1
広い宇宙のどこかにある惑星に、巨大な研究施設があった。
地上何十階もある高層ビルがいくつも連なっていて、その全てが研究施設になっている。
ここでは大勢の研究員たちが多くの分野に分かれ、様々な研究をしていた。
そんな研究施設の一角。
あらゆる設備の整ったこの何不自由ない研究室で、何もしないで無駄に時間を過ごしているのはもちろんこの研究室の主たちだ。
一見どこにでもいるような、4人の青年。
「あーあ。1年もこの施設にいると、飽きてくるよねー」
宙に浮いた足のない椅子の上でのん気につぶやいたのはユウカ。
薄い茶色のショートヘアに、少々つり上がった薄い紫の瞳。
身長は高くもなく低くもなく平均的だが、体格はやや華奢で細身。
色白で細い顎の、中性的な美貌の持ち主だ。
「ようやく飽きたか。俺はここに来て10日も経たない内から飽きてたよ」
ユウカの声を聞いて、宙に浮いたソファから男が起き上がった。
彼の名前はシャミニ。
髪と瞳の色はユウカと同じだが、顔立ちはユウカよりも大人びていて、落ち着いた雰囲気を持っていた。
身長もユウカよりは高く、体格は平均的。
整ったその顔には人を小馬鹿にしたような薄い笑みが浮かんでいる。
「飽きてる訳ないよね~。ユウカがそんな事言う時は何か企んでる時だよねー」
シャミニに反論したのは、コンピュータの前に座っていたアーリス。
髪と瞳の特徴はユウカやシャミニと同じ。
身長はユウカよりはやや高く、シャミニよりはやや低い。
体格は平均的。
くるくるとよく表情が変わる、幼い感じの元気な男だ。
「言ってみただけだよ。ユウカならもうあと10年ここにいても楽しくやりそうだよな」
シャミニは少し拗ねたようにソファに座り直した。
「えー?だってここ、ネタの宝庫だよー?しかもここに居たまま色んな場所の色んな情報がわかるしさー」
ユウカは楽しげに椅子をくるくると回している。
「で、今度は何を企んでいるんですか?」
コンピュータの向こう側から銃型の無痛注射器を手にした男、ヒロカが出て来た。
少々たれ目気味の、冷静そうな青年。
薄い茶色の髪と薄い紫の瞳は他の3人と同じ特徴だ。
身長はアーリスとほぼ同じで、体格はユウカほどではないがやや細身だ。
「俺たちって正体不明じゃん?」
「確かにそうだな。ここに来る前の記憶はないし、1年経っても記憶が戻る気配もないし」
「知ってても知らなくても、この状況が変わるとも思えないもんね」
「それで、今頃になって調べてみようと?」
ヒロカはそう言いながらユウカの近くに浮いている椅子に座った。
ユウカはにっこりとうなずく。
「ここは研究施設だし、上層部の連中も俺たちの素性は知らないみたいだし、興味もないみたいだし。それに、面白そうじゃん?」
「うんっ。面白そうだよ。やってみようよ!」
アーリスが元気に賛成した。
彼ら4人は、ここに来る以前の記憶が全くなかった。
何かの事故なのか、人為的なものによるものなのか、それさえもわからない。
だからどこの星の出身なのかもわからなかった。
4人がどういう関係なのかもわからない。
ここは研究施設だ。
調べようと思えばいくらでも調べる事ができるだろう。
記憶についての研究をしている部署もある。
人為的に記憶を取り戻す為の機械もあったが、彼ら4人には全く効果がなかった。
ここに来て1年、月に1回は簡単な健康チェックをさせられているが、簡単な検査では彼らの正体がわかるような結果は出ていない。
記憶がない事との関連もわからなかった。
謎である。
しかし、どうして今までそれを調べようとしなかったのか。
こっちの方が最大の謎なのかも知れない。
「決まりでいいね」
ユウカはそう言って立ち上がると、机の上の通信機器に手を伸ばした。
「シャルを呼ぶのか?」
シャミニが訊く。
「呼ぶよー」
ユウカはうなずいた。
シャルというのは彼ら4人をこの施設に連れて来た男で、上層部の統括員と呼ばれる人間のひとりでもある。
そして彼は、脳以外は合成体でできている合成人間だった。
上層部のほとんどの統括員は信用できない者ばかりだが、4人はシャルの事だけは信用していた。
4人が記憶を失う前からの知人らしい。
つまり、4人が記憶喪失であるという事は知っている。
しかし、その事を他の統括員の連中に話したりはしていなかった。
そんなシャルでも、4人の記憶喪失の原因はわからないらしい。
シャルは4人とは古くからの知り合いという訳でもないらしく、4人がどこの星の出身なのか、どういう種族なのか詳しくは知らないという事だった。
「······で、今頃になって調べてみようと?」
ユウカ達の研究室に呼ばれたシャルは、呆れた顔でヒロカと同じ台詞を吐いた。
濃い茶色のショートヘアに青い瞳の、優しげな顔立ちの青年だ。
身長も体格も平均的。
そして、合成人間特有の青白い肌。
「それでさ、とりあえず俺たちがどんな体質なのか知りたいから、これを揃えて欲しいんだけど」
ユウカがそう言って、透明なアクリル板のような物をシャルに渡した。
メモ帳代わりのディスプレイ盤らしい。
シャルは黙ってそれを受け取る。
そしてしばらく無言で目を通した後、まじまじとユウカを見つめた。
ユウカは笑みを浮かべてシャルの反応を伺っている。
「わかりました。数日中に揃えておきますよ」
シャルは半ば諦めたような表情でうなずくと、ゆっくりと立ち上がった。
「よろしくね」
ユウカはにっこり笑ってシャルを見送る。
他の3人もシャルを見送っていた。
数日後。
ユウカが頼んでいた物をシャルが持って来た。
机の上に並べられたそれらを見て、ユウカは満足げににっこりと笑う。
アーリスもわくわくと楽しげな顔で並べられた品物を見ていた。
そのほとんどが注射用の薬液が入ったアンプルなのだが、中身に問題があった。
アンプルの中身はどれも毒物や劇物に分類される物ばかりなのだ。
普通ならアレルギーなどの検査をしてどんな体質かを判断するのだが、どうしてこのような危険な物が必要なのか。
毒物や劇物などを体内に注射したら、体質がわかる前に死んでしまう筈だ。
ユウカは何を考えてこんな物を頼んだのだろう。
もちろんシャルにわかる筈もなかった。
当の本人であるユウカ自身でさえもあまりわかっていないのかも知れないが。
シャルは机の向こう側からユウカたちを見ていた。
ユウカは無邪気に喜んでアンプルを手に取っている。
これから彼らがしようとしている事を考えると頭が痛くなってきた。
しかし、どうせ止めても無駄なのだ。
「他にも足りない物があれば言ってください。自分の研究室にいますから」
シャルはため息をつきつつそう言って研究室を出て行った。
「それじゃ、早速やって見ますか」
ユウカは嬉しそうに並べられた物の中から注射液の入ったアンプルを手に取る。
そしてそれを銃型の無痛注射器にセットすると、自分の首筋に当てた。
「それは何ですか?」
ヒロカが訊く。
「何かの毒だったかな。とりあえず解毒剤用意しててくれる?」
「毒ですか······ていうか、どうしてそんなにのん気にしていられるんですか」
のん気なユウカを見て、ヒロカは疲れた顔でため息をついた。
「ん~、どうしてかな。何だか何やっても大丈夫な気がしてるんだよねー」
自分の首筋に注射器を当てたまま、ユウカはこてっと首を傾げる。
アーリスがそれを見て笑った。
「そういう根拠のない自信、ユウカらしいよね」
「解毒剤はこちらで用意しますから、どうぞ」
「じゃ、やるよ」
解毒剤の用意をするヒロカを横目に見ながら、ユウカは注射器の引き金を引いた。
プシュッという軽い音がして、セットされたアンプルが空になる。
「どんな感じ?」
アーリスが興味津々の眼差しで訊いた。
「何ともないなあ。これ何の毒?」
「それ、毒じゃなくてウィルスだな」
パッケージの説明を読んで、シャミニが答える。
「ウィルス?」
ヒロカは少し焦った顔でシャミニを見た。
解毒剤の用意しかしていない。
急いでウィルスの抗体の準備に取り掛かった。
「感染すると数時間で死ぬようなやつ。感染直後から症状が出る筈なんだけどな」
シャミニはそう言ってユウカを見る。
「何も症状出てないよね」
不思議そうな顔でアーリスは首を傾げた。
ユウカの様子は注射を打つ前と全く変わらない。
「全然平気だよ。ほんとにウィルスなの?」
「シャルが用意した物ですから、間違いなく本物でしょう」
「じゃ、他のも試してみよう」
ユウカは納得いかない顔で別のアンプルを手に取る。
「じゃ、僕もやってみる~」
アーリスが手を挙げた。
シャミニはヒロカと顔を見合わせたあと、小さくため息をついた。
そして、仕方なく2人に続く事にする。
やがて、4人は用意された殆どの毒物や劇物を注射した。
しかし。
効き目は一向に現れない。
もうとっくに死んでいてもおかしくないくらいの時間は過ぎている。
「······何で?」
ユウカは3人を見回した。
「どうしてでしょう。シャルが偽物を用意する筈はないんですが」
「ちょっとアーリス、急いでシャル呼んで」
「全然効かなかったんですね······」
呼ばれたシャルは、4人の話を聞いて何故か納得したような顔で呟いた。
「何でそんなに冷静なの」
ユウカは注射器を持ったまま眉を寄せてシャルを見る。
「これ、本当に本物なんですか?」
ヒロカが訊いた。
「当たり前じゃないですか」
シャルは憤慨した様子でうなずく。
これだけの毒物や劇物を用意するのにどれだけ苦労したか。
そう思ってため息をついた。
ユウカは注射器に残っているアンプルをセットし、再び自分の首筋に打った。
シャルは黙ってその様子を観察する。
「見てよ。全然平気だよ。これ、普通ならものの数分で死んでるような毒物だよ。なのに何の症状も出てないよ」
ユウカはけろっとした様子でシャルを見た。
「正真正銘、本物ですよ?」
シャルは複雑な表情で答える。
どうやら毒やウィルスが効かないか、あるいは中和できる体質のようだ。
もちろんそれは人外レベルである。
「俺たちって、何者?」
ユウカはそうつぶやいて、注射器を机の上に置いた。
毒物も劇物も、全員が全種類を注射したのだが、効き目は現れなかった。
「記憶喪失な上に、毒物も劇物も効かない体質な訳ですね」
ヒロカが冷静に言う。
「普通の人間じゃないって事は予想してたけど、まさかここまでとはなあ」
シャミニが半分呆れたようにつぶやいた。
「こうなるんじゃないかなー、とは思ってたけど、本当になるとは思ってもみなかったよ」
ユウカも納得いかないような顔でつぶやいている。
「どうも、本格的に染色体や遺伝子の検査をする必要がありそうですね」
しばらく考えた後、ヒロカは3人にそう言った。
もちろん全員、異存はない。
これまで簡単な血液検査などの健康診断は受けてきたが、染色体や遺伝子までは調べた事がなかった。
この検査によって何かわかるかも知れない。
血液や体液の成分、遺伝子などの研究をしている研究室もあるので、そこに検査を依頼する事になった。
そして数日後、検査の結果が届いた。
「何これ!?」
成分表を見たユウカが声をあげた。
「染色体も遺伝子も、特殊すぎて比較材料がないから判定できないって書いてあるね」
アーリスが口を尖らせる。
体液の検査は随分恥ずかしい思いをしたのだ。
それなのに、結果は判定不能。
恥ずかしい思いをしただけ無駄になってしまった事になる。
「表皮成分、染色体、遺伝子パターンのどれを取っても、普通の人間には見られない物だったみたいですね。人間だけでなく、どこの星のどんな種族にも見られないようです。血液は人間と変わりないのに、遺伝子や染色体は人間とは全く違うなんて」
ヒロカは送られた結果を冷静に見ながら説明した。
「つまり俺たちは、あれだな」
シャミニがユウカを見る。
「根本的に人間じゃないって事かな?」
ユウカは珍しく引きつった笑みを浮かべた。
「そうなるな」
シャミニはにっこりとうなずく。
「人間でないなら一体······」
ヒロカが難しい顔で考え込んだ。
「謎だね」
アーリスはそう言ってコンピュータの前に座る。
「······ん?待って。この遺伝子パターン、見覚えあるよ」
成分表を見ていたユウカが3人を見回した。
「え?」
アーリスが振り向く。
ユウカはアーリスの横に来てコンピュータを覗いた。
「ちょっと見ててよ」
慣れた手つきでキーを叩く。
しばらくしてモニターにひとつの遺伝子パターンが表示された。
ユウカたちの遺伝子パターンとほとんど一致している。
「ほらね」
「ウソ~。同じじゃん」
それを見たアーリスはぽかんと口をあけた。
ヒロカとシャミニもモニターの前に来る。
「これは何の遺伝子パターンですか?」
ヒロカが訊いた。
「これで俺たちの正体がわかるんじゃないか?」
シャミニがつぶやく。
「知りたい?」
ユウカはモニターから離れてソファに移動した。
「勿体ぶらないで教えてよ~」
アーリスもソファの方に移動してくる。
「いや、俺もちょっと信じられないんだけどさ。その遺伝子パターンはね。惑星ル・エポにしかない、木なんだよ」
「ウソお!?」
「は!?」
「何ですって!?」
3人はそれぞれ驚きの声をあげてユウカを見た。
「本当にほんと。信じられないけど、木だよ。前に遊びで遺伝子パターンの組替えシミュレーションしてた時に使ったパターンなんだ」
「じゃあ俺たちって、人間の皮を被った木だったのか······?」
シャミニが妙に納得した顔でつぶやく。
「人間の皮を被った木って!」
それを聞いてアーリスがぶはっと吹いた。
「その木を詳しく調べれば何かわかるかも知れないけどね」
ユウカは落ち着いた様子でそう言った。
「記憶喪失の原因も何かわかるかも知れないな」
「そうですね」
「シャルに頼んで、ル・エポからその木を取り寄せてもらおうよ」
「それは無理だよアーリス」
「どうしてさ?」
ソファで足を組んでいるユウカをアーリスが見る。
「それはヒロカに訊いてよ」
ユウカは意味深な笑みを浮かべてヒロカを見た。
「ヒロカ、詳しいんだっけ?」
アーリスがヒロカに向き直る。
「ユウカの言う通り、ル・エポから木を取り寄せるのは無理なんです」
ヒロカはそう言ってうつむいた。
「どうしてなんだ?」
シャミニが眉をしかめる。
「惑星ル・エポは随分前に、小惑星の衝突により、周囲の小衛星を巻き込んで消滅してしまったんです」
「はい。これでまた振り出しに戻った訳じゃん」
ユウカは驚く様子もなくそう言った。
シャミニはそんなユウカを見つめる。
ユウカは何か知っている。
そんな気がした。
そしてそう思っていたのはシャミニだけではないらしい。
「ユウカ······あなた何か知っているんじゃないですか?」
ヒロカが顔をあげてユウカを見た。
「ていうか、ヒロカはさっき証明されたように、惑星に詳しい事でしょ。アーリスはコンピュータ操作が得意だとか、シャミニは射撃が得意とか。シャルが元々は人間で、何かの事故で合成人間になったとか、この程度の事はわかるよ」
ユウカはぺらぺらとしゃべる。
「もしかしてユウカ、記憶戻ってる?」
アーリスが訊いた。
「断片的に思い出したんだよ」
「他にはないですか?」
「そうだねえ、砂漠と遺跡だらけの映像が頭に浮かんだ」
「それはきっと、惑星デサリーですね。ユウカの大好きなサンドワームの······って、ユウカはサンドワーム好きでしたっけ?」
「うん。サンドワーム大好きなんだよ。ヒロカも思い出しつつあるみたいだね。注射した毒物が今頃になって効いてきたのかもね」
ユウカはそう言って楽しそうに笑う。
サンドワームとは、砂漠に生息する巨大な芋虫型の生物だ。
「ユウカってサンドワーム好きだったんだー」
「うんうん。好きだったんだよー」
ユウカは楽しげに笑みを浮かべてアーリスと話している。
今まで少しも記憶が戻る事はなかったのだが、ここ数日で断片的にではあるが思い出せるようになってきていた。
「惑星デサリーか······」
シャミニがつぶやく。
「ちょっとデサリーについて調べてみよっか」
ひとしきりユウカと騒いでいたアーリスがコンピュータの前に座った。
他の3人もモニターの前に集まる。
「今はどうやら無人みたいだね。星に入るには管理惑星シェートの許可証がいるみたいだよ。それと全惑星共通の星間パスもね」
モニターを見ながらアーリスが説明した。
「でもデサリーに行って何がわかるって訳でもないじゃん」
ユウカが言う。
その惑星に行ったからと言って、自分たちが一体どんな生き物なのかがわかる訳ではない。
記憶が戻る手掛かりがあるかどうかも怪しい。
「うーん。とりあえず重要なのは、僕らが記憶を失う前、どこで何をしていたかだよね」
アーリスが言った。
「そうですね。しかしそれは記憶が戻らない事には知りようがないですね」
ヒロカがつぶやく。
「シャルなら何か知ってるんじゃないかな」
ユウカはそう言って3人を見た。
「シャルが?」
シャミニがユウカを見る。
「多分ね。俺たちをここに連れて来たのシャルだし。記憶喪失になった俺たちを保護するためか隠すためか、何らかの理由があって連れて来た筈だよ」
ユウカはそう説明した。
「それもそうだな」
シャミニがうなずく。
「という事は、シャルは私たちの体質の事も知っていたんですかね。毒物も劇物も効かないと知っても冷静でしたし、納得しているようにも見えました」
「そうかもね。アーリス、シャルを呼んでよ」
「うん、わかった」
アーリスはうなずくと、通信機器に手を伸ばした。




