第1話 「え、俺が転生して勇者?」
人生とは、平等ではない。
生まれ持った才能、育った環境、出会った人間、努力するかどうか。
様々な要素によって、人の人生は大きく変わっていく。
そして、中には自分から人生の可能性を捨ててしまう者もいる。
卑野劣呉という男は、その代表例だった。
場所は、とある一軒家の北西に位置する一室。
そこは、家の中でもっとも日当たりが悪く、
長い間閉ざされたカーテンによって昼間だというのに薄暗かった。
部屋の中には、飲み終えた容器や読み終わった雑誌、いつ片付けたのか分からない衣服が散乱している。
掃除をするという発想が、この部屋から消えて久しい。
そんな空間の中心で、一人の男が椅子に座り、パソコンの画面を眺めていた。
カタカタカタカタ……。
キーボードを叩く音だけが、静かな部屋に響いている。
男の名前は、卑野劣呉。
39歳。
職業、自宅警備員。
……本人はそう名乗っている。
しかし、世間一般から見れば彼はただの無職だった。
働いていない。
外にもほとんど出ない。
人との関わりも極端に少ない。
かつては普通の人生を歩む可能性もあった。
学校を卒業し、仕事を探し、人間関係を築いていく未来も存在していた。
だが、劣呉はその道を選ばなかった。
正確には、選び続けて逃げた。
失敗するのが怖かった。
怒られるのが嫌だった。
努力して、それでも結果が出なかった時の絶望を味わいたくなかった。
だから挑戦しなかった。
挑戦しなければ失敗しない。
失敗しなければ傷つかない。
それが彼の考えだった。
その結果。
親は諦め、家を出た。
友人と呼べる存在も消えた。
ハローワークの職員ですら、何度目かの面談の後には困ったような表情を浮かべるようになった。
それでも劣呉は、自分を負け組だとは認めていなかった。
「俺は別に負けてない」
暗い部屋の中で、彼は画面を見ながら呟く。
「ただ、無駄な勝負を避けているだけだ」
彼にとって、挑戦しないことは逃げではなかった。
合理的な判断だった。
危険な場所に行かない。
面倒な争いに参加しない。
負ける可能性がある勝負は最初からしない。
それこそが賢い生き方だと、本気で思っていた。
もっとも。
その結果、彼の人生には何一つ積み重なっていなかったのだが。
「こいつら、本当に馬鹿だな」
劣呉はパソコンの画面に表示された記事を見ながら鼻で笑う。
そこには有名人についての記事が表示されていた。
そして、そのコメント欄には彼の書き込みが残っている。
『成功してる奴は環境に恵まれてるだけ』
『本当に頭がいいなら失敗なんてしない』
『俺ならもっと効率よくやる』
画面の中では、劣呉は強かった。
相手の顔を見る必要もない。
自分が責任を取る必要もない。
何を言っても、自分が傷つくことはない。
匿名という安全な場所でだけ、彼は誰よりも強気になれた。
「まあ、俺が本気出せば普通に勝てるんだけどな」
その時だった。
外から、低い音が響いた。
ゴォォォォ……。
窓が小刻みに震える。
今日は大型台風が接近していた。
テレビでは避難や警戒を呼びかけるニュースが流れている。
しかし、劣呉はむしろ満足そうに頷いた。
「やっぱり家から出ないのが正解だな」
彼は自信満々に言う。
「外は危険だ。事故に遭う可能性もある。だったら安全な場所にいるべきだろ」
その理屈だけ聞けば、間違ってはいない。
問題は、彼の場合。
安全を求めすぎた結果、人生そのものから逃げていたことだった。
そんな時。
ミシッ……。
小さな異音がした。
劣呉の指が止まる。
「……?」
彼はゆっくりと天井を見上げた。
普通なら気に留めない程度の音。
しかし、彼は妙なところだけ鋭かった。
危険を避け続けて39年。
逃げるための勘だけは、人並み以上に磨かれていた。
「……屋根か?」
劣呉は立ち上がる。
出口までの距離。
窓の位置。
周囲の障害物。
逃げ道。
無意識に確認していく。
そして数秒後。
彼は静かに結論を出した。
「……無理だな」
判断が早い。
諦めも早い。
それもまた、卑野劣呉という男だった。
次の瞬間。
天井が吹き飛んだ。
轟音とともに、大量の破片が部屋へ降り注ぐ。
そして、その中心に落ちてきたもの。
それは――
トラクターだった。
「……は?」
劣呉の思考が停止する。
鉄の車体。
巨大なタイヤ。
農業用の機械。
なぜ。
どうして。
よりにもよって、自分の部屋に。
「いや……」
卑野劣呉の39年の人生は終わった。
いちおうギャグ系だけどなんかシリアスになっちゃった...
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