20 エドワードと昔の話
それぞれの話し合いと会議の翌日。碧は薄手のコートを着込んで地下通路の入り口に立っていた。昨日の内にシャオが突貫で修理を済ませており、真新しいトロッコには馬を繋ぐようなハーネスが取り付けられていた。そうしてそのハーネスにはチビが繋がれている。何となく楽しそうだ。
傍らにはワイバーンとケルピーが控えていた。ワイバーンの頭にはベリルがちょこんと乗っている。シャオが地下通路を確かめている間、男はエドワードと拳をぶつけあっていた。
「じゃ、エリガルで落ち合おう」
エリガルは比較的警備の緩い、海沿いの小さな町だ。そこからはケルピーの力を借りて海を渡る予定なのだ。
応、とエドワードが短く答える。そんなタイミングでシャオが地中から顔を出した。地面に浮かんだ鍵のような紋様が光り、その辺りが水面のように波打っている。これが正規の出入り口のようだ。
「気をつけてくださいね」
碧がそう声をかけると、トロッコに乗り込もうとしていた男とシャオは同時に振り返った。男は碧の頭に手を伸ばして髪をくしゃりと撫でる。シャオは満面の笑みで手を振っている。
「ん、そっちもね」
「じゃあ、また後でな!」
元気いっぱいにそう言ったシャオがトロッコの底をこん、と叩く。途端にトロッコは流砂に落ちたように沈んでいく。乗っていた男とシャオ、繋がれていたチビも地面の中へと吸い込まれていった。
「俺たちも行くか」
2人と1匹を見送ると、エドワードが風を巻き上げる。その風に乗ってふわりと浮いたのはエドワード本人とケルピーだ。
「多少揺れるのは勘弁してくれよ」
『ちょっとくらい平気だよー』
浮かび上がったケルピーがどこか楽しそうに脚を動かした。まるで空中を歩いているようだ。魚の尾も機嫌良くぴこぴこと揺れている。
碧もエドワードに持ち上げてもらい、ワイバーンの背に跨った。ワイバーンには何度か会った事はあるが、乗るのは初めてだ。滑らかな鱗は炎のような見た目通り、温かい。首に取付けてあった手綱を握ると、それを合図にするようにワイバーンが大きく羽ばたいた。
『落とすつもりはない。が、しっかり握っておれよ!』
「うわ……っ!」
ぐん、と押さえつけられるような感覚のすぐ後に、へその辺りが浮き上がる。慣れない感覚に目を閉じ、身をすくませていればベリルが甲高く鳴くのが聞こえた。
『目を閉じるな、空を見よ』
ワイバーンの声が頭の中に轟く。ベリルも誘うように歌っていた。碧は少しだけためらったが、ゆっくりと目を開いて。
「わぁ……!」
息を、呑んだ。後ろへと雲が流れていく。次々と形を変えて、抜けるような青を駆け抜けていく。まるでここだけ時間が加速しているかのような感覚だ。吹き寄せる風は少し冷たいが、コートを着ている碧には心地良いいものだった。
『すごいよね!』
脳内に入り込んでくる声も弾んでいる。エドワードとワイバーンは得意げだ。
「楽しいだろ」
『うん! なんかズルいなぁ』
子供のような事を言うケルピーにワイバーンがけらけらと笑う。
『お主は水の中は自由自在だろう? 好きに出来るものは1つの方がいい』
驕ってしまうからな、と笑いながらそんなことを言う。そっか、とケルピーは目を瞬いた。
『じゃあ、今度は皆で海の中散歩しよ! ボクが案内するよ』
これが逃亡の旅だと言うことを忘れてしまいそうだ。楽しそうに未来を口にするケルピーに碧も少しだけ笑う。憂いはあっても景色は綺麗だし、風は心地いい。
「そういや、アオイはニダウェについてはどんぐらい知ってんだ?」
不意にエドワードがそう聞いてきたので、碧は緩く首を振った。
「ヒューマーとデミヒューマーが共存してる大陸だ、とだけ」
「んん……そうか」
何とも微妙な反応に首を傾げていると、エドワードはワイバーンと並走するように少し高度を落とした。見上げる碧の瞳にエドワードの表情が映る。そうして、嫌でも理解してしまった。
「共存、じゃねぇんだわ」
「そう、ですか……」
暗い話して悪いな、と言い添えたエドワードに首を振る。今からそこに行く以上、知らなければならないのだろう。
「ニダウェにいるヒューマーは所謂島流しになった奴らなんだよ」
年に一度、ミズガルドでは大罪を犯した犯罪者たちを集めてニダウェへと船で運び、そこに置いていく。勿論、ニダウェ側の事情などが汲まれることはない。一方的に連れてきて置いていくだけだ。ニダウェでも彼らの扱いには困っているようで、最近ではヒューマーとデミヒューマーで居住区を分けて暮らしているらしい。
「島流しが始まったのが100年くらい前だからなぁ。俺がいた頃には小せぇ町くらいにはなってたな」
「エディさんはニダウェの出身なんですか?」
そう尋ねると、エドワードは少し驚いたように眉を上げた。次いで、アクアから聞いてねぇのか? と疑問を返す。
「俺は生まれも育ちもミズガルドだ。俺の親父が大昔にスバルムからミズガルドに移り住んだんだよ。何かの調査のためっつってたけど、詳しいことはわかんねぇ」
『じゃあ、グリョートにたま~に来てたエルフってエドのお父さんだったのかなぁ』
エドワードはぎょっとした顔で声の主を振り返る。
「会ったことあるのか!? ……え、お前幾つ?」
時間差で2つの衝撃に見舞われたらしく、エドワードを取り巻く風が少しだけ揺らいで碧の方へ流れてきた。空中で体勢を崩しかけたケルピーがわたわたと脚を動かす。それに気づいたエドワードも慌てて腕を振った。途端に巻き上がった風が倒れかけていたケルピーをそっと支える。
『ひゃー、落ちるかと思った』
びっくりした、と言い添えたケルピーはそれでもどこか楽しそうだ。多分落ちたところで肉体的なダメージはないのだろう。
「悪ぃ……」
『いいよー』
眉を下げたエドワードにケルピーは何とも軽い調子で答えた。怖々と見守っていた碧も詰まっていた息を吐く。エドワードはケルピーと共に下がってしまった高度を上げると、再びワイバーンとベリルに並んだ。
「それで、えっと、親父の事なんだが……」
『グレイって名前の水の魔法使い?』
エドワードはぶんぶんと首を上下に振った。ケルピーはくすりと笑うと大昔のエルフのことを話し始めた。
◆◆◆◆◆
今から300年以上前の事。その頃のミズガルドに国家はまだなく、小さな村や街が点在しているだけだった。そして、今と変わらず魔物たちはグリョート山脈で分断されたその向こう側で暮らしていた。
ヒューマーは魔物の存在に怯えてはいたが、その頃には勇敢にも立ち向かう者はおらず、魔物たちは平穏無事に生活していた。まだ仔馬だった頃のケルピーのその1匹だった。
ケルピーと言う種族は他の魔物と違い、世界に1匹しかいない。先代の死と共に、その力を受け継いで生まれてくるのだ。その頃のケルピーは本当に生まれたばかりの赤ん坊のようなもので、1日の大半をまどろんで過ごしていた。その日も川辺でのんびりと日向ぼっこをしていた。
がさがさと下草を掻き分ける音と、嗅いだことのない匂いを感じてケルピーは少しだけ瞼を持ち上げる。長く伸びて木々の間を覆っていた草が、カーテンを開くように左右に割れる。
「……おぉ、ケルピーがいる」
自種族の名を呼ばれ、ケルピーは首も持ち上げてそちらを見た。この水辺では珍しい、2足歩行の生き物だった。毛皮や鱗の代わりなのか、布を纏っている。長い金色の毛が頭部だけから生えて、腰の辺りまで伸びていた。耳の位置は頭の上ではなく、顔の横だ。
顔の前についていた、水面のような色をした瞳に自分の姿が映し出されている。そう認識すると共に、その瞳はにかりと快活に笑いかけてきた。
自分たちとはまるで違うかたちをしているのに、似たような匂いがする。それがとても不思議だった。湿った土の匂い、雨上がりの空の匂い。魔物じゃあないのに、水の匂いを纏った、不思議な存在だった。時折山に分け入っては自分の姿を見て逃げていくものと少し似ている気もするのに、全然違うような気もした。
「ちょっとお邪魔してるよ。調べものがしたいだけだから、気にしないで」
彼はそうケルピーに話しかけると、きょろきょろと河原を見渡した。ケルピーもその視線に釣られるように目玉だけを動かす。彼の探し物はここにはなかったらしく、少しだけ残念そうに肩を落とした。
「やっぱりもっと深くまでいかないと駄目かな……」
独りそう呟いた彼は山頂の方へと顔を向ける。そこはいつも雲がかかっていて魔物たちですら滅多に近づかないような場所だった。
「とは言ってもなー……流石に俺でもあそこまで行くのはなー」
危ないかなー、どうかなーと自問自答する彼にケルピーはそっと近づいた。服の裾をくいくいと引くと、澄んだ瞳にアメジストが色を移す。
「……何かな?」
彼は首を傾げてケルピーに向き直った。この頃のケルピーには、ヒューマーやデミヒューマーと会話する手段はない。それ以上に、ケルピーは自分の好奇心を満たすのに夢中だった。ふんふんと鼻を鳴らして彼の匂いを嗅ぐ。やっぱり水の匂いがする。心地よくて落ち着く匂いだ。
「あっ、ひょっとして魔法使いに会うの初めてなのか?」
まほうつかい。聞いたことのない単語にケルピーは首を傾げて彼を見上げた。彼は片手を掲げた。
「恵みの精霊よ、加護を受けし者に応え、大地を潤す雫をここに」
静かな詠唱によって呼び出された水の玉が、手のひらの中でふわりと浮き上がる。ケルピーはぱちぱちと目を瞬かせた。よく見たくて後ろ脚で立ち上がろうとすると、彼は笑いながらケルピーの鼻先へと水球を近づけてくれた。
「興味深々だねぇ。身体もなんか小さいし……産まれたてなのかな?」
悪戯っぽく笑った彼はぱちんと指先を弾いた。途端に水球は弾け、内包していた水を辺りにまき散らす。
「これは魔法って言うんだよ」
上向けた手のひらからジャグリングの玉のように水球が生み出されては空中に踊った。まほう。やはり聞きなれない単語をケルピーは頭の中で反芻する。初めて知って、初めて目にしたそれはどこまでも優しくて楽しいものだった。
グレイと名乗った彼はそれからも時折ケルピーの元へと現れた。他愛ない事を話し、ケルピーの首や尻尾の反応を見ては穏やかに笑った。緩やかな時間を、彼らは共有していた。
「魔法って言うのは元々は自然現象だ。その中で生きてる君は、俺よりもよくわかってるんじゃないかな」
人里に迷い込んでしまったエイクスが殺された頃、グレイから魔法を教わるようになった。高位の魔物であることと、元々の素質があったこともあり、そう苦もなく覚える事が出来た。グレイの身体を包むほどの水のクッションを作り出したところ、彼はいたく気に入ってしばらくそこで寝そべっていた。
「……好きな人が出来たんだ。花みたいに綺麗なヒューマーだよ」
ノア王国が建国してしばらく経った頃、グレイは少し恥ずかしそうにそう告げた。ケルピーも釣られてむず痒い気持ちになったのを覚えている。
それからほんの少し時間が過ぎた頃、その人と結ばれたと聞いた。自分の姿を、正体を、受け入れてくれたのだと。嬉しそうに、教えてくれた。
ここで生きていく事を決めたのだと、そう教えてくれた。相変わらず探しものは見つかってはいないようだった。
「聞いてくれよ! 子供が出来たんだ! 俺と、フランサスの子供だ!」
次にグレイが山を訪れた時にはそんな報告を貰った。彼女と同じ色の瞳を持った、シルフィードに愛された子供だそうだ。自分とは違う命の営みを知るのは楽しかった。欲を言えば自分やグレイと同じ精霊の眷属であって欲しかったが。
「……フランサスが、死んだ」
それは、瞬きの間の出来事だった。驚く程に早く流れていった時間は、グレイだけを置き去りにしていった。ケルピーはその時に初めて、ヒューマーとエルフの寿命の違いを知った。
伝えられない言葉の代わりに、ケルピーはグレイに頬を擦り寄せた。泣きそうな顔で笑ったグレイはケルピーの頭を優しく撫でてくれた。
「今日は、お別れを言いに来たんだ」
そう言ったグレイはどこか晴れやかな表情だった。だから、ケルピーもそれを受け入れた。もっと一緒にいたいなどと、我が儘は言わなかった。
グレイは、ケルピーの元に来なくなった。ケルピーも、彼を待ったりはしなかった。
初めて出来た、ヒトの友達だった。
唯一でないのは、それから150年ほど後に黒髪の青年とも友達になるからだ。頑張って覚えたテレパシーで心ゆくまでおしゃべりするのは、その青年が初めてになった。
ケルピーは何度も初めてを繰り返す種族なのです。




