第二十九話
翌朝。
ぎちぎちに固まった体をうんと伸ばし、廃墟の外に出る。
朝日が昇ったばかりのようで、オレンジ色の空と皆寝静まったような空気がわたしを出迎えた。
やはりというか、慣れない場所だとあまり寝覚めはよくない。ぼんやりとした頭で、とりあえず目を覚まそうと決める。両手でお皿を作るようにして、
「水を造れ」
詠唱の跡、ぬるい水が手のひらを満たした。それで顔を洗い、水を切る。
「乾かせ」
自分の顔に手をかざし、魔法で顔の水気を取り除く。やり過ぎたら乾燥してカサカサになってしまうので、この時ばかりは少しだけ気を使う。肌から水気が無くなってきた。手で触れて確かめる。うん、濡れてない。だいじょうぶ。
「おはようございます」
「おはよう。起こしちゃった?」
「いえ、いつもこの時間くらいに起きるので」
眠気まなこをこすりながら、エウレルが廃墟から姿を現した。
「へえ、早起きだね」
「朝方は魔獣が少なくて。食材探しによく外を散策するんですよね」
「エウレルでも、あまり魔獣とは戦いたくないの?」
「はい、あまり戦闘はしたくなくて。必要とあれば戦うんですけどね」
「そっか」
朝方かあ。わたしはあまり早起きが得意でない。なので食材探しに出歩くとしたら主に昼間に終わらせる。魔獣と戦うのは嫌だけど、それと同じくらい獣の動きも活発だから手早く済むんだよね。
今回はむしろ早めに抜けたい場所らしい。それなら、
「早めに出よっか」
「えっと、旧都へ?」
「うん。だって、早めに抜けたほうがいいんでしょ? ちゃんとしていれば危なくなることはない。って言うくらいだし」
「確かにそうですね。わかりました、では準備してきます。気を付けるべきことは難しくないので道中で説明しますね」
「わかった」
それからわたし達は荷物を背負って、旅の続きを始める。
旧都、といわれる場所。いったいどんなところなんだろう。
「では、旧都までしばらく時間があるので、歩きながら旧都をやり過ごすためのルールを説明しますね」
「やり過ごす?」
「はい。ちょっとあそこは特殊なんです」
それからエウレルは真剣な表情で告げた。
「ルールはひとつ、通りがかるものに目を合わせてはいけない。です」
「目を合わせてはいけない? どういうこと?」
「例えば先を進んでいると、向かいであったり道中であったりで人と出くわすことがあります。その時に目を合わせず、何も言わず通り過ぎる。それが旧都をやり過ごすルールです」
せっかく人に会えたのに気にせず通り過ぎるってこと? ちょっとさびしいな。
「……ちなみに、それをやらなかったらどうなるの?」
「生きては出られないでしょうね」
淡々と告げるエウレルに身震いした。
「ただし、そのルールさえ守っていれば、この旧都を通る道が一番安全になります」
「そ、そうなの?」
「他のルートもあるんですが、色々と厄介な目にあいやすくて。例えば人さらい、とか」
「ひ、人さらい!?」
「はい。なので、知っている人はこの道を選びます」
一応さ、お父さんに教えてもらったからこの道に来てるんだよね。だとすると、お父さんも旧都のことを知っていたんだろうか。
そう言えば、わたしが生まれる前のお父さんってどんな人だったんだろう。いつか話してみたいな。
そう思いながら歩いていると、ひときわ異様な光景にたどり着いた。
「あれが、旧都です」
目の前に広がるのは、長い長い下り桟橋だった。
そして、その先は無数に集まった灰色の塔たちを外壁で囲っている。
しかし、決定的に違うのは、子供のころ本で見たお祭り騒ぎな巨大都市とは無縁の、明かり一つも付いていない遠目で見てもわかる人気の無さ。あとは、上空を黒い雲が覆っているせいか、その場所でだけ充満する妙な薄暗さ。
そして、
「……わあ、すっごおい」
「きれいですね」
絶景だとは思うよ。思うんだけどさ。
しまいには、その桟橋と都市を囲うように、湖と空を行き来する蛇みたいな生き物がいた。ぐるぐると縦に回り続けているせいか、端では空から落ちた流水が滝みたいに水辺を打ち鳴らしていた。あ、虹が出来てる。きれいだなあ。
うん、これはさすがに。
「ねえ、ほ、ほんとにここであってるの? あ、あのおっきい奴って」
「ええ、魔獣です」
「へ?」
「桟橋を渡り始めたら、絶対に辺りを見回さないでくださいね。アイツに見つかったら、ほぼ確実に死にます」
もう、何を言ってるんだろうこの子は。
え、この先にわたし進むの? 夢か何かでも見ているの? 帰っていい?
そんなふわついたわたしに、エウレルは「行きましょう」と言って先に進む。
どうしてそうも勇敢なの。いつもなら凄いって手放しでほめてやりたいけど、今回ばかりはかるくお叱りしてやりたい。でもへっぴり腰のわたしに言える余裕なんて、ある訳もなく。
「行きましょう」
「……はい」
なくなく、エウレルの後ろを付いて行くことしか出来なかった。
「アンジェリカさん」
「な、なに? ってこれ、話しても大丈夫なの?」
「はい。奴らは音では反応しないので」
あんなにおっきな魔獣が居るというのに。危ないと思って耳打ちすると、エウレルはなんてことも無さげに答えてしまった。
「真っ直ぐだけをみてれば、こんな風に会話だってできます。とはいえ、あまり長居はしたくないので、先を急ぎましょう」
「うん。流石にあんなおっきな蛇……蛇なの? アレ」
「いえ、あれは竜——水竜といわれるものですね。激高すると口から高圧の水流を放出して、辺り一帯をめちゃくちゃにします」
「……英雄の記憶ってやつ?」
「はい。倒した英雄も存在するのですが、復活なのか、それとも別の個体なのか。いずれにしても戦っていてはラチがあかないので、放っておきましょう」
「も、もちろん」
なんかもう自分が子供でいいんじゃないだろうか。なんて、心がしょげそうになるが、いきなり大人をやめるだなんて逃げるのは、さすがに大人としてどうなんだろう。
それだけは嫌なので、せめてニコニコして桟橋は超える意気込みで先へ進む。多分笑顔引きつってると思うけど。
「あの、途中で休んでもいいですからね?」
「さ、さすがにここで休むのはいいかなぁ?」
それから、上ずった声と、息が詰まるような時間を経て、ようやく桟橋を渡り切った。そんなわたし達の前に立ちふさがったのは、巨大な門と、その先に延々と続いて見えるなだらかな階段だった。
その階段を囲うように、ぎっしりと並び立つ縦長の建物たち。見上げてしまう高さばかりのせいか、ひどく暗い場所になっていた。心なしか雲の動きも速い気がする。
「ほんとに休まなくてだいじょうぶですか?」
「も、もちろん!!」
きっとわたしは大人をやれている。そう思いたい。




