怨扉の向こう
伯爵との話は着き、俺たちはこの屋敷でしなければならないもう1つの事に取り掛かる事としたんだ……。
ひとまず、伯爵との話はついた。
エリンの事は、伯爵に話した通り忘れられた島の「フェーグの村」へ人を送り、そこに住む錬金術師をこちらへ呼び寄せる事が出来れば問題ない。
……まぁ、あの村の住人で錬金術師じゃあ無い人なんていない訳だが。
あんな人を寄せ付けない僻地に居る人間が、ジャスティアの街に住む伯爵の招聘に応じるのか? と問われれば……まずやって来るだろう。
研究には、とにかく資金が掛かる訳だ。わざわざ本土との連絡魔法陣を開通させているのは、偏にこちらで商売を行う為に他ならないからな。
そんな人たちが、大金が舞い込む話に乗らない訳ないだろ?
それに、エリンの症状や治療方法は、彼らの研究意欲を刺激する筈だ。
それよりも問題なのは……これからなんだ。
その問題の1つ目と言うのが。
「……シャルルー、大丈夫?」
すでに蒼い顔をして俯き深刻な表情を浮かべているシャルルーに、マリーシェが不安そうに声を掛けるが彼女からの返事は無い。
それもそうだろう。
シャルルーはこれから、エリンの妹のエリシャ=ダッカートと会うんだからな。
その理由は言うまでも無く……エリンの事を伝える為だ。
もしかするとそこには、エリンの母親でメイド長でもあるエマ=ダッカートがいるかも知れない。更に間が悪ければ、父親のワキール=ダッカートも同席している可能性だってある。
如何に主家の側であるシャルルーと言えども、その密接度を考えれば平気でいられるものでも無いだろう。
それどころかシャルルーとエリンの仲が良かっただけに、彼女にしてみれば尚の事会い辛い、話し難いに違いないんだ。
「……準備は良いか?」
ダッカート家に割り当てられた離れの扉の前まで来て、俺はシャルルーに確認した。
すでに他の侍従から、エリシャが家で休んでいる事は確認済みだ。
その理由が。
……悲しみのあまり、仕事にならないのだそうだ。
そんな事前情報を知らされては、シャルルーが心理的に圧迫されるのも仕方がないだろうなぁ。因みに、ワキールとエマは仕事をしているそうなのだが、どこに居るかは分からなかった。
事ここに至って、今更引き返す真似は出来ない。シャルルーも決心がついたのか、小さく頷き扉の前に立った。
「エ……エリシャァ? い……いるのぉ? は……入るわねぇ?」
殆ど消え入りそうな声で断ると、シャルルーはゆっくりと扉を引いて中に入って行く。
外観も確りとしていたが、中もかなり広い。
入ってすぐにリビングとダイニングが見える。その奥に見えるアーチ状になっている敷居の向こうは、おそらくはキッチンだろう。
そしてすぐ右手には、奥に続く廊下があり扉が2つ見えた。多分、両親と姉妹の私室兼寝室ってところか。
シャルルーはリビングを一瞥すると、迷う事なく通路へと入り、奥の扉の前に立った。多分、何度かここへ来ているんだろうな。
再び固まるシャルルー。この奥にエリシャがいると考えれば、その気持ちも分からないではない。
でもここに来て、躊躇していても始まらない。
シャルルーを含めて7人がこの家に入り込んでいるんだ。さすがに、その気配で誰かが来た事ぐらいは勘付いているだろうからな。
彼女も意を決したのか、扉に数度ノックをする。しかし、中からの返答は無い。
でも俺には分かっている。この扉の向こうからは、確かに人の気配がする。
俺を見るシャルルーに向けて頷き返すと、彼女はゆっくりと扉を開けた。
そして中には。
ベッドに顔を埋め、動こうとしない1人の少女が居たんだ。
主家の者が訪れていると言うのに顔も上げない態度は、本当だったら叱責もんだな。
でも、この場ではそれが許されていた。
何よりも、今回はシャルルーの方に非があるんだ。
それを考えれば、これくらいの非礼は十分に許容範囲内だろう。シャルルーも何も言わないし。……いや、言えないんだろうけど。
「あ……あのぅ。……エリシャァ?」
まるで怖いものにでも話し掛けるみたいに、シャルルーは恐る恐る声を出した。
それを受けたエリシャの方は、一瞬小さくビクリと震えたと思うとユックリと、それでいて淀みなく立ち上がり……シャルルーに正対する。
「……何か……御用でしょうか? ……お嬢様」
まるで生気を感じさせない、人形かと思うような抑揚のない返事と表情。
でもなるほど、確かにエリンと姉妹なのは一目見て分かった。
髪の色や面立ちが、姉のエリンとソックリだ。未だ13歳という事でエリンよりも幼さが残り、髪の長さと体形が違うくらいだろうか?
彼女の声を受けたシャルルーから、グッと息を呑む気配が伝わって来た。
表情さえ凍り付いているエリシャだが、その目は真っ赤に腫れあがっている。彼女がここでどれだけ泣き暮らしたのかが、それだけで分かる話だった。
「な……何でぇ……そんな言い方をするのぉ? ……エリシャァ」
そして改めて問い質すシャルルーの声もまた、今にも泣きそうな程にか細く……小さい。
2人とも、その感情を押し殺すだけで精一杯の様だった……んだが。
「……いつもの様にぃ、シャルルーって呼んでよぉ」
それでもシャルルーが、エリシャに何とか話し掛け続ける。彼女はエリシャの他人行儀な態度に、ひどく動揺しているみたいだ。
エリシャの態度も、まぁそれも分からないではない。
そしてこの場では、もっとも効果的なシャルルーへの嫌がらせ……なんだろうなぁ。……幼稚ではあるけれど。
「……無理です」
そんなシャルルーに、エリシャもまた必死で感情を押し殺した声で返事をした。でもそれは小さな声ながらも、シャルルーより遥かにハッキリと聞こえそして……怒気を孕んでいた。
それはもしかすると、エリンの心の声なのかも知れない……と思えてしまう。
そしてシャルルーも、恐らくはそう感じていたのだろう。彼女の表情には、更に恐怖も加わってしまっていた。
「無理……無理よっ! お姉ちゃん、死んじゃうんだよっ!? シャルルー様と一緒に出て行ったのに、シャルルー様を庇って、お姉ちゃんだけが死んじゃうんだよっ!? いつもと同じ様になんて、無理に決まってますっ!」
その途端、彼女の瞳からは枯れ果てたのではないかと思われていた大粒の涙が、それこそボロボロと止め処なく流れだした。
エリシャの心情を考えれば、その発言や心境は当然のものだろうな。特に、姉妹の結びつきが強ければ強い程に、その悲しみは深くなる。
しかも、それを齎したのが懇意にしていた相手ともなれば、彼女の混乱も極致だろうな。
「き……聞いてぇ、エリシャァ。……エリンはぁ……エリンはぁ」
完全に気圧されてしまっているシャルルーだが、何とかエリシャに反論を試みている。
一方的に押し込まれているシャルルーだったけど、エリシャの言葉には反駁の余地があったんだ。事態は、エリシャが報告を聞いた時とは随分と違って来ているからな。
「……わたしはもう、あなたの元では働けません。……以前の様には、もう働けない。……この屋敷を出ます」
でも、シャルルーの声音には力が無い。エリシャに自分の言葉を聞かせるだけの強制力が無かったんだ。
だから、エリシャの考え……いや、思い込みを留める事が出来なかったみたいだな。
「エ……エリシャァ。ちょ……ちょっと待ってよぉ」
立て続けにエリシャの言葉を受けて、シャルルーはもう混乱の極致だ。
とても誤解を解く様な状況じゃあなく、それどころかエリシャの言葉を理解しようとするだけで精一杯みたいだった。
「……エリンは死なないよ」
だから俺は、シャルルーに助け舟を出す事にしたんだ。
俺は、出来るだけ低く静かな声音で2人の会話に割り込んだ。もっともこれは、最初からそう考えていた事なんだがな。
シャルルーが自分の言葉で事態を収拾出来るんならそれはそれで良かったんだけど、そうでないなら仕方がない。
それに今から俺が言う事は、元々シャルルーが自分の口で言おうと決めていた事でもあった。こうなってしまったら、俺から喋った処で問題ないだろうな。
収集がつかなくなる前に、俺は2人の会話に割り込む事にした。
決定打が出てしまえば、それこそ取り返しがつかないからな。




