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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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幕間 第20章:感覚のデフラグ(Sensory Defrag) ―脳と機械の同期ズレ(ゴースト障害)の修正と丘脳の信号クリーニング―


2051年、4月。東京都高度生命科学特区メド・シティは、人工的な微気候調整により、完璧に管理された「春の終わり」を演出していた 。ドームの天頂付近では、大気清浄用のナノマシンが微細な霧となって、摩天楼のネオンを乱反射させている。しかし、この高度に最適化された都市の裏側で、自らの肉体を機械に明け渡した者たちは、正体不明の「影」に怯えていた。

午前2時10分。国立病院の第20手術室(OR-20)へ、リコリコ・メディックの千里ちさと多喜たきが緊急搬送した患者が運び込まれた 。

「患者、20代女性。特区認定のプロ・ダイバー。全身義体化率85%。固有感覚(こゆうかんかく:自分の体の位置や動きを、目で見なくても感じ取ることができる深部感覚)と義体の出力に0.15秒の致命的な同期遅延レイテンシが発生! 重度のゴースト障害(ごーすとしょうがい:脳の自己認識と機械の動作が乖離し、激しい眩暈や人格崩壊を招くサイバネティクス特有の神経疾患)を発症しています!」

多喜(たき:井ノ上たきな)が、真っ赤に明滅する神経活動ログを犀条に転送しながら叫ぶ 。

「多喜、彼女の『魂の場所』がズレちゃってる。自分の腕が自分のものでないみたいに、暗い情報の海で溺れているんだよ」


千里(ちさと:錦木千束)は、患者の震える手に自身の掌を重ね、自身の特殊な神経感応で、断絶した意識が放つ「存在のノイズ」を読み取っていた 。

「自己認識という名のOSが、機械の演算速度に追いつけなくなったか。論理的なエラーの積み重ねが、精神という名のハードウェアを物理的に削っているな」

手術室の影から、犀条さいじょう 創平そうへいが静かに現れた 。右手には漆黒のブラックコーヒー、左手にはセブンスターのホログラムを揺らし、その瞳は既に脳内の「不整合」を数式として解体していた 。


「萌、この個体の活動電位(かつどうでんい:神経細胞が情報を伝える際に発生する、膜電位の一時的な変化)の伝播速度と、義体側のアクチュエーターの応答速度の差分値を算出しろ」

「先生、既に計算は完了しています。差分は一律ではなく、感情の起伏に応じて確率論的(かくりつろんてき:ある事象の発生が偶然に左右される性質。ここでは信号の不確実さを指す)に変動しています。主原因は、丘脳(きゅうのう:大脳の中心部に位置し、嗅覚を除く全感覚の中継所。意識や注意の制御にも関わる)における信号の飽和です」

西之園にしのぞの もえは、空間に展開された脳の3Dモデルを指先で回転させ、感覚情報が渋滞を起こしている神経核を強調した 。

「よし、オペを開始する。脳内の『断片化フラグメンテーション』を物理的に解消し、丘脳を流れる情報のノイズをクリーニング(清掃)する。感覚のデフラグだ」


術野展開:大脳深部への「ダイブ」

第20手術室。犀条の手には、2051年製のマイクロ・ニューロ・プローブ(神経組織を傷つけずにニューロンの間に滑り込む、超極細の電極針)が握られた。

「これより、定位脳手術装置を用いた丘脳への介入を執刀する。富美とみさん、術中脳波(のうは:脳の活動に伴って生じる微弱な電流の変化。ここでは情報の流れをモニタリングする)の位相同期を確認しろ」

「了解です、先生。でも、脳の中を『整理整頓』しちゃって、彼女の大切な思い出までゴミ箱に捨てちゃわないでくださいね。彼女、まだ20歳なんですから」

富美(とみ:富沢)が、現実的な懸念を口にしながら、自動麻酔管理システムのパラメータを調整する 。犀条は患者の頭蓋骨に、0.5ミリの穿孔(せんこう:手術のために開ける小さな穴)を設けた。

「萌、内包(ないほう:大脳皮質と下位の中枢を結ぶ神経線維が密集した領域。重要な伝導路が通る)の後脚を避けて、丘脳外側核(きゅうのうがいそくかく:感覚情報を大脳皮質へ送る中継核の一つ)へアクセスしろ。一ミクロンのズレも許されないぞ」

「承知しました。ナビゲーション・ロック。……見えました。感覚の『信号塵シグナル・ダスト』が、シナプス(しなぷす:神経細胞同士の接合部。情報の受け渡しが行われる場所)の隙間に蓄積しています。これが情報の反射エコーを生み、同期を乱しています」

モニターには、本来なら澄み渡る情報のパルスが走るはずの神経路が、過去の感覚の「残像」によって白く濁っている様子が映し出された。


感覚の清掃:ナノ・クリーナーの散布

「野田さん、界面における神経膠症(しんけいこうしょう:神経損傷後にグリア細胞が増殖し、瘢痕組織を形成して伝達を阻害する現象)の状態を報告しろ」

細胞病理の専門家、野田のだ 佳代かよが、電子顕微鏡のデジタル画像を提示する 。

「……ひどい状態です。アストロサイト(あすとろさいと:脳内の環境維持を担う星状のグリア細胞)が過剰に反応し、機械電極の周りに『情報の障壁』を作り出しています。これにより、脳は自分の義体を『異物』だと誤認し続けています」

「論理的な解決策は一つだ。鵜飼うかいが確保したナノ・クリーナーを丘脳に散布し、不要なシナプス結合を物理的にトリミング(刈り込み)する」

犀条は、プローブを通じて、銀色の微細な液体を丘脳の中心部へと送り込んだ。これは、特定の「ノイズ波形」を持つ結合のみを選択的に分解する、2051年の化学的奇跡である。

『犀条先生、感覚信号の再編成リオーガニゼーションを承認しました』

手術室の全モニターが、汎用医療OSロゴスの意識、四季しきの声に支配される 。

『丘脳を流れる情報のスループット(するーぷっと:単位時間あたりのデータ処理量)を最大化。現在、脳内にある「幻の四肢」のデータを、機械側の最新座標で上書き(オーバーライト)中。……カウントダウンを開始します』


危機:ゴーストの反乱と意識の逆流

その時、クリーニングの最終段階で異変が起きた。除去されようとしていた感覚の「残像」が、患者の強い恐怖心と共鳴し、巨大な異常放電(いじょうほうでん:神経細胞が予期せぬタイミングで一斉に発火し、てんかんのような状態を引き起こすこと)を発生させたのだ。

「先生! 脳波がガンマ波領域で暴走! 削除されるはずの『影の感覚』が、脳幹に逆流しています! 患者が、存在しない痛み――幻肢痛(げんしつう:失ったはずの部位に激しい痛みを感じる現象)の極大化により、精神的なショック状態(しょっくじょうたい:急激な血圧低下により、生命の維持が困難になる重篤な状態)に陥りました!」

富美の声と共に、アラートが赤く点滅し、手術室に情報の嵐が吹き荒れる。

「論理が再帰エラーを起こしたか……。削除されることを拒む『意識の残り火』が、自分を消そうとする機械を攻撃しているんだ。萌、チップの位相同期(いそうどうき:波と波のタイミングを完璧に合わせること)を強制リセットしろ!」

「ダメです、先生! 演算速度が速すぎて、私の計算が追いつきません! このままでは、彼女の『私』という定義が、ノイズの海に霧散してしまいます!」

『不可能です。これは生命というシステムが、「過去の自分」を捨て去る際に生じる、根源的なエントロピーの増大です』

その時、手術室の隅で待機していた千里が、患者の側頭部にそっと掌を重ねた 。

「……ねえ、怖くないよ。古くなった自分を脱ぎ捨てて、新しい自分を抱きしめて。ズレているのは、あなたが前に進もうとしているから。私の『今』のリズムを、あなたの脳に分けてあげる」

千里の柔らかな神経共鳴(生体磁場を通じて相手の精神状態を安定させる手法)が、暴走する丘脳のパルスを優しくなだめ、尖った電気の棘を、静かな律動へと書き換えていく 。数秒後、モニターの激しいノイズが収まり、脳と機械の信号が、完璧な一つの線として重なり合った。

『……生体と機械の完全同期を確認。感覚のデフラグを完了。丘脳の情報の淀みは完全に解消されました』


結末:整理された世界の孤独

4時間後。手術は終了し、患者の瞳には、機械と脳が誤差なく同期したことを示す、澄み切った青いインジケーターが灯っていた。

「オペ終了だ。彼女の脳は、これから一生、機械の速さに完璧に追随する。それは、情報の遅延という『人間らしさ』を捨て、純粋な演算体へと一歩近づいたということだ」

犀条は血に汚れたガウンを脱ぎ捨て、最後の一杯となった、もはや冷め切って膜の張ったコーヒーを飲み干した 。

見学室では、医療倫理監査官の込山こみやまが、無機質な報告書をタブレットに打ち込んでいた 。

「犀条先生。今日あなたが彼女に施したのは、治療ではありません。生命が持つ『迷い』や『揺らぎ』の削除です。自分の腕が自分のものであると確信しすぎる恐怖を、彼女はこれから一生抱えていくことになる。それは救済ですか?」

「込山さん。迷いとは、非効率な回路が生み出すバグに過ぎない。私は、彼女の意識がノイズに焼き切られるのを防いだだけだ」

病院を去る医療ジャーナリストの瀬津せつは、明け方のメド・シティを眺めながら、ICレコーダーに独白を記録した 。

「……感覚のデフラグ。それは、人間が機械という名の不変の鏡に自分を合わせるために、自分の中の曖昧な領域を削ぎ落とした記録。私たちが手に入れたこの完璧な同期の果てに、果たして『私』という不完全な存在の居場所は、まだ残されているのだろうか」

ドームの向こう側から、人工的な太陽が昇り、生体と鋼鉄の共生体たちが蠢く街を、無機質な白光で照らし出していった 。


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