その後
こそっとおまけの話を。
ブックマークしてくださった方、ありがとうございました。
俺はマデリーネを連れてリンドグレン家に戻った。トランティ家の奥方には後日改めて挨拶に来ることを約束させられたが、マデリーネの後見人のお方だ。勿論挨拶は欠かせないので約束は守るつもりだ。しかし一番の問題はマデリーネの父親フレデリクがごねないか、ということだった。今回の訪問で見た限り、エーリアルとマデリーネの協力は必要だろう。母上も交えて協力体制を整えておこう。
俺はマデリーネを連れて応接室へと向かった。恐らく母上はお茶を準備してそこで待っているだろう。ちなみに主人への報告が義務付けられているフレデリクが俺たちの後ろで蒼褪めた顔をして気配を消すように付いてきていた。
「ヴァルト様」
応接室の扉が見えたところでマデリーネが俺の名を呼んだ。思わず顔がにやけそうになるのを顎を引き締めて耐える。
こいつの前では『いい男』でいたいからな。
「奥様は婚約をご了承されたと伺っていましたが、旦那様は……」
「母上に了承を貰った。それで充分だ」
「それはどういう……」
「おかえりなさい、バカ息子。おかえりなさい、未来の可愛い娘」
俺たちの会話を問答無用でぶったぎり、素敵な笑みで応接室の扉を開けて迎え入れてくれたのは母上だ。
まあ、お気に入りのマデリーネが戻ってきたからな。笑顔満開なのも当然か。
「それから、気のきかない幼馴染みさん? お入りなさい」
それはまた特別極上の笑顔ですね、母上。怒りを笑みで表現するのは……トランティ家の奥方に似ている気がする。昔馴染みと言っていたな。きっと母上はトランティ家の女性に感化されたのだろう。
フレデリクが腰を引ながら、恐々と応接室に同席した。
「父上もお帰りでしたか」
珍しい。
応接室には父上の姿もあった。横にいるマデリーネが一歩後方に下がるのがわかった。厳粛で威厳ある主を前にしての反射的なものだろう。
「構わない、マデリーネ」
手を引いて応接室に入り、今度こそはと俺の隣に座らせる。そして離れないように手を握った。
「マデリーネが帰ってきたということは、きちんと話をしてきたということね」
良くやった、と母上の目がそう告げている。
「バカな息子が『好き』も『結婚してくれ』も言わないわ十年もマデリーネを褒めもせずに婚約を進めているわでマデリーネが可哀想になったわよ。マデリーネが新しい仕事先を求めてきたとき、この際それでもいいかなと思ったのだけれど」
「俺は良くないです」
「マデリーネはそうではなかったでしょう。行き先を教えなかったのはお灸を据えたかったからです。マデリーネにお前は勿体ないと心底思ったわ」
母上の口調が厳しい。一歩間違えたら、母上は俺にマデリーネの行き先を一生教えてくれなかったのだと実感した
「ヴァルトがマデリーネのことを好いているのはわかっていたけれど、そういうことはヴァルト自身の口からでなければ、何もかも伝わらないでしょう。ねぇ、あなた?」
母上が父上に話を振れば、父上は機械仕掛けの人形のようにこくこくと頷いた。そこには領主としての威厳ある父上の姿はなかった。
俺としては幼い頃からの普段の風景だが、マデリーネは違う。目を丸くして驚いている。
「え、えっ?」
「だから言っただろう。母上の了承で良いと」
領地に関することは父上の分野であるが、家族のことに関しては母上が優位にたつ。俺の結婚も領地には関わるが、マデリーネの身上に問題ないこと、伯爵夫人となるにふさわしい物は身につけている(密かに母上とフレデリクが教育していた)ので、この件に関しては母上に決定権があったのだ。
「マデリーネ。本当にこの子で良いのね? この子は視野は狭いし、甘い言葉の一つもくれそうにないわよ」
息子の格を落とすなんて、それが母親のすることか?
「それでも、わたしはヴァルト様が好きです」
「マデリーネ……」
母上を真っ直ぐ見据え、マデリーネは断言してくれた。
俺の嫁(予定)は何て嬉しいことを言ってくれるんだ。
「ええ、そうでしょうね。でもね、愛は言わなければ伝わらないのよ。言わないが感じろ、気づけ、ってかなり傲慢よ」
横目で俺を見ている母上。確かにそうだ。俺はマデリーネから好きだ結婚してくれと言われて自分だけ舞い上がっていた。それは反省しているし、今後はきちんと口にすると決めている。
「そうそう、気が利かない幼馴染みさん」
母上の朗らかな声にびくりと体を震わすフレデリク。
「な、なに……」
かなりびくついてるな。確かに、母上の声は朗らかでも表情は氷のような笑みだ。あれは俺でも怖い。
「私を頼ってリンドグレン家に来たのは誉めましょう。妻にエーリアルを選んだことは貴方の人生最高の選択です」
「は……」
「でも娘可愛さに、マデリーネに出自をずっと黙っていたことはいただけません」
一瞬目を輝かせ、すぐにスミマセン、とフレデリクが項垂れる。
父上が彼を同情の目で見ているのは見てないことにしよう。
「マデリーネは今後私が預かります。トランティの奥様にも許可は頂いてます」
「いつの間にっ?」
「貴方が連絡を取っていなかったことが悪いのですから、私を責めるのはおやめなさい」
昔はもじもじしてる内気な女の子だったのに、とフレデリクが呟く。
母上の耳がピクリと動いた。母上の笑顔が更にパワーアップしてるのでフレデリクの命が心配だが、どうしよう。
「お父さん、わたし頑張るから。ヴァルト様に出会ってから十三年もの間いろいろと勉強してきたでしょう? これから教えてくださるのは奥様だしもう少し頑張るくらい大したことないと思うの。」
助け舟を出したのは窮地に陥った男の愛娘で、母上はその言葉をうんうんと頷いて聞いていた。
だが俺にとっては十五年だ。十五年お前を手に入れるために学んできた。
マデリーネと初めて会った…というか見たのが三才のときだった。
庭に放してあった犬とマデリーネが戯れていた。その犬は大型犬でマデリーネよりもはるかに図体が大きかったから、あいつが犬に押し潰されるんじゃないかと思って見ていたが、ただ楽しそうにじゃれていただけだった。
あの犬、俺には吠えるしか脳がないくせに。目が会うたびに吠えてくるあのバカ犬と遊べるなんて、あいつもきっとバカなんだな。
そう思いながらも、楽しそうな声と笑顔が記憶に刻み込まれていた。ずっと気になっていた。
多分その時から俺はマデリーネを傍に置きたいと思っていた。ああ、俺もきっとバカだったんだな。
「マデリーネ」
俺が名を呼べば、初めて会った時と同じ笑顔で俺を見る。
愛おしいと思う。
「愛している」
そう囁けば、真っ赤になってはにかんだ笑顔を見せる。フレデリクが『あああ! マデリーネに魔の手が!』と騒いでいるがあれは無視しよう。
俺はマデリーネのことになるとめろめろで母上に揶揄われることが多いがそれでもいいか。マデリーネの笑顔が見れるのなら、この先も愛していることも「愛している」という言葉も彼女に伝えていきたい。
繋いでいる手をぎゅ、と握るとにっこり笑って手を握り返してくれた。
そして俺の耳元に可愛い唇を寄せて。
「わたしも、愛しています」
そう答えてくれた。
お読みいただき、ありがとうございました。