領の得ない言葉が返るだけだった。忠告するならするで、具体的に言え。
そうして詰め寄ろうとした矢先。
「あら、先程はどうも、リンデン」
「鍛錬か。精が出る」
「まあ、シビリカさま、珍しいですね。日の光がある間に外でお会いできるなんて嬉しいです」
「皆さま、日陰に移られませんか?ここは少し日当たりが良すぎてお体に障ります」
ぞろぞろと、次々と、別に会いたくもない集団がやってきた。
ささくれ立った感情か目を引くやかな色彩のせいか。まず目に付いたのは赤の主従だった。収まっていた剣呑な敵対心が、じわりと腹の中で首を擡げる。さすがに食ってかかるのは大人げないので、片眉を跳ねさせるに留めておいた。
続いて、意識的に視線を留めたのはジャスミンの前を歩く女性だった。
淡く細い金糸は肩に付かない。おっとりとした下がり気味の金の双眸は、見ているだけで眠気を誘った。牧場でのんびりと日向ぼっこに励む、ふわふわの羊のようである。
十中八九彼女が第2側室のトレニアだろう。目が合うと、嬉しそうに会釈を返してくれる。満面に浮かぶ柔らかな笑顔が、隙間風の止まない荒れた心を清涼剤となって癒した。
「初めまして、リンデンさん。ジャスミンに聞いて早く会いたいと思っていたの。私はトレニアというのよ、よろしくね」
この残念感をどう形容すれば良いのだろう。こんなに常識的で好意的で好感しか持てない人物なのに、でもマカダチ国の常識にどっぷり漬かった生粋のマカダチ国民なのだ。
いつか裏切られるのであろう彼女のどこかにある非常識を見ないフリをして──ジャスミンを従えていることですでに非常識を達成している現実も見ないフリをして───差し出された小さな手を取り、ダンスを申し込むように軽く一礼をする。
一般的には目上へのシェイクハンドは非礼である。握手を求められた場合、リンデンの勝手な判断で、いつもこのような対応をすることにしていた。他の戦争屋や傭兵がどうしているかは知らないが、過去叱責を食らったことはないので悪くはないらしい。
なお、騎士であれば手の甲に口づけを落とすのが普通だ。となるとクインスはそうするのか。似合いすぎて腹が立つ。ちらりと視線を向けると、男が慌てて両手を後ろに隠したところだった。どうして切り落としてやろうかと思ったのがばれたんだろう。
顔を戻すと、先程より少しだけ血色を良くした羊が、ほのぼのとリンデンの手を小さな両手できゅっと握ったところだった。
「まあ、小さなおてて!」
「……そですか」
何と比べているのかは問うまでもない。
彼女の隣で一分の隙もない微笑みを湛えた黄色の侍女が、そっと手のひらをこちらに向ける。節くれ立ったリンデンの手は成人男性に匹敵するサイズであることを先に宣言しておこう。それを踏まえて、リンデンの指先は彼女の第一関節で遊ぶことになるだろう驚異のXLサイズをとくと見ると良い。同じ人類のものとは思えないから。
少し遠くで挨拶をするように同じく手のひらを向ける覇王は見ないフリをした。
「ええと、ご令嬢方、そろって何を?今日は鍛錬所で死合う予定があったとかなら可及的速やかに場所を譲りますが」
ふにふにと揉まれる手のひらのくすぐったさに耐えきれない。無理に手を退くのも気が引けて聞くと、思わぬ方向から応えが返った。
「知れたこと。今日は晴天。すなわち天気が良いということだ」
「言い直さなくてもわかる」
覇王のイメージにヒビが入る音がした。こちらの半眼をものともせず、マリーゴールドの薄い唇は先を紡ぐ。
「このような晴天の日にすることなど決まっておろう」
「筋肉の天日干しとかか」
「ひなたぼっこである!」
「なんか止めろッ!」
内側から粉々に弾け飛んだ。どんな名工にも復元不可能な砂と化したイメージ像を後生大事にひとまとめにして懇願する。
「何がどうとは言わない。言わないけど、頼むから、なんか止めてください」
「む……他人の言動を縛るとは、何という狭量」
「狭量で結構だから、外見相応の威厳を保っておいてくれ、頼むから!」
むう、という渋い唸り声のあと、検討しておこう、という何とも不安に陥る返答があった。世界滅亡に瀕する重要な問題だから、もっと身のある返事を希望する。
口惜しいことにこの場でリンデンの困窮に同意しているのは、敵か味方かあやふやなクインスだけだった。立場的には味方だが、精神的には未だ敵である。憎悪を込めて端正なツラを睨み付けるべく背後を振り返り。
「……何をやってるんだお前」
「いや、ちょっと。リンデン動くなって」
極至近距離で貼り付いているのは知っていたが、男は予想以上に身体を丸めていた。
顔がリンデンの肩辺りでうろうろしている。まるでリンデンの陰に隠れようと試みているかのようだ。その図体で隠れられるわけがないだろうに。
胡乱な視線をクインスが警戒しているらしい方向へ投げると、大きな円を描いて回り込む青色の筋肉ダルマが存在を主張していた。
じりじりとアクナイトが左に動くと、クインスはリンデンを盾にしながら右へ移動する。右に動くと左へ移動する。左と見せかけて右に動くと、右に動いたかと思えば即座に左へ対応する。
……リンデンを挟んで。
「一応聞くが……蹴り飛ばして良いか?」
「待てって。これには深い訳が」
「アキレア」
「うーん、深いかと問われれば迷いながら深いかもしれないと答えますけれど、浅いかと問われれば迷いなく頷く浅さですわ」
「リンデン、足を降ろせ、リンデンッ!」
纏わり付き妖怪からしがみ付き妖怪にクラスチェンジした男を引き剥がしにかかる──前に、突如響いた鈍い音。
ぎょっとしてアクナイトの方を向くと、レイピアの柄を振り下ろした体勢で、ジャスミンが楚々と笑っていた。
「隙あり、ですよ」
容赦がない。ぴくりとも動かず横たわるアクナイトに意識がないことは明白だった。
ぷくりとすでに膨らんだ頭部の衝突痕は、煙が立ち上っている幻視すら覚える。頭蓋骨は無事だろうか。
屈み込んでよしよしと傷跡を撫でた青の娘が──追い打ちのような所行ではあるが、多分悪意はないのだろう──ひとつ頷いて親指を立てた。命に別状はないそうである。
覇王は重々しく鼻を鳴らす。
「フン。たかがイケメンごときに気を取られるなぞ、侍女の風上にも置けぬ愚か者が」
「ちょっと、その顔と声と風格でチャラい単語口にするのは止めて貰えないか」
検討の欠片が見付けられない。
聞くとも思えないが一応突っ込みは忘れずに入れて、ふと引っ掛かった単語に首を傾げた。
「イケメン?」
「俺、イケメンなんだ」
さっきから視線が忙しい。背後に向けた目が、奇っ怪な発言者たるクインスと合う。
リンデンは悲壮な顔で首肯した。
「すまん。破壊確率50%アタックの効能には、正常な判断能力の破壊も含まれてたみたいだな」
「何だよ、俺、よく言われるんだぞ。イケメンだって」
「知らないのか、クインス。イケメンというのは自分で宣言するバカに適用される言語じゃないんだぞ」
「まあ、査定が厳しいのね」
「イケメンの名を冠するには、内面も必須ということね」
令嬢方の勉強に一役買ったようで何よりだ。
事態を総合すると、アクナイトはクインスに好意を持っているということだろうか。イケメンが好きなのかクインスが好きなのかは微妙なところだが、結構なことである。そのまま引き付けておけ。交渉材料に使えるから。
背後から肩に置かれていた大きな手を掴み前へと引き倒す。尻を蹴飛ばして誘導した先で、機を逃さず復帰した暗殺者の魔の手が伸びた。巻き付くように捕獲。全面を陣取ったシビリカがスケッチブックに無数の曲線を生成していく。
尾を引く悲鳴をBGMに、やれやれとリンデンは頭を掻いた。
クインスを誘った鍛錬という名の八つ当たりは気晴らしのつもりだったが、逆に疲れた。こうしてただただ立っていると、こさえて消えた汗のベタ付きが気になってくる。
これ幸いと逃げる口実にした。このままいると、一緒に殺伐とした日向ぼっこという苦行を成すことになりかねない。
「水浴びしてくる。アキレアはどうする?」
「身の安全も確保されていますし、みなさんと天日干しされることにしますわ」
「……水分補給はしっかりな」
朗らかに手を振るアキレアに、言いたいことの全てを飲み込んで踵を返した。アキレアの身の安全はリンデンの身の危険と同一であるとか、日向ぼっこだっつっとるだろうが、だとか。無理矢理納めた咽が痛い。
意外と仲が良いな、と展開に置いて行かれた部外者の心持ちで歩き出す。側室同士というのはもっとギスギスした、嫁姑戦争みたいな空気かと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「そうだ」
一つ思い出して振り返ると、和やかに思えなくもないが随分混沌とした空間の中、一際異彩を放つ大樹の虚がこちらを見ていた。
「勘違いさせて悪かったな。戦争屋リンデン、参戦希望だ──退屈はさせないから、期待しておけよ」
はっきりと絡み合った視線に、いずれ突き立てる牙を見せ付けるように獰猛に笑い掛ける。
太い首がさざ波を立て、低い地鳴りが空気を揺らす。真っ直ぐに引かれた一本線の唇が歪んだことで、ようやく地鳴りが笑い声なのだと気付いた。
嵐のように吹き付けた戦意に、髪が遊ばれ、目が乾き、服がたなびく。傘を差していれば空に舞い上がりそうなほどの暴風の中、明確な意識でもって足裏を地面に貼り付ける。
細められた深い赤色の瞳はリンデンの気のせいでなければ歓喜に満ちていた。
「よかろう。楽しみにしている」
「余裕こいてろ。吠え面かかせてやるよ」
喧嘩だけ売って、今度こそその場を後にした。背中に刺さる一対の視線の重圧に否応なく高揚する。
マリーゴールドが大樹なら、自分は今は届かぬ大樹の下で、ひたすらに錬磨してやろうではないか。腕が伸びるよう人間らしからぬ努力に身を染めるのも良い。何なら斧でも持ち出して、木こりにでもなってやろう。
一矢報いる決着の日を待ち望む。リンデンの道は、広く開けて続いていた。
──ところでどうにもあの顔を目の前にして「マリーゴールド」と呼び掛ける勇気が湧かないわけだが、自分はあの覇王にどう呼び掛けたら良いのだろうか。
全員集合。
に、ともない、小ネタ漫画UPのために拍手を設置してみました。
ババンと絵が出ますので、苦手な方はご注意下さい。