55 つかず離れずの距離を
ふー、と重い溜息が空気に溶ける。ジェイドは眉間を軽く揉むと手にしていた書簡に再度目を通す。彼は独り執務室で法案の整理をしていた。
ジェイドはミズガルドに舞い戻って直ぐにバーデン教団を解体し、教祖であるオルターを拘束した。名目上はニダウェでテロ行為を働いたことと、無関係のヒューマーを傷つけ拉致したこと、更には王を亡き者にしてそれらの事実の隠ぺいを謀ったこととなっている。無論碧の名やその素性が公けにされることはなかった。
それゆえに、民からの反発は大きかった。そもそもバーデン教団は政治に食い込むほどの発言力を有していた。それだけ信者が多く、一般市民の心には強く根付いてしまっていたのだ。
その上、普通のヒューマーはニダウェの土地が荒らされようが、そのに住む人々が傷つこうが知ったことではない。なんなら快哉を叫ぶくらいだろう。
「できれば彼ら自身に証言して欲しかったところだが……流石にそうはいかないか」
「無理だろうな。そこまで言うのは贅沢ってもんだ」
独り言に返答が与えられ、ジェイドは目を瞠った。いつの間にか開け放たれていた窓から、風と共に声が吹き込んでくる。書類から目を離し、そちらに顔を向けた。
燭台に照らされて、肩に落ちる髪が月と同じ色を反射する。温度を持たない左手が鈍く銀色に光った。それがジェイドには酷く眩しく感じて目をすがめる。
「ちょっと相談があるんだが、今時間いいか?」
ひょうひょうとそう言った長身のシルエットが腰かけていた窓枠から降りて部屋の中へと歩を進める。完全に不法侵入の図だったが、ジェイドは1つ溜息を吐いただけでそれ以上咎めることはなかった。
◆◆◆◆◆
エドワード率いる2人と2匹のチームが水の精霊、ウンディーネの住む王都へと向かったのは今から一週間ほど前の事だった。当然密入国の形になったが、そこはグレイの水中歩行とナツナの陽炎の魔法で何の問題もなく突破している。
悠々と王都ゴフェルまで辿り着いたところで、エドワードは早々に異変に気づいた。都市全体がざわついているのもそうだが、嫌というほどに存在を主張していたバーデン教団のエンブレムが街並みからきれいさっぱりなくなっていたのだ。魔法で角を隠したナツナが尋ねたところ、数日前に王からの勅命が下ったのだそうだ。
「神の子はいないだなんて……一体どうなされたのかしら」
不安げな女性の言うように、王都では王の乱心がまことしやかに囁かれていた。元々のカリスマ性や人気のお陰で致命的な心離れには至っていないようだが、それも時間の問題だろう。
ついでにエドワードが少し耳をすませたところ、どうもその噂を流しているのは件の教団の残りかすのようだった。
「どうにかしたいの?」
取り急ぎ取った宿の一室で、ナツナはそんなことを言う。一瞬何の事か分からなかったらしく、エドワードは目を瞬いていた。が、直ぐに合点がいったようで苦く笑った。
「ノア王国は一応俺の故郷だしな。親父やお袋の墓もここにあるし」
自由になれなかった2人にはせめて静かに眠っていてもらいたいし、可能ならそれを見守りたい。デミヒューマーへの侮蔑を聞いては表情を曇らせていた生前の両親を思い出し、小さく溜め息を吐く。
「国民の意見も割れてるみたいだしな。国王サマの方に引っ張れれば、こっちとしても動きやすくなる」
「確かにあの王様変なヒトだしね。ボクらの事、憎んでなかった」
当たり前のようにそう言ったナツナの膝の上でベティがふすふすと鼻を鳴らした。親の仇を見るような視線を向けられたところで何もしていないのに、などと思うこともない。むしろヒューマーと擬態しているデミヒューマーを見分ける手段といってもいいほどだった。
「そこもちょっと謎なんだよな。ノアの王族は特にデミヒューマーへの悪感情が強い。魔物倒して国を興したことになってるから当然っちゃ当然なんだが」
先代の王、ガリオン・ノアも例に漏れず過激派の王だった。いつだったかエドワードやシャオのようにミズガルドに隠れ住んでいたデミヒューマーが騎士に見つかり、処刑されかけたことがあった。彼は上手く逃げおおせたのだが、その後ノア王国全体でデミヒューマーの炙り出しが始まったのだ。
とは言え、デミヒューマーの魔法をヒューマーが見破ることなど出来はしない。エドワードは当然ヒューマーの目を騙し、シャオに至っては辺境の地に住んでいたため捜査の手から逃れていた。
「俺が起こしちまった騒ぎも多少好意的に取られてたしな」
ミズガルドから離れる前のモリオンの暴発の件についてもそうだ。モリオンの危険性を知らしめるために起こした爆発のせいで世論が割れ、教団は山狩りを急ぐ羽目になっていた。その山狩りも未だ山を覆う霧のせいで失敗しているが。
「てっきり悪しき者が触ったせいで暴発したとかそんな風に持ってくかと思ってたんだが……」
「王様、ちゃんとアレのこと調べてたよ。教団のこと、元から信用してないみたいだった」
船でオルターを問い詰めていたジェイドはひたすら事実に重きを置いているようだった。あるいは作り話が嫌いだったのか、必死で騙るオルターを理詰めで追い詰めていく様子はなかなかに面白かった。その時のことを思い返してナツナはくすくすと笑う。
「事情話せば協力してくれそうではあるよね。侵入自体もそんなに難しいことじゃないし……どうする?」
ゆらり、微かに温度を上げた空気が揺れた。
◆◆◆◆◆
そうして場面は冒頭に戻る。堂々と不法侵入をかましたハーフエルフはぐるりと執務室を見渡して意外そうに笑っていた。
「狩った魔物の生首でも飾ってあるかと思ったんだがな」
「……生首に執務を監視されるのは御免被りたいかな」
ジェイドの反応にからからと楽しそうな笑い声が返る。それが収まるのを待って、ジェイドは改めて侵入者を見つめ返した。
「何をしに来たんだ?」
「いや、ちょっとばかし相談があってな」
そうか、と小さく呟いたジェイドはふと首を傾げた。言葉を続けようとするエドワードを手で制し、口を開く。
「君の名前は?」
「……知ってんだろ?」
不思議そうに肩をすくめたエドワードにジェイドは首を振る。そうして自分の胸に手を当てた。
「こちらも自己紹介がまだだったね。俺はジェイド・ノア。ノア王国12代目の国王だ」
エドワードは胡乱げにしていたがやがて合点が行ったのか、わざとらしいほど恭しく頭を下げた。
「俺はエドワード。ミズガルド産まれミズガルド育ちのハーフエルフだ」
「ハーフエルフ!?」
「……どいつもこいつも似たような反応するなぁ」
まぁ、当然か。エドワードは何とも言えない表情でそう呟いた。己が稀有な存在であることは自覚している。だからこそ、全くもって普通の顔でへぇ、そうなんだとだけ言ったアクアもといジェレミーは酷く異質であり特別だった。こっちは親友を失う覚悟で告げたというのに。そんな昔のことを思い出して、つい目元が緩んだ。
「ノア王国が出来る前に親父がスバルムからコッチに渡ったんだと。で、ヒューマーのお袋と結婚して俺が産まれた」
だから、と言葉を一度切った声がワントーン低くなる。
「俺にとってはここが故郷だ」
追い立てられても、虐げられても、隠れ住まなければならなくても。その事実だけは変わることがない。
「まー、俺の見の上話は置いといてだな」
「いや、出来ればもっと聞きたいんだが!」
本題に入ろうとしたところに割り込まれ、エドワードは思わず口を閉じた。身まで乗り出しているジェイドに気づき、目を瞬かせる。ふといつぞやかのカルラの瞳を思い出した。
「魔族とヒューマーの異類婚姻譚聞きてぇの?」
意地悪くそう言ってやれば、その瞳から熱が消えた。歩み寄るのが嫌な訳じゃない。心から許すことがまだ、出来ずにいるだけだ。
数百年の年月をかけて積み上げられてきた認識はそう簡単には覆せない。基本日和見主義のエドワードとて、今回の事は思うところがあるのだ。まぁ、でも今のは言い過ぎたと思わなくもなかった。
「ヒューマーが想像するほど胸糞悪い話じゃねぇよ」
それは、愛し合っていた男女と、その2人から産まれたあいの子のそれなりに幸せな家族の物語でしかなかった。それでも彼らの間に愛があったと理解し、納得する者はミズガルドでは少ない。そう分かっていたからこそエドワードやその父グレイはヒューマーのふりを強いられていた……死んだ後も。
「エルフは森に遺灰を撒くんだが、ヒューマーは生まれ故郷に埋めるんだろ。だからそれに則った」
「……もしかして、キファの町に?」
エドワードがこくりと頷く。一般の墓場じゃねぇけどな、とだけ言い添えておいた。詳しい話をするにも、そこに招くにもまだ信用や会話が足りない。
どうあっても荒らされたくない場所なのだ。腕を失い生まれ故郷を追われ、魔族の住んでいた家だなどと言われてめちゃくちゃにされようとも、その場所の奥深くさえ無事であれば。
話を終えたエドワードが沈黙し、しばし静寂が漂う。不意に深く閉じられていた瞼が開かれ、ラベンダーの瞳が真っ直ぐにエドワードを射抜いた。
「話してくれてありがとう。君が……君たちが故郷に戻れるように、俺たちは全力を尽くすよ」
「そりゃ、ありがたいねぇ……多少は期待してみようか」
ぱん、とエドワードが一つ手を打ったところでこの話題は終わりとなった。彼としてもそろそろ王宮に忍び込んだ本当の理由について話をしたいところだ。
「世界の危機について、俺の知ってる事を話す。その上で、とある場所への立入許可を願いたい……まぁ、許可なんざなくても侵入するが――それは最終手段にしとこうか」
「ふふ。いや、相談に来てくれただけでも嬉しいよ」
王様は穏やかに微笑んだ。
ちょっとリアル多忙で色々停滞していました。
取り合えず完結目指してゆるりと進んでいきます。




