19 それぞれの思惑
4人と4匹は一旦男の家へと戻り、テーブルを囲んだ。魔物たちが外で戯れている間に、碧はナーストでの事をかいつまんで話していた。
「そう言えば……」
バイパーとの邂逅を語り終えた碧が不意に呟く。エドワードは碧の傷を見咎めて深い息をしている男の背中をそっと撫でていた。
「バイパーさんは教団の件は知らなかったっぽいです」
「……そう言えばそうだね。碧のこと保護するって言ってたけど、教団の話はしてなかったなぁ」
男が出してくれたジュースを飲みながら、シャオもその時の事を思い起こす。教団員とバイパーは別々に現れた上、バイパーは碧の手配書などは持っていなかった。元々碧を探していた訳でもなく、たまたま鉢合わせただけだったのだ。
「麓にいたのも教団員だけだったな……騎士はいなかった」
エドワードも思い出したように呟く。霧に尻込みして右往左往していたのは1人残らず教団員だった。鎧の音は一切聞こえなかったのだ。
「アオイちゃんの事に関しては教団の独断ってこと?」
「それどころか国にも黙ってる可能性はあるな」
国に碧の事が漏れていれば手配書が出回るのは必至。20数年前と同じく魔を払う存在として、どうあっても手に入れようとしてくるだろう。騎士団も総力を上げて探し回っているはずだ。何らかの理由があって秘密裏に探しているとしても、分隊長のバイパーが知らないなんてことは流石にありえないだろう。
「何でだろうな……騒ぎにしたくないとかか?」
「20年前は率先して騒いでたのにね」
どこか嘲るような言い方にエドワードは閉口した。日に日にアレルギーは酷くなっているらしい。ソファに並んで座っていた2人に気づかれないように軽く頭をはたく。男は一瞬むっとした顔をしたが、こちらを見つめる2対の瞳に気づいて引き結んだ唇を柔く開いた。
「とにかく、教団がアオイちゃんを狙ってる以上、猶予はないね」
バイパーとのひと悶着でシャオの手配書が発行されるのも秒読みだ。晴れて全員がお尋ね者になる。陸路を行くのはほぼ不可能だろう。
「……ワイバーンに頼るしかないかな」
「つっても流石に全員は乗れねぇぞ」
俺が自力で飛んだとしてもちょっときつい。エドワードがそう言うと男も渋い顔をする。
「それにまとまって動くのもちょっと危ないかもしれないね」
「あ、じゃあさ!」
シャオが片手を大きく上げる。男が少しだけ眉を上げてそちらを向いた。
「オイラの作った地下通路使えばいいよ!」
「地下通路……ってさっきシャオとアオイちゃんが出てきた?」
ふわふわの耳が大きく上下に揺れる。元々地下通路は正体がバレた時に穏便にミズガルドを出るためのものでもあった。大陸の端にまで繋がっているものもあるし、出入り口はシャオの案内と許可がないと開かない。
そんな説明を聞き、男は地図を広げた。シャオがそこに地下通路の出入り口と形を書き込んでいく。蜘蛛の巣状に張り巡らされた通路は大陸の端にまで伸びていた。そんな広大な通路を1人で堀ったと聞き、男は内心舌を巻いた。
「ここから海までだと、このルートが一番近いよ」
蜘蛛の巣の上に曲がりくねった赤い線が描かれる。それを見た男はエドワードと視線を合わせ、考え込むように顎をさすった。
「地下と空の二手に分かれるか」
エドワードの提案に男が頷く。そうして、ソファに座る碧とシャオの視線を捉えた。
「明日の朝、ここを出よう」
それぞれ色の違う頭がそろって微かに上下した。
◆◆◆◆◆
その日の夕刻。ノア王国首都、ゴフェルに構えられた王宮では再び御前会議が開かれていた。現国王ジェイド=ノアを含め、6人が円卓を囲んでいる。
1人は王国騎士団長のグランだ。ジェイドの斜め後ろに立っている。その反対側には分隊長のバイパーが同じように腕を後ろに組んで立っていた。本来ならバイパーは御前会議に出席出来るような立場ではないのだが、今回は特例として出席を許可されている。
「ナーストにも魔族がいたとはな……」
重々しい声で溜め息を吐くように呟いたのは前国王ガリオン=ノアだ。髪もひげも白く、顔のしわも深い老人然とした姿だったが、目だけは鋭く憎悪をたぎらせている。
「王国全土を一度総ざらいした方がいいかもしれませんね」
ガリオンに続くようにジェイドの隣に座っていた男が口を開いた。賢しそうな茶色の瞳を縁の強い眼鏡が覆い隠し、緩くまとめられた鴇色の長髪が胸元で揺れている。名をスペイスと言い、若くして宰相に昇り詰めた聡明な男だ。更にはノア王国随一の魔法使いでもある。
「それについては検討しておこう……本題に移るがよろしいか?」
ジェイドが対面に座っていた男にラベンダーの瞳を向ける。視線を受けたフードの男は恭しく目礼した。
「魔物狩りについてだが、近隣の町から報告を受けた通り山は不可思議な霧に覆われていた」
「あれは魔法によって作り出されたものです……構造式を見ましたが、恐ろしく複雑でした。私ではどうすることも出来ません」
ジェイドの発言を追ったのはスペイスだ。言葉の端々に悔しさがにじみ出ている。傲慢でも何でもなく、スペイスはノア王国一の魔法使いだ。ヒューマーの中では、という注釈はつくが。そのスペイスが解けないのであれば、何者にもどうすることも出来ない。
「存じております。先んじて団員を派遣しておりました故」
フードの男――バーデン教団創始者、オルターが口を開く。老齢の男だ。顔が見えないので表情はうかがえないが、口元には不遜な笑みをたたえている。なら話が早いな、と。ジェイドはそう言いながら眉を上げた。
「今回の魔物狩りは延期、もしくは中止とする。異論はないな?」
「えぇ、勿論」
ジェイドはオルターの事を鋭く睨んでいたが、彼が気にした様子はない。
「その間モリオンについて調査し、報告を上げよ。我らが手足をこれ以上危険に晒すことは許さん」
グランとバイパーが居住まいを正した。後ろで組まれた手に思わず力が入り、微かに鎧が鳴く。
「承知いたしました。努めさせていただきます」
あまりにも素直な返答にジェイドは片眉を上げた。傍らのスペイスやグランも似たような表情を浮かべていた。つい先日まで魔物狩りを強行しようとしていた男とは思えない。
「何か、申し開きはないのですか?」
スペイスが尋ねるも、オルターはゆるゆると首を横に振る。
「いいえ、何も……私は頭を冷やすべきだと、そう考えたまでにございます」
ジェイドはスペイスへと視線を走らせる。それを受け取ったスペイスは微かに頷いた。
「そうか、ならば最優先で励め。報告に偽りは許さん」
言葉の最後に圧力を乗せて言い放つ。が、オルターは変わらぬ態度で了解した。
「次の議題に移ろう……魔物と、魔族とともにヒューマーがいたというのは本当か?」
ジェイドの視線が一瞬、斜め上へと向かう。その後直ぐに手元の報告書へと落とされたので、バイパーは表情を見られずに済んだ。が、隣から腰の辺りに軽い突きを見舞われてたたらを踏む。攻撃の主に視線をやれば、素知らぬ顔で己の頬を指差していた。バイパーは自分の頬が引き攣っていたことに気づき、ぐ、と感情を腹の底へと押しやる。
「……申し訳ありません」
蚊の鳴くような声の謝罪に、グランは気取られぬように溜め息を吐いた。胡乱げなラベンダーが見上げてくる。
「……報告を」
指摘はしないことに決めたらしく、ジェイドは短くそう言った。はっ、と同じく短い返事をしたバイパーが額に手を当てて敬礼する。
「手配書をナースト全域に配っていた際にたまたま立ち寄った店にて、アクアの関係者と出会いました」
ぴくりとフードが揺れた。
「その青年の名はアオイ。私とはモリオンの剣をアクア宅に届けに行った際に、一度会っています。記憶喪失を患い、アクアの元に預けられていました」
「それがどうしてナーストへ?」
スペイスが報告書を軽く指で弾きながら問う。
「アオイ殿曰く、アクアは行方知れずとのこと。手配書の件も既に耳にしていたようで、山から出ていくために要り様の物を買いに来ていた、と本人は言っていました」
バイパーの声が暗く陰る。
「何者かに追われているとのことで保護を申し出たのですが、固辞されまして……食い下がったところ、どこからか飛び出してきたヴェズルに襲われました」
その時の事を思い出しているのだろう。後ろで組まれた手に力がこもって骨が呻き声を上げた。
「私はヴェズルに斬りかかったのですが、アオイ殿が庇ったために怪我を……」
ぐ、と唇を噛み締め、言葉が途切れる。スペイスが片眉を跳ね上げた。
「魔物を庇ったんですか? その青年はヒューマーなのでしょう?」
「そのはずです。その場にいた魔族とは違い、実体も体温もありました。耳や肌の色も確認しています」
「では、何故……?」
スペイスの疑問はバイパーに向けられたものではなかった。自問にも近い言葉だ。
「わかりません……その後は報告書通り、魔族とともに姿を消しています」
なるほど、と呟いたジェイドは口元を隠すように指を組んだ。
「洗脳の可能性は?」
「アクア殿は魔法使いではないので、可能性があるとすれば例のエルフでしょう……その子に自分の旅支度をさせていたのかもしれません」
スペイスの答えにバイパーは顔を歪めた。あの時無理矢理にでも連れて帰れば、そんな後悔が込み上げる。
「ちなみに、保護を固辞した理由については何と言っていましたか?」
バイパーははっとしたように顔を上げる。片手を剣に滑らせ、持ち手を握る。
「……モリオンの事が怖いと言っていました」
「怖い?」
はい、とバイパーが頷く。
「見ていると不安になると……そう言えば、最初に会った時も顔色がよくありませんでした」
「洗脳の影響かもしれませんな」
思い出したようにそう言えば、オルターがやや食い気味に口を挟んだ。ジェイドとスペイスが視線を合わせる。
「……保護を急いだ方がいいかもしれませんね」
スペイスは言いながらオルターを窺った。深くフードを被ったままの男の顔色はわからない。が、微かに動揺したような空気を感じ取り、スペイスは目を眇めた。
「とは言え、その青年は一般人だろう? あまり騒ぎにする訳にもいかないな」
ジェイドはしばし考え込むと、バイパーの方を仰ぎ見る。
「この件は少数で動いた方がいいだろう。顔を知っているバイパーの隊に任せたい……構わないか?」
「はっ!」
バイパーは踵を揃えて再び敬礼の形を取ると、背筋を伸ばした。
「続いて、アクアの逃亡経路についてだが……予想がついていると言っていたな、スペイス?」
「はい」
スペイスが円卓に手を着いた。途端に滑らかなテーブルの上をざらざらと砂が覆っていく。それは数秒と経たない内にミズガルドの地図を書き記した。更に片手を振れば、色の濃い砂が蠢いて蜘蛛の巣のような模様を描き加えていく。
「これは、ナーストの魔族が作ったと思われる地下通路です。おそらくこれを使ってバイパー殿から逃れたのでしょう」
蜘蛛の巣模様に幾つか丸い節が浮かんだ。スペイスがその内の一つをとんとんと叩く。
「マークを付けたところが出入口ですね。厳重に封がされていて、権限を与えられた者以外の侵入は不可能です」
私でも、とスペイスは苦い表情で付け加える。
「ですが、出入口以外からなら地中をこじ開けて入ることは可能です。彼らは海へと向かうでしょうから、明日はこの辺りの通路に人員の配置をお願いいたします」
「了解いたしました……1つよろしいですか?」
グランが口を開く。どうぞ、と進めたスペイスに従い、疑問を口にする。
「ゴフェルに現れたエルフは空を飛んでいました。空への警戒はしないのですか?」
ぐ、と一瞬だけスペイスが唇を噛み締める。が、直ぐに薄く滲んだ血を舌で拭って答えた。
「ノア王国には空中で戦闘を行えるほどの魔法使いも設備もありません。とは言え、空を飛べるのはそのエルフのみ。4人で動くのであれば十中八九、二手に分かれるでしょう」
空に手が届かない以上、確実に捕らえられる方へと標的を絞るしかない。
「それに地中であれば、どこにいようと私が感知できます。戦闘になったとしても、私たちに分がある」
スペイスは己の胸に手を当てる。そのままぐ、と手のひらを握り締めてジェイドを真っ直ぐに見つめた。
「必ず、捕らえて見せましょう。ヒューマーの平和のために」
「期待しておこう……武運を祈る」
ジェイドは静かに一つ、頷いた。そうして解散の意を告げる。
会議が終わり慌ただしく出ていこうとするバイパーをグランは呼び止めた。グランは一時バイパーの師匠の真似事をしていたことがある。故に騎士団の中では特に目をかけていた。
「バイパー、お前の任務についてだが……」
そこまで言って、グランは言葉を泳がせる。不思議そうに見上げるバイパーに一つ咳払いをし、真っ直ぐに見つめ返した。
「あまり感情的になり過ぎるなよ。お前は特に負の感情を制御できないきらいがある」
バイパーが息を詰めた。自覚しているだけまだいい方だと思えるが、それでもどうしようもないのでは少々問題だ。
「お前は真っ直ぐだが、故に曲がることを知らん……良い機会だ、もう少し自分の世界を広げるよう努めて見ろ」
しなやかさがなければ折れて、死ぬ。曲がることを知れば、景色は変わる。
「お前をお前の世界だけで完結させるな――俺たちの世界は近く、大きく変わる」
「どういう……ことでしょう?」
グランは首を大きく横に振った。バイパーが困ったように、迷うように眉を寄せた。
「俺にもまだ、何もわからん。だが、俺の価値観は少し揺らいでいる」
グランはそう言うとバイパーを残して足早に去って行った。バイパーは彼の言葉を呑み込めないまま、しばらく立ち尽くしていた。
黙っていると都合のいい解釈をされてしまうようです。




