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大樹の下で  作者: 飛鳥
14/25

11.解決

「よう、覇王」

「戦争屋、息災か」


 片手を上げた先で闘神が振り返る。肉体の荒々しさとは乖離した、神像のごとき静謐な佇まいが人に変わる。

 こちらを向いた一対の赤が怪訝に染まるのは無視した。


「珍しいな、一人なんて。薔薇姫さんはどうしたんだ」

「ローザ様は療養中だ」

「療養!?」


 リンデンの驚愕を受け、いや、と太い首が左右する。襲撃の結果ではないようで、人事ながら息を吐いた。

 まさかこの侍女が遅れを取るとは思わなかったが、存在はどうあれ、人である。万が一の惨劇ではなかったことは純粋に行幸だった。

 まあ、そうであれば今頃、激昂したマリーゴールドの手によって少なくともローテローザの住まう塔が跡形もなくなっていただろうけれど。


「襲撃に神経を病むような軟弱な主ではないが、度重なれば僅かにもしこりになろう。根元を絶ってきたところだ」


 言われてみれば、完璧にセットされたように思えた侍女服の端々に綻びが見受けられた。リボンの端が黒くなっていたりだとか、スカートの裾に擦れた痕があったりとか。そこから覗く太い幹は、きつい運動を終えた後のように張っている。

 ……全体像を視界に納めてもあまりダメージを食らわない程度に慣れてきたが、やっぱりパーツでまじまじ見ると激烈な違和を未だ拭えない。

 そっと逸らした目を綺麗に飾られた花々で癒し、再び覇王に目を向ける。


「……それで、何でここにいるんだ。こっちは王の部屋しかないが」

「…………」


 だんまりとは珍しい。

 およそ率直に言葉を返してくるはずの覇王の沈黙に、まあ言いたくないことの一つや二つはあるだろうと追求を止めた。別に王の部屋に未だ滞在するアキレアに害を為すわけではなかろう。そういう姑息な手段は一切取らない律儀さがこの国の侍女の標準装備である。

 まあいいや、と軽い気持ちで追い抜いて、後に続く巨体を意識しながら通路を進む。


「……わたしとリンデンの時間を邪魔しないで……」


 ぽつりと呟かれた言葉に、しかしマリーゴールドが顔を向けたのはリンデンだった。


「懐かれたか」

「……見れば分かるだろ」

「金の主従が忠告をしたと聞いたが」

「うるさい」

「リンデン、屋根裏を行きましょう……あそこなら赤色の巨体では追って来れないわ……」

「別に覇王を撒きたいわけじゃないし、お前もギリギリだろうが。私は広々とした通路を堂々と闊歩するのが好きだ」


 腕に、恐らくぶら下がりたいんだろう様相でしがみ付いたアクナイト。青の姫を部屋に送り届け、リンデンが王の部屋にアキレアを迎えに行くに至り、事態の報告と称して同行した彼女は始終その調子だった。

 覇王の言う通り、懐かれた、というのが何より真実に近い。何より、愛だ恋いだと甘酸っぱい言葉を浮かべるよりずっとリンデンの心に平穏をもたらすので、それが良いと心から思う。

 今のところはくっ付いているだけだ。あと、甘やかな言葉を鈴の調べで囁いてくる。実害と言えば半身が動きを封じられることと、隙を見てボディタッチを謀ってくることくらいで、大して苦痛というほどではない。筋肉の塊のくせに新陳代謝は悪いのか、体温とはなんぞやというほど全体的にひんやりしているので、涼を取れるのがささやかなメリットである。

 ちなみに動きの半減は致命的かと思いきや、アクナイトが侍女の撃退を代行してくれた。重量型自動侍女撃退装置と考えれば、まあ、辛うじて平穏の範疇ではなかろうか。

 そう思うだろう、マリーゴールド。


「……いや?」

「だよな」


 現実逃避だってのは理解してるから、そんな同情に満ちた視線を寄越すな。悲しくなるから。

 ふうらりとゆるまった歩調に、好機と見たのか物陰で人影が動いた。溜息混じりにリンデンの拳が握られる──より早く、寄り添う暗殺者から鋭いナイフが射出される。

 悲鳴が上がると同時、どう考えても腕に刺さっただけのナイフにそぐわない様子で巨体が床に沈んだ。


「……アクナイト、解説」

「わたしの名前、東方ではトリカブトというらしいの……」

「おい、誰かー! 解毒魔術使える奴、そこら辺に潜んでないかー!?」

「毒ごときで昏倒するとは、なんという無様な」

「この心停止をのりこえてこそ真の侍女……」

「やかましいわ! 誰も彼もがお前らみたいなバケモンだと思うなッ!」


 通りすがりの治癒師がいなければ多分間に合わなかった。でもこれまで死人が出ていないということは、案外大丈夫だったりするのかもしれない。一般的な人間を自負するリンデンとしては試したいとも思わないが。

 正座で説教されたアクナイトと、何故か同様の姿で大人しく拝聴していたマリーゴールドの反省の色のなさに息切れして、結局、即死効果ナイフを没収するに留まった。皮膚が爛れたり手が腐り落ちたりという接触型はこの際許そうと思う。そこまで没収するにはアクナイトを丸裸に剥かないといかんので。

 数十本に渡るナイフの山を、顔見知りのメイドから拝借したシーツで厳重にくるみ、生ゴミのように身体から放して持つ。不満げな顔で半眼をくれるアクナイトが触れないよう、少し迷って覇王にパスした。

 文句の一つもこぼさず運搬する赤の侍女が、黙々と歩く道中、ふと思い出したように口を開く。


「そちらは片付いたのか」

「あん?」


 首を傾げて振り向いた。見下ろす静かな目に、言葉の矛先を察して頷く。


「アキレアはアキルス。金は青。アクナイトのところの敵はまだわからないものの、この国の誰かってことは間違いない」

「自陣の拷問吏に物的証拠をあずけてきたわ……あの子なら、そろそろくわだての犯人から日頃の生活習慣まであますところなくはきださせているんじゃないかしら……」

「事情が事情だから同情はせんが、あんまりいじめてやるなよ」


 知りたくないから口にはしないが、拷問吏ってもしかしなくてもやっぱり侍女か。青陣営は物騒な輩が多いんだろうかと思うと、該当陣地には凄く近寄りたくない。どうせ近寄らなくたって勝手に寄ってくるけど。

 そっちは、と水を向けると、厳めしい顔を珍しく憂鬱そうに歪めた。


「ローザ様にはいらぬ味方が多い分、いらぬ敵も多い」

「ちょっとわからん」

「薔薇姫さまはとても男性に人気があるの……」


 あるだろう、あの容姿である。魅了の力を除いても、それこそ大輪の薔薇を思わせる佇まいと、気品溢れる優美な仕草。接した時間は短いが性質だって悪くない。

 蜜に寄る蜂ばドンパチを起こしまくるであろうことは想像に難くないし、薔薇を防護するこの覇王が羽虫を蹴散らす様を想像することもまた容易だ。


「つまりアレか、痴情のもつれ」

「本人を無視した諍いだが、此度は余計な煽動が入ったのであろう。木っ端の類とはいえ、塵も積もれば煩わしいものだな」

「で、煽動者とやらに釘でも刺しに行くわけか」

「そういうことだ」

「全員仕掛け人がバラバラっていうのも珍しい話だよな。こっち向かってるってことは、王の近場の奴なんだろう。厄介そうなら声を掛けてくれ。あんたの半分にも満たないが、可愛いお手てで良ければ貸してやる」


 原因が特定できているのなら、リンデンに出る幕はないだろうが。

 心中で付け加えながらひらりと降った骨張った手に、何故か怪訝な視線が寄せられた。

 覇王らしからぬ困惑を交えた目に首を傾げる。


「何だよ?」

「……敵の手を借りるほど落ちぶれてはおらぬ」

「利用してやるとか思って融通きかせろよ、それくらい」

「敵同士……それがわたしたちの愛の前にたちふさがるおおきな障害……」

「お前の最大の障害は、相手が私であり主軸がお前であるってことだ」


 そういえばマリーゴールドも全くそうは見えないが箱入りだった。

 ただでさえ整わない髪を掻き乱しながら、相変わらず斜め後ろを歩く巨体を横に並ばせる。肉塊に挟まれると、どこぞのボードゲームよろしく肉塊に染まりそうで実に不快である。


「別に、良いだろ、敵同士が寄り合ってたって。大事なものに害を成す奴を敵だと遠ざけるのは大賛成だけど、明日の敵は今日の友ってな、そういう敵はライバルって言うんだ。勿体ないだろうが。それとも何か」


 睨むように横目で見やる。

 覇王の奥まった目が丸く開かれているのに満足を覚え、口元に薄く笑みを履いた。細まる視界の中、マリーゴールドが初めて年下に見えたような気がするかもしれないようなそうじゃなかったりするかもしれないけどそうだといいなと思ったり思わなかったりするように思う。


「こうやって話をしてるのは嫌いか?」


 返答に必要だったのは、一拍の間。それすら即断即決の王たるマリーゴールドには、天地を行き来するほどの労力であったのだろう。


「否」

「はっきり言え」

「……悪くは、ない」


 戸惑う様はいっそ可愛らしかった。視力の低下が疑われるので、至急、治癒師に診察を依頼すべきである。剥がした視線を閉じて、しばしの暗闇に目を癒す。

 ぴったりと寄り添いを深めたアクナイトの拗ねた表情はともかく、覇王の微笑を見逃したのは良かったのか悪かったのか。

 後々衛兵に教えられていらぬ懊悩をするのだが、それもあくまで未来の話である。






 辿り着いた王の部屋──の、近辺。数日ぶりの姿に目を瞬いた。

 そして、潤った目が乾くほど見開くことになったのは、両脇に侍らせていた女たちのせいだった。


「滅びよ」

「きえて……」


 言っていることの意訳は同じだった。その上やろうとしていることも同じだった。

 おもむろに吹いた風に、対応しようと思えばできなかったわけではない。まさか本当に向けた矛先を突き刺す真似をするとは思わなかったので、驚愕を覚えながらも見逃しただけだ。

 問題は、そのまさかが現実足り得る世界であったこと。更に言えば、対象に向かった矛先が突き刺さらない異次元空間にいつの間にか自分が滞在していた事実だった。

 隣。踏み締められた床に入った放射状のヒビ。そこからゆっくりと視線を移動させて、音速を超えた速度で放たれた拳と刃物を、夢を見るような心地で認識する。

 勿論悪い方の夢である。


「何とまあ、随分なご挨拶じゃの」


 拳の先に位置する壁には、集中線の強調を受けた凹みがあった。

 光刃の突き刺さった壁は煙を立てて溶解している。ずるりと滑り落ちたナイフは、なおも床を溶かしてずぶずぶと沈んでいった。

 その交錯点から僅かにずれた場所で、いつかの老婆が肩を竦めている。

 皮と骨だけで支えられた折れそうに細い首が振られるたび、アクナイトの殺意が増した。間違えようもなく挑発している。髪が靡くほどの闘志が吹き荒れている傍らの覇王を認識していてなお挑発できるというのは、果たして年の功だけで解決する胆力だろうか。


「それに比べてリンデンの初々しいこと。ほっほ。日常茶飯事じゃて、アクナイトの前でそう無防備に口を開けるでないよ」

「……突然全力攻撃の標的にされて余裕で避けられる老婆を見たって状況に対して、初々しくない反応を示すのは問題だろ」


 こめかみの傷を揉んで気を落ち着かせる。

 小脇に抱えた黒い外套が、前にも増してボロ布と化していた。


「カランコエ、あんたが偽襲撃の手引きしてたのか?」

「手引き?」


 首を傾げた老婆にこちらこそ首を傾げる。この二人が激昂する事態というとそのくらいかなと踏んだのだが、違っていたようだ。

 濡れ衣を被せたようで申し訳ない。眉尻を下げて謝罪をしようと口を開きかけた。


「手引きも何も、戯けた襲撃の張本人だが」

「彼女は単独でケンカをしかけてくる、頭のいかれた老婆よ……」

「本人かよ!」

「元王族筆頭侍女、カランコエじゃ。改めてよろしくの」

「健やかに握手を求められても困る以外のリアクションが浮かばないから止めろ! あと手のひらに画鋲を貼り付けるのは古典的手法に過ぎてやっぱり困るから自重しろッ!」

「うむ」


 満足そうに頷いて手を引っ込めた老婆を、上下する肩を抑えながら胡乱に見詰め。


「中々に心和む良いツッコミじゃ。ワシが見込んだだけのことはある。老いてなお益々盛ん、勘に狂いはなかったの」

「────ッ!」


 無言で地団駄を踏んだ。ヒビ割れた床が更に砕けるのを申し訳なく思う気持ちより、とにかくカンの虫が騒ぐ。

 ツッコミ待ちだったババアざまあみろ! 誰がそんなこと言われてなお突っ込んでやるものかよ!


「おい、こいつ腹立つぞ!」

「いけないわ、リンデン。カランコエさまに、こいつだなんて」


 水を向けた先で、むずがる子供を窘めるような態度を食らって眉根を寄せた。

 数十秒前の自分たちを振り返ってみろ、お前ら。


「カランコエさまにはつねに尊敬の念をいだいているわ……ころそうとすることと尊敬は別の話よ……」

「己の祖母に敬意を払わぬ孫がおるわけがあるまい。婆様には滅びてなお敬意を払うに値する価値はある」

「だから、お前らの敬い方って根本的に──」


 言い掛けて、ふと過ぎった単語に気を持って行かれた。

 何か、妙なことを聞いた気がする。不審に思い、発言を振り返る。ついでに過去を振り返り、やはり聞き違いだったのだろうと結論付けながらも、一応確認を取ることにした。


「……孫?」

「うむ」


 凄く今更ではあるが現実は小説より奇であった。世界記録を樹立しそうに切り立った険しい眉間の皺を押さえ、もう一度記憶を辿る。

 マリーゴールドの祖母とは、つまり、ジャスミンが後生大事に持ち歩いていた侍女の心得とかいう奇っ怪なシロモノの1ページ目を飾る──筋肉塊であったはずだが。

 開きたくもない目を半分ほど開けて、カランコエの身長を目算。曲がった腰を伸ばし、亀のように引っ込んだ首を引っ張り上げて、身長伸ばし機に設置したところでおよそ160セランチは超えない。実に標準的な身長と枯れ木のごとき体格だった。


「……ああ、父方母方の祖母が両方とも王族筆頭侍女だったわけか。当時はムキムキじゃない侍女も普通にいたのか? 孫も侍女ってのは凄いな、覇王」

「? 父方の祖母は畑を耕しておったが」

「いやおかしいだろ! 不思議そうにファンタジーを肯定するな! この──」


 すかさずアクナイトが差し出した心得帳を印籠のごとく突き付けて、目が潰れるほどの肉体美を見せ付ける。


「カランコエがこれと同一人物だとして、身長差分はどこへ消えた!?」


 覇王が己の懐から同じく取り出した本を捲る。太い指先が器用に薄いページを送るのを険しい視線で見守った。

 色鮮やかに刷られた版に目を落とし、やがて大樹のような首が伸びてカランコエを見る。2度繰り返された動作の末、心得帳はぱたりと閉じられた。

 マリーゴールドの注連縄のごとき眉が寄る。


「随分と痩せたな、婆様」

「うむ。一線を退いた身なれば、ともすると折角纏った筋の衣も落ちような」

「ちがああああああああああああああああああうッ!」


 だん、と踏み締めた足の裏で、ついに大理石の命が尽きた。ヒビの入った板だったものが、荒い石の集団に変わる。


「どうしてその感想になった! 痩せて人間の身長が縮むか!?」

「痩せて筋肉の支えがなくなった分、背骨の隙間が縮まったのだろう」

「仮にその理屈が正しかったとしても、50セランチ分も隙間が開いてたら神経がブチ切れるに決まってんだろ!」

「うむ、縮んだと言っても精々10セランチくらいじゃろう。後は老輩の悲しき運命かな。背骨が曲がったんじゃ」

「背中伸ばしたら190セランチを突破するとか、蛇行でもしてやがるのかあんたの背骨はッ!それと、横方向の萎んだ筋肉分の皮はどこ行った!」

「ここだけの話、ハリツヤのあるお肌を保つ一子相伝の秘術というものがあってじゃな」

「……ほう」

「黙れ人外魔境、食い付くな人外魔境の孫。一子相伝なら親から伝わるもんだろ!」

「勿論嘘じゃが」

「何……だと……?」


 もうやだこいつら。萎れながら本を返した先のアクナイトの手に優しく触れられて、危うく絆されそうになった。うっかり気を許した瞬間に喉元を食い千切りに掛かる魔獣だという事実を忘れてはいけない。

 渾身の壁ドンは、分厚い石の作りに阻まれて腑抜けた音にしかならなかった。

 額を冷たい壁に預け、目を閉じて気を落ち着かせる。この城に来てから何度この作業を行っただろう。最早作業工程は職人の域に達しているはずだ。急速に冷却される腸。混沌とした感情の全てを吐き出す息に織り交ぜる。


「さて、いかにもワシが襲撃を仕掛けた本人であるわけじゃが」

「ちょっと待て。カランコエは覇王の祖母で歴史に残る偉大な侍女であることに反論する自分を必死に押し殺してるところだから」


 飄々と語り口を切り出した老婆に片手を翳す。壁際に寄り大人しく収束を待つ現職侍女は、やはりあくまで侍女なのだなあと虚ろに思った。

 と、ふと彼女たちの遙か後方に黄色の巨体を認めて顔を上げる。


「……なるほど。知識の差っていうのは大きいよな」

「あら、みなさん。腹が立ったからと言って、あまり城内を破壊してはいけませんよ」

「そっちの二人に言ってやってくれ」


 顔を外した赤青コンビに胡乱な視線をくれると、下がり眉で微笑むジャスミンは、もう、と姉のような顔で腰に手を当てた。

 襲撃をアクナイトのものだと思っていたジャスミンでさえ、襲撃者がカランコエだと確信を持って訪れたのだろう。カランコエをただの枯れ木だと思い込んでいたリンデンには到底行き着かない事実である。

 今、そうした目をもって老婆を注視しても栄光の片鱗は見られない。隙だらけに見える立ち姿だが、しかしひとたび刃に晒されれば風に勝る速度で体を捌く。ニュートラルとトップの使い分けは、確かに「国一番の実力者」であった身に相応しい実力だった。

 物凄く納得が行かないが、三者が事実を主張する上この目が現場を映し出してしまったとあれば是非もない。ひときわ大きく肺の空気を押し出して、リンデンはカランコエに向き直った。


「……わけじゃが」

「わかったから。悪かったよ」


 拗ねた睥睨をくれる痩木は、おざなりな返答をお気に召さなかったらしい。

 目にも留まらぬ亜光速で額に吸着矢を食らって呻く。手加減はしているらしく、引っ張るとあっさり取れた。赤い丸ができていると恥ずかしいので横に流れる前髪を下ろす努力をした。そんなことで流れを変えるほど素直な髪ではないので、無駄な努力である。


「理由はまあ、ご想像の通りじゃ。ためになったじゃろう」

「ばばあしね」

「滅びろ」

「まあ、こんなところに大きな生ゴミが」

「目上の者に対してなんじゃその暴言は!」

「……つまりそんな一言で納得できるウザさじゃなかったから、最後までしっかり説明をしろってことだと思うが……お前ら敬意って単語は本当に理解してるか?」

「当たり前ではないですか」


 済んだ忠犬の目が真面目過ぎて怖い。納得したフリをして顔を逸らすことがリンデンにできる最大の防御だった。

 唇を尖らせてそっぽを向いた老婆の口火は、完全に鎮火していた。ミイラの親戚みたいな生物がかわいこぶった仕草をするのが、まさかこんなに腸に熱源を与えるとは知らなかったし、知りたくもなかった。

 濁り曇った血色の目のいつかの日を想像しながら、リンデンはまたも肺の空気に別れを告げる。


「正解か不正解かだけ答えろ」

「……」


 沈黙は肯定と見なす。

 廊下のど真ん中で言を交わし続けるのはどうかと今更ながら考えたが、ここは王の部屋の近くだ。不敬とかいう存在しないものを無視すれば、逆に人通りが少なくて迷惑にはなりにくいだろう。問題ないと総合しておくことにする。


「いち。本物の殺し合いを念頭から抜いた腑抜けに活を入れる目的で偽装を行った。これは間違いないな」


 存外素直な首肯に、一つ立てた指を増やす。


「に。カランコエは襲撃を企てる奴らを何らかの形で察知していた」

「戦争屋殿と会った井戸があったじゃろう。あそこは後ろめたい事情を持つ人間の良い密会場所での」

「それは知らず邪魔をしたな、悪かった。で、襲撃について知ったカランコエだが、相も変わらず侍女同士でキャッキャウフフと戯れている腑抜けに活を入れるついでに、偽装襲撃には侍女以外からも深刻な横槍が入る可能性を示唆する目的もあった」

「侍女が武力を第一としとる意味を見失うなんぞ以ての外じゃ。見せ付けるための武ではなく、圧倒的力量をもって叩きのめし、二度と刃向かう気が起きんよう完璧に躾けるための武じゃというに」


 攻守一体を侍女に背負わせるまでの道筋が知りたいような知りたくないような。誰か、そんな攻撃的な侍女嫌だなあ、とか反対する常識人はいなかったものだろうか。それとも一騎で当千に値する勇者が強行してしまったんだとしたら、当時の周囲の皆さんに同情するばかりである。

 もごもごと開きたがる口を理性で接着。唾を飲み下して落ち着いたところで、三本目の指を立てる。


「さん。圧倒的力量をもって叩きのめし、二度と刃向かう気が起きんよう完璧に躾けるための武、とやらの向かう矛先が、国内でお互いに向いていては意味がない。同一の敵からの襲撃を受けることで、侍女同士に連帯感を生ませ、共闘するように仕向けた。矛先を本当の敵に向かわせれば、残るのは現在の妙な敵対意識ではなく切磋琢磨の武力向上だ──もっとも、これに関しては私とジャスミンには成功したものの、さっさと犯人に目星を付けた陣営には効果がなかったらしいがな」

「……成功しとる」

「うん?」


 皺に覆われた口元を尖らせながら、不承不承といった様子でカランコエは口を開いた。


「成功しとるじゃろう。戦争屋殿の人の良さに助けられたのは否めんがの」


 首を傾げて数秒の黙考。

 ああ、と思い当たったのは、いつの間にやらまたも腕に絡み付くアクナイトの雄姿だった。


「青だけではないわ。不肖の孫とて矛先を収めておるじゃろう」

「覇王は元々大人しめだっただろ」

「身の振り方は大人しくとも、態度がトゲトゲしておった。見ぃ、あのきっちり牙を収めた子犬の佇まいを」

「あんた、子犬って見たことあるか?」

「あるとも。何じゃその心底不思議そうな澄んだ目は。馬鹿にしとんのか」

「濁った老眼のせいでミノタウロスを子犬だと思い込んだとかじゃなく?」

「わしのつぶらな瞳は生涯現役じゃわい!」

「痴呆っていうのは本人は知覚しないらしいからな、気を付けてやれよ、孫」

「是非もない」


 しかし言われてみれば、こっくりと頷く姿に、初対面の針のごとき威圧は感じられない。ぴりぴりとした緊張感を肌で感じていた日々を思うと、柔らかな印象になっている──ような気がする。先天的な顔面形成要素に威圧感を湛え過ぎていて確信を持っては言い切れないが。

 彼女の中に、協力、という考え自体が浮かんでいなかったのだと仮定しよう。

 侍女の武力は主を守るためにある。主は国を守る人材である。間接的には侍女の武力は国を守るための力となるのだが、ここは平和続きのマカダチ国。武力を行使する場など、余所の侍女との諍いと、国内の有力貴族からのちょっかいを撃退するくらいなもんだった。長らく外に向けて解放されなかった武力の矛先は内のゴタゴタ一点に向かい、主を最上に頂くための手段となる。

 となると頂上とはどこか。主が女である限り、言うまでもなく一国の王妃の立場だ。並みいるライバルたる女共を蹴散らすため、それを守る侍女を叩きのめす。相手方も同じことだ。主を頂点に据えるため、最難関たるマリーゴールドを死に物狂いで倒そうと奮闘するだろう。

 なるほど、周囲は全て敵である。そりゃあぴりぴりもしようというもんだ。

 そんなレッドラインの警戒態勢の中、ライバルである侍女同士が手を組んで脅威に立ち向かう姿を目にしたとして。


「もしかしたら、別に四六時中肩肘張って威嚇し続ける必要はないんじゃないだろうか、と」

「我ともあろう者が、盲点であったわ」

「おまえ、例年ならまだしも、何のための決勝戦(ぶとうかい)だと……」


 隙のない鉄塊に見えて実は穴だらけに抜けているとは常々思っていたが、まさかここまでとは。

 重々しく首を振る重機の横で、アクナイトまでもが感心したような顔をしているのが気に掛かる。もしかしてこいつ、単に本気で自分に懐いただけで、休戦に同意していたわけじゃないのか。

 しかし、と軽く奥まった目を伏せたマリーゴールドが、しみじみと呟いた。


「婆様の気まぐれかと思いきや、そのような意図があったとはな」

「力だめしかとおもって、がんばってころしにかかったのに……外套にしか穴をあけられなくてくやしかったわ……」

「おい、何一つ伝わってないぞ、倒木ばーさん」

「お主、わしが元凶だと分かった途端にちょっと辛辣すぎやせんか」

「気のせいだろ」


 井戸で洗濯していた外套の穴はアクナイトの奮闘の結果だったらしい。別に胴体にも風穴開けてやれれば良かったよなと思ったわけではないが、健闘を煽るように高い位置にある頭を撫でてやった。気持ち良さそうに怜悧な目を細める様は愛らしいと言えなくもないかもしれない。

 話し声を聞き付けたらしい馴染みの足音が、いくつかの同音を連れて近寄る気配。見えた笑顔に手を振り返し、反対側から連れ立って来る姫君たちと、彼女たちを囲むマッスルリングに息を吐く。

 役者が全員揃ったところで。


「じゃあ、ひとまず一件落着ってことで良いのか?」

「いや、なまらんようにこれからも隙を見てちょっかいを出すつもりじゃが」

「綺麗に纏める努力をしろよ朽木ばーさん……!」

「まだ朽ちとらんわッ!」


 とりあえず、の前置きを付けて、焦臭い一連は腰を落ち着けたのだった。

とりあえず一区切り。

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