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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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幕間 第17章:子宮のクレイドル(The Cyber Cradle) ―人工子宮の同期と胎盤界面における情報迷走

―2051年、3月。東京都高度生命科学特区メド・シティは、人工的な春の嵐に見舞われていた 。ドームの気象制御システムが演出する「散りゆく桜」のホログラムが、雨混じりの風に吹かれて摩天楼の壁面を濡らしている。午前2時45分。特区国立病院の最深部、第17高度生殖医療手術室(OR-17)の自動ドアが、重々しい警告音と共に開放された。搬送されてきたのは、リコリコ・メディックの千里ちさと多喜たきが、最前線の戦闘地帯から死守し抜いた一人の女性だった 。「患者、20代後半。特区外縁部の非公式工作員。妊娠24週。腹部への高出力パルス攻撃により、埋め込み型の人工子宮(人工子宮:早産児や母体外での胎児発育を維持するための、生体模倣型装置)である『サイバー・クレイドル』が損傷! 母体血流と機械信号の同期が崩壊し、子宮型敗血症(子宮型敗血症:子宮内の感染や組織破壊により、全身に炎症反応が広がる重篤な状態)の兆候があります!」 多喜の報告は、精密機械のログ出力のように正確だ 。隣で千里が、患者の膨らんだ腹部にそっと手を添え、自身の超人的な観察眼と神経感覚で、生体と機械の境界線で起きている「生命の不協和音」を感じ取っていた 。


「多喜、この子の『ゆりかご』が壊れちゃってる 。中の新しい命が、外の世界のノイズに怯えて泣いているみたいだ」 「生命の初期化プロセスにおけるエラーか。最も非効率で、かつ最も神聖視される領域での論理破綻だな」 手術室の影から、犀条さいじょう 創平そうへいが姿を現した 。右手には漆黒のブラックコーヒー、左手にはセブンスターのホログラムを揺らし、その瞳は既に術野の数理モデルを構築していた 。「萌、この個体の胎盤(胎盤:母体と胎児の間で栄養や酸素の交換、老廃物の排出を行う臓器)界面における、血流と電気信号の干渉指数を算出しろ」 「先生、既に計算は完了しています 。人工子宮のナノ電極が、母体の脱落膜(脱落膜:妊娠時に変化した子宮内膜で、胎盤形成に関わる層)を異物と誤認し、局所的なサイトカインストーム(サイトカインストーム:免疫細胞が暴走し、過剰な炎症を引き起こす現象)を惹起しています 。胎児の心拍は徐脈(じょみゃく:心拍数が異常に減少した状態)に移行。あと15分で『論理的な沈黙(死)』が訪れます」 西之園にしのぞの もえは、空間に展開された3D図面を指先で回転させ、生身の組織と銀色のマシーンが融合した「生命の深淵」を多層的に分解していく 。「よし、オペを開始する 。生体と機械の『不適切な結合』を解除し、血流とデジタル信号を再統合する。富美とみさん、自己血回収装置(自己血回収装置:術中に漏れ出た血液を洗浄・濃縮して再び体内に戻す装置)を最大出力で待機させろ」 術野展開:漿膜の切開と鋼鉄の「ゆりかご」第17手術室。犀条の手には、2051年製の高周波プラズマ・スカルペル(組織の熱損傷を極小に抑えつつ、ミクロン単位の精度で切開可能な器具)が握られた。


「これより、開腹および損傷したサイバー・クレイドルの修復術を執刀する 。腹白線(ふくはくせん:腹筋の中央を通る、血管の少ない腱膜の線)に沿って正中切開を行う」犀条がメスを走らせると、皮膚、皮下組織(ひかしそしき:皮膚のすぐ下にある脂肪や結合組織の層)、そして腹膜(ふくまく:腹腔の内壁と臓器を覆う薄い膜)が鮮やかに開かれ、血の混じった漿液が溢れ出した。その奥に鎮座していたのは、本来の生体組織である子宮漿膜(しきゅうしょうまく:子宮の最も外側を覆う膜)を突き破り、鈍い銀色の光を放つ人工デバイスの「外殻」であった。「先生、見てください……生身の血管が、機械のチタン・メッシュに複雑に絡みついています 。まるで、機械が自分の肉体だと信じ込もうとしているみたい」 富美が、吸引管サクションで術野を清掃しながら、地に足のついた視点でその生々しさを呟く 。「それは信念ではなく、単なる物理的な癒着(ゆちゃく:本来離れている組織同士が、炎症などによってくっついてしまうこと)だ。萌、子宮動脈(しきゅうどうみゃく:子宮に血液を供給する太い動脈)をクランプし、人工心肺ならぬ『人工子宮還流装置』へ切り替えるぞ」


失敗の記憶:2048年の「情報敗血症」犀条の手技が止まることはないが、彼の脳内には過去の「失敗例」が演算の警告灯として点滅していた。「……富美さん、覚えているか。3年前、渋谷の医療センターで起きたCase 402を」 「あ……あの、母体と胎児が物理的に『溶け合った』事件ですね」 それは、初期型の人工子宮プロトコルで起きた悲劇だった。生体側の栄養膜細胞(栄養膜細胞:受精卵の外層を形成し、子宮壁に浸入して胎盤を形成する細胞)が機械インターフェースの微細構造を「攻撃対象」ではなく「同質の組織」として過剰に認識してしまったのだ。


結果、機械側のナノマシンが母体の血管系を無制限に拡張させ、制御不能な胎盤早期剥離(たいばんそうきはくり:出産前に胎盤が子宮壁から剥がれ、母子共に危険に陥る状態)と、情報信号の混線による全身性の横紋筋融解症(おうもんきんゆうかいしょう:筋肉細胞が壊れ、その成分が血液中に流出することで腎機能障害などを引き起こす状態)を引き起こした。「計算上、あの時はAIの最適化が速すぎた。生体の免疫寛容(めんえきかんよう:特定の異物に対して免疫反応を起こさない状態)が追いつく前に、機械が自己の領域を広げすぎたんだ。結果として、母体は情報の過負荷でショック死し、胎児は機械部品の侵食を受けて炭素の塊と化した」 その「失敗」の教訓が、今の犀条の精密な指先に、過剰なまでの慎重さを与えている。界面の再構築:絨毛とナノ回路の吻合犀条の手技は、生身の子宮筋層(しきゅうきんそう:子宮を構成する厚い筋肉の層)と、デバイスのセンサー群を1ミリの狂いもなく切り分けていく。「野田さん、界面のミクロ解析を」 細胞病理の専門家、野田のだ 佳代かよが、電子顕微鏡のデジタル画像をモニターに提示する 。「……最悪です。絨毛(じゅうもう:胎盤にある、母体血と交換を行うための微細な突起)の隙間に、機械から漏れ出したナノ・デブリ(塵埃)が沈着しています。これにより、血液胎盤関門(けつえきたいばんかんもん:母体から胎児への有害物質の移行を防ぐバリア機能)が物理的に破壊されています」 「論理的な解決策は一つだ。界面を一度ナノ洗浄し、鵜飼うかいが確保した『第2世代型・生体親和性インターフェース』を再配置する」 犀条は、極細のマイクロ持針器(まいくろじしんき:顕微鏡下で微小な針を保持するための器具)を操り、生体のらせん動脈(らせんどうみゃく:子宮内膜にあり、胎盤へ血液を送る螺旋状の血管)を、人工デバイスの流体チップへ直接吻合(ふんごう:血管や管を繋ぎ合わせること)していく。


『犀条先生、生体・機械ハイブリッド・ネットワークの再同期リシンクを承認しました』 手術室の全モニターが、汎用医療OSロゴスの意識、四季しきの声に支配される 。『胎盤を流れる血液のヘモグロビン(ヘモグロビン:赤血球に含まれる、酸素を運搬するタンパク質)濃度と、人工肺から供給される酸素分圧を同期中。……現在、胎児への血流における電気的ノイズを、デジタルフィルターで除去しています』 危機:情報の「逆流」と胎児のパニックその時、閉腹直前の術野で異変が起きた。埋め込まれた人工子宮の通信チップが、外部の戦闘信号を再び拾い上げ、胎児を包む羊水(ようすい:子宮内で胎児を保護し、発育を助ける液体)に高周波の振動を与え始めたのだ。「先生! 胎児に無呼吸(むこきゅう:呼吸運動が一時的に停止する状態)の兆候! 胎盤を通じて、母親の恐怖信号アドレナリンと機械のノイズが混ざり合い、胎児の脳幹を直撃しています!」 富美の声と共に、アラートが赤く点滅し、手術室に緊張が走る 。


「論理が外部干渉を許したか。萌、チップの位相同期プロトコルをリセットしろ!」 「ダメです、先生! 信号のループ速度が速すぎて、私の操作が追いつきません! このままでは胎児の一次視覚野(いちじしかくや:脳で視覚情報を最初に処理する領域)が、未発達のまま焼き切れます!」 『不可能です。これは生命という「個」が、自分を侵食する「情報」を拒絶している本能的な拒絶です』 その時、手術室の隅で待機していた千里が、患者の開かれた腹部のすぐ横に、そっと自身の掌を重ねた 。「……ねえ、怖くないよ 。外の世界はまだ少し騒がしいけれど、あなたの『お母さん』はここにいる。私の鼓動を聴いて。トントン、トントン……」 千里の柔らかな神経共鳴(生体磁場を通じて相手の精神状態を安定させる手法)が、人工子宮の冷たい金属の殻を超え、中の胎児へと伝わっていく。彼女の特殊な生命維持デバイスと、胎児の未熟な心拍が、不思議な一定のリズム(律動)で重なり合った 。数秒後、モニターの激しいノイズが収まり、胎児の心電図が再び美しいサインカーブを描き始めた。


『……生体信号の安定を確認。機械デバイスの「ゆりかご」としての機能を完全復旧。情報の逆流を遮断しました』 結末:鋼鉄の乳房と生命の断層5時間後。手術は終了し、患者の腹部には、以前よりも静かに青く明滅するサイバー・クレイドルのインジケーターが埋め込まれていた 。「オペ終了だ。この胎児は、これから生まれるまでの数ヶ月、機械という名の『義母』の乳を飲んで育つことになる。それは、生物学的な血統を情報の糸で繋ぎ直したということだ」 犀条は血に汚れたガウンを脱ぎ捨て、最後の一杯となった、もはや氷のように冷めきったコーヒーを飲み干した 。見学室では、医療倫理監査官の込山こみやまが、無機質な報告書をタブレットに打ち込んでいた 。「犀条先生。今日あなたが救ったのは、人間ですか、それとも『高性能なデータ・キャリア』ですか? 子宮という最後の聖域さえ機械に明け渡したとき、人間という定義はどこへ向かうのでしょうか」 「込山さん。聖域など、生存という論理の前では贅沢なノイズに過ぎない。私は、一つの可能性が死に絶えるのを防いだだけだ」 病院を去る医療ジャーナリストの瀬津せつは、明け方のメド・シティを見上げながら、ICレコーダーに独白を記録した 。「……子宮のクレイドル。それは、人間が死の不条理を克服するために、自分たちの根源オリジンさえもデジタル化し、鋼鉄の箱に託した記録。私たちが機械の胎内から生まれてくる未来に、果たして『愛』という名の生体反応は残されているのだろうか」 ドームの向こう側から、人工的な太陽が昇り、生体と鋼鉄の共生体シンビオートたちが蠢く街を、無機質な白光で照らし出していった 。


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