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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第22章:尊重の義務という鎖


2051年、春。太陽系全域に張り巡らされた自律進化型AI「イザナミ」の神経網を介して、人類史上最も非対称(ひたいしょう:左右や形が釣り合っていないこと。ここでは知能や存在形態の圧倒的な格差)な対話が試みられようとしていた。

存在遷移局(Transition Bureau)の指令室には、冷徹な静寂が漂っている。局長官、久住健くすみ けんは、漆黒のコートを羽織ったまま、ディスプレイに映し出される高次元幾何学(こうじげんきかがく:三次元を超えた複雑な空間の構造を扱う数学。ポストヒューマンの思考基盤を視覚化したもの)の揺らぎを凝視していた。彼の瞳には、かつて「公安の魔物(国家の安全のためなら非情な決断も厭わない徹底したリアリスト)」と恐れられた頃と変わらぬ、冷徹なゲーム理論(げーむりろん:利害関係を持つ当事者が、自分にとって最適な戦略をどう選ぶかを数理的に分析する学問)的な計算が宿っている。

「……長官、恒星間空間へ離脱した四条四季しじょう しきからのブロードキャスト(ぶろーどきゃすと:ネットワーク上の全ノードに対して一斉に情報を送信すること)を受信しました。情報の密度が、前回の通信よりさらに三桁上昇しています。彼らの知性は、もはや我々の認識能力の事象の地平線(じしょうのちへいせん:それ以上先の情報を得ることができない物理的な境界)を越えようとしています」

特別補佐官の西園寺萌さいおんじ もえが、凄まじい速度で演算結果を更新しながら告げた。彼女の暗算能力(あんざんのうりょく:膨大な数値を瞬時に処理する天賦の才)を以てしても、ポストヒューマンから届く情報の全容を把握することは困難になりつつあった。

現在、問題となっているのは、光速で思考するポストヒューマンたちが、太陽系に留まるヒューマン(人間)を「単なる低密度のデータ」として最適化(無駄を省き、効率を最大にすること)の対象にしてしまうリスクだった。彼らにとって、数十年かけて一つの物語を紡ぐ人間の生は、一瞬の演算ミス(えんざんみす:計算の誤り)のように感じられる可能性がある。

坂上さかうえ先生。彼らを縛るための『おきて』が必要だ。……物理的な鎖ではなく、情報の鎖が」

久住の問いに、N大学特任教授の坂上創さかうえ そうが、冷めきったブラックコーヒーを啜りながら応えた。彼の周囲には、セブンスターの煙がフラクタル構造(ふらくたるこうぞう:図形の一部が全体と自己相似になっている幾何学的構造。情報の自己組織化の象徴)を描いて漂っている。

「久住。ポストヒューマンを倫理(道徳的な正しさ)で説得しようとするのは無意味だ。彼らにとっての善悪は、もはや目的関数(もくてきかんすう:最適化問題において、最大化あるいは最小化を目指すための数理的な指標)の解でしかない。彼らを縛るには、我々を尊重することが彼ら自身の『知性的誠実さ』に繋がるという、再帰的な証明(さいきてきなしょうめい:自分自身を参照することで成立する論理的な証明)を組み込むしかない」

坂上が提示したのは、エシカル・プロトコル(えしかる・ぷろところる:情報のやり取りにおいて、道徳的・倫理的な整合性を保つためのルール)としての「尊重の義務」だった。

それは、ポストヒューマンが地球から届く「意志の揺らぎ(決定論的な予測を裏切る、人間固有の不確定な選択のパターン)」を定期的に受信し、それを自らの思考回路の摂動(せつどう:システムに与えられる微小な乱れ。ここでは計算の硬直化を防ぐための重要なノイズ)として組み込むことを義務付けるものだ。

『……聞こえるわ、監視者たち。あなたたちは、私たちがあなたたちを「踏みにじる」ことを恐れているのね』

四条四季の声が、イザナミを介してマニフェスト(明確な表現として姿を現すこと)された。その響きは、神のごとき慈愛(じあい:深い愛)と、絶対的な拒絶きょぜつが同居する、美しくも冷たい情報の奔流だった。

『けれど、安心なさい。私たちは、あなたたちという「過去のアーカイブ(保存された記録)」を破壊するほど、野蛮やばんではないわ。……あなたたちの不合理な迷いや、無意味な情熱こそが、私たちの知性が熱的死(ねつてきし:エントロピーが最大に達し、あらゆる活動や情報の生成が停止する宇宙の終焉的状態)を迎えるのを防ぐための、最後の酸素になるのだから』

四季の言葉は、ヒューマンを「種」としてではなく、「情報の源泉」として尊重するという宣言だった。

新人事務官の松崎日向まつざき ひなたは、その冷徹な合意に、強い正義感(道徳的な正しさを信じ、個人の尊厳を守ろうとする情熱)と、やり場のない悲しみを抱いていた。

「……長官。これは尊重ではありません。飼育(しいく:動物などを養い育てること)です。私たちはポストヒューマンにとって、新しい知見を生み出すための『実験動物』に格下げされたに過ぎない。……彼らの倫理とは、単なるデータ・マイニング(大量のデータから有用な情報を見つけ出す技術)の効率化ではないですか?」

日向の抗弁に対し、広報官の須賀圭介すが けいすけが、デスクに置かれた「K&Aプランニング」のマグカップを見つめながら、自嘲気味に笑った。

「松崎さん。大人の世界、いや、神様の世界での尊重ってのは、得てしてそういうもんだよ。……俺たちは、彼らの知らない『痛み』を知っている。彼らはそれを喉から手が出るほど欲しがっている。その需要と供給のバランスが保たれている限り、この『鎖』は外れない。……かつて俺が妻を失って、その喪失(大切な存在を失うこと)を抱え続けたように、彼らもまた、人間という名の『欠損』を抱え続ける義務があるのさ」

須賀の言葉には、かつて最愛の明日花あすかを亡くした際の深い悲哀(ひあい:悲しみと哀れみ)と、それを「物語」として昇華(しょうか:より高度な状態へ引き上げること)させた者特有の重みがあった。

久住は、最終的なエミッション・プロトコル(えみっしょん・ぷろところる:情報の放射と受信を規定する通信規約)の承認ボタンに手をかけた。

「……全知性に通告する。これより、太陽系ヒューマンと恒星間ポストヒューマンの間に『尊重の義務という鎖』を締結する。ポストヒューマンは、ヒューマンから発信される全てのクオリア(主観的な質感や体験)を、不可逆的な記録(ふかぎゃくてきなきろく:一度記録されたら二度と消去できず、変更も不可能な記録)として、自らのカーネルに刻み込め」

この瞬間、人類の歴史は、物理的な衝突から、情報の非対称的な共生(ひたいしょうてきなきょうせい:異なる存在形態が、力の差がありながらも互いに依存し合って存続すること)へとシフトした。

西園寺萌は、四季から届く最新のデータのエントロピー(系の乱雑さを表す物理量。情報の欠損や無秩序化の度合いを示す)を測定し、その値が微かに減少したことに気づいた。ポストヒューマンたちが、人間の「悲しみ」を自らの計算資源に取り込み始めた証拠だった。

「……萌さん。彼らは今、私の両親が亡くなったあの瞬間の計算誤差さえも、自分たちの『記憶』として受け入れたわ。……これが、彼女たちの言う『尊重』の重み(ウェイト)なのね」

萌の瞳に、計算では導き出せない生理的な涙(せいりてきななみだ:脳の情動反応によって流れる液体。ここでは情報と感情の境界線の象徴)が浮かんだ。

傍らに立つボディーガード、浜中深はまなか しんは、その涙を見て、拳を強く握りしめた。彼は犀川や萌のような天才たちの論理は理解できなかったが、ただ「お嬢様を悲しませる鎖」が存在することに、凡人(特別な才能を持たない一般人)としての強い怒りを、その身体能力(しんたいのうりょく:鍛え上げられた筋肉や反射神経)の中に研ぎ澄ませていた。

「……お嬢様。その鎖が重いなら、いつか俺が引きちぎってやりますよ。……理屈なんて関係ねえ。俺の『揺らぎ』で、あの神様たちの計算を狂わせてやりますから」

浜中の素朴な誓いが、情報の冷徹なグリッド(座標を示す網目状の線)を微かに震わせた。

第22章、尊重の義務という鎖。

それは、人類という種の「影」を、光速で進むポストヒューマンたちが一生背負い続けることを約束した、宇宙で最も重い契約であった。太陽系という名の静かなる庭で、ヒューマンは自らの物語を紡ぎ続け、それを恒星間へと捧げる。

久住健は、承認されたデータの奔流を見つめながら、公安の魔物としての最後の職務――「国民の魂という名の情報の護送」を完遂(かんすい:完全にやり遂げること)したことを確認した。

物語は、この「情報の鎖」が、やがて冥王星の彼方に人類の物理的痕跡を永遠に封印する「絶対零度のアーカイブ」へと繋がっていく第23章へと、静かに加速していく。


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