1.幼年期 うばをみる
さて、はっきり言って、赤ん坊という物は退屈だ。一日じゅう乳母の部屋の天井しか見えない。これで、うつぶせ寝にされたらもっと最悪だが。部屋の中には、乳母と侍女のおばさん、それから、もう一人の赤ん坊、つまり俺の乳兄弟しかいない。この乳兄弟が定期的に泣いて賑やかになるのだが、それ以外には会話もないのだ。俺もとうにアホらしくなって、嘘泣きをやめた。いまさら、赤ん坊の振りをしてもしょうがないし。とにかく退屈でやることがないので、乳母を鑑賞もとい、観察することにした。
乳母と言っても、この子は二十歳前だろう。俺の母には負けるが、立派な美少女だな。あたりまえだが、丸顔で、黒いストレートヘアにリスのようなつぶらな瞳。母がアイドルユニットのセンターなら、乳母は、ひそかに一番人気があったりするタイプだね。性格はおとなしい。俺の母ほどには巨乳では無いが、十分見応えでなく飲みごたえがある。だが、この子の最大の魅力は笑顔だ。たまに、俺の顔をのぞき込み、にっこりと微笑む顔は、まさに神だ。いや天使だ。本当に癒されるって。これがなくては、今の退屈な日常を生きていけないだろう。
さて、この部屋には、何の家具も掛け軸のような飾りも無い。いたってシンプルなつくりだ。無いのは家具だけではなく、滅多に会話も無いので、肝心の言葉の習得ができないのだ。たまに会話があっても同じ日本語とは思えないくらいわからない。高校時代に、古文をもっとマジにやっておくんだった。だいたいは聞き取れるのだが、それが、どういう意味なのか今ひとつわからない。
アメリカのドラマを字幕無しのオリジナル音声で聞いている感じだね。聞き取れるが意味がわからない。そして、意味がわからないの理由は、どうやら漢字熟語が使われていないからだとわかった。
もともと、侍女と乳母との会話は、とてもシンプルで短い物でしかないが、それでも、世界とか、経済とか、知識とか、聞き慣れた漢字の言葉がない。高度な会話などは、不可能だろうし、もともと、高度な会話をする必要もないのであろう。
外からの刺激が少ないので、いきおい自分の中であれやこれやと思索にふけることしかやることが無い。あとは昼寝だな。
それにしても、うんちやおしっこをするのは辛い。何度やっても、オムツの中にするのは嫌悪感が拭えない。早くトイレに行けるようになりたい。