核の時計――四月二十一日の夜明け
--昭和二十年四月二十一日、午前一時。
瀬戸内海伊予灘、および沖縄本島を取り巻く東シナ海から太平洋にかけての全戦域。
重く冷え切った夜気の中、時代を跨ぎ、時空の裂け目を超えて激突した日米双方のあらゆる戦力と運命の糸が、ひとつの決定的な夜明けへ向けて緊迫の結節点を迎えようとしていた。
豊後水道の狭水道を無傷で突破した戦艦「大和」とイージス護衛艦「まや」は、潮流に乗りながら伊予灘へと滑り込んでいた。
先頭を進む「まや」の戦闘指揮所(CIC)。
大型戦術情報ディスプレイ(LSD)の前に立つ艦長の高梨一佐は、機関科が提示する燃料残余の数値を直視していた。
「主機用ガスタービン軽油、残量十四パーセント」
「機関負荷、最低巡航速度十二ノットを厳守。呉軍港の桂浜沖合、繋留浮標へ到達するまでの航程は残りわずかだが、一滴の油の無駄も許されん」
高梨の指示に、操舵手と航海士が狂いなく応じる。
その艦尾遥か千五百メートル後方には、闇を切り裂く三基の巨大な四十六センチ主砲塔を構え、満載七万トンの巨躯を威風堂々と横たえた戦艦大和がいた。
四月六日、徳山沖を出撃した際には「一億総特攻の先駆」として沖縄の露と消えるはずだった連合艦隊旗艦が、いま、未来の護衛艦を伴い、祖国の破滅を止めるための「動かぬ証拠」として母港の目前にまで生還を果たしていた。
前夜、大和と「まや」から大本営海軍部および陸軍参謀本部へ向けて叩きつけられた極秘電文――『大和呉へ帰還中。未来艦まやを伴い、重大なる国家存亡の未来情報をもたらす。無謀なる特攻を禁じ、講和の準備を整えよ』という警鐘は、市ヶ谷の統帥部地下壕を根底から揺さぶっていた。
大本営は混乱の極みにあり、迎撃か、接収か、あるいは対話か、判断を下せぬまま立ちすくんでいた。
しかし、大和の第一艦橋に立つ伊藤整一中将と有賀幸作艦長にとって、もはや迷いはなかった。
生き残ったからこそ果たさねばならぬ、国家の破滅を止める政治戦の幕引きが、数時間後の呉入港とともに始まろうとしていた。
***
だが、大和が本土の喉元へ到達したその同じ刻、背後の沖縄本島は、まさに崩壊の瀬戸際というべき極限の消耗戦の渦中にあった。
首里城地下、第32軍司令部壕。
カンテラの乏しい光の下、高級参謀・八原博通大佐と、情報幕僚・山名三等海尉は、壁一面の作戦地図を前に直立していた。
地上では、米第10軍による夜間艦砲射撃と155mm・203mm重砲兵による反復砲火が、絶え間なく大地を削り取っていた。
「……安謝川河口の座礁要塞、『むらさめ』『矢矧』の完全沈黙を確認。渡会艦長以下、海自隊員と海軍陸戦隊は、小分隊ごとに分散して首里地下陣地への収容を完了しました」
山名の報告に、八原は静かに頷いた。
「座礁艦隊は、その砲弾と電力を最後の一滴まで絞り尽くして持ちこたえてくれた。だが、沿岸の砲火が消えた今、米軍の第24軍団および第3海兵水陸両用軍団の主圧迫軸は、首里主陣地帯の正面へと完全に指向される」
八原の構築した分散地下壕、反斜面のキルゾーン、そして分散された水と空気の管理網により、守備隊は壊滅を免れ、敵の前衛を幾度も押し戻してきた。
しかし、弾薬の残数は危険水準を割り込み、歩兵の小銃弾や対戦車地雷すら底をつきかけていた。
「山名三尉、大和からの入電はあったか」
「豊後水道を通過、まもなく呉軍港へ進入するとのことです。予定通り、本日未明には呉へ投錨します」
「そうか……」
八原の鋭い眼光に、静かな覚悟が宿った。
「我々がここで敵を引きつけている一分一秒が、大和が東京を動かすための血肉となる。首里の岩盤が砕け散ろうとも、一歩も退くことは許されん」
そして、沖縄北部・塩屋湾の浅瀬に着底固定化されたヘリコプター搭載護衛艦「いずも」の司令部作戦室(FIC)。
艦隊司令・片倉一佐は、低出力モードで空域を走査し続ける多機能レーダーOPS-50のコンソールを凝視していた。
飛行甲板上には、第4護衛隊群に残された最後の一機――F-35B四番機が、機内ウェポンベイに四発のAIM-120D空対空ミサイルを収め、機内燃料を満載した状態で静かに待機している。
一度飛び立てば、二度と母艦へは戻れぬ片道出撃。
その最後の爪を振り下ろすべき瞬間が、刻一刻と近づいていた。
***
南東の太平洋上――喜界島東方から沖縄東方沖海域。
漆黒の海を、二基のA4W原子炉が生み出す強大な熱量を推進力に変え、三十ノット近い高速で西進する十万トンの巨影があった。
米海軍ニミッツ級原子力空母「ロナルド・レーガン」。
前部飛行甲板に大和の四十六センチ徹甲弾を受け、一番・二番カタパルトを破壊されながらも、工作班の徹夜の応急修理によって斜角甲板の「第三カタパルト一基のみ」を奇跡的に復旧させた巨艦は、再び沖縄の戦域へとその切っ先を向けていた。
アイランドの戦闘指揮所(CDC)で、ロバート・ウェルズ艦長は作戦卓を見下ろしていた。
「沖縄東方六十海里の射点へ到達予定、明朝〇九〇〇。……カタパルトへの機体据え付け手順を再確認せよ。発進機数はF/A-18スーパーホーネット四機。目標は首里城中枢、ならびに塩屋湾の自衛隊通信拠点だ」
傍らに立つOSSのジョン・スミス少佐が冷酷に笑みを浮かべる。
超音速のジェット機が放つ精密誘導兵器の前に、動かぬ陸上要塞となった日本の防衛線を一挙に粉砕し、沖縄を合衆国の手に奪還する――その最終航空殲滅作戦の発動が、秒読みに入っていた。
そして、そのレーガンの進撃針路を阻むべく、深海百数十メートルの暗黒の海裂を、死力を尽くして這い進む影があった。
海上自衛隊の潜水艦「そうりゅう」。
AIP液体酸素を使い果たし、主蓄電池の残量はわずか十数パーセント。艦内は高濃度CO₂と熱気に満ち、乗員たちが息苦しさに耐えながら、残された四本の十八式魚雷だけを頼りに、沖縄東方の決戦海域へと肉薄していた。
「我々がレーガンを止めねば、沖縄の仲間が灰になる」
竹中艦長の発令所に満ちる決意は、もはや自らの生還すら度外視したものであった。
***
昭和二十年四月二十一日、午前一時三十分。
東の空はまだ深い闇に閉ざされていたが、すべての因果は、この一日に向けて完全に収束していた。
母港・呉へと滑り込み、帝都の狂気を止めんとする戦艦大和と護衛艦まや。
首里の地下で、最後の弾薬を抱えて泥に爪を立てる第32軍と海自・海軍の生存者たち。
塩屋湾に接地し、動かぬ砦として最後のレーダー網を張る護衛艦いずも。
片肺のカタパルトを蘇らせ、最終殲滅の怪鳥を空へ放たんとする空母ロナルド・レーガン。
そして、深海の暗闇からその巨大空母の喉元を狙い、音もなく距離を詰める潜水艦そうりゅう。
未来の兵器と過去の意志が限界まで削り合わされた果てに、誰一人として見たことのない、歴史の完全なる特異点となる朝が訪れようとしていた。
運命の四月二十一日――その第二幕の幕が、いま静かに、そして重々しく切って落とされたのである。-




