第一話
魔王が討伐された。
都心部であるアクテリスから、はるばるやってきた行商人さんからの報せだった。もう世界中に知れ渡っていて、半年前にはパレードがあったという。そして、このコリアテ村も報せを受けると、涙ながらの大歓声でにぎわった。
ただでさえ生きるのにも一苦労で、衣服だってぼろ布の古着か、行商人さんから恵んでもらった廃棄品くらいしか手に入らない。その原因である魔王が討ち滅ぼされたんだ。
もう苦しまなくていい。村の人達も同じことを思っていたのか、小さな村は一躍お祭り騒ぎになった。
「アンジェリカ!!」
しわがれた声がわたしを呼んだ、父からのものだ。
「やったな、アン!! ついに我々の祈りが天へと届いた!!」
「……うん」
遠くを見ている気分だった。
「浮かない顔だな、体調でも優れないか?」
「そんなことない。わたしも嬉しいよ」
「それならよかった。これからはきっと、ヤニ様が我々に祝福を与えてくださる」
「ヤニ様のおしえ、だよね」
コリアテ村には、村の守り神としてヤニ様を信仰している。日々祈ることで祝福を受け、災いから身を守ってくださる。その恩恵を受けるには、このおしえに倣った生活や祈りが必要となる。
「そういうことだ。祈れば救いを与える。今日はもうお祈りは済ませたか?」
わたしは首を横に振った。父は外に出るぞ、と言い、開けた場所に立った。
「さあ、一緒に祈るぞ」
父はその場で膝を付き、胸の中心に両手を当てた。その後、空に向かって両手を大きく広げた。
わたしも父に倣い、膝を付いて、空に向けて手を広げた。これを心臓の鼓動が十回鳴るまで続ける。
物心がついた時から毎日やってるけど、意味があるのかは正直わかってない。けど、やらないと物凄く叱られるから言われた通りにする。
祈りを終えたわたし達は立ち上がり、部屋に戻った。
「よし、これで今日もヤニ様が祝福してくださる。今日は特別にごちそうだぞ? 父さん、腕によりをかけてたーくさん用意してやるからな? 楽しみにしておけ」
「わかった、楽しみにしてる」
そう言いながらも、異常がないかを確かめるように、一言一句に気を張りながら父はわたしを観察する。わたしの身を案じているんだ、かすり傷一つで走り寄るくらいには。
とはいえ、今日はいつもよりべったりでない。今回は魔王の討伐という奇跡のおかげか、気に掛ける素振りは普段よりもずっと少ない。
ひとり遠目から見守る中、父は満面の笑みをわたしに向けると、すぐさま広場に群がる村人たちのどんちゃん騒ぎに交じっていった。
わたしも混ざれるなら混ざりたかった、だってこの日をずっと待っていたのはわたしだって同じだもの。
「あれ、アンちゃん。元気ないな? 大丈夫か?」
ひとり顔を落とすわたしが気になったのか、お隣のベンおじさんが話かけてくれた。
「すみません。ちょっと体調が優れなくて」
「そっか。まあ、ちょっと疲れて見えんな。でもよ、折角のお祭りなんだからよ、踊るなら楽しまなきゃ損だぜ?」
「そーそー!! ちっとばかし調子が悪くてもはしゃいだら全部すっ飛んでくれんのさ!!」
「おい、お前らみたいなおバカと一緒にすんなよな。うちのアンは元気だけど、繊細なんだから」
「なにおう!?」
気に掛けてくれる村の人達に頭を下げる。本当なら父に今の気持ちを打ち明けたいけれど、正直に話したところで村人達のうかれ具合に水を差すかもしれない。それはわたしにとっても気に病むところであった。
「お父さん、ごめん……ちょっと」
「どうした!? 本当に調子が悪そうだな、あまり無理はするなよ?」
「うん、先にお家戻ってるね」
「ひとりで大丈夫か?」
「目の前にあるんだから大丈夫だよ。お父さんは皆と楽しんで、ね?」
「あ、ああ。少しでも辛くなったら窓を強く鳴らしなさい。すぐに飛んでくるから。いいね?」
「わかった、ありがとう。お父さん」
父に断りを入れて、わたしはひとり家に戻った。
殺風景な部屋だと思う。敷き詰めた石で出来た家は、見てくれは確かに無骨だけど温かさに満ちていたはずなのに、今のわたしにはそれが随分と寂しく見えた。
「あれ?」
テーブルにぽつりと置かれた、真っ白な便箋ひとつ。差出人はロイ・イグニス。三年前に旅立った幼馴染からのものだった。
「……手紙なんて今まで届いたことないのに」
開けようとした手が渋る。
頭の中ではファンファーレが鳴り響いているのに、その深く奥へと進むと、一切の音が消えて、ひとり取り残される感じ。そんな虚しさがふつふつと沸き上がっていた。
体調を崩した。そう自分に念押しして、しばらく自室で横になることにした。曇天で埋め尽くされたわたしの胸中とは裏腹に、窓からは冷たいすきま風がひゅうひゅうと鳴いている。確か、ロイが旅に出たのもこんな冬の日だったんじゃないだろうか。
「ロイ……」
ロイとは、わたしが物心つく頃からの腐れ縁だ。一番最初に母と父を知り、その次に知った人物のひとりだ。彼とは同い年でお隣同士だったが、最初は趣味が違うのもあって、始めはそんなに言葉を交わさなかった。
わたしは外ではしゃぎ回るのが好きだったが、ロイは燃えるような赤髪をした物静かな子だった。どちらかと言えば外で遊ぶ子供たちとは離れて、本を読むことに打ち込んでいるようだった。
転機があったのは、十年前。たしか七歳の頃だ。
子供たちと追いかけっこをしていたある日、転んで足をくじいてしまった。その日走れなくなったわたしは、いつものように本を読んでいるロイに話しかけた。
『みんなとあそばないの?』
『うん、ぼくにはやることがあるから』
『この本がそうなの?』
『うん、ぼくは色々と知らなきゃいけないから』
ロイはわたし達と違った。どこか遠くを見るように空を眺めると、何かを決意したかのように本に目を戻す。そんな顔をした人なんて村の中で誰もいなかったから、わたしはロイが何を考えているのかが凄く気になった。だから、
『ねえ、ロイ。わたしも本を読んでみたい。わたしにも教えて!!』
『いいよ』
ロイは、この時はじめて小さく笑った。わたしはより一層ロイの事が気になった。そんなわたしに、ロイはたくさんのことを教えてくれた。
『世界地図って知ってる?』
『なにそれ、知らない』
『世界っていう一つの箱みたいな場所があって。ぼくたちはその中にいるんだ』
『そうなの?』
『うん。このコリアテ村も、都市アクテリスも。それだけじゃない、色々な国が世界という箱のどこかに作られて、ぼくたちは一つの箱の中で一緒に生きているんだ』
『ふうん、コリアテ村以外にもいろんな場所があるんだね』
『そういうこと。でも、世界はとっても広いから、何か印が無いと見失ってしまう。その為の世界地図なんだ。知っておくと便利だよ』
ロイがしてくれる話は、おとぎ話みたいでとてもワクワクするようなものだった。
獣の顔をした人々、喋る花、見上げるくらい大きな巨人。火や水を生み出す魔法使いと呼ばれる人たち。一面が氷で覆われた大地。
そして、世界の中心に立つ一本の塔、その頂上にある未踏の楽園。そこまで連れてってくれる大きな、とても大きな船。
『ねえ、いつか一緒にいってみようよ』
そんなにワクワクするような何かがあるなら、誰かと一緒に見た方が絶対に楽しい。そう思っていた。
『ごめんね。ぼくにはやるべきことがあるから』
しばらくして、ロイは天のお告げによって英雄と呼ばれるようになった。英雄に選ばれたロイは、魔王を倒す旅に出ないといけない。旅に出るその日、わたしは彼の背中が見えなくなるまで見送った。ロイは一度だけわたしに手を振ってくれたあと、二度と振り返ることはなかった。
「ロイ……」
日常の雑踏に消えていた、忘れたくて忘れていた思い出がふつふつと蘇る。
その名残を求めて便箋の封を切ると、中身の手紙にはある一言が小さく記されていた。
『空を飛んでみたい』
そうだった。これは、わたしが引き受けたロイの夢。
「そっか。ロイ、死んじゃったんだ」
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