第5話:地殻応力の異常と、禍神の血脈
秋の終わりを肌で感じる東京の、乾いた青空が広がる午後のことだった。
風見萬屋店の油臭いガレージに、一台の車が尋常ではないスキール音を響かせて滑り込んできた。
そして車から飛び出してきた日向陽菜が、そのまま荒い息を整えながらガレージの床に降り立った。
彼女が手元の端末をデスクに叩きつけるように置く。
そこに投影されていたのは、日本全域のリアルタイム観測マップだった。
長野と新潟の県境――あの禍神村を中心として、日本列島の地下深くまで波及する異常な高密度エネルギー波形が、真っ赤な警告色で明滅している。
画面を一瞥した風見嵐水が困惑気味に言った。
「これって……啓一の例の村からか?」
「ええ」
陽菜は険しい表情で頷いた。
「うちの会社が管理している首都圏ビルの感震センサーや、関東平野の地下送水網にも、数日前から微弱な位相の歪みが同期し始めているの」
タブレットに地下構造のモデルが表示される。
「原因を逆探知したら、啓一君がいたあの村の地下に行き着いた。どうやら村の地下深くにある古い断層と、山奥に潜伏して狂気を撒き散らしている誰かの精神波形が共鳴し合っているみたいなのよ」
嵐水が画面を覗き込む。
「共鳴、というより……周期的な外部摂動による応力変化か」
陽菜が頷いた。
「ええ。原因を現地で叩かない限り、このパルスは増幅し続ける一方。地下の断層に蓄積された応力が異常波形によって繰り返し刺激されて、破壊条件を突破する可能性がある」
そして、赤く染まった日本列島の地下モデルを指差す。
「最悪の場合、周辺の断層系まで連鎖的に動く。巨大地震につながるわ」
俺――藤原啓一は息を呑んだ。
「日本全土が……?」
「少なくとも、広域災害になる可能性はある」
日本中の物理観測網が、あの村から発せられた破滅的なエラーをすでに捉えていた。
あの村の近辺で、再び狂気に呑まれた者が、歪んだエネルギーを暴走させている。
そう知ってしまった以上、行かないという選択肢はなかった。
俺が唇を引き結んでいると、車を整備していた嵐水がスパナをガチャンと音を立てて床に置き、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「放置すれば、俺たちの日常の平穏も研究室も足元から吹き飛ぶ。それに、世界全体のシステムエラーを綺麗にデバッグし遂げるのが、この風見萬屋店の流儀だ」
嵐水は立ち上がる。
「行くぞ、小僧」
俺たちは陽菜の愛車に飛び乗った。サトウモータースのピピンという可愛らしい軽自動車だ。
もっとも、そのピピンはただの軽自動車ではない。
以前、嵐水が「いつか面倒なトラブルに巻き込まれた時に役立つ」と称し、密かに重力制御ユニットや位相バッファを組み込んで魔改造した、特製のガジェットカーだ。
この車の重力制御ユニットは、単純に車体を浮かせるものではない。
車体と乗員にかかる慣性負荷を局所的に制御し、通常なら人体や車体が耐えられない急加速・急減速を可能にする、萬屋謹製の危険極まりない装置である。
そして――運転席に座った瞬間、普段は冷静な陽菜の人格が、すさまじい勢いで書き換わった。
「ほらほら二人とも、飛ばしていくからしっかり掴まってなさい! 私がこの道のルート権限を握ってるのよ……っ、アクセル全開ィッ!!」
「ひっ、おまっ、安全運転で行け――っ!?」
ハンドルを握った途端に脳筋の暴走系スピード狂へと豹変する陽菜のステアリングさばきは、もはや狂気そのものだった。
嵐水の魔改造による慣性制御と相まって、車体は常識外れの加速を見せる。
一般車両との相対速度や安全確保には萬屋製の位相バッファを使用しているため、周囲の車両から見れば、俺たちは一瞬で視界から消えたようにしか見えない。
そして――わずか一時間あまり。
俺たちは長野の険しい山中へと突入していた。
「アハハ! 波形の収束点なんて一発で弾き出してやったわ!」
陽菜はタブレットを操りながら笑う。
「目的地はここよ!」
車を急停止させ、陽菜が指し示したのは、険しい崖の陰にひっそりと口を開けた、打ち捨てられた古い鉱山の最奥部だった。
迷っている暇はない。
俺たちは急斜面を駆け上がり、その縦穴へと飛び込んだ。
ひんやりとした冷気が漂う暗い縦穴の底。
そこにいたのは、警察の目を逃れて山奥へと潜伏していた姥井山守だった。
冷気の漂う空間の中心で、守は村の旧家から持ち出した古い祭祀用の呪具をばらまき、その中心で狂気に満ちた目を血走らせていた。
あの夜、理不尽な村の掟に従わされたがために人生を狂わされた彼は、かつて伝承にあった「禍神を解放する儀式」を自らの手で再現し、世界ごとすべてを終わらせようとしていたのだ。
だが、本物の禍神の核は、今や目の前にいる啓一の身体に宿っている。
村に残された古い儀式や呪具など、本来であれば中身が空っぽの「ただの空撃ち」に過ぎないはずだった。
しかし――守は、その執念から、どこかから『救手の血筋』を引く男を拉致し、血の生贄として祭壇に縛り付けていた。
「姥井山……」
俺の脳裏に、数ヶ月前の記憶が蘇る。旧家の中では比較的冷静だった守。しかし村の因習には逆らえず、非道な犯罪に手を染めた守。
そんな守が将来を絶望し、世界を呪った。禍神を祀る因習に連なる血肉の呪詛と、狂気に囚われた守の精神波形が混ざり合った瞬間、それは最悪の相互作用を起こしたのだ。
その歪んだプロトコルが、地下深くに眠る断層の破壊条件を偶然にも刺激した。
断層に蓄積された応力を異常波形が周期的に揺さぶり、さらに解放されたエネルギーが次の異常波形を増幅する。
まるで、互いの処理待ちが永遠に続くプログラムのような、最悪のフィードバックループ。
――それが、日本全土の地下構造へと拡大しつつある異常の正体だった。
首元のマフラーが、周囲の異質な精神波形と物理的負荷を感知して激しく赤く明滅する。
そのデータストリームを感知した瞬間、俺の脳裏にその構造が流れ込んできた。
「こいつ……禍神が俺の中にいることも知らずに、どこかから救手の血筋の男を拉致して血の生贄にしやがったのか……!」
俺は歯噛みする。
「その呪詛と狂気を触媒にして、地下の断層を刺激する最悪のフィードバックループを作りやがったんだ……っ!」
嵐水は一瞥しただけで、その構造的欠陥を正確に導き出した。
「ふん、中身の抜けたガラクタ儀式に、救手の血肉なんて余計なイレギュラーをブチ込んだから、そんな大規模な誤作動を引き起こしたんだ」
嵐水は冷ややかに吐き捨てる。
「神の不在を人間の狂気と血の生贄が埋め合わせ、地下の断層系に異常な入力を送り込みやがった」
そして、重力ハンマーを構える。
「断層の応力解放と再蓄積が互いをトリガーにしてる。システムが互いの処理を待ち続けて停止できない、最悪のデッドロックだ」
「止められるのか?」
「止める」
嵐水は即答した。
「おい啓一、あいつの懐に飛び込め! お前のマフラーの特異点干渉波を、その暴走波形に直撃させる」
「そんなことしたら、俺の精神構造まで焼き切れる……っ!」
「安心しろ」
嵐水は俺を真っ直ぐに見た。
「お前が焼き切れる前に、俺がこの物理法則のすべてを賭けて、お祭り騒ぎを終わらせてやる」
そして、不敵に笑う。
「……お前をここまで育てた俺のデバッグ技術をナメるな!」
嵐水の迷いのない声に、俺は奥歯を噛み締めた。
そうだ。
俺には、この偏屈な男が作ったガジェットがある。いつも背中を支えてくれる陽菜がいる。
「……やってやりますよ!」
俺は一歩を踏み出し、荒れ狂う異常波形の中心へと飛び込んだ。
だが、守もただ座しているわけではなかった。
異様な光を宿した目を大きく見開き、理不尽な運命への呪詛と絶望に満ちた絶叫とともに、血に染まった祭壇から逆巻く黒いノイズの奔流――偶発的に生み出された破滅的なエラーの奔流を俺たちへと叩きつけてくる。
「ふざけるな……!俺は禍神なんて信じていなかった!あんなもののために、どうして俺が……ッ!」
ガァァアアアッ!
空間を引き裂くような精神的負荷が俺の脳髄を焼き焦がし、踏み込んだ足が押し戻されそうになる。
守が放つ自暴自棄のエネルギーは、崩壊寸前のシステムが暴走させる最終防衛プログラムのように強大だった。
「くっ……! 押し戻される……!」
「甘いな」
嵐水は怯むどころか、不敵な笑みを浮かべる。
「素人が組んだスパゲッティコードごときが、俺の組んだ方程式の収束速度に追いつけるわけがない!」
嵐水は重力ハンマーの出力レバーを限界まで叩き回した。
「演算回路同期、最大出力投入!!」
重力ハンマーが唸りを上げる。
「生贄の血肉の呪詛ごと、人間が勝手に生み出した悪質なバグコードを、俺が力技で全消去してやる!」
嵐水が渾身の力で重力アンカーを地下の岩盤へと叩き込む。
萬屋のすべてのオーバーテクノロジーが、その一点へと収束していく。
俺もまた、首元のマフラーの許容リミッターを引き剥がし、体内の特異点エネルギーを全解放して守の暴走波形へとねじ込んだ。
激しい火花と空間の悲鳴が混ざり合い、二つのエネルギーが真っ白な光となって坑道を満たしていく。
――次の瞬間。
ビィィィン……。
耳鳴りのような重い衝撃が坑道を貫いた。
日本全体の観測網を揺るがしていた異常波形が、嘘のようにピタリと霧散した。
マフラーの警告ランプも、赤から青へと戻っていく。
静まり返った廃坑の底。
過剰な負荷と反発に耐えかねて崩れ落ちた守は、泥の中にぐったりと倒れ込んでいた。
もう、その瞳に異様な光はない。
拘束されていた救手の血筋の男も、幸いにも息があり、意識を失っているだけだった。
俺は彼の拘束を解き、嵐水とともに安全な場所へ運び出した。
あの日、理不尽な掟さえなければ違う人生があったかもしれない守は、誰に見送られることもなく、静かに法の裁きを受けることになるだろう。
地上へと戻る道すがら、俺は眼下に広がる禍神村を見下ろした。
異常な地殻活動の爪痕に耐えかね、かつての家々は傾き、そこに暮らす人々の気配はもはやどこにもない。
かつての因習と狂気を孕んだこの村は、救われることも、かつての賑わいを取り戻すこともなく、ただ自然の営みの中に放置されて、このまま静かに朽ち果てていくのだろう。
夜が明け、東京へと戻る車中。
ハンドルを握る陽菜はすっかり元の冷静な姿に戻っていた。
「ふう。これで観測されていた異常な地殻活動も、危険域を脱したわ。お疲れ様、二人とも」
助手席に座る俺は、彼女の豹変ぶりを遠い目で見つめつつ、自分の首元にそっと手を当てた。
マフラーのインジケーターは、今も変わらず安定した青い光を刻んでいる。
嵐水の力をもってしても禍神の力を消し去ることはできない。
これからも俺はこの理不尽な力を抱え、時折牙を剥くエラーと戦いながら生きていくのだろう。
けれど、もう恐れるものはない。
この最高に面倒くさくて頼もしい仲間たちと、自分たちの手で切り拓いていく日常が、確実にあるのだから。
「啓一、次の実験の件だが――」
バックミラー越しに、後部座席の嵐水が不敵に声を飛ばしてくる。
「はいはい、わかってますよ、風見さん」
苦笑いを浮かべながら、俺は前をまっすぐに見据えた。
不条理に満ちた世界で、俺たちは今日も、自分たちの手で最高の日常をデバッグし続けていく。
(完)




