25 ギムレーとヒューマー
男は疲れ切った表情でぼふりとベッドに倒れ込んだ。振動で目を覚ましたのか、寝ぼけ眼のチビがうつ伏せの頭に擦り寄ってくる。何となしに撫でていると再びノック音が鳴り響いたので、緩慢に顔を上げた。
「……どうぞ」
もはや立つ気力もなく、それだけ言って力尽きたようにベッドに顔をうずめる。ドアから顔を覗かせたのはエドワードだった。片手に着替えを下げている。
「風呂行こうぜ」
「ん」
エドワードがそう言うと、男は短く答えて着替えとチビを抱えて立ち上がった。うつらうつらしているチビはなすがままだ。
夕食前に案内してもらった大浴場へ入ると、かけ湯もそこそこに2人と1匹は浴槽に浸かった。男は全身を溶かしながら、溜め息と共に疲労を吐いた。
「で、さっきの騒ぎ何だったんだ?」
「ゲホッ!」
吐き切った息を吸うのに微妙に失敗してむせる。エドワードは呆れたような表情で背中を軽く叩いてやった。
「んんッ、はぁ……ちょっとカルラと口論しちゃったんだよ」
「口論? ……もしかしてアオイの事でか?」
流石に長い付き合いだけあって察しがいい。ん、と小さく短く返した男の近くをチビが機嫌よく泳いでいく。それをぼんやりと見送って、目を細めた。
「カルラはアオイちゃんに自衛の手段を持たせるべきだって言ったんだけど……俺、ちょっとムキになっちゃってさ」
「あー……まぁ、自分の身を護る手段はあった方がいいとは思うが……お前は違うんだよな?」
そう、と呟いた男の目は遠い。
「前と同じになるのは、嫌なんだ」
「前って……あぁ」
途端にエドワードの声が低くなる。碧より前に来た、異世界の青年のことなのだろう。
「アオイちゃんにカルラの話をしたら……多分受け入れると思うんだ」
「そうだろうな」
「この状況でさ、普通に考えて断れる訳ないよね?」
「……そうだろうな」
それってさ、と男は一度言葉を切った。チビは男の内心を分かっているのかいないのか。甘えたいのか慰めようとしているのか、しきりに濡れた毛皮を擦りつけている。
「自分で選んでるって言えるのかな……って」
選択肢などあってないようなものじゃないのか――あの時と同じように。
あぁ、とエドワードが再び唸るように相槌を打つ。脳裏に過ぎったのは、在りし日の彼の姿。
エドワードは彼と言葉を交わしたことはなかった。それどころか、名前だって知らない。神の子だの、異世界からの英雄だのと好き勝手に呼ばれていたから。
「俺は前の時、間違えたから……責任を取らなくちゃいけないんだ」
「責任……?」
独り言なのか、決意表明なのか。少し待って答えが返ってこないことを悟ったエドワードは話題を元に戻す。
「つっても現実問題俺らが四六時中貼りついてるわけにもいかねぇからな。お前は特に明日から忙しくなるんじゃねぇの?」
ぷくぷくと細かな泡が男の口元から立ち昇っては消える。鼻先まで湯に沈んだ男はしばらくそうしていたが、やがて勢いよく立ち上がった。揺れた水面で遊ぶようにチビがはしゃぐ。
「さっさと終わらせようか」
濡れた髪を後ろへと撫でつけ、男はそう言った。エドワードはひとまず顎を引く。
「お前は多分違和感なく溶け込めるだろうしな」
いらんことを言った金色の頭が勢いよく前に傾いで湯に突っ込んでいった。立ち昇った水柱にチビは喜んでいた。
――次の日。朝食後、キース他数名の使用人が皿を下げ終えると、代わりにティーカップが各人の前に出された。紅茶が注がれ、心安らぐ香りが広がる。それでも会話の血なまぐささは緩和されたりはしなかった。
「最初の被害者は20年以上前に島流しになった男女だ。一応夫婦で子供もいたらしいが、腹違い種違いが多くて全員は把握しきれてない」
カルラはここで一旦言葉を切ると、テーブルに2枚の写真を放った。肩を怒らせた中年の男と、しわは目立つものの目鼻立ちの整った女性がそれぞれ写っている。両名ともオレンジ色のツナギを来て囚人番号が書かれたカードを手に持っている。
「名前はゴーシュとソラノ。ゴーシュは強盗殺人、ソラノは詐欺を繰り返して島流しになったんだと。で、3ヶ月前に殺された」
「その時から血文字はあったのか?」
カルラは首を横に振る。
「ただ、血文字がなかったのはこの一件だけだ。アタシはこれが何らかの切欠だと思ってる」
「……どうして?」
こう言っては何だが、居住区では傷害事件など珍しくもない。そうして怪我を負ったまま、治療も出来ずに息絶えるなんてことはそう少ないことではない。
そんな事情を知っているシャオが尋ねれば、カルラは表情を曇らせる。
「傷跡が同じだったんだ……他のと違って2人は蜂の巣だったが、穴の大きさも具合も同じだった」
犠牲者には第一世代である他に、もう1つの共通点があった。それが、胸の中央に穿たれた直径10ミリ程の穴だ。数こそ異なるものの、前述の2人にも同じ傷跡が残されていたのだ。
「最初の2人は衝動的……その中で何か意味を見出したってとこか?」
恐らくは、とカルラが頷く。そうして写真を脇に寄せてテーブルの中央に地図を広げる。殺害現場と思しき場所に赤いバツ印が幾つか書かれていた。
「現場に統一性もない。路地裏で殺されたヤツもいれば、建物の中で死んでたヤツもいる」
「そっか……取り敢えず一回現場を見てみたいな」
「俺も上から見てみるか。シャオ、お前確か陽炎の魔法使えるよな?」
シャオが頷いたので、エドワードが立ち上がる。男も椅子にかけていたコートを羽織りながら立ち上がった。碧も何か手伝えることはあるかと腰を浮かそうとしたその時だ。
「あァ、そうだ。アオイは別件の手伝いしてもらっても構わないか?」
視線が一斉にカルラへと集まる。その中でも男の視線はややとげとげしかった。
「居住区への物資補給だよ。アタシの部下を手伝って欲しいんだ。そこのヴェズルやフェンリルと一緒に」
2匹の魔物が応えるように鳴き声を上げた。男は口を開きかけたが、それより先にカルラが話を続ける。
「昨日アクアと話してね、流石に危ないから捜査からは外れてもらうことにしたんだよ」
「……そうですか」
それもそうだろうな、と碧は男を見上げる。何やら複雑そうな表情だが、異議を唱える様子はない。
「つっても、何もしないでいるのもね。アンタだってタダめし食うのは心苦しいだろ?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
男にウインクしてみせたカルラも立ち上がり、碧の手を引いた。男の手が一瞬ピクリと動いたが、特に何も言わずに背中を叩いてきたエドワードと共にカルラの後を追う。
玄関に出ると荷車が幾つか並んでいた。それをここまで引いてきたらしいワイバーンの青年たちがカルラを見るなり勢いよく頭を下げる。
「お嬢、おはようございます!」
揃った声は窓ガラスを揺らす程の音量だったが、カルラは気にした様子もなく手を振って見せた。反射的に耳を塞げたシャオ以外は頭を振っている。
「早速で悪いんだが新入りだ、1人と2匹。アオイとヴェズルとフェンリル」
簡単に紹介したカルラが碧を前へと押し出す。おずおずと頭を下げると、碧がヒューマーであることと組合せの事もあってかざわめきが沸き起こる。
「そうだな……バリー、この子らの事頼む」
カルラの言葉にワイバーンの青年が1人前へ出た。赤みがかった紫の髪を逆立てた、糸目の男だ。髪と同じ色のトカゲのような尾を揺らしながら、碧に手を差し伸べる。
「バリーです。よろしくね、アオイ」
「あ、はい! よろしくお願いしますっ」
慌てて握手に応えれば、バリーはくすくすと笑う。
「お嬢から聞いてるかな? 僕の担当地区は東の方だから少し歩くけど大丈夫?」
碧がこくこくと頷くと、バリーは穏やかな笑みを浮かべて碧の頭を撫でる。そうして少しだけ顔を近づけた。
「……あのさ、さっきから僕睨まれてるっぽいんだけど、大丈夫なのかな?」
こそこそと囁くバリーの肩越しに視線をやれば、アクアマリンと目が合った。瞬きの間に男が笑い返したので碧は疑問符を浮かべてバリーに視線を戻す。
正確に言うと男はバリーを睨んでいたわけではなかった。碧を任せても大丈夫か品定めしていただけだ。が、いかんせん彼は人相があまり穏やかではない。
「よくわからないですけど、大丈夫だと思いますよ」
「んん……そっか」
そんなやり取りの間にチビとベリルが任せとけ! とばかりに鳴いていたので男はカルラの方に向き直っていた。
「じゃ、俺はこのままヒューマー居住区に向かうよ」
「頼んだ……あァそうだ、こいつらも連れていきな」
男とエドワードの頭上に影が落ちる。咄嗟に頭を庇うように腕を上げれば、上腕の辺りに軽い衝撃が走った。
「伝書フクロウだ。何かあったらそれで連絡しな」
2人の腕にはお行儀よく翼を畳んだフクロウが止まっていた。きりっとした表情の賢そうなフクロウだ。男がその頭を撫でてやると再び頭上高く飛び上がり、彼の頭の上で旋回している。
「じゃ、皆行ってらっしゃい。気も手も抜くなよ?」
はい!! と再び揃った声が碧たちの脳を揺らした。散開していく人並みに紛れて男が碧に近づいてくる。
「バリー、だっけ。アオイちゃんのことよろしくね」
「はい。貴方もお気をつけて」
バリーがそう応えると、男は安心したように息を吐いた。そうして碧と視線を合わせるように少し屈む。
「危ないことも、無理もしちゃ駄目だよ」
碧が頷く。男は碧の頭を撫でるとチビとベリルも撫でてからその場を去って行った。それを見送って、バリーは荷車のハンドルを握る。
「じゃ、僕らも行こうか」
滑るように動き出した荷車を慌てて追いかける。道中、バリーはベリルやチビのことを物珍しそうに見ていた。
「君、二重属性の魔法使いなのかい? すごいねぇ……」
感心したように言われ、碧は苦く笑った。
「魔法使いじゃないんです」
「えっ」
何度目かになるやり取りに碧は困ったように眉を寄せた。バリーは質問を重ねようとしたようだったが、チビが低く唸ったので一旦口を閉じる。
「そう言えば、お嬢から仕事の内容は聞いてるのかな?」
「あ、えっとヒューマー居住区への物資供給とだけ」
バリーは碧の答えを聞くと苦笑して道すがら話をしてくれた。
居住区への物質供給は基本的に第二世代以降の子供が主な対象となっている。居住区のヒューマーはもれなく全員が凶悪犯罪者のため、育児放棄や虐待が日常的に起こるのだ。少数の子供たちは親の元を抜け出し、彼らだけのコミュニティを作り出していた。ギムレーはその子供たちの支援をしているのだ。
「ギムレー側への移住も検討してるんだけどね。これがまだまだ難しくってさ」
バリーの言った通り子供たちをデミヒューマー側の居住区に迎え入れてはどうか、と言う案も何度か出されてはいる。が、子供にかこつけてたかろうとする大人の存在がそれを阻害しているのだ。大人となった第二世代以降も親と同じ道を辿るか、反面教師に育つかの二極化だ。せめて現在の子供が荒まぬように、と細々と手を貸す事しか出来ていないのが現状だ。
それに、子供と一括りにすることも出来ないのだ。若くして凶悪な犯罪に手を染め、島流しにあった子供も少なからず存在する。
「ま、取り敢えずは出来ることを出来るだけってね」
「……そうですね、頑張ります」
ここで自分に出来ることはまだ、少ない。小さく意気込んだ碧にチビとベリルが寄り添う。そんな光景を見て、やっぱり不思議だなぁと思いつつもバリーは聞きたいことを呑み込んだのだった。
しばらく2人と2匹でゆっくりと歩いていると、前方に背の高い金網が見えてきた。その向こうに数人のヒューマーらしき小さな人影が見える。こちらに気づいたらしい何人かが手を振ってきた。
「こんにちは~」
「バリーさん、こんにちは!」
バリーが手を振り返すと元気な挨拶が揃った。その中でもやや大きめの少年が一歩前に出る。大きい、と言っても碧より少し年下くらいだろう。自分で切っているのか茶色の髪はざんばらで、ピンクがかかった赤の大きな瞳に被さっている。
「いつもありがとうございます、バリーさん」
「なんの。君らの健やかな成長に少しでも足りるなら」
丁寧なお辞儀にさわやかなえびす顔が返る。バリーは荷車から荷物を下ろそうと碧を呼び寄せる。碧も慌てて手伝おうと駆け寄った。
「あの、その人は……?」
その少年の視線は碧のこめかみと腰の辺りを往復していた。角と尻尾、翼がないのを不思議に思っているのだろう。
「あぁ、この子はアオイ。ちょっと事情があってミズガルドから移住してきたヒューマーの1人だ」
「あ、えっと、その初めまして」
「あっ、こちらこそ初めまして」
互いにちょっとぎこちない挨拶を交わす。漂ったなんとも言えない空気に2人して笑った後、少年は咳払いして金網の隙間から手を差し出した。
「えっと、僕ラビって言います。一応、この辺の子供の代表みたいな感じ、かな。これからよろしくね」
「改めて、碧です。こちらこそ、よろしくね」
碧とラビが握手しているのを、バリーは少し離れて見守っていた。
おっさんとじじいのお風呂シーンの需要とは。




