間章
良い天気だった。旅立ちにはケチの付けようがない晴天──とはいえ、自分の旅立ちではないので、すこぶるどうでもいいことではある。
侍女たちが王城の前にずらりと立ち並ぶ光景は、見慣れた今でさえ悪夢のようだった。もしも今、外国から敵が攻め入って来たと仮定しよう。まず間違いなく王城を目前にして一片の迷いなくきびすを返すだろう。数々の死線を潜り抜けた猛者であろうとも。
旅立ち、及び帰還の日である。
トレニアとジャスミンは神の敬虔なる使徒として──本音は愛する男の姿を求めて──二人で旅に出る。シビリカとアクナイトは故郷たる隣国へ帰る。
引いては多くの侍女が城から消えるので、暑苦しさが解消され風通りが良くなる素晴らしい日だ。
多少の寂しさがないとは言えないが、リンデンは戦争屋である。出会いと別れがおよそ等しく訪れるこの職にあって、まさか涙を流すような思い入れを持つはずがない。だから両手を広げてそんなに見詰めるな、アクナイト。
主が跨がる馬を引いた侍女から向けられる熱烈な視線が頬を焼く。熱い抱擁を期待するのは止めろ。おまえのその逞しい腕で人を抱き締めることを一般人が何と呼ぶか分かるか?鯖折りだ。
執拗な無言の催促を見なかったことにしてもう一方の主従へと目を向けた。
「馬か……トレニアは馬には乗らないのか?」
「ええ、恥ずかしながらあまり得意じゃないの」
「ふふ、トレニアさまはのんびりさんですからね。でも、こんなこと言って、私もそんなに上手くないんですけど」
「ああいや、この期に及んで遠回しに分かって貰おうとした私が悪かった」
トレニアに合わせて直角に近く上げた首が痛んだので、角度をやや戻してジャスミンを見る。
「何で肩車なんだって話だ」
「馬より私が走った方が早いので」
縦に並んだ二人に、変人を見る目を向ける者がリンデン以外にいないのが辛い。どう考えても、まず、淑女が肩車で運ばれているという事実がおかしいのに。
楚々とした令嬢が、筋肉フェチ垂涎の肉体の上に可憐な美を持つ頭を乗せた奇っ怪な物体に担がれている。これを珍風景と言わずして何を珍風景と──ああ、そうか。侍女だけですでに完成された珍風景だから、こんなのどうってことはないのか。
思い当たりたくなかった。まだ慣れないのかと言わんばかりに下りるクインスの生温い目を指で襲撃しつつ落ち込む。
ふと思い立って、アクナイトを透過しつつシビリカを見る。正確には、シビリカの尻の下で大人しく待機する白馬を。
つぶらな瞳としばらく見つめ合い、馬とリンデンの間に割り込んで来た巨体をチラ見する。メデューサに似た視線とかち合わないよう即座に顔を背け、流れのままに見送りの参列の中で一際目立つ赤色を視界に入れた。
「……」
ずらりと並ぶ壮観にも、目が腐るといけないので直視しないよう注意しながら目を向けて。
「……お前らが乗れる馬って存在するんだな」
「あら、マカダチ国は巨馬の産地として有名よ」
「すまん。必要のない情報に関しては詳しくないんだが、その巨馬というのは覇王が跨がれるレベルにでかいのか」
マリーゴールドに視線を戻す。相変わらず祖母のように萎む様子を見せない、堂々たる体躯である。
大黒柱のごとき四肢に、岩山に似た本体。英雄を模した銅像と同程度、またはそれ以上の質量を誇るこれを乗せる馬とは、果たして本当に馬だろうか。馬に似た何かか、いっそ役割が馬、くらいの思い切りではなく。
「我が馬は確かに一等特別なものだ」
四角い顎を撫でながら覇王は言う。
「そうだな……我を支えるため全体としてそこな馬より随分と巨大ではあるが、何よりの特徴は赤い汗を流すことか」
「ああ、汗血馬ってやつだなぁ」
「クインスはこんなのでも一応騎士だったので、馬には詳しめなんですの」
「さよか」
つい先日までの雇い主からもたらされたどうでも良い知識に、いかにもどうでも良さそうに相槌を打つ。
戦場における、騎士というのはリンデンが配される場所とはかすりもしないので、そもそも騎士って存在にあんまり興味がない。あっちから突っ込んでくると罠に掛かりまくってくれてちょっと楽しいくらいなもので。
覇王がまだ何か言いたげだったので水を向ける。
「名をポピーちゃんという」
「改名を要求する! いやそれよりも」
「雌かあ」
「うむ。牝馬は牡馬に比べ気力が高い傾向があるのでな。赤になぞらえてポピーちゃんと名付けたのだ」
「こういうときだけ饒舌になるな、ちゃん付けをやめろ、あと赤いよりもっと考慮すべきところがあっただろ、体格とか見た目とかお前のキャラ性とかな!」
「まあリンデンたら、人の名付けに文句を付けるだなんて無粋ですわよ」
「私は覇王の親にも文句言いたいのを毎日毎日ぐっと堪え続けているんだッ!」
「生後間もなくは小さかったんじゃねぇかなあ」
クインスのくせに、なるほど正論である。赤子に罪はなく、生まれたときは分け隔てなく可愛い。
ならば一刻も早く改名を容易にする制度を作るべく王は奮闘すべきだろう。あんな馬鹿げた武闘会とか開催してないで。きっとこの国以外の全ての国がそれを心待ちにしているに違いないから。
その内披露してやろう、と言う心なし誇らしげな顔に、ノーとは言い辛かった。馬に罪はない。この立派な体躯の侍女が名を呼ぶことが問題なだけで。
とはいえ、マリーゴールドが馬に跨がる姿はこの上なく雄壮だろう。是非メイド服を脱いで、肩から先がズタボロに裂けた袖無しの服を着こなして欲しい。ローテローザを前に座らせたりすると、不思議と衛兵が飛んで来そうな絵面になって面白いんじゃなかろうか。
遠くで昼を告げる鐘が鳴った。雑談を交わしていた一同が口を噤む。
それでは、とトレニアが微笑んだ。
「みなさん、ご機嫌よう。リンデンさんとはまたどこかで会えるかしらね」
「そうかもな。知り合いだと思われると恥ずかしいから、見掛けても声は掛けないでくれ」
「ふふ、リンデンさんてば冗談が上手いんですから」
「うーんこの」
「スルー能力が厄介なんだよな、こいつらって」
「リンデン……」
突然そっと触れた手にもう害がないと分かっていても恐怖する。毒が塗布された気配はなかったため、すぐに緊張を解いた。
アクナイトの隠密機動性が日に日に増していて怖い。
「お手紙かくわ……」
「多分届かんぞ」
「あなたをおもって……毎日かくわ……わたしのことわすれないで、ね……?」
忘れるのは難しいだろう。それこそ人格をなくす勢いで全てを忘我しなければ。
何だかんだで懐かれれば情は湧く。高い位置にある頭を乱暴に撫でてやると、寂しそうに目を細めた。寂しいのは分かったから、腕に添えた手に力を込めるのを止めろ。折れる。
馬上の姫を見上げると、あちらも何やらさようならめいた念を送り付けてきているようだった。
「じゃあ、シビリカも元気でな。たまには三次元に目を向けろよ」
「…………、……」
おい通訳、俯いてないで働け。
「わたしは一途、とシビリカさまは反論しているわ……」
「そういうことしてるから勝手に結婚組まれるんだぞ」
巨大な荷物を軽々と持ち上げる。侍女の胴体と同じサイズをしたバッグは今にも布が破けそうな有様だった。
ばらばらとした纏まらない別れの言葉を受けながら、重たい足音が去っていく。
もしもまたどこかで会える機会があったときのため、リンデンは彼女たちの縦横サイズ比をぼんやりと脳に刻んだ。まだ膨らむ余地があるのかどうか、個人的に興味がある。
いつまでも手を振る筋骨逞しい侍女たちに場を譲り、塀に凭れて腕を組んだ。
こういう現場に立ち会うと、そろそろ潮時かと思う。本来ならとっくに辞去しているはずの王城にいつまででも居座って──居座らされているのがおかしいのだ。
さてどうやって我が儘極まりない令嬢と王を言いくるめようかと、散乱した説得を形にする作業をぼちぼち始める。
負け戦を勝利に導くより余程難しそうで、リンデンは今日も癖になった溜息を漏らした。
続きを書こうと思ったけど色々忘れていたので思い出しがてら、間の話。
続き書いたとして、ここに投稿する場合、あらすじってどうしたら良いんだろう。




