第29章 アニメ風
同時期。
マリアナのさらに南。太平洋の底なしの青に、もう一つの影が沈黙していた。
ニミッツ級原子力空母――USSドナルド・レーガン(CVN-76)。
海自との合同演習を終え、グアムへ帰投するはずだった巨艦は、突然の「あり得ない」に呑み込まれた。
時間が歪み、世界がずれた。気づけば、1945年の海だった。
艦橋。
ロバート・ウェルズ艦長は、報告を聞くたびに眉間を深く刻んだ。
「GPS不感。衛星通信、全滅。そんな馬鹿な」
電子海図はエラーの洪水。
最後に確認した座標から、天文学的なズレ。
「艦長、外部レーダー波形多数。旧式パルスと思われます。――視認。北東二十マイル、未確認艦影!」
双眼鏡が持ち上がる。
蒸気の白い筋。
時代錯誤のシルエット。
戦艦。空母。巡洋艦。
だが、知っているどの艦でもない。
「演習か? いや、こんな艦は存在しない」
ウェルズは喉が渇くのを感じた。
数時間。
状況はさらに悪化した。
輪形陣にいたはずの護衛艦、ミサイル巡洋艦、原潜――影も形もない。
通信は沈黙。衛星もネットも死んでいる。
高出力の呼びかけも、太平洋の虚空に吸い込まれるだけ。
孤立。完全な。
艦内に、ざわめきが広がる。
「俺たちはどこにいる」
「機器は動いてるのに、世界が応答しない」
情報がない不安は、あっという間に恐怖に変わる。
ウェルズは艦内放送のスイッチを押した。
「全乗員に告ぐ。原因不明の通信・航法異常が発生している。だが艦は健在だ。各員、持ち場を維持せよ。外部との接触は厳に慎め。事象の分析を最優先とする」
声は落ち着いていた。心臓は違った。
CIC。
「EMCONアルファ。放射制御、最小限」
「慣性航法は継続。天測の準備」
現代の艦で、天体観測を命じる滑稽さ。誰も笑わない。
午後。
海の彼方から、低く重い音が届いた。
砲声。
重油と火薬の匂いを伴う、古い戦争の音。
その合間に、耳障りな電磁ノイズが走る。
「今のは何だ」
回答はない。
ウェルズは、ようやく言葉にした。
「……時間の歪み、かもしれない」
仮説。証拠はない。
だが、そうとしか思えなかった。
副長が進言する。
「接触ルールはホールド。兵装はセーフ。航空機はデッキ上待機。探索は受動に限るべきです」
「同意する。CAG、飛行準備は継続。ただし発艦は許可しない」
「了解、艦長」
艦長席の手すりが、汗で冷たい。
この海で、発見されたらどうなる。
撃つのか。逃げるのか。
誰にも教わっていない局面だった。
その頃、遥か遠方。
別の耳が、彼らの気配を拾っていた。
微弱な電波。見慣れぬ符丁。
OSS――戦略情報局の機器が、南方の海に潜む異物を記録する。
レーガンはまだ知らない。
自分たちの沈黙が、すでに誰かの「発見」になっていることを。
そして、この海での一挙手一投足が、歴史という名の湖面に、どれほど大きな波紋を広げるかを。