第1章 10話『井の中の蛙』
「取り敢えず今は森に向かう事にするよ、他の選択肢も無いか道中で考える。」
あまりに重い選択肢ではあるが、腰を据えてじっくりと悩んでいる時間等無い為即座に行動に移す。
「ありがとうロシェ、後はーー」
「じゃあ各自準備を済ませて5分後に集合ね。」
「はい?」
当然一人で向かうつもりだったルクスはロシェルの言葉に戸惑いを隠せない。
「おいロシェ、なんのつもりだ?」
「なんのつもりって…そりゃ当然私も一緒に行くよ。」
「危険過ぎる、昨日とは状況が違うんだぞ?」
ルクスの心配などどこ吹く風なロシェルの意思は固い。
「わかってるよ、でもさルーくんは知ってるでしょ、大切な人が1人危険な場所に向かうのに黙って見送る気持ち。」
「そ、れは…。」
「大丈夫、危なくなったらルーくんが守ってくれれば良いよ。」
「簡単に言う…。」
あまりに軽々しくそう告げるロシェルにルクスは苦笑するしかないが、全幅の信頼を寄せるロシェルの期待に応えない訳にはいかないとルクスは覚悟を決める。
「…もし、何か起こったら自分の命を優先する事、それだけ守ってくれるなら良いよ。」
「ん〜…わかった。」
「よし、それじゃあ5分後に。」
最低限必要な確認は取れたが故にルクスとロシェルは準備に向かうのだった。
****
手早く準備を済ませ、集合場所へと戻るとそこにはロシェルだけでなくいつもの3人の姿があった。
何故3人が居るのか問おうとロシェルを見ると申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんねルーくん、さっきそこで3人に会っちゃって…。」
「ルクス、今の状況で、こんな時間に何処に行こうっていうの?」
「ルクスくん、おじさんの傍に居てあげた方が良いんじゃないの?」
「フタバの言う通りだ、グリームさんは今際の際を彷徨ってる、お前が励ましてやらないと。」
3人は口々に思いの丈をぶつけてくる。
どこまでもルクスの心身を案じる言葉ではあるが、明確に理解を示さない様子の3人にルクスは答える。
「みんなの言う通りだと思う、こんな状況で父さんの傍を離れて何してるんだって。」
「…でも僕は後悔したくない、最後の最後まで足掻いて、藻掻いて、それでもどうにもならなかった時に、初めて僕は…自分を納得させられる。」
3人の顔を真正面から見据え真剣な表情でルクスは自分の意思を語る。
それでもやはり不安が大きいようで否定の声が上がる。
「それが夜の森に入る事に繋がるのか?」
「危険過ぎるよ、ロシェルちゃんまで巻き込んで…。」
「それは違うよフタバちゃん、私が無理矢理ついてこうとしてるだけで…。」
「もういいだろ2人とも。」
しかし、オリバーだけは他2人とは違った反応を見せる。
覚悟を決めた表情のルクスの事を、オリバーもまた真剣な眼差しで見る。
「なあルクス、お前の意思が固い事はよくわかった、だから一言だけ。」
「…なんだ?」
「必ず…生きて帰って来いよ。」
「…わかった。」
強く、ルクスの目を見ながらそう言うオリバーにルクスも力強く頷く。
そんな2人のやり取りを見てウィルとフタバも決心がついたのか肩を竦めて言う。
「あ〜もうしょうがないなあ、何か僕に出来る事はある?」
「ありがとう、村のみんなを頼むよ。」
「ロシェルちゃんの事、守ってね?」
「うん、任せて。」
これ以上言葉を重ねる必要は無いとばかりに短いやり取りだけすると、ルクスは背を向ける。
そこにロシェルも並び立ち2人は歩き始める。
森に入る直前で振り返ると、手を振ってこちらを見送る3人に手を振り返す。
「…ルーくんは独りじゃないんだって、わかってもらえた?」
「…うん、よくわかった。」
「あの3人だけじゃなくて、みんなルーくんの事が大好きだからさ、ね?」
森に入り、3人の姿が見えなくなる程進んだ辺りで唐突にロシェルがそんな事を言い出す。
自分の視野の狭さを痛感して反省しながらも、気になった事をそのまま口に出す。
「…それって、ロシェルも?」
「え!?え〜いや〜…うん、そうだよ。」
直前まで余裕のある笑みを浮かべていたロシェルだったが、ルクスの一言で耳まで赤くする。
しかし、照れながらもハッキリとルクスへの好意を肯定する。
「ありがとう、すっげぇ嬉しいわ。」
「あ!ルーくん揶揄ったね!?」
「いやいや、そんな事ないって。」
チラリと様子を伺うようにルクスを見たロシェルは、そのニヤけ顔を見て自分が揶揄われたのだと理解し憤慨する。
「ふふふっ。」
「はははっ。」
暫しの沈黙の後、2人は顔を見合せ笑い合う。
それは、まさかここが危険地帯の真っ只中だとは思えない程に眩い光景だった。
****
「感じろ。」
その言葉と共にじわじわと自身の感知できる領域を広げていく。
しかし、前にグリームに言われた事を考慮して、その範囲は非常に狭い。
それでも実際に自分が見えていない所まで感知できるというのは、この環境においてこれ以上ない程の優位性を生み出す。
「うん、ここら辺には危険な生物は居ないみたいだ。」
「おつかれルーくん、体調は大丈夫?」
「うん、結構燃費良いみたいだし余裕。」
「そっか、ならいいけど。」
森に入ってから何度目になるかわからない程律式を使用しているルクスだが、その表情に疲れは見えない。
警戒を緩める事無く足場の悪い道をロシェルを気遣いながら長距離移動している上に、律式まで使用しているルクスの疲労は相当だと思われるが、ルクスは余裕そうにしている為本当なのだとロシェルは理解する。
「もうそろそろ着きそうだけど大丈夫か?」
「うん、私は大丈夫。」
「よし、じゃあこのまま進むか。」
警戒していた割にここまで順調に来れた事で緩みそうになる気を意識的に引き締める。
「気を引き締めろよ、何が起こるかわからないからな。」
「うん。」
守られる側だった頃には見えなかった景色が、守る側となった今は自然と目に入る。
ルクス自身も気付かぬ内に、その視野は以前よりもずっと広くなっていた。
ルクスに頼もしさを覚えながらも、ロシェルの頭はある事でいっぱいだった。
「…ねえルーくん、結局どうする事にしたの?」
「…。」
「あ、ごめんね、気を引き締めろって言われたばかりなのに。」
ロシェルからの問いにルクスは押し黙る。
そんなルクスの様子にロシェルは慌てて発言を撤回しようとする。
しかし、ルクスは意に介さず口を開く。
「…交渉が、出来るんじゃないかって思う。」
「え?」
ロシェルの困惑を他所にルクスは続ける。
「ふく丸のお母さんは、僕達の言葉を理解してるみたいだった。」
「だから、事情を話せば譲ってくれるんじゃないかって…希望的観測かな?」
「ううん、そんな事ない、ルーくんらしいよ。」
人によっては甘いと判断するだろう選択に、ロシェルは寧ろ親しみを覚えて微笑む。
「でもさ、一つ気になる事があるんだよね。」
「気になる事?」
「うん、ふく丸のお母さんはなんであんな怪我をしてたんだろうって。」
「…確かに。」
ルクスの疑問にロシェルも首を傾げる。
ルクスの中では既に思い当たる原因があるのか、どこか強張った表情で続ける。
「それで思い出したんだけどさ、ふく丸のお母さんにあった傷と僕達が埋葬した獣にあった傷、同じだったような気がしてさ。」
「…それって。」
「いや、まだわからない、僕の思い違いの可能性もある。」
口では否定しつつもルクスの表情はどこか確信するようなものだった。
「でももし、そうだったとしたら…。」
「…取り敢えず急いだ方が良さそうだね。」
「うん。」
ロシェルの言葉を受け、2人は走り始める。
杞憂であれば構わない。
しかし、ルクスは直近の連続した困難から考えざるを得なかった。
(頼む…!)
高鳴る心臓の鼓動が、走った事によるものなのか、それとも嫌な予感によるものなのか、ルクスにはわからなかった。
やがて辿り着いた2人を待ち受けていたのは、明らかに何者かの手によって齎された建造物の崩壊した様と、
ーー既に息絶えたふく丸の母親の姿だった。
****
「くそっ、嫌な予感が当たった…!」
以前はどこか神聖さが漂っていた空間に、今は何も感じない。
ルクスは無惨な姿を晒すふく丸の母親の元へ近づくと体に触れる。
「…ルーくん。」
「ダメだ、完全に事切れてる…間に合わなかった。」
「そんな…。」
ルクスは遣る瀬無さに拳を握り締め悔しさを滲ませる。
今回ばかりはルクスを気遣う余裕は無いのかロシェルは口を覆い絶句している。
しかし、ふく丸の母親の姿が他人事では無いと思い直したルクスは安全を確認するように周囲を見渡す。
「もう近くには居ないのか…?いやでも、まだ血は流れてるし。」
「ロシェ、取り敢えず建物の中に入って安全を確保しよう。」
傷口の状態からまだ近くに脅威が居ると判断したルクスは未だに呆けているロシェルに指示を出す。
だが、上の空のロシェルからは反応が無い。
「…ロシェ?」
「ルーくん…ふく丸ちゃんは?」
「!」
「ふく丸ちゃんを、助けてあげないと…!」
ロシェルの言葉で初めてあの憎たらしくてどこか愛らしい珍生物の存在を思い出す。
居てもたっても居られないとばかりに駆け出そうとするロシェルの肩を掴み一喝する。
「駄目だ、ふく丸を探すのは後だ。」
「なんでよ、ふく丸ちゃんはお母さんを喪って、今も1人で震えてるかもしれないのに…!」
「…それでも駄目だ。」
「…らしくないよ、いつもなら迷わず探しに行った筈でしょ?」
ルクスの説得に納得がいかないのかロシェルは食い下がる。
だが、ルクスも断固として譲らない。
「今はいつもとは状況が違う、自分の身を守れても無いのに誰かを守る事なんて出来ない。」
「でも…。」
尚も諦め切れない様子のロシェルに、ルクスは意を決して口を開く。
「…ふく丸には悪いけど、僕にはロシェルの方が大事なんだよ。」
「…え?」
「今の僕には誰も守れないかもしれない、でも、だからこそ君だけは守れるように僕の傍から離れないでくれ。」
ルクスの言葉に漸くロシェルは肩の力を抜き、恥ずかしさからか顔を逸らして呟く。
「…ズルいよ、そんな風に言われたら、諦めるしかないじゃん。」
「…ごめん。」
「ううん、良いの、わかってるから。」
「え?」
どこか寂しそうな笑顔でそう言うロシェルに違和感を抱くが、ふく丸を一旦諦める事に対してだろうと結論づける。
「でも建物の中に入るって言ったって他の建物はこの有り様だけど本当に大丈夫なの?」
「…正直怪しいけど、視界を遮れるだけでも違うと思う。」
「そっか、じゃあ取り敢えず行こっか。」
言葉少なにそれだけ確認すると2人は歩き出す。
はっきりと君を守ると宣言した手前、本当にこれで良いのかという迷いは尽きない。
それでも今の自分にやれる精一杯をやろうとルクスは自分を鼓舞する。
そんなルクスのちっぽけな勇気を嘲笑うかのように、
ーー理が歪む感覚がした。
そしてそれは、今まで感じた事が無い程濃密な気配で、律式等使わなくても理解が出来た。
「…近くに、居る。」
自然と呼吸が浅くなる。
全身の細胞が警戒信号を発しているのに動く事が出来ない。
脳に酸素が巡らない、正常な思考が出来ない。
永遠にも感じられる一瞬の後に、それはゆっくりと森の中から姿を現した。
それは、思わず脳裏を走馬灯が駆け巡る程の濃い死の気配を纏わせる、異形だった。




