1.幼年期 金を儲ける
今日は、政秀とともに、爺様のいる津島にやってきた。津島は、濃尾平野と流れる河川による水運や伊勢湾沿岸地区への海運の港として、尾張や美濃にとって、重要な物流拠点になっている。そんな津島の港町の賑わいを視察するために、渋る政秀を適当に説得して、連れてきてもらったのだ。3歳の身では、秀正に支えてもらっているとはいえ、落ちないように馬につかまっているのも一苦労だ。馬の背に揺られて、3時間あまり、途中大小の川を渡ったので、実際の距離にしたら15Kmくらいだろう。
初めてみる津島は、大変な賑わいだ。寂れた俺の那古屋と大違いだ。大きな商家が何軒も軒を連ねている。陸上運輸を司る馬借、河川の海運を司る川並衆、海上交通の船手衆など、皆忙しく立ち回っており、顔色も明るい。それらの人足達を相手にする飲み屋のような場所もあって、昼間から賑わっている。太陽の位置が高いので、11時過ぎだと思う。皆、昼食をとっているのだろう。
目を陸側に転じると、津島神社の門前町があり、朱塗りの大鳥居の奥に立派な社殿が見える。付近一帯では、一際目につく大きな建物だ。こちらの賑わいも、湊に劣らぬものがある
船着き場は、全体が木の塀で囲われている。中に織田家の大きな番小屋があり、木戸門の出入りを監視している。ここで、“関銭”いわゆる通行料を徴収するのだ。この湊によらずに直接川筋を上ることは禁じられておいる。織田家にとっては、この通行料が大きな収入になっている。
しかし、俺は、爺さんと相談して、関銭の徴収を止めることにした。その代わりに、この湊に持ち込まれた物資は、全て、織田家が買い取ることにしたのだ。それを、馬借や川並衆によって、物資の配送と代金を徴収するのだ。こうすれば、濃尾平野における物流をすべて織田家が取り仕切ることができる。関銭を徴収するよりはるかに高い利益をえることができる。
代金決済は、大口の取引には、銀や金を使うが、ほとんどは永楽銭(銅銭)にすることにした。永楽銭を選んだのには、理由がある。ゆくゆくは、城下町を作り、そこで、市場を作りたいのだ。市場の決済には、銅銭が丁度よい。領内に十分な流通量を確保するために、今のうちから、銅銭の蓄財に励むためだ。いずれ、商品を持ち込んだ者は、例外なく織田家が永楽銭で買い取ってやり、貨幣の流通量を増やしてやれば、商品流通が促進されて、世の中が豊かになっていくはずだ。10年後を視野に、今から金儲けに邁進する。