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封鬼の儀

「ご、ご主人さま、よかったらわたしの血を吸ってください。血を吸えば、悪魔になんて負けませんよね?」


 俺の様子を気遣って、魔理亜が提案した。まだ俺を、不死身のヴァンパイア・ロードだと信じているのだ。その純朴さがとても愛しい。だが、もう嘘を吐き続ける意味もなさそうだ。


「悪いな、魔理亜。ヴァンパイア・ロードだなんていうのは、真っ赤な嘘なんだ。俺はただの人間だ。少しは鬼の血が入っているらしいんだが、そもそも吸血鬼ですらない」


 俺の告白に、魔理亜が目を見開いて驚いた。


「そ、そんな……なんでそんな嘘を吐いたんですか? ただの人間が、悪魔に勝てるはずがないじゃないですか!? 人間だとわかっていたら、こんな危険なことには巻き込まなかったのに……」


 騙されたことに怒るよりも、俺を巻き込んでしまったことを悔やんでいるようだ。魔理亜が泣き出した。


「済まない。嘘でも何でもいいから、口実が欲しかったんだ。悪魔探しをしているような変な美少女と一緒にいるための、口実が」


「ご主人、さま……」


「麗しい愛情よな。そうした人間の美しい感情が絶望に歪むのは、我らにとって堪えられぬほど甘美なものじゃ」


 バアルの顔に愉悦が浮かぶ。これだけ悠長に喋っていても斬りかかってこないのは、こちらの隙を突く必要がないほど、剣士としての実力に差があるからだ。それに加えて、バアルはその実力差に俺が絶望するのを待っているのだ。


 だが、まだ俺は絶望する気なんてない。魔理亜の涙を見て、右腕の腱を切られたくらいでは絶望しない覚悟ができた。俺は、俺だけでなく魔理亜と、そして紅の命を背負っているのだ。そう簡単に諦めるわけにはいかない。


「じゃあ俺は、俺が絶望しないことにお前が絶望するまで足掻いてやるさ」


 立ち上がって、俺は履物を脱いだ。裸足で地面を踏み締める。ほんの僅かでもいいから、速く踏み込めるように。


「気負い過ぎだな、蒼。もっと気楽にやっていいぞ。お前が死ねば、私が同じ条件でそいつと勝負してやる。鬼を封じるまでに、紅に死なれては困るからな」


 いつになく優しい声で、透子さんが言う。


「お兄、これを使って! 神刀キキリ、鬼退治の最終兵器だよ!」


 意識を取り戻した紅が俺に向かって手にした剣を投げた。久しぶりに、元気な紅の声を聞いた気がする。今のところ、バアルの呪縛が解けているのだろう、精神は安定しているようだ。


「悪いな、バアルとやら。正々堂々の立ち合いに加勢するつもりはないが、模造刀ではハンデがありすぎるだろうからな」


 透子さんが律儀にバアルに断りを入れる。


「かまわぬよ。どんな名剣でも、当たらねば木剣と何ら変わらぬ」


 バアルは余裕の態度を崩さない。寧ろ俺がより強力な武器を持ったことを楽しんでいるかに見えた。

 

 俺は模造刀を紅に投げ返し、紅の寄越した剣をあらためた。その剣、神刀キキリとやらを手にするのはこれが初めてだ。それなのにこの剣は、まるで自分の体の一部であるかのように俺の手に馴染んでいる。俺は気付いた。俺が今まで振るってきた母の形見の模造刀は、この剣を模して造られたのだと。そして、いつかこの剣を振るう時のための、訓練用に造られた剣だったのだと。


 神刀キキリ……鬼斬り、と書くのだろう。鬼斬りの剣が悪魔相手にどれだけ通用するかわからないが、少なくともバアルの言ったとおり、一撃を当てられなければ意味がない。何としてでも、斬る!


 俺は鋭く息を吐いて、居抜きの構えを取った。雑念を捨て、ひたすらに剣気を練る。


「良い瞳だ。お主の気迫に免じて、我も本気を出すとしよう」


 そう言うと、バアルが初めて剣を構えた。腰を軽く落とし、右手と右足を少し前に出して半身になる。右手に握られた剣は、捉えどころなくゆらゆらと揺れている。自然体に近い柔らかな構えだが、俺にはそこに、一部の隙も見いだせない。


 しかし、どんな構えを取られようと関係はなかった。俺にはただ全身全霊を込めて斬ることしかできないのだから。


 剣気を練りながら、俺は理想の間合いを求めてバアルににじり寄る。これまでとは違い、好きに打たせてくれるつもりはないらしい。バアルもまた、自分の間合いに俺を引きずり込むべく歩を刻む。


 気の遠くなるような空間の削り合いの末、互いの間合いが交差した一瞬の合間を縫って、俺は仕掛けた。後の先を狙うつもりなのだろう、バアルが迎え撃つ。


 居合一閃! 我ながら完璧な一撃だった。踏み込み、抜刀、斬撃が刹那のうちに連なり、逆袈裟に斬りあげられた神速の剣閃が美しい孤月を描く。この一太刀で斬れぬものなどあるはずがない! 俺のその渾身の一撃を、しかし、バアルは剣を立てて完全に防いだ。


「お主、なかなかやるな。危うく斬られるところだ。今のは、申し分ない剣撃だった。人の身にしては、だが」


 バアルが楽しそうに笑う。絶対的な自信を持って放った必殺の一撃でも、奴を倒せなかった。俺は驚愕した。剣を防がれたことに対してではない。剣を防がれてなお、自分の身体が無意識に動いたことに対してだ。俺の剣は、縦に置かれたバアルの剣に弾かれながらも、その勢いを殺さずに唐竹割りに変化したのだ。

「何だと!?」


 バアルの顔に驚愕が走る。


「鬼哭流奥義『朧』……抜刀『月影』からの無形の変化……紅にもまだ教えられていないのに、蒼が何故その業を……」

 透子さんの呟きも、俺の耳にはほとんど入ってこなかった。俺の意識はバアルを斬ることだけに向けられていたから。俺の剣は、バアルの剣に沿う形で、奴の肩口を斬り裂く、はずだった。はずだったのに……バアルは、瞬時に反応した。俺の剣の変化に合わせて剣を横に掲げ、またしても俺の一撃を防ぐ。


「あれを止めるのか……」


 透子さんが呻いた。しかし、それでもまだ諦めるのは早い。剣を止められた鍔迫り合いの状態だ。上から体重を掛けられる分、俺の方が有利なはずだ。バアルの顔にも、先ほどまでのような余裕はない。


「おぉぉぉぉー!」


 鍔迫り合いになって、俺は全身の力を込め、吠えた。しかし、バアルの剣はびくともしない。これが悪魔と人の力の差なのか? それでも、ここで攻め切ることができなければ最早打つ手がない。


「ご主人さま、負けないでください!」


 魔理亜の声が俺を奮い立たせた。俺は更に力を振り絞って、吠える!


「おおおおおぉぉー!」


 やはり、バアルの剣は小揺るぎもしない。しかし……自らの咆哮に血が滾ったと感じた瞬間、俺の剣は、盛大に地面を斬りつけていた。


 気付かないうちに剣をいなされたのか? 恐る恐るバアルを見やると、バアルは先ほどの姿勢のままで立っていた。そして、次の瞬間、バアルの愛剣の刀身が半分ほど、地に落ちた。


「剣ごと我を斬るか……見事じゃ」


「キキリは鬼を(・・)斬るための剣ではない。鬼が(・・)斬るための剣だ。鬼気をまとえば斬れぬものなどない、か」


 透子さんの呟きには思い当る節があった。先ほどの血の滾り、あれは鬼気とやらが剣に注がれた感覚だったのだろう。しかし、そんなこと、今はどうでもいい。


「賭は俺の勝ち、だな? 約束は守ってもらうぞ」


「ああ、久しぶりに面白い勝負じゃった。お主のその見事な剣技に免じて、桃園 紅を契約から解放し、大人しく罪詠 魔理亜に封じられてやるよ」


 そう言うと、バアルは光の粒子のようになって、魔理亜の手にした革製の絵本のようなものに吸い込まれていった。これが、魔理亜の話していたレメゲトンとやらなのだろう。


 バアルが消えた後には、蠢く漆黒の塊が残されていた。透子さんと紅がそちらに向かった。


「これが鬼の残滓だ。大地に消える前にその身に封じろ、紅」


「気持ち悪いよ、お姉……こんなの身体に入れて本当に大丈夫なの?」


「心配するな。その結果お前が廃人になろうとも、私が一生、面倒を見てやるさ」


「そんなのフォローになってない!」


 そんな二人の様子を見ながら、俺は座りこんでしまった。疲労感がどっと押し寄せてくる。そんな俺の元に、本を持った魔理亜が近づいて来た。


「ありがとうございます、ご主人さま。見てください。無事、バアルを封じることができました」


 魔理亜の指差したページには、先ほどまで俺と戦っていたバアルの姿が描かれていた。その露出度の高いロリっとした絵は、どう見てもアブナイ漫画本だ。


「よかったな。俺も頑張った甲斐があったよ」


「本当に……全部ご主人さまのおかげです。お怪我、大丈夫ですか?」


 魔理亜が俺の腕を心配そうに見つめる。


「出血は酷いが、大した怪我じゃないよ」


「だめです、ちゃんと処置しておかないと」


 言って魔理亜は、右腕の傷口を舐めた。


「ご主人さまの血の味がします。わたしが、吸血鬼みたいですね」


 そういうと、魔理亜は修道服の裾を裂いて、俺の傷口に軽く巻いてくれた。


「ありがとう……っつ!」


 不意に、左足に引きつるような痛みが走った。裸足で全力移動した結果、地を蹴る左足の親指と人差し指の皮がずる剥けになってしまっているのだ。出血も酷い。これは当分、歩くだけで痛いだろう。


「あ、足が血塗れです!」

 魔理亜も俺の足の傷に気付いたようだ。


「さっきみたいに傷口を舐めてくれるか?」

 冗談で言ったつもりだったのだが……。


「はぃ」


 迷わず頷いて、魔理亜は行動に移った。まず、怪我している親指と人差し指に唾液を垂らして、修道服から破り取った布で汚れを拭うと、そのまま2本の足の指を、口に咥えたのだ。そして、口の中でゆっくりと傷口に舌を這わせる。ぬるぬるとした舌と温かい唾液の感触が、気持ち良い。


「ばか、そんなことしたら、汚いだろ!?」


 俺は慌てて足の指を魔理亜の口から引き抜いた。


「汚くなんて、ないです。わたしのために命懸けで戦ってくれたご主人さまの足なんですから……」


 犬のようなつぶらな瞳で、魔理亜はまっすぐに俺の目を見て言う。不純な気持ちで冗談を言ってしまった自分に嫌気がさした。


「まったく、お前らは本当に盛りのついた猫のようだな。少しは時と状況をわきまえていちゃついてくれないか」


 呆れたように、透子さんが俺たちに文句を言う。


「すみません……そっちは終わったんですか?」


「ああ、そろそろ終わる。お別れを言ったらどうだ? もうじき桃園 紅はこの世から居なくなる」


「え? 何を言って……」


「鬼を封じれば、桃園 紅は存在しなくなると言ったんだ」


「そんな、嘘だろ?」


 俺は慌てて紅の方を見た。紅は困ったように苦笑した。


「お兄、あたしをあの悪魔の呪縛から救ってくれて、ありがとう。さよなら」


「おい、馬鹿、何をしてようとしている!? やめろ、紅! やめてくれ!」


 俺が立ちあがる間もなく、紅は手早く巫女服を脱いで、下腹部に刻まれた模様の中央に漆黒の塊を押し付けた。


「そんな、紅……紅!!」


 漆黒の塊がずぶずぶと紅の下腹部に吸い込まれていく。紅は苦しそうに呻きながらも、塊を全て腹の中に収め、倒れた。


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