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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第3章 三つ巴の物語

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48 世界を観るもの

 碧は森の中を歩いていた。周りには誰もいない。下草だけが音を立てて碧の後ろに道を作っていく。ふらふらとした頼りない足取りだったが、迷いはない。何かに手を引かれるようにただ歩いていた。頭の中で声がする。その声に導かれて歩いているのだろう、と微かに残っていた思考でそう考える。


『こちらへ。こちらへ。私の声が聞こえるのなら』


 森に分け入る2人の背を追ったつもりだった。一歩踏み出したところで薄膜を抜けるような感覚を全身で味わい、ふと顔を上げると木々の香りに包まれていた。振り返ってみても海は見えず、当然のようにナツナとディックの姿は無かった。


 薄ぼんやりとした木漏れ日が降ってくる中で独り立ち尽くしていると、先の声が聞こえたのだ。不思議と不安や恐怖はなかった。彼だか彼女だかが自分に危害を加えてくる事はないと、確信していた。


 小鳥の声すら聞こえないその道を歩いていく。木々の様子が段々と変わっていくのが見て取れた。普通なら森の奥へ進めば進むほどに暗くなるものだが、ここは逆だ。柔らかい光に照らされてか細く儚く育った草花が涼やかな風に吹かれて揺れている。

 神秘的という言葉すら陳腐だ。しかし浮世離れしたその美しさに奪われる目はない。ただただ前を向いて歩いていくことしか、碧には出来なかった。


 どれくらいの時間歩いていただろうか。不意に開けた視界と眩く差し込んだ光に碧は目を眇めた。思わず止まってしまった腕を引くように声が鳴る。


『よく来てくれましたね』


 男とも女ともつかない穏やかな声が微笑んだ。光に慣れて来た目で、声の主を見上げる――そこにいたのは、真白の大蛇だった。

 滑らかな曲線を描く巨体。その天辺には暖かな焔の灯った目玉が2つ。しなやかな身体を覆う真っ白な鱗は、陽の光を浴びると虹色に輝いて見えた。


『独りにさせてしまってすみません。ここは本来ヒトの立ち入れる場所ではないのです』


 ずず、と微かに鱗の擦れる音を立て、大樹のような胴体を曲げて頭を下げる。目の前に来た赤い目玉に、碧はぱちりと目を瞬かせた。そうしてようやく我に帰る。


「えっと……貴方は?」


 真ん丸だった目玉が三日月に欠ける。しゅるりと一瞬だけ覗いた舌は2つに割れていた。


『私はユグドラシル……この世界の観測者です』

「観測者……?」


 オウム返しに問うた碧にユグドラシルは更に顔を近づけた。碧はそっと手を伸ばしてそれを迎え入れる。しっとりとした鱗に触れると、くらりと眩暈が起きる。


「、ぅ……?」


 耳の奥で音がする。目の中で景色が回る。それは誰かの話し声だったり、波の揺れる様子だったりと取り留めもない日常の一部だった。それらが目まぐるしく通り過ぎ、近づいては遠ざかっていく。


『……大丈夫ですか?』


 気づかわし気な声が割り込んで、碧の意識は現実へと引き戻された。は、と無意識に止めていたらしい息を吐く。


「今の、は……記憶?」


 答えを求めて大蛇を見上げれば、大きな頭が上下に揺れる。その拍子に何かが碧の顔の横を掠めていった。からん、と乾いた音を立てて転がったそれは、虹色の光を湛えた大きな鱗だ。落下の軌道を辿るように視線を上げれば、困ったように目を細めるユグドラシルがいる。


「怪我してるの?」


 剥がれた跡を探すように頬を撫でれば、鱗の無い部分が手のひらに取っ掛かりを伝える。


『怪我、というよりは……崩壊が始まっているようです』


 悲しそうに伏せられた紅玉と目が合う。碧は唐突にスキュラーの言葉を思い出していた。


「世界、の……?」


 再びユグドラシルの頭が上下に動いた。すり、と寄せられた頬が冷たい。


『私は世界と共にあるもの。世界を観測し続けるもの……故に、世界と強く結びついてます』


 それ以上の説明は要らなかった。碧はただ黙って、ユグドラシルの頬を撫でる。満足げにくるる、と喉を鳴らした大蛇は碧から身体を離した。見下ろしてくる赤い瞳に強い光が宿る。


『世界の境界……要石が力を失い始めています』


 触れた手から頭の中に映像が浮かぶ。真っ黒な巨大な水晶、それを切り出していく人々を見ていると、覚えのある怖気が走る。


『あれは()()()()()()とこの世界の境界を塞ぐもの。この世界を護るためのものなのです』

「分かれた世界?」


 困惑する碧の姿が赤色に浮かぶ。ぱちりと一度瞬きをしたユグドラシルは静かに語り始めた。


――昔々、世界が()()()()だった頃の話。ヒューマーの中に、驚くほどに強く精霊と結びついた魔法使いが産まれた。()()()()ヒューマーであった彼は、幾多の魔物を殺し、デミヒューマーを傷つけてヒューマーだけの世界を作ろうとした。ヒューマーたちはそんな彼を支持し、ヒューマーだけの楽園を夢見ていた。


 しかし、少年が青年になり壮年になり、長い歳月を費やしたところで世界が変わることはなかった。

 当然の結末だと、振り返れば分かることだっただろう。彼はその優秀さ故にそんなことにも気づかず、大それた夢が叶うことを欠片たりとも疑ってはいなかった。


 それでも現実に気づくときは、来る。彼が老いさらばえ死の臭いを色濃く感じ取るほどになっても、世界は何も変わってはいなかった。天才はその時代に彼だけ。たった独りで魔物やデミヒューマーを滅するのは不可能だった。どれだけ強力な魔法を創り出そうと、それを繰れるのは彼だけなのだ。

 彼一人に変えられるほど、世界は小さくはなかった。そんな当たり前のことに気づくのに何十年も費やしてしまった。まともに身体が動かなくなったせいか、思考ばかりが忙しなく回る。


――そうして彼は、一つの結論を出してしまった。


『理想を叶えるにはこの世界は広過ぎた……故に彼は世界の一部を切り離し、己の手が届く範囲で、理想とする世界を創ろうとしたのです』


 そう語るユグドラシルは悲しそうにとぐろを解いた。碧が息を呑む。長い長い胴体の真ん中辺りに、大きく抉れたように肉のない部分があった。失われてしまったのだろうと直ぐに理解してしまう。

 どこか泣きそうな顔で見上げる碧を見下ろして、ユグドラシルは薄っすらと微笑んだ。


『もしかしたら、あちらには別の私がいるのかもしれませんね……あぁ、いえ』


 多分、いないのでしょうね。そう言ったユグドラシルに碧は何も言わなかった。


『彼は本当に才のある魔法使いでした。世界を変えたいという確固たる意志と、それに足る魔力を持っていた』


 結論から言えば、彼の望みは叶った。魔物とデミヒューマーがいない、小さな世界は完成した。そこへ至る道も、彼は創り出してみせた。


『しかしながら、その世界は狭すぎたのです。全てのヒューマーが移住することは叶いませんでした』


 彼自身もその問題に気づいていた。そしてその問題が露見すれば、争いが起きるであろうことも分かっていた。


『故に、選別が行われました。優秀なもの、地位のあるものが秘密裏に選ばれ、移住することとなったのです』


 世界を削る魔法も、世界を超える魔法も、全てはひた隠しにされた。今、その技術が明らかになったところで、再現することは出来ないだろう。それでもその魔法は闇へと葬り去られた。

 彼らは二度と戻りたくなかったのだ。魔物と、デミヒューマーが存在するこの世界と、再び交わる可能性の存在すら許せなかった。


『そうして選ばれたヒューマーたちはこの世界を捨てました……同時にこの世界のものである肉体も記憶も何もかも全て』


 道をくぐるには今ある肉体を捨てねばならなかったのだ。彼らはそれに気づかなかった。それでも彼らの願いは叶えられた。何の思考も記憶もない、細胞の一片としてあちらの世界に再臨したのだ。

 それは永い永い時間を経て、人間と呼ばれる生き物になっていった。そうして彼らは今に至るまで、彼ら自身も知らないままに幸福を享受している。


『今も貴方の居た世界はこちらの世界と一方通行の細い細い道で繋がっているのです。しかしその道は、段々と広がり始めている……恐らくは、貴方方がこちらへと迷い込んだのもその影響でしょう』

「……それは、よくないことなの?」


 えぇ、と白い頭が頷く。


『先ほども言いましたが、あちらの世界はこちらの世界を強く拒絶しています。繋がったところで再び一つになることはありえません』


 そう言うユグドラシルの腹に開いた大穴がやけに目につく。それを隠すようにもう一度とぐろを巻き、白蛇は言葉を続けた。


『今度こそ、完全に分離させるしかありません。境界を引き直し、道を壊すことでしか、2つの世界は存在し得ないのです』


 じっと見つめてくる赤い瞳に碧の全身が映り込む。


『貴方にその術を託したいのです。私の声を聞ける貴方。この世界で唯一の、覚醒したヒューマーである貴方に』


 虚像の碧が瞬いた。え、と小さく声が漏れる。


「覚醒……?」


 先ほど聞いたばかりの言葉だ。ナツナと、バリーがそうだと聞いた。ヒューマーにその能力はないとも。


『いいえ、貴方があちらの世界から来たことは関係ありません』


 浮かんだ思考はユグドラシルに否定される。そうして大蛇は悲しそうに遠くを見つめた。


『ヒューマーの覚醒能力は『ビーストテイマー』魔物と心を通わせ、共に生きる為の力です……ヒューマーであれば誰でも、覚醒の可能性を持っています』


 ですが、とここで一旦言葉を切ったユグドラシルは碧を見下ろした。


『永い永い歴史の中で、能力開花に至った者は貴方一人……開花に至らずともその鱗片を見せた者も一人だけ』


 碧の脳裏にロマンスグレーの男の姿がよぎった。


『ヒューマーはか弱い。故に魔物の手を借りて生きていくことが出来ればと、与えられた能力でした』


 しかし、ヒューマーは魔物に怯え、拒絶し、殺そうとした。そんなヒューマーたちが、魔物と心を通わせることを望むはずもなかった。能力開花するはずもなかったのだ。


『元より魔物は、ヒューマーの為に精霊が創り出した存在でした……悲しいことに、精霊たちはもうヒューマーには愛想を尽かし始めているようですが』


 大昔から減った魔法使いとその力の衰退。碧は知らないが、シャオがスペイスに言ったように、ヒューマーは精霊の怒りを買い、その加護を遠ざけていた。

 それでも現在にヒューマーの魔法使いは存在している。ラビのように精霊に愛されたヒューマーもいる。まだ、信じていたのだろう。


『世界を分離させるには、精霊の力を借りねばなりません。あの時の彼のように、同意なく無理矢理に使うのではなく、契約を結び、力を貸してもらわねば成し得ない』


 ユグドラシルが碧に額を寄せる。その意図を察して、碧は少しだけ踵を浮かせた。


『炎の精霊サラマンダー、水の精霊ウンディーネ、そして風の精霊シルフィード……この3人に会いに行って下さい。彼らが課す試練を超えれば契約者となり、その力を借りることが出来ます』

「……ノームは?」


 随分前にエドワードに教えてもらった精霊の名を口にすれば、ユグドラシルはゆっくりと首を左右に揺らした。


『ノームには既に契約者がいます……詳しいことは彼が望まぬ限り話せませんが、貴方に力を貸してくれるでしょう』


 ちょん、とユグドラシルの滑らかな鱗を纏った額が碧のそれに触れる。流れ込んでくる情報にくらりと脳が揺らされる。


『その契約者の名はジェレミー・ティーエン。貴方と同じくあちらの世界から迷い込んだ青年です』


 そんなどこまでも優しい声音を最後に、碧の意識はぷつりと途切れた。

碧は特別ではないんです。

ただ、環境が違っていただけ。

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