56 亀裂に手を伸ばして
「ヒューマーにそんな歴史があったとはね……」
「……信じるのか」
俺はお前が心配だよ、と芝居がかって頭を抱えるエドワードにジェイドが小さく笑う。
「心配してくれるの君は良いヒトだから大丈夫……にしても、本当に余計なことをしてくれる」
ジェイドの瞳に少しだけ険が差した。碧の話を聞いてからエドワードも教団には似たような感情を抱いていた。共通の敵は人間関係を円滑にするものだ。
「思うに、精霊がヒューマーを嫌った決定的な原因がこれだったんだろうな」
「……スペイスが聞いたら落ち込むだろうなぁ」
大昔のヒューマーのツケを現在の魔法使いが払わされているのだ。勿論現在のヒューマーの魔物への態度も大きいのだろうが。
「つっても今まで俺が話したことを証明する手立てはねぇ。全部アオイちゃんからの伝聞だ」
「そうなんだよね。僕個人が信じても、それを国民に流布するとなると……すこし厄介だな」
加えてその情報をもたらしたのはデミヒューマーなのだ。それが公になれば信じる者はほとんどいなくなるだろう。
オルターの投獄によってバーデン教団は解散し、他の神の子信仰教団も解体されたが、神の子信仰自体は無くなってはいない。獣の足跡の紋様も変わらず神の子の証として崇め奉られていた。
「……そういや、あの紋様神の子の証じゃなかったんだっけか」
「え?」
ふと思い出した事を口にすれば、ジェイドの表情が変わる。視線で詳しく、と促されエドワードは軽く指を動かして空中に光る件の紋様を描く。
「言った通りだ。この紋様はヒューマーの覚醒者――ビーストテイマーの証だ。この世界のヒューマーでも覚醒さえすりゃ、身体に浮かぶ……ついでに言うと他の種族に比べてそこまで難しい条件でもねぇ」
身体能力的に劣っているが故か。そもそも魔物と寄り添い生きることを想定した上か。ヒューマーは本来なら覚醒しやすい種族だったのだ。
まぁ、この世界のヒューマーにはまず無理な話だろうが、とエドワードが言い添える。考え込んでいたジェイドが不意に顔を上げた。
「……それを演じる事は出来るだろうか」
「どういうことだ?」
訝し気にするエドワードに、ジェイドが真剣な表情で考えを告げる。エドワードは顔を覆って苦笑した。
「出、来なくはないだろうが……」
そのままくしゃりと温度の無い手でハーフアップの髪をかき上げる。
「人選にもよるだろうけど、アイツ何て言うかねぇ……」
薄緑の目が困ったように細められた。
◆◆◆◆◆
『い・や!』
「だよなぁ……」
翌朝になってジェイドの提案を持ち帰ったエドワードは案の定、グレイの抵抗にあっていた。ふてくされたようにそっぽを向く黒馬の機嫌を取るように撫でてやる。
2人と2匹は明朝に宿を出て街外れの廃屋に身をひそめていた。どこからかエドワードたちのことが漏れたらしく、町は少し物々しい。ナツナの擬態やエドワードの侵入に問題はなかったので、王宮側の情報管理の問題だろう。
「出来る出来ないは置いとくとして頭やらかいねぇ、王様」
ナツナの膝の上に乗った子うさぎがミィ、と同意を示すように鳴いた。その角の根元をカリカリと掻いてやりながら、くすくすと笑う。
「『ビーストテイマー』をでっちあげようだなんてねぇ」
要は紋様の正しい意味を広め、神の子信仰を根底から崩そうとしているのだ。そのためには事情を知る魔物に協力してもらう他ない。
が、その作戦を伝えたところ、ぷいーっとそっぽを向いてしまったグレイと我関せずといった様子で寝る態勢に入ったベティ。なかなか前途多難である。
「ちなみに役者は決まってるの?」
「宰相か騎士団長辺りが候補には上がってるが……」
ある程度知名度があり、かつ全面的に王の味方となってくると当然人選は限られてくる。その上、魔物を見て有無を言わさず攻撃してこないとなると実質一択でしかなかった。
「一応宰相殿にも話はするって言ってたが……どうかねぇ」
うら若き宰相スペイス。ノア王国随一のヒューマーの魔法使い。シャオから聞いた話ではデミヒューマーに若干のコンプレックスを抱えているようだった。
確かに彼は優秀な魔法使いなのだ。しかし、あくまでもそれはヒューマーの中で突出しているに過ぎない。デミヒューマーであるシャオやエドワードは別段特別な訓練を受けている訳でもない。しかし彼らは呼吸をするように、手足を動かすように魔法を使う。
スペイスの、並々ならぬ努力を超えた先に彼らは産まれてくるのだ。
「魔法使いとしては、精霊の領域の方に興味あるだろうしねぇ」
「あー……それもあるか。じゃあ、騎士団長殿かね?」
今回の件において、エドワードが持ち帰った提案は二つあった。1つは先に上がった通り、ビーストテイマーの捏造の手伝いである。
そしてもう1つが、精霊の領域へ王国のヒューマーを同行させることだった。ともすれば大昔の魔法使いの再来になりかねないような条件だったが、かの大魔法使いに並ぶヒューマーがこの世に存在することは二度とない。
「まぁ、俺も気ィ遣われながら精霊の試練受けるのは嫌だしな」
己で贖罪を突っぱねたとはいえ、変に気を回されるのも居心地が悪い。我儘のように見えるかもしれないが、これくらいは向こうに我慢してもらいたいものである。
人選については今夜までに決めるよう約束していた。ついでに言うと、それまでにグレイやベティの説得も済ませなければならない。太陽は空の半ばほどだが、間に合うだろうか。
エドワードは小さく息を吐くと、グレイの頬に触れる。そっぽを向いていた顔を正面に戻すとこつりと額をつきあわせた。
「気が向かねぇのはわかってるよ。でも、これでジェレミーとアオイが解放されるかもしれねぇんだ」
ぴくんとグレイの耳が動いた。視界の端でベティの耳も立ち上がったのを確認すると、エドワードは言葉を続ける。
「それに上手くいけば、お前だって故郷に戻れる。悪い話じゃないだろ?」
『エドも? キファに帰れる?』
「あー……どうだろうな」
素直にそう答えれば、むぅ、と少しばかり不機嫌そうな声が頭の中に響く。つい、と手のひらから逃げていった鼻面がエドワードの頭の上にのしかかってきた。
「おい――」
『王様がエドのこと安全なキファに返してくれるんなら、いいよ…………我慢する』
本当にしぶしぶといった様子を隠しもせずにグレイはしかめっ面をして見せた。エドワードはふ、と小さく笑ってしょんもりと垂れた耳の後ろを掻いてやる。ほんとにイヤそうだね、とナツナがくすくす笑っていた。
「じゃ、後は向こうがどう出るか――」
「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、守護の翼を授けよ」
被せるように響いた詠唱にナツナが微かに目を見開いた。言霊に魔力が灯り、エドワードを中心に風が渦巻く。弾かれ、巻き上げられた真空刃が空高く舞って、空気に還った。轟音を立てて崩れ落ちた壁から漏れた陽光が、仁王立ちした男に濃い影を落としている。
「そーいや、面倒臭いのがいたんだっけか……」
木漏れ日の差す新緑と業火に抱かれる深緑が交差する。炎のような男は言葉を発することもなく再び腰を落として構えを取った。間髪入れずにエドワードがぱちんと指を鳴らす。小さく天を裂いた光が男の足元を打って弾けた。舌打ちと共に石畳を蹴った影が後退する。
「他の奴らはどうした? 独断か?」
空気の流れも運ばれてくる音も目の前の男――王国騎士団分隊長バイパーが独りであることを示していた。構えている細身の剣も白銀に戻っている。
「……俺らのこと漏らしたのもお前の判断か?」
バイパーは否定も肯定もしないまま、地を蹴る。後ろの1人と2匹を庇うように温度の無い片手を広げたエドワードが言霊を放つ。
「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、地を穿つ槍を降らせ」
先とは比にもならないほどの閃光がエドワードの命に従ってバイパーの足元を抉る。が、崩れた体勢で無理やりに踏み込んだバイパーが鋭く空を突いた。虚を突かれながらもエドワードも身を捻って剣先から逃れる。巻き込まれて研がれた空気が肩口から頬にかけてを浅く切り裂いた。ぱたぱたと石畳に歪な水玉が散る。
エドワードは傷がさほど深くないのを確認すると、ちらりとナツナに視線を寄こした。小さく頷いたナツナが陽炎の魔法を詠唱する。ゆらりと立ち昇った蜃気楼が、2人と2匹の姿を覆い隠そうとする。
「また逃げる気か、卑怯者!!」
揺らぐ姿に苛立ったようにバイパーがいつかと同じ科白を叫んだ。連想してしまった苦い思い出にエドワードが無意識に舌を打つ。
地面に叩きつけられた蹄が、高らかに鳴り響いた。
『本当に、むかつく……ボクらのこともエドのことも何にも知らないくせに勝手に決めつけて、悪者扱いして……!』
ナツナの魔法で上がった筈の温度が急速に冷えていく。空気中から湧き上がり、地面から染み出した水が黒馬の周りで鞭のようにしなり、渦を巻いた。
『そんなに望むなら、なってあげるよ……キミたちの敵にね!』
アメジストに昇った血の色を足した瞳が、真っ直ぐにヒューマーを睨んでいた。
埋めようとした人と裂こうとした人。




