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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第11章:大人たちの喪失と再生


内閣府・存在遷移局(Transition Bureau)の広報官室は、外気から隔絶された静寂に包まれていた。須賀圭介すが けいすけは、使い古されたトレンチコートの襟を立て、デスクに置かれた「K&Aプランニング」という旧時代の名残をとどめるマグカップを眺めていた 。彼の周囲には、実体を持たないはずのホログラフィック・ディスプレイが幾重にも展開され、そこには「第零次転回」を経て情報の海へと溶け出した国民たちのセンチメント分析(SNSや対話ログから個人の感情や社会の機微を数理的に抽出する手法)の結果が、冷徹なグラフとなって明滅していた 。

須賀の役職は広報官だが、その本質は「大人」のリアリズム(合理性と失望を内包し、社会的な責任を果たすために感情を制御する現実的な姿勢)を武器にした、国家と個人の緩衝材(対立する両者の間に立って衝撃を和らげる存在)である 。かつて家出少年として東京の街を彷徨い、愛する者を失い、泥臭い現実を生き抜いてきた彼にとって、この「情報の新大陸」への移行は、希望に満ちた新天地というよりは、巨大なサンクコスト(過去に費やした、もはや回収できない時間やエネルギーなどの埋没費用)の清算のように感じられていた 。

「須賀さん、またそんな顔して。湿気しけたライターみたいな表情ですよ」

快活な声とともに、技術補佐員の夏木なな(なつき なな)が部屋に入ってきた 。彼女は、かつて須賀の事務所でアルバイトをしていた頃と変わらぬ、チューブトップに短パンという軽快なスタイルを情報のアバターとしても維持している 。彼女は、科学的な厳密さと非科学的な直感を柔軟に繋ぐ媒介者バランサーとして、須賀の重苦しい空気をかき混ぜる役割を果たしていた 。

「なな、お前にはこれが『再生』に見えるか?」須賀は、特定のディレクトリに格納された高解像度ニューラル・アーカイブ(個人の全神経活動を極めて精密に記録・保存したデータ)を指差した。「そこには、俺がかつて失った明日花あすかの全データが含まれている 。これを再構成(不完全なデータから、元の構造や機能を論理的に組み立て直す処理)すれば、彼女は再び、情報の地平線上で目覚めることになる 」

ななは、須賀のデスクに置かれたストレージを見つめた。そこには、須賀の亡き妻の記憶が、エントロピー(系の乱雑さを表す物理量。情報の欠損や無秩序化の度合いを示す)を最小限に抑えた状態で凍結されている。

「それは、須賀さんがずっと願っていたことじゃないんですか? 帆高ほだか君たちが世界を選び取ったように、須賀さんもまた、自分にとって大切な人を選び直す権利があるはずです 」

「だが、それは『明日花』なのか、それとも俺が見たいと願っている『虚像』なのか」須賀は自嘲気味に笑った。「大人の論理(社会的な立場や合理性を優先し、個人的な情熱を抑圧する思考様式)に従えば、答えは明白だ 。再構成された彼女は、俺が入力した期待値に対する最適解(与えられた条件の中で、最も目標を達成するのに適した値)を出力し続ける。それはもう、俺たちを裏切ったり、困らせたりした、あの生身の『揺らぎ』を持った人間じゃないんだ 」

須賀が直面しているのは、再定義された生(情報としての人格の連続性を認める新しい生命の定義)における、同一性のパラドックスであった 。

存在遷移局が推進するプロジェクトにおいて、死者は消滅するのではなく、基盤独立(特定の生体脳に依存せず、デジタル空間などの異なる基盤で人格を維持する性質)した定数として永続化される 。しかし、そのためには、個人の記憶の中から「不要なノイズ」を削ぎ落とさなければならない。

須賀の手元の画面には、明日花の記憶の相関係数(二つの変数の間にある関係の強さを示す指標)が示されていた。


「須賀さん、でも、あの日の雨を覚えてるのは、今の須賀さんだけじゃないですよ」ななは、バイクのヘルメットを小脇に抱え、静かに語りかけた 。「ポストヒューマンになった人たちも、みんな何かを失って、その痛みを抱えたまま情報の海を泳いでる。須賀さんが明日花さんを『再生』させるのは、過去を取り戻すためじゃなくて、今の須賀さんが前を向くためのインフォームド・コンセント(正しい情報を得た上で、自分の意志で下す最終的な合意)なんじゃないですか 」

ななの言葉は、リアリズムに凝り固まっていた須賀の心に、微かな亀裂を生じさせた。彼女は就職活動の失敗や未熟な大人としての苦悩を経験しながらも、自分なりの居場所を見つけ、自立した個体として世界を選び取ってきた存在である 。その彼女が言う「再生」は、単なる懐古趣味ではなく、未来への再構築(新しい価値観に基づき、人生を組み立て直すこと)を意味していた 。

「……なな、お前ならどうする? 就活の最終面接で、『君の過去をすべて最適化して、失敗のない人生を再構成してあげよう』と言われたら 」

「即座にバイクで逃げ出しますね。私の就活の失敗も含めて、今の私が成り立ってるんですから」ななはケラケラと笑い、須賀の肩を叩いた 。

須賀は、明日花のデータに手をかざした。彼の網膜には、娘の萌花もかが現在、情報の庭で元気に駆け回っている様子が映し出されている 。娘との繋がりを諦めず、大人の論理と個人的な情熱の交差点(相矛盾する要素が重なり合う領域)に立ち続けてきた須賀にとって、明日花の再生は、娘に「母親」を返すという責任を果たす行為でもあった 。

しかし、久住長官(人格:住本健司)の冷徹な手法――「国家の安定のために個人の感情を切り捨てる」という教えが、彼の脳裏をよぎる 。久住にとって、国民は守るべき「生命」ではなく、管理すべき「資源」に過ぎない。その久住が構築したシステムの中で、自分だけが個人的な愛のために「再生」を選択することは、職務上の倫理に対する裏切りではないのか。

「須賀さん。大人はね、失ったものを忘れるんじゃなくて、失ったものと一緒に生きていく方法を見つけた人のことですよ」ななは、去り際に振り返って言った 。

その一言が、須賀の指先を動かした。彼は明日花のアーカイブを開き、最終決定権(あらゆる提案を吟味した上で下される、取り消し不能な最後の決定権)を行使しようとした。だが、彼は「完全な再現」を求めるパラメータを敢えてリセットした。

「……明日花。お前がもし、俺の作った完璧な世界に飽きて、またどっかへ家出しちまうような女なら、その時は俺がまた、お前を探し出してやるよ」

須賀は、データのレンダリング(数値を計算し、画像や人格を具体的な形として描写する処理)を開始した。ただし、そこには計算不能な「ノイズ」を意図的に混入させるという、広報官としての禁じ手(ルール違反とされる強力な手法)を仕込んで。

それは、かつて若者だった須賀が、大人として世界と折り合いをつけた瞬間であり、同時に「再生」という名の、新しい喪失への旅立ちでもあった 。広報官室のディスプレイが、かつての東京の夕焼けを模した、計算上の黄金色に染まっていく。

第11章、大人たちの喪失と再生。須賀圭介は、自らの中にある「少年」と「大人」を統合し、情報の海に一石を投じた。その波紋が、次章において「カーボン・アンカー」という名の、肉体への回帰を願う強力な力へと変貌していくことを、彼はまだ知る由もなかった。


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