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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン1

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豊後水道突破――死ぬための航海の終わり




昭和二十年四月二十日、午後十一時五十分。

九州東岸と四国西岸に挟まれた狭水道――豊後水道南方海域。


春の夜気を含んだ重い海霧が水面すれすれに立ち込め、うねりの高い波頭が白く砕けていた。

暗雲を透かしてわずかに漏れ入る月の薄明かりの下、四隻の鋼鉄の影が、機関の煙を極限まで絞りながら単縦陣を保ち、北北西へ向けて滑るように進んでいた。


先頭を進むイージス護衛艦「まや」。

その後方千五百メートルを、満載七万二千トンの巨大な艦影を闇に溶け込ませて追随する戦艦「大和」。

そしてその両側背を固める駆逐艦「雪風」と「初霜」。


艦隊は、宿毛湾沖合に敷設された旧海軍佐伯防備隊の警戒哨戒線を通過し、豊後水道の狭水道へと足を踏み入れようとしていた。

四月六日に死を覚悟した片道出撃として徳山沖を出航して以来、坊ノ岬沖での防空戦、那覇沖での上陸船団砲撃、そして喜界島沖での米原子力空母レーガンとの砲電対決を経て、大和は再び、母港・呉へと続く瀬戸内海の内海の入り口へと戻ってきたのである。


「まや」の戦闘指揮所(CIC)。

空調ファンの乾いた排熱が漂う暗がりの中、大型戦術情報ディスプレイ(LSD)の前に立つ艦長の高梨一佐は、機関科からの残油量モニターをじっと見つめていた。

「主機用ガスタービン軽油、残量十六パーセント」

機関長の声は、張り詰めた疲労に掠れていた。

「LM2500エンジンは一軸のみの最低負荷運転を維持しています。速力十二ノットのまま潮流に乗れば、伊予灘を通過して呉軍港の繋留ブイへ到達するまでの軽油は辛うじて足ります。……ですが、もし潮流の逆流に巻き込まれたり、突発的な増速を強いられれば、瀬戸内海の中で完全なガス欠を起こします」


「余計なスクリュー回転は一切許さん」高梨は短く命じた。

「水道内の潮流推算表を徹底確認せよ。順潮の時間帯を捉えて水道中央の深水路を抜け、機関負荷を極限まで落とす」


高梨が視線を戻した戦術画面には、豊後水道を取り巻く地形プロファイルと、味方監視哨の配置が描かれていた。

先刻、大和第一艦橋から大本営と軍令部へ向けて放たれた「特攻を禁じ、講和の準備を整えよ」という極秘信電は、すでに東京の陸海軍中枢、そして呉鎮守府司令部を直撃しているはずであった。

だが、本土の迎撃態勢は沈黙したまま、水道の海面には不気味なほどの静寂が広がっていた。


「電波監視、周囲の電波状況は」高梨が問う。

電子戦士官の三条律二尉が、ヘッドセットを押さえながら端末を操作した。

「沿岸の旧海軍見張り所、ならびに電波探知機(電探)から、断続的な長波・中波のパルスを確認しています。……本艦隊の航跡を完全に捉えていますが、迎撃や威嚇の兆候はありません。むしろ、混乱と警戒の中で推移を見守っている模様です」


三条はモニターの表示を南へと切り替えた。

「……しかし、背後――沖縄東方海域の電波トラフィックが急変しています」


その一言に、CIC内の空気が引き締まった。

三条が指し示した画面の南端、喜界島東方から沖縄東方沖にかけての太平洋上。

「米海軍のニミッツ級原子力空母『ロナルド・レーガン』です。先ほどまで後退針路をとっていた同艦ですが、パッシブESMが捉えた航空管制レーダーのサイドローブ放射、ならびに艦載通信の電波強度から解析……針路を西へ反転させました。速力はおよそ二十ノット。沖縄本島東方沖へ向けて、最終進撃を開始したと判定されます」


「レーガンが動いたか……」高梨が低く呻いた。

大和の四十六センチ巨砲によって前部飛行甲板と一番・二番カタパルトを破壊され、一時後退を余儀なくされていた米空母が、残された第三カタパルトの応急復旧を完了させ、再び沖縄の戦線へと牙を剥き始めていたのだ。


***


後方を並航する戦艦「大和」の第一艦橋。

装甲スリットから吹き込む夜風の中に、かすかな陸の匂いが混じり始めていた。

第二艦隊司令長官・伊藤整一中将、艦長・有賀幸作大佐、そして副長・森下耕作大佐が、無言のまま前方の狭水道を見つめていた。


海自から持ち込まれた専用VHF無線機のスピーカーから、高梨艦長の声が流れてきた。

『伊藤長官、各大和。本艦隊はこれより豊後水道の哨戒線を通過します。……そして、南方の沖縄東方沖にて、空母ロナルド・レーガンが反転・再進出を開始したことを確認しました』


伊藤長官は、白手袋の手で作戦海図台の縁を強く握りしめた。

「敵空母の再進出か……」

『はい』高梨の声には、抑えきれぬ苦渋が滲んでいた。

『安謝川河口の座礁要塞――護衛艦「むらさめ」と巡洋艦「矢矧」は、弾薬と電力を使い果たして沈黙し、乗員は首里の地下陣地へ合流しました。沖縄の海上防空の傘は、いまや塩屋湾に接地した「いずも」のレーダー網と、甲板上に残された最後の一機のF-35Bのみです』


艦橋にいた江島砲術長、航海長ら旧海軍の士官たちが、一斉に息を呑んだ。

大和が生き残って本土へ戻るということは、その背後で、自らの退路を断って島に残った同胞たちを、米軍の圧倒的な猛爆のただ中に置き去りにすることを意味していた。


「……片倉司令たちは、今この瞬間も、動かぬ砦となってあの島に踏み止まっているのだな」

森下副長が、絞り出すような声で呟いた。

「我らを呉へ送り届けるために……大本営の目を覚まさせるための『時間』を稼ぐために、彼らは泥にまみれて敵の全圧力を引き受け続けている」


有賀艦長は静かに軍帽の庇を押し上げ、南の空を振り返った。

夜の帳の彼方、遥か南西の空の底には、首里の地下で耐え忍ぶ牛島満中将と第32軍、そして浅瀬に巨体を沈めた「いずも」の姿があるはずだった。


「森下、感傷に流されるな」

有賀の低く、研ぎ澄まされた声が艦橋を貫いた。

「我らは彼らから、命のバトンを預かったのだ。大和が生きて呉へ滑り込み、この艦の存在をもって東京の首脳部に講和を決断させる。それが為せなければ、沖縄に残ったすべての命に対する、取り返しのつかぬ裏切りとなる」


有賀は前を向き、第一艦橋に響き渡る声で下令した。

「航海長、針路そのまま! 豊後水道の中央深水路を通過せよ! 機関長、ボイラーの蒸気圧を一定に保ち、煙突からの火の粉を一切出すな! 我らは必ず、生きて呉の土を踏むぞ!」


「両舷前進半速、針路三三五!」

号令が復唱され、大和の巨躯が重々しい波音を立てて狭水道へと分け入っていった。


***


日付が変わろうとしていた。

四月二十一日、午前零時。


豊後水道の狭い海峡を北上し、呉への最終航路を急ぐ大和と「まや」。

崩壊寸前の防衛線の中で、泥と岩に爪を立てて耐え続ける首里の守備隊。

修理を終えた一本のカタパルトから、復讐の怪鳥を放たんと沖縄東方へ迫る空母ロナルド・レーガン。

そして深海で電力を使い果たし、鉄の棺桶同然となりながらも塩屋湾を目指す潜水艦「そうりゅう」。


時空を超えて絡み合ったすべての因果と、過去と未来の人間たちの意志が、ひとつの決定的な臨界点へと向けて収束しようとしていた。

歴史の暗雲を切り裂く、運命の四月二十一日の夜明けが、水平線の向こうで静かに、そして重々しく始まろうとしていた。---





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