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零時 君にさよならを告げる

有衣がハウスキーパとして働きに来ていた頃、一緒に過ごす夜の時間が心地好かった。

済ませなければいけない用事がある時以外はいつも、直輝が食事を取る時から傍にいて、いろいろな話をしてくれた。

直輝がタクシーを呼んで有衣が玄関を出ていくまでの短い時間だったけれど、それはとても優しい時間だった。

そして、帰り際に有衣が“さよなら”の代わりにくれた言葉は、直輝を温かな気持ちにさせた。

けれども、有衣が帰ってしまえば直輝はまた独りで、寂しさは埋まらないままだった。

今は、有衣の帰る場所はここで、どこにも行かせずに済む。

ずっと有衣と一緒にいたら、そのうち話すことがなくなってしまうのではないか、と思ったことが実は少しある。

よく考えなくとも馬鹿馬鹿しいと簡単にわかることなのだが、口下手なほうである直輝は少しばかり本気で怖れていた。

しかし話上手な有衣のおかげで、それは完全に杞憂に終わっている。

食事の時も、眠りに就く前も、一日中有衣の声と存在に感じる心地好さは尽きない。


有衣がよく話すのは、大部分が晴基のことだ。

日々成長している晴基の話題は尽きることが無く、聞いている直輝も嬉しくないわけはない。

ただ、晴基のことを話すにはどうしても途中で譲の話も出てくることが多いので、それが若干直輝の癪に障る。

以前に嫉妬していることは暴露してしまったし、結婚した今も変わらないのではあまりにも大人げない。

そう思って、直輝が極力表には出さないようにしていたら、有衣は以前のことなど忘れてしまったかのように、無頓着だ。

「それで譲くんが」

「譲くんがハルくんに」

もうこれで、今日何度めだろう。

譲の名前が出てきたのは、多分もう両手両足の指の数をとうに超えている。

いい加減その名前はもう聞きたくないぞ、と思った直輝は、徐に有衣の頬を軽く抓った。

「…なんですか」

まだ話の途中なのに、と文句を言いたげな顔で有衣が聞く。

正直に話すのはなんとなく悔しい、というちっぽけなプライドが、直輝の言葉を奪う。

「なんとなく」

適当な返答に、有衣が微かに眉を顰めた。

言いたいことは何でも言えと以前に直輝が言ったせいで、有衣も直輝に同じことを要求する。

このままだと聞きだされそうな気配がしたため、直輝は有衣が口を開きかけた瞬間に、唇を寄せた。

何やらごまかされていることに気づいたらしい有衣の手が、一瞬抵抗めいた動きを見せたけれど、逃がさない。

直輝を押しやろうとしていたはずの手が、直輝の背中にまわるまでに、そう時間はかからなかった。


とろん、とした眼が、かわいい。

そういう予定では無かったから、本気で仕掛けたりはしないけれど、こういう顔を見せられるとちょっと弱い。

そんな勝手なことを思っていると、おとなしく腕の中に納まっていた有衣が、小さくぼやくのが聞こえた。

「ずるい…」

力が抜けているせいか、少々舌足らずな調子だ。

聞こえないふりをしようと思ったのだが、その言い方がまたかわいかったせいで、できなかった。

「…ありがとね」

ごまかされてくれて。

というのは、多分伝わっているだろうことは、有衣の少しだけ膨らんでいる頬からわかる。

「今回だけですよ」

「うん、わかった」

実際のところどうなるかは別として、素直に頷くと満足してくれたのか、ぎゅっと抱きついてくれた。

でも多分これだと、何についてごまかされたのか、全く察していなさそうだ。

また同じことの繰返しになったりして、と内心思った直輝は、有衣にわからないように密かに苦笑した。


晴基の話がひと通り終わると、今度は直輝の話題に移る。

患者やスタッフとのやりとり等、一日にあったできごとを話せる範囲で聞かせると、有衣は楽しそうに笑う。

特に、直輝と白井や慧との絡みは面白いらしい。

直輝からすると、ふたりにからかわれたり遊ばれたり冷たくされたりと、散々な目に合っているのでちっとも面白くないが。

笑う有衣がかわいくて、結局は話してしまう。

ちなみに白井以外の看護師の話をすると、有衣が控え目ながらもやきもちを妬いてくれるのが、直輝には嬉しかったりする。

けれど譲の話をされたときの自分のことを考えると、あまり多くはできない。


嬉しそうに聞いていた有衣が、だんだんと眠たそうにしてくる頃、ようやく有衣の話題に移れる。

学校のことやみどりのことが主で、直輝としては自分の話題よりもこちらを多く聞きたいが、会話の主導権は有衣にあるので無理な話だ。

ぼんやりとして、やがて口が重くなり、終いにはかくりと首を倒す。

そして、はっと意識を取り戻すと、また少しずつ話して、またぼんやりとして以下同文、というループにはまる。

本当はもっと有衣の話を聞きたいけれど、これ以上はかわいそうだな、と思う。

ちょうどその時に、枕元にあるふたり分の携帯の電源が落ちて、今日が終わったのだと知る。

「有衣ちゃん」

「ん、あ…ごめんなさい」

「いいから。今日はもう寝ようか」

「でもまだ、途中」

「明日また聞くから」

言い聞かせるように言うと、有衣は素直に頷いて、もぞもぞと直輝の腕の中で納まりの良い位置に体を落ちつけて、眠る準備を整えた。

「おやすみなさい」

胸元から、くぐもった声の挨拶が聞こえてくる。

まるで小動物のようなその様子がかわいくて、有衣の頭の天辺にキスを落とした。

「おやすみ」

時刻は、ちょうど零時。

隣で眠る今日の君に、あたたかな“さよなら”の挨拶を告げる。


幕間として、お題使用で24時間分のssを書くことにしてみました。


第一弾は、零時です。

「おやすみ」を、一日の終わりの「さよなら」として。

…だいぶこじつけですけど^^;笑


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