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9.過去のことは何も知らない

どうしたら良いのか分からないとき、マジで遠くを見つめるしかない。

突然修正することがあります。

 要請状には即日返事があり、面談の約束を取り付けることができた。儀礼厩舎長は依頼状を出した翌日、学園の特別養護教諭のほうは三日後となった。

 今日は一人目の面談を行う。場所は離宮の迎賓室だった。

 壁に寄り掛かるゲアハルトが、今にも人間を殺しそうな顔で無言を貫いている。そのくせ、思念で文句を暴風雨並みに叩き付けてきた。イルゼカインは三人掛けのソファに腰掛けたまま、黙ってそれを受け止めていた。彼が何故そこまで怒るのか全く分からないので何を言っても無駄だと諦めていた。

 憎悪塗れの男の声が脳内に響いていたが、彼女は扉が叩かれたのを聞き逃さなかった。

「入れ」

 短い応答を返せば侍女が扉を開けて入ってきた。

「失礼します、当代。儀礼厩舎長、ロマスク公爵閣下をお連れしました」

 一礼して、彼女は男に入室を促す。そうして、イルゼカインの前に元王太子の美丈夫が現れた。

 美丈夫は金色の髪を持っていた。瞳は削り出した翡翠で、王族特有の色合いだった。美しい顔立ちには長い年月を掛けて刻まれた苦難と悔恨があり、影を強くしている。仮面で顔の大半を覆う監査官の姿を目にしたことで影がより一層濃くなった。

 相変わらず文官の正装姿ではあるが、イルゼカインは立ち上がって騎士礼を取って男を迎えた。

「ご足労頂きありがとうございます、ロマスク公爵閣下。どうぞお掛けください」

 そう言って、足の短い卓を挟んだ向こうにあるソファを勧める。イルゼカインにとってはそれ以上の意図も意味もなかった。しかし男にとっては違ったらしい。

 彼は立ったまま、「久しいね、エル」と絞り出すように言った。

 ロマスク公爵の言葉と表情に覚えも心当たりもない監査官は適当に頷いて、再度ソファを勧める。それで漸く彼は座った。

 侍女は茶を淹れると即座に退室する。部屋の中にはイルゼカインとゲアハルト、ロマスク公爵だけとなった。

「こうして、君と言葉をまた交わす機会があるとは思わなかった」

 低い位置に視線を落としたままの公爵には分からなかったが、イルゼカインは記憶の中を探して首を傾げていた。

 ひとまず対面のソファに腰を下ろして熟考するがやはり覚えていない。慶賀の儀で顔を見ることはあってもかなり遠巻きにされていたし、と思い返していればゲアハルトの声が頭の中に響いた。

〈覚えてねぇのはソイツがお前をブッ壊したカスだからだよ〉

 副官の声に「やっぱりそれだけだよね」と脳裏で応答して監査官は気を取り直す。傍目は沈黙を保っている二人を余所に、ロマスク公爵は遠い過去を思い返していた。

 おもむろに彼は顔を上げる。湖面のように美しい碧眼は波立ち、潤んでいた。

「エル、君はあの時のことを……」

「申し訳ありません、閣下。私には今の"私"になる以前の記憶が失われています。記録文書には目を通したので事件の詳細は把握していますが。その、エルという名にも聞き覚えがありません」

 イルゼカインが素直にそう申告すると、対面に座る男は複雑な表情を浮かべた。

 美しかったかつての婚約者の、変わり果てた姿への罪悪感。彼女から罰せらる機会が永劫に失われ、罪の意識を下ろせなくなったことに対する亡羊の嘆。そして、被害者から直接責められることはないという一瞬の安堵。それに伴う自戒と自己嫌悪。

 アレルクスの中でそういった感情が反発し、入り交じって産まれた表情だった。


 今この時、打ち拉がれた彼に相対する女には何も覚えていない。自分の過去については自意識に相当するものを再取得し、二度目の学習成長を遂げてから当時の記録に目を通した。父や使用人達から話を聞いた。それでもなお過去は思い出せず、既視感も無かった。何一つ。

 此岸へと引き戻されたイルゼカイン・エルドリーザ・ヘルロンドは、二年で身体機能の殆どを取り戻すとディグレンゼ領々主次代として教育を受けた。その際に知り得た"前世"についてはただ「ばかだなぁ」と思うだけだった。

 王太子であったアレルクスの婚約者として生きていた過去の自分は留めるべきであるアレルクスの心変わりを止めず、突然現れた女に自ら進んで席を譲ろうとし、当時の第二王子の息子を助け出し、落ちてきた神殿の天井と炎によって焼け焦げた肉塊になった。

 今の彼女にとっては、主観で見ればそれだけだった。他人事でしかなかった。


 消えてしまった婚約者エルドリーザとの想い出を偲んでロマスク公爵は静かに俯き、動かなくなる。イルゼカインはこうした人間が長く物思いに沈むことを知っているので待ってやることにした。

 彼女は窓の外に視線を向けて、頭の中で彼にすべき質問と想定される受け答えを反芻し始めた。

 二十回目の反芻を終えたところで、壁際に待機しているゲアハルトが大袈裟な咳払いをした。公爵に対して「いい加減にしろ」というサインだった。

 我に帰ったロマスク公爵に、イルゼカインは改めて諮問を始めた。彼女は卓上の小さな貝殻に置いて刻まれた術式に魔力を流す。最大で三時間程度の音を記録できる道具であり、会議では頻繁に使用される物だった。

「それでは始めさせて頂きます。証言、儀礼厩舎長ノアベル・アレルクス・ロマスク・オートピア。聴取、王家専属財務監査官イルゼカイン・エルドリーザ・ディグレンゼ・ヘルロンド……公爵閣下、今回ご足労頂いたのは監査の中で確認したい点が出てきたからです。要請状にも記載したとおりですが」

 控えていたゲアハルトが静かに扉へと向かう。待ち構えていたように扉が僅かに開いた。

 護衛の一人から問題の大帳簿と書き付けを受け取った彼は戻ってきて、それを卓の上に広げる。イルゼカインの手袋に包まれた指が一つの金額を指さした。

「こちらは寄付金の総合計金額です。この月だけ、他の月より五割近く多くなっています。詳細を確認すると閣下の寄付金が原因だと分かりました。閣下、何故この月だけ寄付金の額を増やしたのか、ご説明頂けますか?」

 監査官の問いに、ロマスク公爵は緊張する。彼の頬に力が籠もって視線が揺れたのをイルゼカインは見ていた。公爵は唇を何度か開けたり閉じたりしてから、やっと言葉を発した。

「手紙を、貰ったんだ。寄付を募る手紙だ。卒業生が寄付をすることに何も問題はないだろう?」

「確かに。寄付については何ら問題ございません」

 公爵の言葉を肯定する彼女の指は次にゲラルトから渡された個人の明細を示した。

「しかし、寄付は毎月行っていらっしゃるはずです。金額としては十分であるという認識していますが、なぜこの月のみ金額が多いのですか?」

 イルゼカインの問いに、公爵は迷いを見せる。しかし答えないままで済ますことはできなかった。

「…………言っただろう? 手紙が届いたと。前月にサクラからの手紙が来たんだ。立場の複雑さ、未だ続く敵視によって苦しい状況にいる。それでも生徒達のために魔法に頼らない治療のための設備を整えたい。そのための資金として寄付をして欲しい。そんな内容だった」

「サクラとは、王立学園特別養護教諭キサラギ・サクラのことですね」

 変わり果てた姿の婚約者が温度のない声で呼ぶのを、男は複雑そうな表情で聞いていた。

「その手紙を受け取った貴方は寄付金の額を増やした」

「ああ」

「手紙を一通受け取っただけで?」

「彼女への寄付はもう十年以上になる。その中で、今回のような増額を頼んでくるようなことは一度もなかったんだ」

「なるほど」

 公爵の説明を聞いて監査官は思考する。彼の説明だけではやはり不十分だが、経緯は判明した。

「受け取った手紙は保管されていますか?」

 イルゼカインがそう質問すると、ロマスク公爵は少し口籠もった。

「閣下?」

「手元には、もう無いんだ。寄付の時にいつも手紙添えていて、金額を増やした月の手紙で改めて理由を聞いたんだ。その返信に燃やしてくれと書いてあったから……」

「問いに対しての回答は?」

「一通目と同じだったよ。『もう寄付金の増額は必要ない』という追伸付きでね」

 公爵との面談はイルゼカインの疑問を解消するには不十分過ぎた。

「手紙以外のやり取りは? 養護教諭と会いましたか?」

「彼女と会うのは、学園の式典で陛下の馬を引いた時だけだ」

 そう答えた公爵は膝に置いた両手を強く握り締めて俯いた。



 ロマスク公爵が退室したのを見送った後、ゲアハルトは悪態を吐きながら資料を片付け始めた。

「あんな腰抜けのカス、廃嫡になって当然だな」

 臣籍降下したとはいえ問題のある物言いだった。貝殻に保護の魔法を掛けて専用の収集箱に仕舞っていたイルゼカインは瞑目する。

「ゲアハルト、思っていても口に出すのはやめなさい。閣下は自分の裁量を超えるものについては断定を避けるだけだ」

「それが腰抜けじゃなきゃなんだってんだ。大抵の人間が抱く感想だろ?」

「王族ではないが、それでも城内ではお前より高貴な身分になるんだ。諍いを招くような真似はするな」

 男の舌打ちが室内に響く。監査官はそれを咎めず無視した。

「公爵の証言に嘘はあったか?」

「馬鹿正直。疑うほうがアホ臭くなるくらいには」

「そうか……なら、明日は面談の前に郵便簿と財務記録を確認しよう。朝の内に城を出るぞ」

 今の時点で分かっていることは、公爵が手紙を受け取って寄付したということ。そして特別養護教諭の指示に従って手紙を破棄したということ。詳細は学園に保管されている関連記録から探すしかない。

 面談の約束を取り付けてはいるがそれに関しては言及していないが、当日に学園長から借りて確認できるはずだろう。破棄や改竄の恐れがあるから事前連絡はしない。

 王命によって創設された王立学園だが、授業方針や風紀等を除いて、その運営については干渉をしないと王家は明言している。そのため今日では一つの組織として独立していた。第三者の監視として内務大臣の定期監査を受け入れているだけだった。

 先に学園の記録を確認してから王城で保管されている監査記録と照らし合わせたほうがいいだろう。その場合は監査官ではなく内務大臣の管轄になるのでお伺いしなくてはいけない。

 監査官が明日以降の算段に思案を巡らせていると、副官に問いを投げ掛けられた。

「なあ。明日の外来種、お前に舐めた態度取ったら殺していいか?」

 彼の問いにイルゼカインは少し考えた後で「駄目だよ」と答えた。

「キサラギ・サクラは先王から人権と王国民権を賜っているんだ。だから殺処分には王の許可がいる」

「面白い」と思ったらコメント欄で好きな恐竜を教えてください。ワイはアンキロサウルスです。

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