17 おっさんと魔物
碧が出発して暫く。男は朝食の片づけを済ませると、昨日と同じくエドワードの軟膏と包帯を替えた。傷口の周りには新しい皮膚ができ始めている。痛みも昨日ほどではないようで、額に脂汗を滲ませる程度に留まっていた。それでもぐったりとソファで天井を仰いでいたエドワードの前に、どさりと風呂敷包みが下ろされた。
「何だ?」
胡乱げに上げた視線の先で包みが解かれる。
「彼ら、置いてっちゃったんだよね」
「……そうか」
ローテーブルに乗っていたのはモリオンの剣だった。男は投げ返した筈だったのだが、あの騒ぎの最中で果敢に拾いに来る者はいなかったようだ。そのため、昨日の朝男が確認にいくまで玄関先に横たわっていたのだ。
「ほんとは直ぐにでも捨てたいんだけどさ」
男は背後をちらりと見る。その視線を追えば、キッチンの方で満腹のフェンリルが丸まって眠っていた。
「よくよく考えると多分、俺が持ってた方がいいんだよね」
現物があれば調べられて対策も立てられる。何よりまだ量産体制に入っていない武器が、奴らの手元から1本だけとはいえ減るのだ。
「使わないけどね」
「わぁってる……持ってくにしても鞘が欲しいな。どっかの鍛冶屋に持ちこめりゃいいんだが」
「流石にこれはアオイちゃんには頼めないしね」
仮の処置として男は刀身を布でぐるぐる巻きにしてその上から紐で括った。それを脇に置いて、荷物をまとめ始める。本格的な荷造りは碧が買い物を終えてからになる。が、魔物関連で見られては困るものが幾つかあるのだ。
例えば、ここに移り住んですぐの頃に作った魔物の分布図や、それぞれの特徴なんかをまとめたノートなど。かさばるので持ってはいけないにしても、隠しておく必要がある。
「お前、ほんとマメだよなぁ」
「やり始めるとなんかハマっちゃってさ……燃やしちゃうのもなんか、ね」
男が本棚から取り出したノートをぱらぱらとめくりながらエドワードが呟く。が、不意に眉をしかめた。
「……これ何語だ?」
ノートは眷属の種類によって分類までされていた。それぞれの魔物の簡単なスケッチと特徴がまとめてある。だが、エドワードにはその文字が読めなかった。不意にそのノートが手から離れ、エドワードは男の方を見やる。男は閉じたノートを他のノートに重ねると、気恥ずかし気に笑った。
「造語みたいなもんかな。一応見られても大丈夫なようにはしといたんだよ」
男は苦笑いしながら床板を何枚か剥がした。これは昔エドワードに頼んで簡単な鍵にしてもらったのだ。正しい順番で剥がさないとてこでも動かない。開いた隙間にノートを押し込み、床板を元通りにすると男は大きく伸びをしながら立ち上がった。
「出ていく前に皆に挨拶しに行かないとね」
「そうだな。しばらくは山の奥に引っ込んでてもらうしかねぇか……ちょっと窮屈な思いさせちまうけど」
男の家は最近、魔物の溜まり場となっている。元々男に会いに山を下りてくる魔物が数多くいた。碧が来てからは、その数を着々と増やしていたのだ。しかし、これから暫くはここはもぬけの殻になる。捜査に来るだろう騎士や警備隊と鉢合わせてはまずい。
これまでなら難なく追っ払えていたが、魔物を殺す手段を彼らが持ってしまった以上、隠れるしかないだろう。――殺し合いをしたくないのであれば。
「病み上がりに悪いけどエディも手伝って」
「まだわりと病んでるけど、まぁいいぜ」
エドワードが笑うと男は渋い顔になった。なおも笑いながら玄関へと向かう背中を男が追う。
「まぁ、俺の話聞いてくれんのはシルフィードの眷属だけだからな。手伝いになるかどうかはわかんねぇぞ」
「それでもありがたいよ、エディ飛べるし」
男の言葉と同時にエドワードの周囲で風が吹き始める。ハーフアップの髪を遊ぶように渦を巻き、その長身をふわりと宙に舞い上がらせた。
「気をつけてね」
「俺にまで過保護になるのはヤメロ」
一転してエドワードが渋面になり、男が微かながら笑う。エドワードは山間部へとそのまま飛び去って行った。男は近場から行くことにしたらしく、いつも洗濯をしている川へと向かう。ほどなくして目的地に着くと、待っていたかのようにケルピーが姿を現した。水流をかき分けるように川に住む大蛇、ナーガも数匹顔を出している。
「今日はおっさん1人なんだよ」
きょろきょろと辺りを見回す彼らは、恐らく碧を探しているのであろう。男は苦笑しながら探し人の不在を知らせる。
『アオイ、どこか悪いの?』
不意に男の頭の中で声が響く。どこか子供のような柔らかい声だった。男は特に動揺する事もなくその声の主、ケルピーへと向き直る。
「ううん、ちょっとおつかいに行ってもらってるだけだよ」
『そっかぁ。アクアは今日どうしたの? お洗濯じゃないよね?』
相変わらず声なき声で話しながら、ケルピーはひょいっと首を伸ばして男の背後を確認する。
「……うん、ちょっとね」
男が頭を掻く。ケルピーはそのアメジストのような瞳をぱちぱちと瞬くと、ぷい、とそっぽを向いた。男はその視線を追うも、ケルピーはさらに首をねじ曲げて向こうを向いてしまう。駄々っ子がすねているかのような仕草に、男は内心首を傾げていた。
『外に行くんでしょ、ボク知ってるよ』
えっ、と思わず声をもらしてしまったのを皮切りに、水面がバシャバシャと騒ぎ始めた。ナーガたちだ。顔だけ出していた青い蛇たちが賛同するように水面を揺らす。確信を突いた言葉に男はしばらく声を失っていた。が、やがて意を決したように口を開く。
「うん。だから……しばらく皆のこと護ってやれない」
『むぅ』
不機嫌そうな声が男の頭の中に吹き込まれる。
『別に平気だよ。ヒューマーが何人来たって皆で追い返すから』
「……それが、そうもいかないんだ」
一斉に首を傾げるナーガたちとケルピー。男以外のヒューマーが見れば卒倒しそうな光景だったが、男はただ苦い物を吐くように言葉を続ける。
「バーデン教団が魔物用の武器を作ったんだよ」
『ボクら用の……武器?』
「魔力がなくても使える魔道具みたいなヤツだよ」
『……ほんとにボクらを殺すためだけの武器なんだね』
これまでにも魔力を炎や水に変換するような魔道具はあったし、魔物狩りで使われたこともあった。魔力はそのまま放出するよりも魔法に変換した方が、エネルギー効率ははるかにいいのだ。それは、魔法使いとも呼べないような微弱な魔力しか持たない者を補助する為のものだった。
「今、エディが調べてる。特殊な鉱石みたいなので出来てて、衝撃に反応して魔力を放出するんだ」
『えっと……じゃあ、ボクらが攻撃しても魔力で反撃されちゃうの?』
「その辺はまだよくわからない。今調べてるとこなんだ」
念の為にと持ってきていた風呂敷包みを解く。ちょっとためらったが、ほんの少しだけ布を解いてモリオンの刀身を空気に晒した。途端にざわざわと水面と空気に波紋が広がっていく。
『何それ、すごく気持ち悪い』
半眼になったケルピーが少しだけ身を引いた。チビやベリルの反応とは違い、不快感だけを露にしていた。逆にナーガはチビやベリルたちと全く同じ反応を見せていた。波が引くように男から離れ、細かく震えている。男は怯えるナーガたちに謝るとモリオンを元通りに包んだ。
『それが例の武器なんだね』
「うん。チビやベリルたちはすごく怯えてたけど……君は平気なんだ?」
『気持ち悪いけど、怖くはないかな。気持ち悪いけど』
念を押すように繰り返したケルピーは一声鳴いた。未だざわついていたナーガたちがたちまち鎮まる。
魔物には序列のようなものがある。基本的に下位の魔物は上位に従う。その代わりに上位の魔物は率いている群れに危機が訪れれば率先して戦うのだ。そして、ケルピーはウンディーネの眷属の中ではかなり高位の魔物である。
『なんだろうね……ボクらを拒絶しているような、そんな感じがするよ』
イヤな感じ、とケルピーはそう重ねる。
「……とにかく、前みたいにはいかないかもしれない。俺らも対抗策を探すし、直ぐに戻るつもりではいる――だから」
男は言葉を切った。すると続きを予知したかのように、男の脳内に幼い言葉が響いた。
『それまで隠れててって?』
「……そう、窮屈な思いさせちゃうけど」
ケルピーは静かに首を横に振った。
『今更だよ……ヒューマーはいつだって、ボクらが平和に暮らすのを邪魔するんだから』
「そう、だね……ごめん」
俯いてしまった男を見て、ケルピーは小さく脚を踏み鳴らした。音に驚いた男が顔を上げる。
『アクアが謝る必要なんてないよ。こうやって色々教えてくれる。同じヒューマーに嫌われるかもしれないのに』
「俺にとってそれはもう、重要じゃないからね」
男は簡単にそう言った。今となっては、ヒューマーからの評判は何の価値もないものになり果てていた。良い人でいれば魔物への印象を変えられるかと思っていた時期もあったが、町の人々は勝手な解釈でヒーロー扱いするだけだった。
『……ヒューマーに手を出したらアクアが悲しむかと思ってたけど』
見開いた目に、ケルピーの紫暗が映り込んだ。ケルピーは遠くを見るように男から視線を外す。鼻先が上を向いたのを見て、男はケルピーの視線を追う。一瞬だけ、豆粒のような影が見えた。
『そうじゃないんなら、別に遠慮する必要はないかな』
「え、――おわぁッ!!」
男の傍に、轟音と共に巨体が舞い下りる。もうもうと上がる土煙と小石が散る音を物ともせずに、ケルピーの言葉ははっきりと脳に響いた。
『なんじゃ、急に呼びつけたと思ったらアクアが来とったのか』
低く重い声が脳裏に響く。顔をかばっていた腕を下ろせば、そこには1頭のドラゴンがいた。燃えるような赤い鱗に全身覆われ、猛禽類のような前足が蝙蝠のような翼と一体化している。火の精霊サラマンダーの眷属、ワイバーンだ。
男は思わずケルピーの方を振り返る。彼は素知らぬ顔で呼びつけたらしいワイバーンと念話をしていた。男には何を話しているのか分からなかったが、時折ワイバーンが唸ったり楽しそうに笑っている。
『ほぉ、とうとう愛想つかしたのか、アクア』
話の流れがわからないままに頭の中に声が滑り込む。答える間もなく、ワイバーンは大きく口を開けて笑った。
『いつかこんな日が来るとは思っとたが、存外近かったな――曝け出したか?』
鉤爪のついた手が男の頭を撫でた。男はぽりぽりと頬を掻いた。首をへし折られる心配はしていないらしい。
「ん、まぁ……ちょっと」
男が歯切れ悪く答えると、ワイバーンは一増愉快そうに目を細めた。
『お主は本当に獣のような男だなぁ。己の内に入れたものだけを全力で愛し、傷つけられれば神の喉笛にすら牙を突き立てに行く』
『それはボクらも同じ――でも、ヤツらと同じ場所に下りてやるつもりなんてない』
凍るようなまなざしが天を仰ぐ。燃え盛る石炭のような瞳も同じように空を映した。
『我らは逃げはせん、そして戦わん』
『隠れもしない。ただここにいる』
男が疑問を唱えるより早く、ケルピーとワイバーンは天空に向かって吠えた。空気を震わせ、水面を波経たせ、木々を揺らした咆哮は尾を引きながら空へと昇っていく。驚いていたのは男だけだった。水面のナーガたちは静かに2匹を見守っている。
「一体……」
何を、と。そう尋ねる前にその答えは目の前に広がった。
「これは……霧?」
男の目の前は白い霧で覆われていた。辺り一面を真っ白に染めるほどの濃霧。だが、男には少し離れたケルピーやワイバーンはおろか、遠くの木々も同時に透けて見えていた。
「幻覚、か……?」
自然現象ではありえない。思わず漏らした呟きにケルピーとワイバーンの首がそれぞれ上下する。
『アクアは友達だから見えるようにしてるだけ。他のヤツらはなぁんにも見えないよ』
「え、これエディ大丈夫なの?」
『驚いてはいるようだが、大丈夫だ。流石魔法使いだな』
ワイバーンによると最初は風で吹き飛ばそうとしていたようだったが、周りが見えることに気付いた以降は特に気にも留めていないらしい。
『これで心配ないでしょ?』
「うん……ありがとう」
『これで我らも同行できるな』
「……うん?」
男はワイバーンを見上げる。ワイバーンは不思議そうに男を見下ろしていた。何故疑問を抱いているのか、と言わんばかりである。
「……え、ついてくるの?」
『ダメなの?』
何故かケルピーも驚いていた。どうせチビも連れてくんでしょ、と続けられれば言葉が詰まる。
『そもそも我らの力なくしてどうやってミズガルドから出る気だ?』
「それは……」
ミズガルドからニダウェもしくはスバルムに渡るには海を越えなければならない。ミズガルドからは船が出ていないわけではないのだが、それらは漁師用の漁船もしくは流刑にされた罪人用の船だけだ。基本的にミズガルドは他の2大陸と交流していない。
ケルピーがいれば難なく海を渡れる。ワイバーンは空を飛べる。国からの追っ手が来ることを考えればこの申し出はかなり魅力的ではあるのだ。だが、男は首を横に振る。
「流石にそこまで巻き込めないよ」
『だってアクアとエディ、賞金首だよ。こそこそするにしても限界あるでしょ?』
え、と男が声を漏らした。知らないの? と首を傾げるケルピーをよそに、男は固まっていた。
『さっき、すれ違ったヴェズルが2人の手配書届けに行くって言っとったぞ』
「仕事が早いなぁ」
思わず呟いたのは皮肉だった。10年近くここで魔物からヒューマーを護っていた英雄として祭り上げられてきたが、思いのほか瓦解は一瞬だったようだ。
それほどの重罪なのか。魔物を、デミヒューマーをかばうことは。理解できずにいるのは自分だけなのだろうか。
――自分だけが、この世の摂理に反しているのか。
「俺っておかしいのかな」
ぽつり、と。誰に宛てたわけでもない独り言は目の前の2匹に拾い上げられる。
『ヒューマーの価値観は知らないけど、ボクはアクアのこと好きだよ』
『そうだな。お主の傍は心地よいぞ』
ケルピーが鼻先を男にすり寄せ、ワイバーンは翼で包むように男の身体を抱き寄せた。
「ん、ありがとう」
そんな少し緩んだ空気に、2人の手配書を握り締めたエドワードが血相を変えて飛んできたのは僅かに数分後のことだった。
男のストッパーが魔物であったと同時に魔物のストッパーも男だったようです。




