63 手段と選択
ひらひらと舞い降りていく妖精を風が追う。とうに光など届かなくなっていたが、鱗粉が振りまく光とディックの炎が周囲をほの明るく照らしていた。
「世界が分かれた話はユグドラシルから聞いてるんだったよね?」
世間話のように口を開いたシルフィードに碧もディックも押し黙ったまま首肯だけを返す。うんうん、とどこか満足気に頷いた妖精はくるりと旋回して近くに突き出していた黒水晶の上に留まった。ディックもそれにならって下降を止める。
ふわふわと浮いていた足が久しぶりに地面に着いた。こつん、と足元で硬質な音が鳴る。
「僕らは彼のことを本当に愛していたんだよ」
遠い遠い過去。精霊の加護を一身に受けて産まれた、ヒューマーの魔法使い。受け取った愛を牙に変えてしまった彼は、よりにもよって生みの親たちにそれを突き立てた。
「……僕らが手段を与えたばかりに、彼に途方もない罪を犯させてしまった」
「それは貴女方の責では、」
ないでしょう、と続くはずだった声がふわりと吹いた風に攫われる。小さく指を振ったシルフィードはころころと笑って、足元の黒水晶を撫でる。
「モリオンを産み出したのも彼らなんだ……これは、強い魔力と、強い拒絶の意志が混ざり合って凝り固まったものだから」
不意にシルフィードはその小さな指で背後を指し示して見せた。指先を視線で追えば、ぼんやりとした光がモリオンから発せられているのが分かる。
「向こうの世界に魔力はないから。僕らがこっちからずーっと魔力を注ぎ続けて何とか境界線を保ってたんだよ」
それももう、もたないんだけどね。シルフィードは悲しげにそう付け加えた。
精霊たちにヒューマーを拒絶する意志はなく、ヒューマーには魔力がない。故に新たにモリオンを創り出すことは出来ないのだ。教団が採掘した分だけ境界は薄く弱くなっていき、ついにはジェレミーや碧のようにこちら側へと迷い込む者が現れ始めた。
このままでは世界は境界を失い、歪に拒絶し合いながら潰し合うことになる。
「僕らに選択肢をくれてありがとう……嫌なことをさせてごめんね」
「そんな、ことは……」
言葉が続かない碧に猫と鷹が静かに寄り添った。それを見たシルフィードが微かに表情を曇らせる。
「君はこれからどうしたい?」
「え、」
唐突な問いかけに碧は酷く戸惑った。知らず腕に力がこもったのか、うなん、と抗議の鳴き声が上がる。
「君やジェレミーはこの世界で産まれたヒューマーじゃないから……この世界の理には当てはまらない」
『本当に?』
『ルーナ!』
脳内に割り込んで来た声を咎めるように声なき声が鋭く飛ぶ。期待のこもったヘテロクロミアが碧を見上げていた。色の違うそれに映り込むように厳しい表情をしているのはベリルだ。
『主が決めることだぞ』
『……わかってるもん』
幼気な声が沈む。広げていた翼を畳んだベリルはまったく、とでも言わんばかりに鼻息を吐いた。
「あの……」
「何かな?」
まだやんややんやと騒ぐ魔物たちのやり取りを聞きながらも碧は口を開く。
「もし、元の世界に帰るとしたら……身体は、どうなるんですか?」
あぁ、と小さく息を溢したシルフィードが薄く微笑む。
「君の身体は元々向こうの世界のものだからね。君やジェレミーはそのまま元の世界に戻ることになるよ」
「そう、ですか……」
さほど嬉しそうでもない碧にディックが首を傾げた。が、唐突に吹き抜けた風に疑問が押し流されていく。
「そろそろ本題に入った方がいいかな」
ちかちかと瞬く黒を見上げてシルフィードが呟いた。視線の先では濃密で重い魔力が渦巻いている。蜃気楼のように揺らぐ黒の中にぼんやりと、どこか見覚えのあるような景色が映っているのが見えた。
あれはきっと、碧の世界の景色だ。
「風の魔法は流転の力――故に僕らが求めるのは留まらないこと」
花束を捧げ持つように小さな両腕を広げる。色とりどりの光が零れ、中空を舞う。
水も空気も、人も。流れが止まれば澱む。長く留まれば腐る。それを押し流し、変化させるのが風の魔法。
「進んでもいい、戻ってもいい。重要なのは立ち止まらないことだよ」
――僕は君に期待している。
言葉を零す暇もなかった。目も眩むような強烈な光が網膜を焼く。熱くも温かくも感じる温度が体内に沈み込んでいくのを感じ、碧は息を詰めた。
光は何かと呼応するように幾度か瞬き、染み込むように馴染んでいく。
「僕はね、この役目をヒューマーが負ったことに意味があると思っているんだ」
シルフィードは静かにそう告げた。いつの間にか近くに寄っていたらしいベリルの顔を小さな手が柔らかく撫でている。
「僕らは常に共にある。それでももう、僕の手は届かないから……後はよろしくね、ベリル」
応えるように嘴を鳴らしたヴェズルが碧の元へと舞い降りる。少し戸惑いながらもそれを迎え入れ、碧はシルフィードに向き直った。
光を零すように、彼は微笑んだ。
「ここはきっかけに過ぎないんだよ、碧……ただの通過点なんだ」
黙り込んだまま、光が沈んでいった胸元を押さえる碧をディックがそっと抱き寄せた。デミヒューマーと魔物がヒューマーを支えている。そんな光景に心から笑みを浮かべたシルフィードは花びらを振りまくように両手を広げる。
「幸せになってね、僕のいとし子たち」
柔い光が広がっていく。塗りつぶされていく視界の中で、碧は渇く喉を振り絞った。
「で、きる限り、頑張り、ます……だから、」
その続きは、妖精だけが聞いていた。
眩い光に細めていた目を開けば、そこは渓谷の前だった。ディックは二三度瞬きをして頭を振る。碧も似たような仕草で目の前を瞬く星を払っていた。
「……アオイさんは、」
何かを尋ねようとして開いた口に舞い散った羽が迷い込んだ。思わず噎せるディックに驚く碧。ベリルだけが優雅に羽を繕っていた。ルーナはどこか呆れたように半目になっている。
「ん、いえ。なんでもありません……戻りましょうか」
碧の腕から飛び降りたルーナが先導するようにゆらりと尻尾を振った。




