第4話
頭一つ下から投げかけられた疑問に、私はたじろいだ。知るわけがない。たまたま、愛という名の幼なじみが私にいて、それと同じ顔をしたあなたがいて、間違って呼んだら、今度は名前も同じだったのだ。
私は「分からない」と言った。なんとも言えない答えだ。でも、私には本当に分からないのだ。こんなに悪趣味なことが起こる理由が。
彼女は私を陽だまりに連れて行ってくれた幼なじみと同じ顔なのに、同じ名前なのに、別人なのだ。
やがてエイミーは目を伏せ、歩みを続けた。
*****
20分ほど歩くと、エイミーが立ち止まった。
「ここです」
視線で示した先には、濃い色の木材で装飾された建物があった。三階にまで窓が付いていて、普通の民家三つ分くらいの幅を取っている。拵えられたランタンには輝石が入っていて、壁面のところどころを淡く照らしていた。
「大きい家だね」
言いながら、掲げられた看板を見た。『竜宿』とある。
「ここは、民宿で、私は宿泊者という形で住まわせてもらっているのです。オーナーのご厚意で」
「あー、ここの家賃……というか、宿泊費を、エイミーは稼ぐ必要があるわけだね」
「まさに」
エイミーがドアノブの上部にある引き金を使って扉を引くと、鈴虫が鳴るような音とともに、内装が見えた。
火の付いていない暖炉が真っ先に目に入った。夕暮れに近しい橙の照明が、先まですっと広い部屋を照らしていた。毛並みのいいソファーにガラス面のテーブルが複数設置されて、埃ひとつ被っている印象がなかった。この建物がホテルなら、ここはラウンジにあたるような場所なんだろう。
入り口からすぐ右に目をやると、そこに、きらきらと輝く銀髪の、薄い水色の瞳をした女性がいた。カウンターに腰掛け、ペンを走らせていたのを、私たちを認めると止めた。
瞳が大きく、筋の通った鼻に目が行く。薄桃色の頬とくちびるを見ると、まるで年下の少女のように見えたが、疑り深そうな並行の眉と、凛とした姿勢が大人びていて、年齢より若く見えているだけだと知らせている。
「こんにちは、エイミーの新しい友達?」
声は、冬に響く鐘のように発された。やはり、二十か二十一か、それくらいの年齢だと思った。
「イルさん、この方は――」
エイミーが言いかけている間に、彼女は割って入った。
「森で倒れていたのをエイミーが起こしたね? それで、なんかしらのいざこざのあと、走ってここに来た」
不意に頭の後ろで耳鳴りが響いたような気がした。
「はい、詳しい成り行きは追々……。ゆくあてがありません。えっと、そうだ! お名前をうかがっていませんでした」
エイミーが視線を寄越すのを無視して、私はじっとイルというこの宿の女主人を見ていた。私のことをちらと一瞥しただけで、森にいたことも、走ってきたことも、言い当てられた。
居心地が悪かった。次になにを言い当てられる? 私の後ろ向きな願望? 凄惨な思い出? そのほかの、褒められない様々なこと――。
「あの、お名前」
焦れたようにエイミーが私を覗き込む。
「菜月です、斎藤菜月……」
「菜月ちゃんね」
「菜月さん」
私が名乗ると、二人は同時に反芻した。名前を覚えようと。
しかし、私はここに長くいたいとは思えなかった。
人は、見透かしやすい。猫や犬より分かりやすい。巧妙に隠すほど隠したいものが露わになり、その人が大事にしていないものから嘘として口から発せられる。最後まで嘘にしないのは絶対に譲れない信仰と感情だけ。そうして他人のことを見つめてみると、この世はいたく過ごしやすくなる。
でも、自分がそうして見られることには、耳鳴りが響くほどの不快感があった。いまも、耳の後ろで蚊が飛び回っているような気がしていた。
「行くあてがないなら、うちにいたらいいよ」
「いえ、私は……」
「さっきはなんとかなりましたけど、菜月さん。女子一人が安全に寝泊まりするなら、国中探してもここより安全な場所はありませんよ」
エイミーは言いながら、イルを見た。この無害な小さな花のような人が、私たちの安全を担保してくれる。心の平穏はともかくとして。
事実、行くあてはなかった。ここはどこなのか、帰る方法はあるのか、ないならないで、どう生きていくのか、決める時間も必要だった。安全かどうかも分からない。少女の持ち物を奪おうとする男もいたのだ。そこまで考えて、腹が決まった。心の平穏など、そもそもどこにもないのだ。どこもかしこも歪な肉塊が歩いている。
「けど、お金がないです」
「んー」
イルさんと呼ばれた女性は、私の瞳をじっと見返した。瞳がまつ毛に隠されている。
「魔法は使えないの?」
マホウ・ツカウ?
現実味を帯びていなくて一瞬、音だけ鼓膜を貫いていった。だが、頭の理解が追い付き始めると、火打石を打ったような響きが、胸の鼓動に混じった。




