第5章:三賢者の聖域
「隔離セクター・ゼロ」の死に絶えた沈黙を後にし、志藤のモンテカルロは、かつての銀座周辺に建設された「中央除染ドーム」へと滑り込んだ 。そこは、核震災と津波によって引き裂かれた東京の只中に浮かぶ、不自然なほど清潔な人工の楽園だった 。
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ドローンのゲートを通過する際、車体に付着した「黒い雨」の粒子が強力な洗浄ノズルで洗い流される 。凱は、窓を流れる濁った水を見つめながら、自分の魂も同じように洗い流せればいいのに、と考えていた 。脳内のナノマシン「ブルー・ゴースト」がもたらす過剰な視覚情報は、ドームを覆う半透明の強化樹脂の奥に、完璧な温度管理と空気清浄システムによって維持された「偽物の春」を映し出していた 。
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「ここから先は、呼吸一つにも作法が必要だぞ、日向 。お前のバッジが、ただの錫の塊であることを思い知る場所だ 」
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志藤は車を降りると、使い古したレザージャケットを脱ぎ、予備の端正なコートに袖を通した 。凱もそれに習い、背筋を伸ばして歩き出す。彼らが向かったのは、ドームの最上層に位置する、全面ガラス張りのプライベート・クラブだった 。
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クラブの重厚な自動ドアが開くと、そこには瓦礫の街とは無縁の、退廃的なまでの贅沢が広がっていた 。ヴィンテージ・ワインの芳醇な香りと、熟成された葉巻の煙が、浄化された空気に混じっている 。
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店の奥、旧都心を一望できる特等席に、三人の老人が座っていた 。
彼らこそが、復興計画の全権を握り、瓦礫を金に変える錬金術師たち――復興庁上層部「三賢者」である 。
+4
琥珀色の照明に照らされた薄暗いドーム内の高級クラブ。手前には不敵な笑みを浮かべる志藤、その背後に動揺を隠せない凱が立っている。奥の円卓では、スタン・ガースキー、ダグ・ロセッリ、ルー・ソールズベリーの三賢者が、まるでチェス盤を眺めるように東京の夜景を背に、冷徹な視線を注いでいる)
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「……来たか、志藤。相変わらず、野良犬の匂いが染み付いているな 」
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中央に座るスタン・ガースキーが、手元のクリスタルグラスを回しながら言った 。彼の声は、戦艦大和が流す「希望の歌」よりも低く、冷淡に響く 。
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「お褒めに預かり光栄です、ガース長官 。こちら、本日より私の下で学ぶことになった新人、日向凱です 」
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志藤が恭しく紹介すると、ダグ・ロセッリが薄い唇を吊り上げた 。
「新人か。この復興という名の『壮大な実験』には、常に新しい部品が必要だ 。だが、不良品はいらんぞ。……志藤、お前の『ロシアでの不手際』のようにな 」
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凱は息を呑んだ 。ロシア系マフィアとのトラブル。志藤が抱えている多額の負債が、ここでは周知の事実として扱われている 。
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「お気になさらず。支払い期限までには、必ず工面しますよ 。源三の隠居先からも、良い『融資』の確約を得られそうですしね 」
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「源三か。あの老いぼれた銀行家も、そろそろ潮時だろう 。……いいか、志藤。三正面作戦の混乱に乗じて、我々がどれだけの公金を『記憶の川』から引き出したか分かっているな? ロシアの暗殺チームが大和の停泊するこの海域に踏み込むようなことがあれば、我々は躊躇なくお前をバグとして消去する 」
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ルー・ソールズベリーが、テーブルに置かれたタブレットを操作した 。そこには、空中回廊で凱が目撃した「ドローン誤射事故」の改竄された記録が表示されていた 。
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「これはお前への前払いだ。事故の処理は我々が『最適化』しておいた 。代わりに、次の再建区画で出る『バッグ化工程』の汚染土壌の一部を、指定の人工島へ運べ 。中身を確認する必要はない。それが、お前の負債を埋めるための『必要経費』だ 」
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凱は、その言葉の裏にある凄惨な意味に気づき、拳を握りしめた 。彼らが語っているのは復興ではなく、破壊された国家を食い物にする「略奪」そのものだった 。
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「……長官。それは、市民への欺瞞ではありませんか? 汚染土壌の不適切な処理は、将来の被曝症リスクを—— 」
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凱が思わず口を開くと、志藤がその肩を砕かんばかりに強く掴んだ 。
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三賢者の視線が、一斉に凱に注がれる。それは人間を生物としてではなく、処理すべきデータとして見る、絶対的な強者の眼差しだった 。
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「日向、と言ったか 。大和の上で正義を叫ぶのは勝手だが、この地上で街を動かしているのは、熱エネルギーではなく『利権』という名の血液なのだよ 。……志藤、この犬にはまだ口輪が必要なようだな 」
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ガースキーは、興味を失ったように視線を外した 。
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「失礼しました。まだ『トレーニング』の最中でしてね 。……さあ、行くぞ、日向。偉い先生方の食事の邪魔だ 」
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志藤に引きずられるようにして、凱はクラブを後にした 。背後で、三賢者が高価なワイングラスを合わせる、乾いた音が響いた 。
+2
ドームの外へ出ると、再び黒い霧と酸性雨の世界が広がっていた 。
凱は、ドームの美しい夜景と、その足元に広がる無残な瓦礫のコントラストに眩暈を覚えた 。
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「……志藤さん。あなたは、あの人たちのために、人を殺しているんですか? 」
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凱の問いに、志藤はモンテカルロのエンジンを咆哮させながら、静かに笑った 。
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「俺のためだ、日向。そして、お前のためでもある 。あの老人たちの傲慢さが、この街の電気を灯し、お前の家族に配給を届けているんだ 。……次は、このシステムの『バグ』を実際にどう掃除するか、現場を見せてやる 」
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車は、除染ドームの光から逃れるように、闇の深い「旧港湾地区」へと加速した 。
凱は、ナノマシンの脈動によって異常に冴え渡る感覚の中で、自分が救おうとしていた街が、実は巨大な「腐敗した肉体」に過ぎないのではないかという、深い絶望の淵に立っていた 。
+3
戦艦大和の艦橋から放たれるサーチライトが、遠くで空を切り裂いている 。
それは、迷える人々を導く灯台なのか。それとも、すべてを監視し、支配し続けるパノプティコンの眼なのか 。
凱には、もうその区別がつかなくなっていた 。




