深夜の傍受――米軍にも生まれた迷い
--## エピソード91 深夜の通信傍受
昭和二十年四月二十二日、午後十一時四十分。
呉軍港外泊地、護衛艦「まや」。
CICは照明を落としていた。
壁面ディスプレイの多くも消され、必要最小限の受信機器だけが動いている。
GPSも衛星通信もない。
いま「まや」が頼っているのは、自艦周辺に漂う電波そのものだった。
電子戦員がヘッドセットを押さえた。
「艦長。変化があります」
高梨一佐が振り向く。
「米軍系統か」
「はい。ただし平文ではありません。内容そのものは読めません」
三条律二尉が受信記録を表示する。
「マリアナ方面、沖縄方面、さらに第5艦隊系統とみられる短波通信のトラフィックが、二十二時過ぎから変化しています」
「どう変わった」
「昨日まで頻繁に出ていた本土爆撃関連と推定される通信群が減少しています」
副長が眉を寄せた。
「推定?」
「呼出符号、送信時刻、通信量、発信方向からの判断です。暗号本文を解読したわけではありません」
高梨が頷いた。
それでいい。
通信情報で最も危険なのは、不完全な断片を「読めた」と思い込むことだった。
三条は続けた。
「その一方で、ワシントン―太平洋方面の高位指揮系統と推定される通信が増えています。それと、第5艦隊から後方司令部への優先度の高い送信も断続的に確認」
「スプルーアンスの報告か」
「可能性はあります」
三条は断定しなかった。
「レーガン損傷後に通信量が増えていますので、損害報告や作戦見直しが含まれている可能性は高い。ただ、本文は確認できません」
高梨は海図へ目を落とした。
昼間、東京では中立国ルートが動き始めた。
そして米第5艦隊では、スプルーアンスが力攻めの継続に疑問を呈している。
もし、その二つがワシントンで接続し始めているなら――。
「いずもは何と言っている」
「塩屋湾側でも同じ傾向を捉えています」
***
沖縄・塩屋湾。
固定要塞となった「いずも」のFICでも、片倉一佐が受信記録を見つめていた。
「マリアナ方面の航空作戦通信、二十一時台から減少」
通信員が報告する。
「通常なら夜間爆撃隊の発進準備が活発化する時間帯ですが、今夜は異常に静かです」
「飛んでいないと断定できるか」
片倉が尋ねる。
「できません」
即答だった。
「無線封止の可能性もあります。通信周波数を変更した可能性もあります」
「その通りだ」
片倉は腕を組んだ。
「静かな電波ほど信用するな」
米軍が作戦を中止したとは限らない。
むしろEMCONを強化し、奇襲爆撃を準備している可能性すらある。
だから「いずも」のOPS-50も常時照射しない。
受動監視を基本とし、沿岸見張所と旧軍防空監視網からの報告を重ねて判断する。
山名三尉が作戦卓へ紙を置いた。
「首里からも報告です。今夜に入って、米軍砲兵の射撃回数がさらに減っています」
「前線部隊の移動は」
「少なくとも大規模な前進兆候はありません」
片倉は黙った。
戦場から音が消え始めている。
だが、停戦命令はまだ来ていない。
「喜ぶのは早い」
片倉が言った。
「はい」
「米軍は弱って止まったわけではない」
第10軍には砲弾も燃料も兵員もある。
第5艦隊も健在。
マリアナにはB-29の基地群が存在する。
戦争を続ける能力だけなら、米国側が圧倒的だった。
「つまり」
山名が言った。
「撃てるのに、撃つかどうかを考え始めた」
片倉が彼を見る。
「そうだとすれば、そこが重要だ」
***
呉、「まや」。
午前零時が近づく頃。
三条がもう一枚の通信記録を高梨へ渡した。
「追加です」
「何だ」
「マリアナ方面の複数局で、通常の航空作戦用トラフィックとは異なる高優先度通信が増加。さらに、作戦命令更新を示す形式に近い送信パターンが確認されています」
高梨の目が鋭くなる。
「爆撃命令の変更か」
「そこまでは言えません」
三条は首を振った。
「ただ、今夜予定されていた大規模な本土攻撃について、何らかの再調整が入った可能性があります」
高梨は長く息を吐いた。
「記録しておけ」
「はい」
「東京へも送る。ただし、“空襲中止”とは書くな」
「了解」
高梨は通信士へ告げた。
「『米軍航空通信量に有意な変化。本土爆撃関連と推定される通信群減少。高位司令系統通信増加。作戦優先順位再検討の可能性あり。確証なし』――それで送れ」
「了解しました」
短い電文が作成される。
未来の電子機器がもたらしたのは、敵の心を読む力ではない。
ただ、巨大な軍事組織が動く時に生じる、わずかな電波の揺らぎを拾う力だった。
午後十一時五十八分。
太平洋は静かだった。
沖縄でも。
呉でも。
マリアナから飛来する爆撃機の轟音は、まだ聞こえない。
誰も、それを平和とは呼ばなかった。
だが昨夜まで確実に回転していた巨大な戦争機械のどこかで、初めて歯車が一瞬止まり、
次にどちらへ回るべきかを考え始めていた。
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