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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第3章 三つ巴の物語

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62 流転の精霊

 ごうごうと耳元を風が駆け抜ける。ルーナの隣で四つん這いになって覗いた谷底は無限のように暗く、足の裏に冷たい汗が湧いた。


 碧とディックはトネリコの森の深部へと赴いていた。二人の目の前に横たわる裂け目はユーダと呼ばれる深い深い谷だ。絶え間なく吹き上げてくる風に碧が目をすがめていると上空を飛んでいたベリルがゆっくりと滑空してくる。

 身を起こした碧の肩に留まると甲高く一声鳴いた。降りていく声がわんわんと反響する。


「深いですね……」

「えぇ。ここは世界の裂け目とも呼ばれています……もしかしたら、例の分かれた世界と何か関係あるのかもしれませんね」


 碧と同じように裂け目を覗き込んでいたディックが考え込むように顎に手を当てる。


「とにかく慎重に下りていきましょう」


 そう言ったディックが静かに両手を組んだ。ふわりと柔らかい風が辺りを吹き抜けた。


「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、天翔ける力を授けよ」


 二人と二匹を取り巻くように風が包む。不可視の浮遊ドームを創り出したディックがそっと指先を動かせば、彼らは底の見えない谷の上に浮かび上がった。そのままゆっくりと、降下していく。


『寒くない?』

「ん、大丈夫」


 腕の中の子猫が頬を擦り寄せる。ベリルも負けじと翼を広げて碧の頭を包んだ。ふふ、と傍らの魔法使いが笑う。


「本当に好かれているんですね……元々動物はお好きなんです?」

「そうですね。まぁ、ここまで好かれることはなかったですけど」


 二匹を交互に撫でながら、碧はふと元の世界の事を考える。


 世界が完全に二つに分かれてしまうのなら、自分やジェレミーはどうなるのだろうか。ユグドラシルはあちらへ向かうには身体を捨てなければならないと言っていた。碧が碧として、ジェレミーがジェレミーとして、元の世界に戻ることは出来るのだろうか。

 それにエドワードのようにヒューマーとデミヒューマーの混血はどうなるのだろう。ギムレーの次世代のように魔物やデミヒューマーと共存しているヒューマー達は?


 考えれば考えるほどに本当にこれしかないのかと思えてきてしまう。それでも残り時間が碧たちを追い立ててくる以上、最善を取るしかない。

 この選択肢を提示することを選んだのは他ならない自分なのだから。


「……大丈夫ですか?」

「え、ぁ、はい。その、少し考え事を……すみませんこんな時に」


 考え込むあまり同行者の存在を無視してしまっていたらしい。心配そうにこちらを覗き込んでくる紅玉に言い訳がましくそう返す。


「すっかり暗くなってきましたね」

「そう、ですね……」


 ディックの言う通り、辺りは段々と陰ってきている。白い肌のディックの輪郭がぼんやりと浮かび上がっていた。碧は何となく上を見上げる。眩い太陽は変わりなく光を降り注いでいた。遮るものなど何も無いはずだが、それでも辺りは薄暗い。


 光が届かない影響なのか、ひんやりとした空気に碧はふるりと身を震わせる。じんわりと腕に鳥肌が立ち始めた。


「…………あ」


 何かが違うと気づいた時には悪寒が背筋を駆けのぼっていた。思わず力のこもった腕にルーナが擦り寄る。彼女も、震えていた。


「まさかこれ、全部……?」


 口元を押さえた碧にディックが首を傾げた。やはり寒いのか、と上向けた手のひらの上に小さな火球が灯る。それはくるくると風の籠の外側を飛んで渓谷の中を薄く照らした。


 光を吸い込んだ岸壁が鈍く、黒く浮かび上がる。


 見開かれた目が黒で塗りつぶされた。よくよく見ればこれから行く先には枝葉のように結晶を伸ばす黒水晶が複雑に絡み合っている――まるで、裂け目を埋め尽くすかのように。


「これ、は……これら全てがモリオンだと……?」

「多、分そうだと思います……ルーナ、ベリル、大丈夫?」


 腕の中の体温を抱き締めながら、肩の上の羽毛を柔らかく撫でる。小さく鳴いた二匹が碧に身を擦り寄せた。

 ディックは改めて裂け目を見上げて、息を吐く。


「ではやはりここは――」

「二つの世界の境界、だよ」


 鈴を鳴らすような声が思考に割り込み、ディックは反射的に辺りを見回した。碧も青白い顔をきょろきょろとさまよわせている。


「こっちだよ、こっち」


 ちりん、と涼やかなベルの音が響いた。音の方へと目を向ければ、小さな光がこちらへと昇って来るのが見える。二人と同じ高さまで昇ってきたそれがひらひらと手を振る。


――光の中に居たのは、一人の小さな妖精だった。カゲロウのような薄い二対の羽が金粉のような光を溢しながら羽ばたいている。一つに結い上げられた真白の髪が風に遊ばれるように揺れ、透き通るほどに白い肌に晴天を溶かしこんだような青が瞬いていた。一見すると人形のような小さな額には風の紋章がきらめいている。


「シルフィード……!」

「うん、せいかーい」


 幼子のようにきゃらきゃらと笑ったその妖精――シルフィードは楽しそうにくるりと一回転する。


「君たちが来るのを待ってたんだよ」


 ついてきて、とそう告げるとまたふわふわと光を纏いながら暗闇の中を下りていく。ディックは碧の方を気づかわし気に伺った。


「……大丈夫、ですか? 無理はしないでくださいね」

「うん、ありがとうございます……行きましょう」


 ぎゅ、と決意を握った碧が暗闇の底を見下ろす。ちらちらと見え隠れする光を追って、碧たちはゆっくりと下りていった。

遅くなりましたがあけましておめでとうございます。

本年こそ完結目指して進んでいきたいと思います。

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