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1.





「なんだって……?」


 ガシャン、と。メイドが肩を跳ねさせるほどに大きく響いたティーカップの音。

 いつだって冷静で、幼い頃から後継者として厳しい教育を受けてきた彼らしからぬ動揺っぷりに、正直少し驚いた。

 私の言葉如きが彼の心を乱すとは、予想していなかった。

 いや、例えそれが愛のないものであったとしても、腐っても幼い頃からの付き合いだ。口下手だが優しい彼ならば、多少の愛着だって湧くものだろう。

 私だって子供の頃に一緒に寝ていたぬいぐるみを捨てるときには、少し感傷に浸ったし母様に駄々をこねてみたりした。そういうものだ。


「お手元にある書類に目を通していただければ良いのですが……念のためもう一度お伝えしますね」


 だから私は、冷めきった紅茶を飲み干してから、先ほどと同じ言葉を再度口にした。



「私たち、婚約破棄しましょう」







***







 学園の図書館は、いつだって人気がしない。

 膨大な資料を有するそこは、本来であれば放課後に勉学に勤しむ生徒たちが集まる場ではあるが、貴族の子息たちが通うこの学園では全く機能しないのだ。

 家に帰れば当たり前のように家庭教師がついているお嬢様・お坊ちゃまばかり。授業以外でわざわざ勉強をしようというもの好きは余程のガリ勉か、落第寸前の劣等生くらいのものだ。


 だからこそ、今こうして一息つける。

 ウィンター・カークランドは、誰の目もないことをいいことに、机に突っ伏して大きなため息を吐き出す。

 まるで何かの事件の犯人かのようにご令嬢たちに追いかけ回され、逃げ込んだ場所がこの図書館だった。

 平和な学園で流れたゴシップがまさかこんなにも令嬢たちを夢中にさせるとは。少し計算外だった。


「学園中の噂の的・カークランド伯爵令嬢。ご機嫌いかが?」

「……サミュ」


 疲労困憊のウィンターの正面に腰掛け、優雅に足を組むのはサミュエル・レイ。

 学園の演劇部に所属し、主演作の公演は講堂がファンの令嬢たちで埋め尽くす学園の王子様。とは言っても、サミュエルもウィンターと同じく制服のスカートを着こなす(まるで衣装のようだが)歴とした女性。

 そんな彼女は、ウィンターの気の置けない親友であり、悪友である。


「ご令嬢たちに詰め寄られて怖かったよ。他人の事情にこんなに興味を持つなんて」

「娯楽が少ないからね、それに気になるだろう」


「カークランド令嬢が婚約者相手に、円満婚約破棄を申し入れたなんて噂を聞いたら」


 演技がかった台詞はサミュエルの癖だが、見惚れるほどにそれがよく似合う。

 私が画家か作家であれば迷わずこのシーンを切り取るのに、とウィンターはどこか現実逃避じみたことを考えた。彼女もすっかり疲れ切っていた。


「ありがとう、()()()()()()()


 学園内で顔が広いサミュエルがどのような手段を使ったのか、ウィンターは特別追求するつもりはなかった。

 ただ、彼女に相談してたった3日で計画通りの状況が出来上がってしまうのだから、親友ながらに敵に回したらいけないタイプだなと実感するのみだ。


「私は他人の秘密を口外しないことが信条だが、親友の頼みであれば信条の一つや二つ簡単に歪めよう」

「ごめんなさいね。突然貴女に頼ってしまって」

「いいや? むしろ私はずっとあの男が気に入らなかったからね。一泡吹かせるために気合が入ったよ」

「一泡って、」


 隠すこともなく舌を打つサミュエルがついた悪態に、ウィンターは思わず苦笑する。我が婚約者ながら、嫌われたものだ。


「飼い犬に手を噛まれたくらいのショックはあったかもしれないけれど、それだけよ」

 

 婚約破棄を申し入れた際の、驚いたような、傷ついたような婚約者の表情を思い浮かべる。

 あの顔を見れば、サミュエルは鼻で笑うかもしれない。しかしウィンターはそのとき、少しだけ胸の奥がざわりと騒いだのだ。


「リヒャルト様と私は、ただの協力者であって恋人ではないもの」

「……ふうん、まあ、君が言うならそうなんだろうね」


 納得し切っていないのが丸分かりの様子でサミュエルは頬杖をつく。

 そして、凝り固まった身体を解そうと猫のように腕を伸ばすウィンターを改めて見遣り、小さく笑った。


「そばかす、隠すのやめたんだね」


 婚約破棄をリヒャルトに告げてから、ウィンターはそれまでずっと伸ばしていた髪を切った。そのときもサミュエルは大層褒めてくれた。

 そして今日は、いつも化粧で念入りに消していたそばかすを隠すことをやめた。

 誰に言われたわけでもないが、頬に浮かぶそれらはお淑やかさとはかけ離れてしまうようで。幼い頃から隠していたものを表に出すのは、どこか気恥ずかしさがあるが、同時に解放感もあった。

 果たしてリヒャルトがお淑やかさな女性が好きであったかどうかすら、ウィンターにはわからないのだけれど。


「ええ、私はお気に入りなの。おかしいかしら」

「いいや、煌めく星を散らしたみたいで私も大好きだ」


 間髪入れずに送られた親友からの賛辞に、ウィンターは照れながらも御礼を告げる。

 この親友の雄弁さこそ、口下手な婚約者には見習ってほしいものだ。そうすれば、誤解されやすい彼もほんの少しは生きやすくなるのではないだろうか。


 親友との雑談で少し肩の力が抜けたウィンターと対照的に、サミュエルは瞳を鋭く細めながら、問いかける。初めから彼女が聞きたかったことは一つだった。


「それで? 君の婚約者様は婚約破棄になんて?」








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