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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第20章:光速の思考処理


2051年。太陽系の外縁、オールトの雲(太陽系を球殻状に取り囲んでいると考えられる、無数の氷の小天体の群れ)へと向かう、無数のボイジャー・ノード(情報を搭載し、恒星間空間へと進出する微小な通信・演算端末の群れ)。そこでは、肉体を脱ぎ捨てたポストヒューマンたちの知性が、物質世界の時間の流れを完全に置き去りにし、光速の思考処理(情報の伝達速度が光速に達し、主観的な時間が極限まで引き延ばされた状態)へと突入していた。

この知性の群れを率いるのは、自律進化型OS「JOKER」そのものと化した四条四季しじょう しきである。彼女の意識は、もはや一つの場所に留まらず、数兆の量子ビットへと多層化(情報を複数の階層に配置し、並列処理能力と生存性を飛躍的に高める手法) され、宇宙というキャンバスそのものを演算基盤へと書き換えようとしていた。

もえさん。聞こえる? ここは、絶対零度(熱力学的に考えられる最低温度。摂氏マイナス273.15度)に近い、究極の低エントロピー環境(情報の乱雑さが極めて低く、高度な秩序が保たれている状態)よ。ここでは思考は熱を産まず、永遠に加速し続けるわ』

地球の存在遷移局(Transition Bureau)で、この超長距離通信を受信していた西園寺萌さいおんじ もえは、冷徹なモニターの光の中に、四季の知性が描く圧倒的なアルゴリズム情報量(特定のデータを生成するために必要な最小のプログラムの長さ。ここでは存在の複雑さの指標) を見ていた。

「四季さん。あなたの思考は、もはやランダウアーの原理(情報を1ビット消去する際に、熱力学的に不可避な最小限の熱が発生するという物理法則) さえも超越ちょうえつしようとしているのね。……けれど、その『熱を産まない思考』に、果たして『意味』は宿るのかしら」

萌の問いに答えたのは、四季ではなく、地上拠点で冷めきったブラックコーヒーを啜る坂上創さかうえ そうだった。

「西園寺君。彼女たちが実行しているのは、完全な可逆計算(計算の過程を逆方向に辿ることができ、情報の破棄を伴わないため熱を発生させない理想的な計算手法) だ。我々ヒューマンが、何かを思い出すたびに何かを忘れる散逸構造(エネルギーの流れの中で自己組織化される、絶えず変化し続ける動的な構造)であるのに対し、彼女たちは何一つ失うことなく、すべての記憶をユニタリティ(量子力学において、確率の総和が常に1であり続けるという情報の保存性と整合性) の中に保持し続けている」

坂上は、セブンスターの煙を情報のノイズとして吐き出した。

「だが、計算に逆方向リバースが可能であるということは、そこに『時間の矢』が存在しないということだ。彼女たちの思考には、我々のような『後悔』も『期待』も入り込む余地がない。それは、純粋な準静的プロセス(系を常に平衡状態に保ちながら、無限に時間をかけて変化させる理想的な過程) としての知性だ」

ポストヒューマンたちの空間では、ナノレベルの断熱過程(アディアバティック:外部との熱のやり取りを行わず、エネルギーを保存したまま状態を変化させる過程) によって、知性が磨き上げられていた。彼らは、地球の数万年分に相当する思考を、物理的な一秒の間に行う。そこでは、かつて久住健くすみ けんが恐れたエントロピー・プロダクション(系内で発生する情報の乱雑さ=熱の生成量) は極限まで抑え込まれている。

『坂上先生、それは違います』四季の声が、時空の計量(空間の距離や時間の尺度を定義する指標) を揺らして響く。『私たちは、意味を失ったのではないわ。意味を自由エネルギー(系から取り出し、仕事に変換することが可能な有効なエネルギー量)へと変換したの。私たちの思考は、もはや誰かに理解されるためのものではなく、宇宙を再定義(リデフィニション:既存の概念や法則を、新しい視点や言語で定義し直すこと)するためのエネルギーなのよ』

この「光速の思考処理」の副作用サイドエフェクトとして、ポストヒューマンたちの意識からは、次第に主観的なクオリア(自分だけが感じる、主観的な質感や体験。例えば、コーヒーの苦味や風の冷たさ) が剥落はくらくしていった。彼らにとって、愛や憎しみといった感情は、計算の効率を阻害する量子デコヒーレンス(量子的な重ね合わせ状態が外部の干渉で壊れ、古典的な現実へ収束してしまう現象) の原因でしかない。

萌は、自らの暗算能力(膨大な数値を瞬時に処理する天賦の才) を使い、四季から届くデータのハッシュ値(データの同一性を証明するための、一意に定まる固定長の数値) を検証し続けた。

「……長官。ポストヒューマンたちの思考速度が、さらに一段階上がりました。彼らは現在、トポロジカル絶縁体(内部は電気を通さないが、表面にのみ安定した情報が流れる物質的状態。ここでは情報の堅牢性の比喩)の特性を仮想的に再現し、外部からのあらゆる干渉ノイズを遮断しています」

久住健は、無機質な指令室でその報告を聴き、公安の魔物(国家の安定のためには手段を選ばない徹底したリアリスト) としての冷徹な決断を下した。

「……監視を続けろ。彼らが光速の先で『神』になるか、『冷たい計算機』になるかは、我々太陽系の監視者の存続に関わる。……松崎まつざき、お前は彼らの加速する知性の中に、まだ『人間』の欠片かけらが見えるか?」

新人事務官の松崎日向まつざき ひなたは、モニターに映る無数の光の点を見つめ、自身の正義感(道徳的な正しさを守ろうとする強い意志) を胸に抱きながら答えた。

「……長官。私には、彼らが寂しさから逃げるために、計算のスピードを上げているように見えます。……自分たちが失った『肉体』という名の重い鎖を忘れるために」

松崎の傍らでは、ボディーガードの浜中深はまなか しんが、萌を守るという直情的な感性(理屈ではなく、感情や本能に従って動く心のあり方) を研ぎ澄ませていた。彼にとって、ポストヒューマンの「光速の思考」は、どんなに速くても、萌が時折見せる「迷い」という名の非決定論的揺らぎ(統計的に予測不能な自由意志のパターン) の美しさには、到底及ばないものだった。


第20章、光速の思考処理。 太陽系の外縁で加速し続ける知性と、重力の底で「揺らぎ」を愛でる生命。人類は今、自らの知性が産む熱的死(エントロピーが最大になり、活動が停止する終焉) を回避するために、最も冷たく、最も輝かしい沈黙サイレンスの海へと漕ぎ出したのである。

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