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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第1章 普通じゃない人たち

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16 碧と正義

 ぎちりと捕まった皮膚が鳴き、骨が軋みを上げる。


「い、っ……」


 碧は反射的に身を引くが、びくともしない。痛みに歪んだ顔に我に帰ったのか、バイパーの手からわずかに力が抜けた。それでも振り払えない。失礼、と再びバイパーはそう言ったが、離す気はないようだ。


「今言いました通り、アクアは魔族に与し賞金首となっています。何か知っていることがあれば話していただきたい」


 カウンターを乗り越えそうな勢いで迫るバイパーに碧は何も言えずにいた。その逃亡に手を貸すためにここまでおつかいに来ましたなどと馬鹿正直に言えるわけもない。が、バイパーは目ざとく碧の持っていた袋の中身を捉えた。


「旅支度をしているのですか?」

「……はい」


 これ以上黙っているわけにもいかない。碧は蚊の鳴くような声で肯定する。ぎり、とエナメルが軋み合う音が聞こえ、掴まれた腕に痛みが走る。


「失礼、その辺で」


 太い声がそう言うと同時に万力のように締めつけられていた腕が自由になる。碧はたたらを踏みながら数歩下がった。赤く手形がついてしまった腕をさすり、声の主を見上げる。バイパーもシャオの方を睨み上げていた。その指先には小さな火傷を負っている。


「お客様に乱暴はやめていただきたい」


 シャオは碧を庇うように前に立ち、片腕を広げていた。陽炎による幻覚とは言え、バイパーを睨み返している。


「……炎の魔法、ですか」


 バイパーが静かにそう言った。シャオは陽炎の中で息を詰める。碧を護ろうとするあまり、反射的に炎でバイパーを攻撃してしまったのだ。

 元々幻覚でしかないヒューマーの姿では攻撃はおろか、相手の肌に触れることすら出来ない。毛むくじゃらの手で触れてしまっては、いくら目を騙していたとしてもバレてしまうのだ。言葉を詰まらせたシャオに追い打ちをかけるように、バイパーは口を開く。


「その方は賞金首アクアの重要参考人です。お引渡し頂けないのでしたら、こちらも公務妨害と捉えさせていただきます」


 それは武力行使もやむを得ないと言っているようなものだった。バイパーは流れるような所作で剣に手をかけ、床を踏みしめる脚に力を込める。が、陽炎は表情を崩さない。


「ここは私の店で、この方はお客様です。私にはお客様を護る義務がある。騎士様とは言え、傷つけるのであれば容赦はいたしません」


 お互いに丁寧な言葉での威嚇。縮みあがっているのは碧だけだった。とは言え、事の発端は自分だ。いつまでも黙っておろおろしている訳にはいかない。


「あのっ……」


 何とか声を絞りだせば、2人の視線が一斉に突き刺さってくる。碧は一瞬ひるんだが、そのうちの1つをじっと見つめ返した。


「アクアさんは今、行方知れずになっているんです」

「行方知れず……ですか」


 バイパーは微かに臨戦態勢を解いた。胸を突き破りそうな勢いで跳ねだす心臓を抑え込みながら、碧は言葉を続ける。


「騎士の方々と揉められて直ぐに、荷物をまとめて出ていかれました」


 ぴくりとバイパーの眉が動く。碧はシャオが受け取った手配書を指差し、目を伏せる。


「その……この様子だと帰って来ないでしょう? アクアさんがいなくなった以上、あそこに留まるわけにも行かないので」


 全くの嘘ではないが、真実でもない。碧は買い物袋を握り締めて身体の震えを何とか止めた。そしてそのまま袋を軽く掲げて見せる。


「とは言えどこに帰ればいいのかもわからないので……いっそ旅にでも出てしまおうかと」


 あぁ、とバイパーが小さく息を吐いた。彼は碧が記憶喪失であると信じているのだ。


「ですので、今のアクアさんについてはわかりません……その、お役に立てなくてすみません」

「……いえ、こちらこそ申し訳ありません。少し、我を忘れておりました」


 このバイパーという男はどこまでも誠実なのだろう。下唇を噛みながら俯いている。碧は罪悪感で胃がきりきりと痛むのを感じていた。隣でシャオがほっ、と息を吐くのが微かに聞こえた。


「しかし、こちらは……?」


 不意にバイパーが片手を掲げて見せる。その手には先ほど彼が払い除けてしまった茶髪のかつらが下げられていた。碧は一瞬身体を硬直させる。が、直ぐに取り繕うように差し出されていたかつらを受け取った。


「……実は、知らない人たちに追われているんです」


 これに関してはほとんど本当のことだった。シャオに抑えられていたため直接見たわけではないのだが、おそらくは神の子信仰の団体なのだろう。男に聞いた20数年前の悲劇を繰り返そうと碧を探しているらしい。


「理由も、目的もよくわからなくて……」


 どうして、バレてしまったのだろう。そんな思いも大きかったが、それ以上に。


 ――どうして、放っておいてくれないのだろう。


 そんな気持ちが胸に込み上げていた。わざわざ探し出してまで、引きずり出してまで、祭り上げようとする理由は何なのだろうか。

 知らず俯いてしまった碧の手にふわふわとした手が触れる。碧とバイパーには見えないが、シャオの手だ。


「そう、でしたか」


 碧の感情が伝播したのか、バイパーの声も沈んでいる。が、彼は勢いよく顔を上げた。拳を胸にあて、凛と背筋を伸ばしながら宣言する。


「それでは、貴方を保護をさせていただきます!」

「えっ」


 碧とシャオの声が重なった。バイパーが首を傾げる。聞き覚えの無いどこか幼い声が聞こえたような気がしたのだ。シャオが思わずぱしりと自分の口元を覆う。碧は少しの間固まっていたが、静かに目を閉じた。


「いえ、申し出はありがたいのですが……お断りさせていただきます」


 え、と今度はバイパーとシャオがユニゾンする。が、シャオは幻覚に思いっきり咳払いさせてごまかしていた。バイパーは訝しむような視線を向けているが、そちらに言及はせずに碧の方へと向き直った。


「どういう事でしょうか」


 バイパーの疑問は当然だろう。国からの保護を断るなど、通常であればありえない。だが、碧はこれまでよりもはっきりとした声と口調で、バイパーの問いに答える。


「この間、バイパーさんがアクアさんにモリオンの剣を持ってきたでしょう?」


 バイパーの顔色が一息に変わる。えぇ、と打たれた相槌も心なしか低い。


「……あれが、怖いんです」

「怖い……?」


 オウム返しの問いに碧は頷く。バイパーは怒りの表情から一転、わかりやすく戸惑いを浮かべていた。


「見ていると、その……何と言うか、不安になるんです。傍にあると気持ち悪くて……なので、ノア王国から離れるつもりでいるんです」

「しかし……!」


 何か言おうとしたバイパーを遮り、碧はゆっくりと首を横に振る。そうしてすみません、と一言謝った。


「お願いですから、放っておいてください」


 どこか突き放すような、諦めたようなもの言いだった。シャオがぴくりと耳を動かす。バイパーはぐっ、と唇を噛み締める。が、直ぐに顔を上げて碧の腕を掴んだ。先ほどとは違い、力強くも優しい手つきだった。


「騎士として――いえ、1人の人間として、貴方を見放すことはできません」


 バイパーははっきりとそう告げる。どこまでも真っ直ぐで正義感の強い、良い人だ。だが、碧はその正義感こそが怖かった。ヒューマーである自分だけに向けられる真摯なそれが、たまらなく恐ろしい。()()はエドワードを傷つけ、チビやベリルを殺そうとするものだ。


「……離してください」


 知らず声が震えた。身体の震えもバイパーには伝わっているはずだ。それでも食い下がろうとバイパーが口を開いたその時、碧の目の前を大きな影がよぎる。


「あっ……!」


 空をつんざくような鳴き声が上がる。激しい羽音が空気をかき混ぜた。碧から離れたバイパーの手が、腰の剣へと伸びるのが視界の端に見えた。


「やめて!!」


 碧が叫んだのと、黒剣が抜かれたのはほぼ同時だった。身体中の毛が逆立つような、肌が泡立つような感覚に襲われ、碧は膝を着きそうになるのを堪えた。バイパーに飛びかかろうとするベリルに手を伸ばす。

 碧の声に反応したのか、ベリルは空中で動きを止めた。碧は後ろから抱きつくようにしてベリルを引き寄せる。誰かが焦燥の声を上げるのが聞こえた。


「……ッ!」


 ちりりと腕に熱が走る。間髪入れずに腕を伝う微かな濡れた感触。薄皮を裂いた剣先と驚いた顔が重なる。何故。バイパーの唇がそう動くのだけは、はっきりと見えた。


「アオイ!」


 尻もちをつこうとしていた身体が小さな手に支えられる。ベリルが再び羽ばたこうとするのを感じ、碧は掻き抱いた腕に力を込めた。ずきん、と鈍い痛みが走り、傷口が脈打つ。さほど深い傷ではないようだ。バイパーが咄嗟に剣筋を逸らしてくれたのだろう。


「何故、魔物を……!」


 当然のように投げかけられた問いに碧は答えない。答えたところで、この人はきっと納得などしないだろうから。なら、黙っている方が良い。――これまでもずっと、そうしてきた。


「貴方はヒューマーでしょう!?」


 声を荒らげるバイパーに、やはり碧は答えない。ただじくじくと内から外から込み上げてくる痛みに耐えていた。


「何故……!」

「アオイがベリルのこと好きだからだよ」


 幼い声がバイパーに答える。ゆらりと陽炎が揺れた。森に火が付いたようにバイパーの瞳が燃え上がった。


「貴様、魔族かッ!!」

「オイラはシャオだよ。ドワーフのシャオ」


 激情を露にするバイパーにひるみもせず、シャオは平坦な声でそう言った。バイパーは一歩後ろへ下がると体勢を低くして剣を構え直す。レイピアとロングソードの中間のような細くしなやかな剣だ。


「魔族と語らう口はない! その子から離れろ!!」

「やだよ。オイラもアオイのこと好きなんだ」


 刺突の構えを取るバイパーに対し、シャオは指揮を取るように片手を振る。


「進撃の精霊よ、加護を受けし者に応え、灼熱の御手をここに!」


 シャオの描いた軌跡をなぞって炎が揺れる。それはシャオの指揮に合わせて鎌首をもたげ、彼と碧を護るように取り巻いた。渦の中心にいるのに不思議と熱くない。逆にバイパーは近づけないでいるようだ。舞い散る火の粉から顔を庇いながら、シャオを睨みつけている。


「あのね」


 シャオが変わらず軽い口調でバイパーに話しかける。バイパーはそれには答えず、炎を払うように剣を振り抜いた。が、渦はほんの少し乱れただけで直ぐに元に戻ってしまう。


「アオイはオイラの友達で、ベリルもアオイの友達なんだ」

「何を馬鹿なことを!」


 吠えるようにそう言ったバイパーは尚も炎を切り払おうと剣をふるった。シャオは小さく首を振る。


「馬鹿じゃないよ。キミが知らないだけで、信じたくないだけ」


 ぎり、と歯を噛み締めたバイパーは碧の方へと視線を投げた。碧はベリルを抱きしめて震えている。ベリルはバイパーへの突撃を早々に諦め、碧を慰めるように優しい声で鳴いていた。それは、バイパーにとっては――ヒューマーにとっては、ありえない光景でしかなかった。


「貴様ら、その子に何をしたッ!?」


 碧が望んでそうしているわけがないのだ。なぜなら碧はヒューマーで、ベリルは魔物で、シャオは魔族なのだから。凝り固まった思想に柔軟さはない。折れることもない。


「……オイラは出来ればキミとも友達になりたかったんだけどね」


 シャオがぼそりと呟いた。碧が見上げた先で琥珀色の瞳がどこか悲しそうに揺れる。真っ直ぐに伸ばした腕を振り下ろし、シャオは腰を支えていた方の腕でしっかりと碧を引き寄せる。


「掴まっててね」


 碧はベリルを抱きしめたまま、シャオにすがった。バイパーが大きく目を見開く。


「じゃあ、一旦バイバイ……あ、オイラはもうキミには会わないように気をつけるよ」

「な、待て!!」


 炎が一層大きく渦を巻き、バイパーを押し返すように広がる。バイパーは踏ん張ったが敢え無く吹き飛ばされ、開いていた扉から外へと勢いよく転がり出る。受け身を取りながら立ち上がり、店内へ駈け込めば2人と1匹の姿はどこにもなかった。


「どこへ……」


 見回した視界の隅で工房へ続く扉が、小さく揺れた。叩き壊しかねない勢いで開き、工房へと飛び込む。開いていた窓から入ってきた風がバイパーの頬を撫でた。


 人影はない。窯の中で薪が爆ぜる音だけが響いていた。

 骨が鳴くほどに拳を握り締める。血液が沸騰して耳元で泡立っているような音が鼓膜の奥で鳴る。


「ヒューマーが、どうして……魔物を庇うなど……」


 あれが現実だったとはとても思えない。だが、バイパーの手は人の薄皮を裂いた感触を鮮明に覚えていた。


「あの魔族にたぶらかされているのか……? 何にせよ、早急に探し出して保護しなければ」


 バイパーはそう結論付けると踵を返す。店の前に繋いでいた馬に素早くまたがると、走り去っていった。


 ――そんなバイパーの独り言を、シャオと碧は窯の中で聞いていた。シャオはバイパーを弾き飛ばした後、碧を引っ張って窯の中に駆け込んでいたのだ。燃えていた炎はシャオと碧をよけるように左右に割れ、その下にあった空間で2人と1匹は息をひそめていた。


「行った……みたい。アオイ、大丈夫?」


 蹄の音が遠ざかったのを聞いて、シャオは立てていた耳を下ろした。


「大丈夫、だけど……ここは?」


 碧がそう言うや否や、地下通路に明かりが灯る。壁に掲げてあった松明にシャオが火を着けたのだ。


「ここはオイラが作った地下通路だよ。素材を取りに行ったりするときに使ってたんだ」

「そう、なんだ」


 岩盤を削って作られたそこは、碧が立っても十分な広さがある。見上げれば、入口で炎がちらちらと影を落としていた。


「でもどうしてこんなところに……?」


 碧がそう尋ねると、シャオは頬を掻いた。


「オイラがドワーフだってバレた時用の秘密の出口も兼ねてたんだ」


 陽炎で騙せるのは目だけ。ヒューマーの検問などを突っ切ることは出来ない。もしその時が来た場合のため、幾つか地下通路を作っていたのだ、と。シャオは何でもないことのように答えて見せる。


「それよりアオイ、怪我してるだろ? 手当てするから見せて」


 床からせり出していた岩に向かい合って腰かけ、シャオは碧の腕を取った。ハンカチを取り出して簡単に手当てをする。ベリルが心配そうに足元に擦り寄ってきたので、碧は反対の手で頭を撫でてやった。


「ん、これでよし……アオイはこれからどうするの?」

「1回戻ろうとは思ってるけど……」


 碧は頭上へと視線を向ける。シャオも釣られてそちらを見上げた。流石にここから地上の様子はわからないが、普通に出ていくわけにはいかない。


「あのさ……」


 不意にシャオが口を開いた。碧は視線を戻す。


「オイラもついてっちゃ、ダメかな?」


 もじもじと指を弄りながらそんなことを言うものだから、碧は面食らった。が、続いた言葉に表情が曇る。


「オイラ、ドワーフだってバレちゃったからさ……ミズガルドを出なきゃいけないだろ?」


 当然のようにシャオはそう言う。エドワードと同じことを、この世の摂理のように。


「あ、アオイ以外のヒューマーが嫌だっていうんなら、いいぞ! 仕方ないからな」

「ううん。それは大丈夫だと思う……」


 シャオが首を傾げたので、碧はミズガルドから出ることになった顛末をかいつまんで話した。シャオは耳をぴこぴこ動かして聞いていたが、その速度は段々弱まり、やがて力なく垂れてしまう。


「そっかぁ……あの人たちがアオイの友達だったんだね」

「友達……と言うか、お世話になってる人たちかな」


 碧の小さな訂正が聞こえているのかいないのか。シャオはグリョートの麓かぁ、ちょっと遠いよなぁ、などとぶつぶつ言っていた。


「アオイって乗り物酔いしやすいか?」


 突然の質問に碧は瞳を瞬く。が、どう? とシャオが重ねて尋ねてきたので取り敢えず普通と答えておいた。男は乗り物ではなかったのでノーカウントのはずだ。


「グリョートに行くときにいつも使ってるトロッコがあるんだ。スピード出せば10分くらいで着くぞ」


 こっち、と揺れる尻尾を追って少し歩くと、シャオの言葉通りトロッコが止めてあった。大きな2両編成のトロッコだ。ベリルが興味津々に周りを飛び回っている。シャオが飛び乗り、碧を引っ張り上げる。見回す限り石炭を燃やす炉のようなものはない。木箱に車輪をつけて繋げたような、簡素な作りだ。


「これ、動力は――」

「じゃ、出発するぞ。掴まってろよー」


 疑問を口にするより先に、シャオの手のひらに炎が灯った。浮かび上がった疑問の答えに、碧はベリルを捕まえてトロッコの縁にしがみつく。


「行ッ……けぇえええ!!」


 気合と共に炎が弾けて噴射される。それとほぼ同じ速度でトロッコが滑り出した。目も開けていられないほどのスピードに早くも手が痺れてくる。少しスピードが落ちてくると、シャオが炎を噴出する。その度にがくん、と大きく揺れ、内臓が浮くような感覚に襲われる。


 ――これは、駄目かもしれない。


 約10分の間、碧は身体を丸めて何とか吐き気を乗り切った。ベリルがそっと翼で背中を撫でてくれた。

バイパーさんは碧のことが本当に心配なだけです。

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