最後の一機――F-35B発進
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昭和二十年四月二十一日、午前九時三十分。
沖縄東方海域、約六十海里。
低く垂れ込めた層乱雲を払い除けるように、太平洋の藍色の海原を切り裂いて突進する巨大な鋼鉄の城壁があった。
米海軍ニミッツ級原子力航空母艦「ロナルド・レーガン(CVN-76)」。
満載排水量十万トン、全長三百三十三メートル。
二基のA4W加圧水型原子炉が供給する莫大な高圧蒸気が、四軸のスクリューを猛烈に回転させ、二十八ノットの高速巡航を維持している。
前日の砲戦において戦艦「大和」の四十六センチ徹甲弾が突入した前部飛行甲板には、厚い装甲鋼板による応急溶接パッチが無数に当てられ、焼き焦げた耐熱塗装の周囲には応急班の流した脂汗の跡が生々しく残されていた。一番・二番スチームカタパルトは歪曲したまま閉鎖されていたが、徹夜の突貫工事によって蘇った斜角甲板側の「第三カタパルト」からは、すでに白く濃密な高圧蒸気が激しく噴き出していた。
アイランド直下の戦闘指揮所(CDC)。
青白い戦術情報表示ディスプレイ(TID)の光に照らし出された室内は、第二次世界大戦当時の艦艇には存在し得ない、研ぎ澄まされた電子の静寂に包まれていた。
艦長・ロバート・ウェルズ海軍大佐は、冷徹な面持ちで作戦卓の海図ディスプレイを凝視していた。
「……第5艦隊旗艦『インディアナポリス』より、長波暗号電を受信」
通信士官がヘッドセットを押さえながら、復号された通信紙を差し出した。
「スプルーアンス大将よりの直電です。『第10軍の地上総攻勢は首里北方において依然として頑強なる抵抗に直面中。敵の海上防空要塞、ならびに地下指揮所に対し、貴艦の圧倒的な航空火力をもって航空殲滅作戦を敢行されたし』……とのことです」
「第5艦隊司令長官も、業を煮やしているわけだ」
ウェルズの背後から、低く濁った声が割って入った。
腕を組み、獲物を狙う鷹のような目を光らせていたのは、OSS(戦略情報局)のジョン・スミス少佐であった。
「ウェルズ大佐、躊躇している暇はないぞ。あの忌々しい大和は東シナ海を北上して姿を消した。今、沖縄に残っているのは、浅瀬に腰を据えて動けない護衛艦『いずも』と、首里の地下に潜む狂信的な日本軍だけだ。カタパルトが一基でも動くなら、今すぐ全機を発艦させて島ごと灰燼に帰すべきだ!」
ウェルズは冷たい視線をスミスへ向けた。
「口を慎みたまえ、少佐。第三カタパルト一基による射出は、通常運用の何倍もの機体間隔と蒸気圧管理を要する。不用意な連続射出を行えば、アキュムレーターの圧力低下で機体を海へ落とすことになる。……何より、相手はあの海上自衛隊だ」
ウェルズの視線は、ディスプレイ上の沖縄北部・塩屋湾に落ちていた。
「彼らは自らの母艦『いずも』を着底させ、動かぬ通信・防空ハブとして固定化した。多機能レーダーOPS-50による広域監視能力は依然として健在だ。さらに、彼らにはまだ最後の一手――F-35Bが残されている可能性がある」
「たった一機の垂直離着陸機に何ができる!」スミスが嘲笑するように鼻を鳴らした。
「こちらは合衆国海軍の誇るF/A-18E/Fスーパーホーネットだ! 搭載されたAIM-120アムラームとJDAM(精密誘導爆弾)の前に、弾薬も燃料も尽きかけた孤立無援の自衛隊など、数分で蹴散らせる!」
「数分で終わる戦争など、この世に存在しない」
ウェルズは吐き捨てるように言った。
過去のアメリカ軍機構に組み込まれ、同盟国であったはずの日本の自衛隊を叩き潰さねばならないという歴史の不条理が、ウェルズの胸の奥を重く締め付けていた。
だが、星条旗を掲げる合衆国海軍の艦長として、目の前の任務を放棄することは許されなかった。
ウェルズは航空団長(CAG)のケイン大佐へ向き直った。
「ケイン大佐、第一次攻撃隊の諸元を確認せよ」
「了解。第2戦闘攻撃飛行隊(VFA-2)より選抜したF/A-18Eスーパーホーネット四機。兵装は機動性を最優先とし、機内燃料満載、胴体下ステーションに五百ポンドレーザー誘導爆弾GBU-12各二発、主翼端にAIM-9Xサイドワインダー、主翼下パイロンにAIM-120Dアムラーム二発。第一小隊二機が塩屋湾の『いずも』のC2(指揮統制)機能および残存航空機を狙撃、第二小隊二機が首里城地下の第32軍司令部坑口および観測拠点を精密爆撃します」
「E-2D早期警戒機は上がれるか」
「カタパルトの蒸気圧マージンが不足しています」ケインが首を横に振った。
「大型のE-2Dを射出するのは危険すぎます。今回のソーティは、スーパーホーネット機載のAPG-79アクティブ・フェーズドアレイ(AESA)レーダーによる相互データリンクのみで編隊索敵を行います。高度三万フィートから超音速で進入し、一撃で目標を粉砕して即座に離脱します」
「よろしい」ウェルズは深く息を吸い込み、決断を下した。
「飛行甲板、発艦準備。第三カタパルトへ一番機を据え付けろ。……合衆国海軍、作戦開始だ」
***
強烈な向かい風が吹き荒れる「ロナルド・レーガン」のアングルド・デッキ。
黄色のプレッサーを着たシューターが、デッキ上に跪き、右手を前方の水平線へ向けて力強く突き出した。
第三カタパルトのシャトルに前脚を連結されたF/A-18Eスーパーホーネットの双発F414ターボファンエンジンが、猛烈なジェット排気とともにアフターバーナーの青白い炎を吹き上げた。ジェット・ブラスト・ディフレクター(JBD)が激しい熱風を受け止めて軋む。
バシューッ……!
凄まじい高圧蒸気の咆哮とともに、シャトルがガイドレールを一気に滑走した。
二十トンを超える鋼鉄の機体が、わずか二秒で時速二百五十キロメートルへと加速され、甲板端から太平洋の虚空へと弾き出される。
機首を上げたスーパーホーネットは、主翼から白いベイパーを曳きながら急上昇し、ぐんぐんと高度を稼いでいった。
続いて、蒸気アキュムレーターの再充填を待って数分後、二番機、三番機、四番機が、一機ずつ間隔を空けて灰色の空へと撃ち出されていく。
雲上へと突き抜けた四機の超音速編隊は、鋭利な楔形の編隊を組み、音速の壁を突破して西――沖縄本島へと向けて針路を向けた。
1945年のレシプロ戦闘機とは次元の異なる、マッハ一・五の巡航速度。
彼らが塩屋湾、そして首里の頭上へと到達するまでに、もはや三十分の猶予すら残されていなかった。
***
午前九時三十五分。
沖縄北部、塩屋湾に着底固定化された護衛艦「いずも」のFIC(司令部作戦室)。
沈黙を守っていた通信・電子戦コンソールのアラートが、突如として甲高い警告音を鳴り響かせた。
電子戦士官・三条律二尉が、飛び上がるようにしてディスプレイに張り付いた。
「パッシブESM、緊急探知! 方位〇八八、高度三万二千フィート!」
三条の悲鳴に近い報告が、冷え切ったFICの空気を切り裂いた。
「二一世紀のミリ波レーダーパルスを探知……APG-79 AESAレーダーの走査シグネチャです! 機数、四! 高速接近中! レーガンの艦載機隊――F/A-18スーパーホーネットが発進しました!」
作戦卓の前に立つ片倉一佐の瞳が、鋭利な刃物のように細められた。
ついに、その時が来たのだ。
大和の巨砲によって一度は押し戻された同時代最強の怪鳥が、再び沖縄の空を支配すべく、牙を剥いて殺到してきたのである。
片倉は迷うことなく、甲板直結の内線マイクを掴んだ。
「飛行甲板、スクランブル! 佐伯一尉、上がれッ!」
静まり返っていた塩屋湾の入り江に、大地を揺るがす最新鋭ステルス戦闘機の始動音が、激しく轟き渡ろうとしていた。




